伝統空手とフルコン空手どっち派? ★2
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いまフルコン空手やってるんやけど、最近は伝統のスピードと技術に惹かれる
※前スレ
伝統空手とフルコン空手どっち派?
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1683770076/ まあ怪我していたんでは論外だから
沖縄空手と伝統空手のミックスがいいかな。
沖縄空手にマススパーを取り入れる >>683
グローブ空手はヤンキー崩れや品の無い奴しかいない >>682
そうだな。
あと歴史を聞いて人に絡んでスレ妨害は禁止とか。
>>685
なんでだろうな?
MMAみたいな総合系もそうじゃん?
観客呼んで大会開いて金儲け的な試合至上主義になると
不良やチンピラが集まるのかね?
偏ったとこで言うと
ブレ・・・系とかさ?
あれはチャンスを与えたいとか公正目的だった筈だが
そうなってる様には見えないんだよな?
なってる人もいるのかも知れないけどさ?
それがなかなか見えてき難いと言うかさ? どっちかと言うとボクシング=ヤンキーのイメージある
主に漫画ドラマのせいだが >>689
ボクシングジムに殴り込んでくるヤンキーは真面目な練習生にボコボコにされてるイメージ。
空手や柔道にも陰湿な馬鹿はいるけどぱっと見はそれとわからないのが多い。
MMAやキックに多いDQNはタトゥー入れてたり分かり易いから、そういうのに関わらないようにすれば良いですよ。
でも、ジム行って顔合わせたらフツーに挨拶されたりするからガン無視も出来ないけど・・・ 俺はけっこう侃々諤々してるの好きだけどな
読みごたえがあるとなお良い おかしな内容で
誰かが誰かに絡みながらずるずるとスレが伸びても
それは侃々諤々とは言わない >>604 (https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1706850251/604)
自分の中で根拠となるのは、先ずは系譜。
型は壮大な伝言ゲームであるので、流派として別れる時点でその創立者によって変わっていると見ていい。
なので、なるべく流派の宗家がその学んだ師の弟子ではなくその師の子供達が起こしているような所で絞っていく。
そうなると必然的に沖縄の中でも名門(本土では殆ど知られていないが)と言われるような流派になっていく。
次に競技を採用していない所。
これは乱暴な条件なのは理解しているが、個人的な経験からもやはり競技を採用した時点でどうしてもそれに合わせて技術が変質していく。
それの長所もあるので悪いとは自分も思わないが、古い手の純度を求めると言うテーマで見た場合、一端この条件で外して良いと自分は思っている。
そうでないと多く存在する沖縄の流派で話が進まなくなるので。
勿論、競技を採用していても古い手の原型を残している流派は幾つもあるが、そう言うのは一端置いて良いだろうと思っている。
そして、最後の一つはここでは名言はしない。
それを書くと多分空手を学んでいる流派の人間の中には不快感を感じる人もでてくるのが予測がつくので、私もそう言う手合いをあいてするのはもう面倒くさいので。 とは言え、こう書くと身も蓋も無いかもしれないが自分の中でも沖縄空手は時代に合わせて常に変化していく物。
という定義もまたある。
古い手の技術を大事に保存、継承していくのも大事だが実際沖縄の手は常に中国武術や本土武術の影響を昔から取り入れて変化していた。
これは歴史的にみても明らかにそう言える。
例えば沖縄古武道には太刀の手も存在しているが、これは明らかに本土の剣術の影響が入ってる。
そしてそれは示現流よりも更に古い時代に伝わっていると思われる。
現代の空手は、本土や沖縄問わず(一部の例外を除いて)空手=正拳突きというイメージが定着している。
ただこれも古い手の目線で見た場合本来は正拳もあくまでも攻撃時に使う部位の一つでしかなく、
一本拳、貫手、裏拳、鉄槌、肘、膝、等あらゆる部位を使って相手の隙や不意をついて急所に入れるというのが、
古い手の攻撃手段だった。
それは今なお、継承される様々な流派の型からも考察できると思う。
では何故、空手=正拳突きが定着したかと言えば、これにはボクシングの存在が大きく関わっているから。
実際、沖縄は早くからボクシングが日本国内の中でも普及、発展してきた地域でもある。 尚、古い手では顔面の攻撃は裏拳が主体で正拳は中段突きがメインだったという説が存在している。
ただ、これには一部語弊がありあくまでも「練習の中では」というのが正しく、古い手の場合、
手による攻撃は裏拳や正拳で撃ち抜くのと同じくらい、貫手や一本拳等で相手の目や喉元を抉るという手法が重要視された。
金的や膝関節への攻撃という手段も常套手段だったようなので、その流れでコッカケという防御方が作られたり、
ナイハンチの通称波返しは色々と難しい理屈をつけている人間達がいるが、元々は膝や足払い、脛蹴り等への防御法として作られている。
そこに無駄に難しい理屈をつけてしまっている流派が現代では幾つも見受けられるのが逆に古い手の技法を探す際には邪魔になったりする。 え〜、日本には江戸時代に「狐拳」というものが存在しましてね
狐の手 猟師の手 庄屋の手 三つを使いわけます
○○拳だとか○○の手だとか、一見すると中国拳法や唐手を連想しがちですが
狐は猟師に鉄砲で撃たれ、猟師は庄屋に頭が上がらず、庄屋は狐に化かされる
この三つを手や拳形を用いて相手と勝負する、いわばジャンケン遊びです
これらを簡略化ないし変化したのが、現代でいうところのグー、チョキ、パーですな
誰でもやったことがあると思う
仮に自分がグーだった場合、チョキには絶対に勝てる
勝つのは楽しいし無双も出来るし蹂躙も出来る
自分が強いのではなくグーという立場に居る以上はチョキは勝てないだけなんだけど
だからといって、やり込めて勝つのは楽しいからとチョキを狩り続けたらどうなるか?
残るはグーとパーしかいないつまらない世界で自分の首を絞めることになる
狐拳でいえば、猟師が狐を狩り続けて根絶させたら、自分と庄屋しか居ないしょっぱい世界になりますな 狐を狩るのがマズイなら、じゃあもう一方の庄屋を撃つ、という選択肢もありますが
庄屋が居なくなったら残るは狐だけなので、遅かれ早かれ狐も居なくなる
やはりロクな未来は待ってないなー
本部朝基スレでも空手の型はやるだけ無駄スレでも、狩りつくした先に待ってたのは
誰も人が集まらなくなって遊び場が過疎るという自分の首を絞めた結末でした。良い教訓ですな
>>693-695
もう少しまともな根拠を期待していたのですが、、、でもそれで充分です
もうこの話は終わりにしましょう。他の人も今後ID:yn/4od+f0のレスは無視していいよ
じゃー、引き続きなんか夢のある空手の話題をどうぞ↓↓↓ >>698
お前の質問に答えてくれたのに何ていう失礼な態度だ。
無視すればいい?
お前の質問が無視されなかったことを感謝しろ。
相手を否定するなら自分の考えを述べてからにしろ。 >>695
実戦で素手にこだわるのはおかしくないですか?
包丁や釘を持つのではないか?
空手家は実戦では棒や刃物などの武器を使うので
練習時は素手と考えるべきだと思います。 >>698
いるよな、コイツみたいに誰かを下げて
自分を偉く見せようとするやつ。
自説を説くのに誰かを下げるなって言うんだ >>704
良い着眼点だと思う。
自分も昔はその部分に疑問に感じていた。
通説として「空手は当時の武器を取り上げられた琉球民達が素手で薩摩侍への対抗手段として作られた」という話があるが、これは詳しい人達ならみな知っていると思うが後から作られた創作の説である。
当時、本土でも恐れられていた示現流を嗜んでいる薩摩侍達に素手で挑むのはどう考えても無謀である。
本気で対抗するのを考えていたのならどう考えても素手よりも棒やエークや鎌やトンファー等木製で当時の農民や漁民達でも入手しやすい武器術を徹底的に磨いた方が有効である。
だが、これらの武器術の中で当時の手の修行者達の間で広く広まっている武器術は確認できる限りでは棒だけである。
それ以外は地域限定として広まっていた。
というレベル。
では、何故棒術以外の武器術よりも素手での技術が広まっていたかといえば、結果的に当時の沖縄は平和だったからという結論になる。
より正確には当時の琉球王国では薩摩と戦争をすれば九分九厘負ける結果になるから結果的に平和な期間が長かったから。
これは、琉球だけにみられる現象ではなく本土でも中国でも同じ現象がみられる。
平和な期間が長くなれば武器を使っての殺し合いよりも素手での格闘の方が庶民には一般的になるので、
必然的に庶民の間では武器術よりも素手での格闘術の方の人気が上がる。
元々、素手での手は本土の武術と同じで、本来武器の手を補完する技術であったと推測出来る。(ここは明確に断言出来る資料は無いが古い手の名人達は全員当時の武士なのでそこから推察出来る)
それが平和な時代になる事で、武器術よりも素手の技術の方が広まった。
これが自分の中での一つの結論である。
ただ、棒術だけは当時の多くの手の修行者達の間でも素手と両立して学ぶ武器術の代表格だったのはいくつもの例で確認できる。(それ以外の武器術はその地域限定だったり、個人で研究されていたので一般的という範疇からは省かせていただく) >>706に書いてあることが正しいって言う根拠は?
どうやって調べたんだ? >>708
自分の周辺にいる長老方からの話。
図書館等に保存されている本に記載されている話、
後は、自分が実際にこの目で見た物から稀にYouTubeに投稿されている昔の映像からだね。
この場所に自分のソースを記載するつもりはないので、いつか書籍なり雑誌なりで公開する際に公開出来る物は公開する予定。
ただ中には公開は厳禁の物もあるので、そこは交渉次第となる。
当然だけど、ここに書いてある事はネットでも調べれば解る事が大半なのでそこまでの話しか記載はしていない。
より細かい事に関してはここでは書くつもりはないので読んでも真相が掴めないフラストレーションはあるかもしれなが、
それは勘弁してほしい。
所詮は落書きの場所なので、あくまでも楽しむ感覚で読んでほしい。 >>707
柔道は金メダリストが実刑くらって指導者資格まで剥奪されてるからねぇ・・・
MMAやキックがガラ悪いとかいう人もいるけど、空手や柔道にだってクズはいるんだよね、まあどんなスポーツにも言えるけど。 >>703
>相手を否定するなら自分の考えを述べてからにしろ。
別に述べてもいいけど
多くの人は後味悪くなって黙るか、もしくはシラけて他のスレに行くのが関の山だよ? 来月試合なんだが技が大外と内股しかないもう一つくらい技欲しいだがいい技ないか
ちなみに自分は身長は175、階級は73で初めて一年半でやっと勝てるようになってきた初心者や >>714
正拳突きと後ろ回し蹴りだ
顔面に正拳突き >>706
平和になって実戦を忘れたんですね。
スポーツや健康体操になったんだ。
しかし素手術を極めるというのは武術として間違いで
武器術(棍、棒、ナイフ)を極めるべきで
素手は練習用だと自覚すべきですね。
素手最強を目指すのは武術的に間違いだ >>712
自分が嫌われるのがわかってるなら嫌われないように
しろ! >>718
その時代の実戦の定義が戦争での殺し合いから日常生活での護身に変わったという認識だね。
実際、海賊や野盗、狼藉者を意識した護身の武器術はそれぞれの地域では広がっていた。
確かに武術という定義で考えた場合、武器術の存在は本来大きい。
ただ、その時代の手の修練者達の中には一般人達もおりその人間達には鉄の武器が現実的にそう簡単には手にはいらず、
最も容易に手に入る木の棒が一番普及した武器術だったというは、ある意味自然な事だと思う。 >>720
武器術では一般人は日常の仕事道具を使う。
鎌、鍬、包丁、釘。
簡単に手に入るよ。
棒はリーチがあるから単純に強いのだろう。
私が言いたいのは素手最強を目指すのは武術的に間違っている。
素手最強の技術というのは包丁一本で無効になる。
素手はスポーツと捉えるべきだな >>719
>自分が嫌われるのがわかってるなら嫌われないようにしろ!
いや、単純に「手」がどうとか夢見てる人に現実を伝えるかどうかの話なんだけどなぁ >>721
空手○段、柔道○段と言っても包丁持った格闘技未経験者に対して、そんなにアドバンテージあるかと言われれば確かにあまり無いですね。
包丁どころか一般市民でも拳銃持てる海外の国では素手の護身術は武器を手にするまで、もしくは逃げる為の時間稼ぎみたいにして教えているみたいです。
昔のグレイシー柔術の教則ビデオでも、ホリオン氏がはっきり「相手が武器を持ってたら逃げるのが良いが・・」みたいな事を言った上で対武器のテクニックを紹介していましたから。 嫌われるのは別にいいんだけど空手というコミニュティから人が離れる手助けをしてるようで心苦しい >>723
>包丁持った格闘技未経験者に対して、そんなにアドバンテージあるかと言われれば確かにあまり無いですね。
慶応の予科時代に空手部で船越義珍先生に師事した。せんせいはおきなわの空手を内地に
伝えた当時最高の師範で、小柄ながら全身鋼鉄のような方だった。昔は、空手というのは
多分に神秘性を帯びた武術で、常識を超えた威力を発揮するものと思われていた。
入門して間もないころ、稽古を終わって先生にお供し、お茶とケーキをごちそうになった。
道場内とは違ってニコニコと優しい先生に、おそろおそる「あのう、空手で立ち会えば刀や銃にも
勝てるのでしょうか?」と子供っぽい質問をしたら、先生は事もなげに「そりゃ、武器を持ってる方が
強いに決まっとる」とおっしゃって私をがっかりさせた。今から考えても、船越先生なら短刀を持った
相手の四人や五人打ちのめすのはわけのない事だったに違いない。きっと先生は、初心者が不合理な
神秘主義をあてにして大ケガをしないよう配慮されたのだと信じるが、達人になればこそ、平明に
ものを見、平明にものが言えるのだと、後年になって悟った。
全く不肖きわまる弟子で恐縮のほかないが、超一流の師から学べたことは一生の幸運だった。
せめて専門の経済学で、いつかは先生の境地に達して御恩に報いたいと思っている。
=========
船越先生も生前に同様のことをおっしゃってますな。武器に対する船越の見解のこの資料が表に出るのは
多分初めてじゃないかな?資料庫を整理してたら出てきたw かといって別に大した内容でもないけどな
ただ「この場所に自分のソースを記載するつもりはないので」とか最初から逃げ道作ってる人と違って
1985年/11/18/ 日本経済新聞 朝刊 32頁「超一流の師 慶応義塾大学教授辻村江太郎氏(交友抄)」
ですよとソースは一応明記しときます。 よく考えたら別にキツネ一匹くらい今さら大した違いじゃねーから撃ってもいいかなと
>>703
>相手を否定するなら自分の考えを述べてからにしろ。
というわけで貴方の提案どおり自分の考え述べていい? ねえ、述べていい?
長文ウザイだのスレ違いだの文句が出る前に許可取っておきたいんだ >>722 >>726
君、人の否定は出来ても逆に君が根拠や資料を聞かれたら
図書館とか老人に聞いたとかそんなんばっかじゃない?
それで人様に現実を突きつけたい云々はちょっと呆れる
君がが述べるべきは自分の考えや意見じゃなくて
はっきりした根拠やソースだよ。 >>722
>君、人の否定は出来ても逆に君が根拠や資料を聞かれたら
>図書館とか老人に聞いたとかそんなんばっかじゃない?
いえ、全然? 大して知りもしないクセに印象操作はやめてくださいな(笑)
>君がが述べるべきは自分の考えや意見じゃなくてはっきりした根拠やソースだよ。
そもそも資料なんか極論要らないんだよ
俺は結論にたどり着くため資料を漁るのに何年も時間を無駄にしてしまったけど
みんなが通ってる道場に大した型の技術は伝わっていない。現実世界が一番のソース
みんなの道場に大した技術が伝わってないのも、失伝したんじゃなくて元から無いんだよ(笑) と、もう一匹もう一匹とズルズル引き伸ばして何年も同じことの繰り返し
どこかで区切りをつけたなきゃいけないんだろうなやっぱ・・・。う〜ん フルコンでも伝統でもいいけど、骨法みたいな嘘っぱちよりはマシでしょ
コロコロ変わる内容よりかは >>711
オリンピック代表の西村拳は得意技が性拳突き
女性を酒で酔わせて殴った後に行為をするのが好きだったそうよ >>729
お前が根拠なしに
最初から何も伝わってなことに
仕立て上げたいことは分かった
だが、ここのスレはそういう
君の思い込みや願望を話し合う場所ではないので
遠慮してもらえないか?
スレタイを読み直して議論に正しく参加してくれないかな? ほらね
大して知りもしないクセに妄想と印象操作はやめてくださいな(笑) >>736
フルコンなら暫く道場通ってれば教えてくれるだろ 月刊武道 二○二四年3月号
簡易にですが書き起こします 琉球の身分制度は15~17世紀にかけて形づくられ、王の下の身分は大名、士(サムレー)、百姓と分けられていた
大名は王族貴族、百姓は農工商民を指し、士(サムレー)は本土の侍のような意味ではなく王朝に勤めている人々を指しました 武芸に励むのは士(サムレー)階級の人々で、剣術、槍術、棒術などの武器術に加え手(ティー)と呼ばれる琉球固有の徒手格闘術も修練した
明王朝と冊封関係にあった琉球において、当然手(ティー)は中国拳法の影響を受けた
あるときは冊封使一行から、あるときは琉球帰化集団から、あるときは渡航の交流から…… 手(ティー)には中国拳法のほかに琉球舞踊の舞方(メーカタ)の要素も組み込まれ、また、拳自体が武器になるよう鍛練され、琉球独自の徒手武術となっていく
こうして中国拳法の影響を受けた手(ティー)は次第に唐手(トゥディー)と呼ばれるようになる…… 書き起こし了
本号ではこの後薩摩による支配~ペリー来航の手前時点まで書かれています
気になる方は読んでみてください >>727
>君、人の否定は出来ても逆に君が根拠や資料を聞かれたら
>図書館とか老人に聞いたとかそんなんばっかじゃない?
ああ、今になってやっと分かったわ
俺を長老がどうだの図書館がどうだの言った>>709を書いた人と同一視してない? 残念ながら別人です。
むしろ正反対な見解を持っています。古い手とか、目を潰す唐手だとか、絵に書いた餅だなwと思ってます。 >>721
その認識は少し間違っている。
庶民が武装する際に日常の道具が武器になるケースは確かに多い。
ただし、その場合の道具はあくまでも頑丈で簡単には壊れなくまた大替が比較的容易な物になるので、
その中では鍬がそれにあたるだろう。(鍬の部分は頑丈でそう簡単には壊れない)
最も鍬の手は聞いた事がないので、使う人間は居たかもしれないが基本は個人レベルだったという事になる。
鎌や包丁のような薄い刃物は当時の琉球の一般人達には「貴重な」日常品でそれこそ、
研ぎ続けて使えなくなるまで使う類の動画なので、手を習っていた当時の庶民達がそれを武器として使ったり、
武器術の駿練の為に使うとうケースはない。
あるのは、比較的裕福な武士階級の人間達になる。
貴方が考えている以上に当時の沖縄の一般的な庶民は生活に余裕が無かった。
まあ、それは本土でも大差はないだろうが。
庶民の間では基本は木を用いた武器を中心に修練していた形跡が見られる。
代表なのが棒術となる。
実際、現代でも鉄製の武器の型を残しているのは、皆その時代の武士階級の人間達である。
棒術のみ庶民の名人の名前の型が確認できる。
また例えば現代では沖縄空手の武器術の型に二丁鎌の型が幾つか存在するが、
基本鎌の型が定着したのは昭和以降になる。
少なくとも大正までは鎌の手を伝えていたのは一部の士族の人間達である。 それと一つ勘違い?している印象があるので書くが、
基本、江戸時代〜昭和の前半までの間で手や空手の駿練に励んでいた沖縄の人間達で
素手で最強を求めていた人達は殆どいなかっただろう。
あくまでも自分の身を守る為の護身が中心である。
当たり前だが、本気で戦いを生業にするのであればそれは貴方が言う通り武器術の駿練を中心にする。
それこそ、沖縄には木製の小さな武器の類も多く残っているいるので、それらが流行った筈だ。
けれど、決してそれらが当時の手の修行者達の間で中心になって普及した形跡は見られないのは、
やはり命の取り合いがけして当時の琉球民達にとってもそこまで身近では無かったからだろう。
例えばアメリカやメキシコでは護身を考えた場合基本は銃等の武器になっていく。
素手の技術はそれを補完するポジションになるが、
日本ならば空手や柔道の技術だけでも十分な護身術として成立する。
治安の度合い、また戦争が起こるかどうかで、護身術に求められる基準が変わる。
当時の琉球の庶民達にとっては基本は素手での徒手格闘の技術があれば、身を守る事がある程度成立した。
その中でも血の気が多かった若者達が腕比べをしていたケースがある。
その代表格の1人が有名な本部朝基となるが、そういう人間達も確かにいた。
けれど彼らも別に素手での最強を求めていた訳ではないだろ。
素手での最強幻想が生まれたのがやはり戦後の空手バカ一代等の劇画の影響だろう。
あれで確かに空手の人気は上がったが同時の大きく歪みもした。
そしてその影響は沖縄にまである程度及んだ。 >>721
>私が言いたいのは素手最強を目指すのは武術的に間違っている。
>素手はスポーツと捉えるべきだな
個人の見解でいうなら、そもそも素手だからスポーツという事自体がおかしい
武術でいうなら、たまたまその時素手だった武器持ってた、くらいの違いでしかない
日々着る服が違う程度のレベル
勝負服や勝負下着をつけてこなかったから彼にフラれた、とか言ってる女と一緒で
その程度でフラれるのなら別に服や下着は関係なく貴方自身のレベルが低かっただけかと。
素手でも武器に勝てると言ってるのではなければ、武器に素手だと勝てないと言ってる訳でもなく
そもそもそれ以前の段階で勝負がついてるのであって、それを察せず対峙してる時点で負け確かと。 >>744
琉球の武器術に詳しそうなのでお聞きしますが、ナイハンチとかクーシャンクーとか
クルルンファーとかスーパーリンペーとか、中国伝来を想起させる素手の型名は沢山あるのに
(むしろ全てそれと言ってもいい)、なのに武器術の型は中国っぽい名前がまったくありませんよね
素手の型は伝えてもいいけど、武器の型は伝えちゃいけないとかいう秘密協定が当時の中国にあったのですか? >>735
そう言ってもらえると嬉しいですね。そんな意見は少数です。
>>734
困ったものですよね。そういう風に決めつける人が多数です。
>>733
>お前が根拠なしに最初から何も伝わってなことに仕立て上げたいことは分かった
>君の思い込みや願望を話し合う場所ではないので遠慮してもらえないか?
根拠があるから言ってるわけだし、そもそも何も伝わってなかったとは言ってませんよ?
思い込みでもなく願望でもないのですよ。ただ、遠慮しろという声は響きますな
何をどう言ったところで、オナニーしてる人に水ぶっかける悪趣味な行為に違いはないですからね。 例えば「ある門派においてこの時代には武器術の型(套路)は無かった」というのは通りますが
残念ながら唐手の型の由来は、福建由来や北京由来や広東由来など、広範囲にまたがり
また地域だけでなく年代もバラバラ。それぞれの地域にあるそれぞれの拳法がそれぞれの時代に
それぞれバラバラに沖縄に伝えられた、と型名の発音や風格などを理由に専門家はおっしゃってますね。
これだけ伝えられた地域も門派も年代もバラバラなのに、中国風の型名を冠したものが1つもないのは
まことに不思議だなあ、と思って。逆に素手の型は中国っぽい名称しか伝わってないのにね。 イマジナリーフレンドならぬイマジナリー長老から聞いた話でも構いませんので、見解をお聞きしたいですな 証拠などいらぬ
俺様が思った事を極めたいように決めるって話なら
それでいいんじゃね?
イマジナリー長老でも
イマジナリー図書館の
イマジナリー資料でも漁ってろや >>752
おい、>>745さんの悪口を言うのはやめろよ!
もしかしたら本当に居る長老かもしれないし
図書館に秘密の資料があるのかもしれないじゃないか!(本人曰くソースは記載しないらしいけど)。 しかし寸止めやってもフルコンやっても大谷の年収には一生掛かっても届かない
商売としては駄目だな 官僚やっても政治家やっても学者やっても大谷の年収には敵わないなw >>754
いつ潰れてもおかしくない商店主のお前が言うな >>754
どの世界にも言えることやが、中身の無いやつほど数を誇る。 なんだか唐突に話題を逸らすような不自然なレスが続いてるけど
>>745さん、スルーせず>>747の問題に対する解説お願いしますね(^_^) >>762
武道も実戦の経験もない妄想空手のお前に何を語っても馬の耳に念仏だからな(爆笑 それで結局どうやったら
平安でキンニクバスターができるんだい?
逃げまわってないでこたえてくださいな >>764
そうだよ
ずっとお前に合わせて調べさせたりさせてたのは俺 >>765
>平安でキンニクバスターができるんだい?
出来るだなんて言っていませんよ? 印象操作はやめてくださいな
>>766
>そうだよ
>ずっとお前に合わせて調べさせたりさせてたのは俺
そうですか
貴方のために調べた記憶はありませんが・・・
で、>>747の質問には結局答えられませんか? 問題を整理しましょうか
古い唐手の型の名称は基本的にカタカナ表記で沖縄で伝わってました。
一例を挙げるなら、ナイハンチ、クーシャンクー、パッサイ、セーシャン、ワンシュウ、
チントウ、ジッテ、ジオン、ローハイ、ソーチン、チンテー、ウンスー、セイユンチン等々
他にもマイナーな唐手の型は存在すれど、そのほとんどは漢字ではなくカタカナ表記で
伝わっています。そして見れば分かるように日本語ではなく何かの中国語と思われます。
中国拳法の套路が伝わって空手の型になったというのが定説だから、まあ当たり前ですね。
船越や本部が本を出版する1920年代まではこんな感じで、一部の例外的な型、例えば一百零八や
五十四歩など数字が主体の型は漢字で表記されてます。おそらくイーアルサンスウなどの数字の
発音は当時の沖縄でも有名で比較的リスニングしやすく、どういう意味の中国語なのか判別が
つきやすかったのかもしれないですね。ただし、サンチンにいたってはサンは「三」で分かり
やすかったかもしれませんが「チン」は馴染みが無く当時の沖縄でもどういう漢字を当てていい
のか不透明だったようです。三戦、三進、三箭などなど。そのせいかい本部もサンチンはサンチンと
カタカナ表記ですし、船越もある大学空手部の指導では「戦」ではなく「進」の字を採用してました。
今でこそ、内歩戦(ナイハンチ)だとか、抜塞(パッサイ)だとか雲手(ウンスー)だとかシレっと
みんな漢字で表記されてますが、それらは唐手が本土にもたらされてから徐々に当て字されたもので
誰かが普及のためにつけていったものです。基本的には戦前の沖縄ではほとんどの型が漢字が分からず
カタカナのみの発音で伝わっていました。 さて、沖縄では唐手のほかに武器術も伝えられています
多分に中国の影響を受けているのか、釵(サイ)やトンファーやヌンチャクなどの型があり
漢字も棒ではなく棍という表記を使ってるあたり中国武術の影響は明白です
さて、そんな琉球の武器術にも当然唐手と同じく型があり、それらをまとめたサイトがこちら
https://www.odks.jp/kobudo/model.html
見れば分かりますが、名称になにやら見慣れない異国のようなカタカナ表記が見受けられますが
なんてことはない、日本語での読み方をそのまま沖縄の発音や方言に直しただけです
例
白樽の棍(シラタルヌクン)
徳嶺の棍(トゥクンミーヌクン)
津堅砂掛けの棍(チキンシナカチヌクン)
多和田の釵(ターダヌサイ)
浜比嘉の釵(ハマヒジャーヌサイ)
二丁釵(ニチョーサイ)
浜比嘉のトンファー(ハマヒジャヌトンファー)
前里のヌンチャク(メーザトゥヌヌンチャク)
括弧の中だけ読むと分かりづらいですが、普通に○○さんの棍や○○釵など「○○さんの手」のように
そのまま型の名称にした感じです。ちなみに伝わってる全ての沖縄の武器術型がこんな感じです。 さて、唐手の型に戻って
内歩戦(ナイハンチ)だの抜塞(パッサイ)だの、こういう後世に当てられた漢字は消します。
同時に、白樽の棍(シラタルヌクン)だの浜比嘉の釵(ハマヒジャーヌサイ) だの、これまた
分かりにくい沖縄の発音は消します。するとこんな感じ↓
沖縄に存在する唐手の型
ナイハンチ、クーシャンクー、パッサイ、セーシャン、ワンシュウ、チントウ、ジッテ
ジオン、ローハイ、ソーチン、シンテー、ウンスー、セイユンチン等々
沖縄に存在する武器術の型
白樽の棍、徳嶺の棍、津堅砂掛けの棍、多和田の釵、浜比嘉の釵、二丁釵
浜比嘉のトンファー、前里のヌンチャク等々
唐手の型は何かしらの中国拳法の套路を彷彿とさせる中国語のような名称ばかりですが
何故か武器術の方はひとつもそんなのは存在しませんね。
武器と唐手は両輪、という言葉が伝わるほど唐手と武器術は昔から共存していたハズなのに
なぜこんな不自然な偏りが出来るのでしょうか?
当時の中国本土や、あるいは沖縄に漂流した中国人などには、沖縄の人間に拳法の套路の名前は教えても
武器術の套路の名前は教えるなという秘密協定でもあったのでしょうか?
あるいは、拳法の套路は教えても武器の套路は教えるな、という秘密協定でもあったのでしょうか?
どちらにせよ、1つの島内なのにここまでの偏りが出るのは見過ごせないほど不自然ですねえ。 それらを踏まえて、武器術に詳しそうな>>745さん見解をどうぞw つまり平安で
キンニクバスターはできないんですね?
平安をキンニクバスターにこじつけることは
できないならできないと
ハッキリいってくださいな >>772
空手の型はやるだけ無駄スレでも言いましたが
こじつける事は可能だと何度もで言ってますよ? バカですか? では具体的にこじつけてみせてくださいな
まさかできないとはいいませんよね? そもそも筋肉バスターをこじつけではなく再現出来ると
私がいつ発言したのか、レスをここにコピペしてくださいな?
それが出来ない以上は、只の言いがかり&悪質な印象操作目的として
以後はスルーさせてもらいますね。あしからず。 再現できなければ
こじつけられてませんよね?
ニホンゴ ワカリマスカ? デジタル大辞泉の「こじつける」解説
[動カ下一][文]こじつ・く[カ下二]関係のない物事を無理に理由をつけ関係づける。
また、無理に理屈づける。「あとから―・けた理由」
どこにも再現が必要なんて言葉は載ってないんだが?↑
「再現できなければこじつけられてませんよね? 」とか謎の定義を持ち出すヤツは今後スルーで。
さて、
>>768-770で私が書いた問題点について、>>745さん見解をおねがいしますね〜〜 おやおやおやー?
結局今回も平安でキンニクバスターは
こじつけられずに逃げるんですね?
まあ逃げるのはわかってましたから
別におどろきませんけどね
逃げ続ける人生って楽しいですか? 355 :名無しさん@一本勝ち:2023/11/27(月) 03:03:44.63 ID:URNuyXOa0.net[1/7]
>ピンアン初段でどうやって筋肉バスターやるんだよw
そうだなー
まず相手が突いてきた拳を下段払いで受けると同時に巻き上げるようにして相手の体を上空
10メートルくらいまで浮き上がらせ、一歩足を前に運ぶ動作で跳躍をして相手をホールドし
次の追い突きの動作は相手を仕留める意味(すわなち地面に叩きつけて筋肉バスター完成)ってところかな?
>どうしようもないアホですか?ww
こんな簡単なことも分からない貴方の方がアホかと しかし都合の悪い質問になると、こうやって荒しまがいが発生するのは偶然なのか?
まあ>>768-770の問題に457さんが答えられなかったとしても、個人的に見解のある方は遠慮なくどうぞ >>586や>>706でも沖縄の武器についてあんな饒舌に語ってた彼(745さん)ですから
是非とも見解をお聞きしたいですね。楽しみにしております。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています