問題を整理しましょうか

古い唐手の型の名称は基本的にカタカナ表記で沖縄で伝わってました。

一例を挙げるなら、ナイハンチ、クーシャンクー、パッサイ、セーシャン、ワンシュウ、
チントウ、ジッテ、ジオン、ローハイ、ソーチン、チンテー、ウンスー、セイユンチン等々

他にもマイナーな唐手の型は存在すれど、そのほとんどは漢字ではなくカタカナ表記で
伝わっています。そして見れば分かるように日本語ではなく何かの中国語と思われます。
中国拳法の套路が伝わって空手の型になったというのが定説だから、まあ当たり前ですね。

船越や本部が本を出版する1920年代まではこんな感じで、一部の例外的な型、例えば一百零八や
五十四歩など数字が主体の型は漢字で表記されてます。おそらくイーアルサンスウなどの数字の
発音は当時の沖縄でも有名で比較的リスニングしやすく、どういう意味の中国語なのか判別が
つきやすかったのかもしれないですね。ただし、サンチンにいたってはサンは「三」で分かり
やすかったかもしれませんが「チン」は馴染みが無く当時の沖縄でもどういう漢字を当てていい
のか不透明だったようです。三戦、三進、三箭などなど。そのせいかい本部もサンチンはサンチンと
カタカナ表記ですし、船越もある大学空手部の指導では「戦」ではなく「進」の字を採用してました。

今でこそ、内歩戦(ナイハンチ)だとか、抜塞(パッサイ)だとか雲手(ウンスー)だとかシレっと
みんな漢字で表記されてますが、それらは唐手が本土にもたらされてから徐々に当て字されたもので
誰かが普及のためにつけていったものです。基本的には戦前の沖縄ではほとんどの型が漢字が分からず
カタカナのみの発音で伝わっていました。