伝統空手とフルコン空手どっち派? ★2
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いまフルコン空手やってるんやけど、最近は伝統のスピードと技術に惹かれる
※前スレ
伝統空手とフルコン空手どっち派?
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1683770076/ >>619
誰かじゃなくて沖縄で空手の修行を積んできた
経験豊富な年長の空手家たちみんなだよ。 >>620
>経験豊富な年長の空手家たちみんなだよ。
ほうほう、具体的に誰ですか?
とりあえず10人ほど名前と、その流派(会派)に一目置いたとみなせる典拠をお願いします >>618
時間による淘汰で普遍的な絶対に正しい技術だけが
継承されていくんだよ。
個人の特殊能力による技術なんて武術界全体から見たら
淘汰してもいいんだよ。 ああ、それと大前提の確認として
ID:tmYqXULD0さん、貴方は>>603を書いたID:2cvXDADZ0さんでしょうか? >>621
みんなって言ってるんだからみんなだろ。
みんな言ってないと思うならそう言えよ。
めんどくさいぞ >>623
違うよ。
君たちの議論が間違ってるからレスしてる。
古い手だとかよりも時間に淘汰されている
現代の空手が最善だと言っている。 >>615
武術当たりに人生捧げられるのは根本的に馬鹿だけですが >>624
>みんなって言ってるんだからみんなだろ。
貴方の脳内のみんな、ということでよろしいでしょうか?
>みんな言ってないと思うならそう言えよ。
貴方のいうみんなとやらが言ってるか言ってないか分からないからこそ、まずこうして聞いてるんですよ。
>>625
>違うよ。
では調子に乗って横から口を挟まないでくださいw >>622
普遍的に正しい技術だけが継承されるという根拠は?
個人の能力による技術を獲得したいから淘汰されたくないから「流派」って生まれるんじゃないの? >>617
現在のスレの議論では問題なんだよ。
昔の創始者の古い技術こそ優れているという流れなんだから。
俺は、時間に淘汰された現代の武道家の方が強いし
優れていると言っているんだ。 しかし不思議ですねえ
>>603は「沖縄の中でも古い人たち」としか言及していません。この時点ではあくまで
沖縄の地に住んでいる古い人たちでこそあれ、空手関係者かどうかまでは明言されてないのですが
(空手関係者なら古い人なんていう言い回しではなく空手家あるいは修行者と明言するでしょうし)
>>620では「沖縄で空手の修行を積んできた経験豊富な年長の空手家たちみんな」と何故か断言しちゃってる
しかし、突っ込まれると急に歯切れが悪くなって俺は本人とは違うからとかなんだと言い出す。
まあ、信じてあげましょう。 >>628
何を言っているんだ?
突然変異のような技術は武道界全体から見たら
価値はないんだよ。
時代を超えて伝承されていくのはみんなが理解できる、実行できる、
有効な技術に絞られていくんだよ。
間違いのない技術だけが残るんだ。 >>630
人に聞いてばかりで自分で考えないから
鈍臭いことばかり言う。
手の起源なんて空手をやってない者に分かるわけがないだろうが。
話の流れからみんなといえば空手経験者みんなという意味だということぐらいわかるだろ >>628
君は有名な武道家が好きなだけであって
武道が好きなのではないんだよ。
上泉信綱のモノマネだけをして一生を終えてください。
俺は武道が好きなんだ >>631
むしろ現代の競技偏重の価値観こおそが突然変異みたいなもんだろ
時代によって変化する価値観で良し悪し判断してもその時代においてって前置きが付くだけなんだよなあ
そうやって消えてった素晴らしい技術が歴史上どれだけあったことか 正しい技術が残るのではなく需要があるものが残る、がより正確かと
現実に人を制圧させる武術、という需要が高まれば当然取捨選択により洗練されていく
人を制圧なんかさせなくてもいいから自分にとって都合のよい武術、という需要が高まれば
当然取捨選択により洗練されていく
世界各国で映画アバターが人気だけど日本だけはアバターよりスラムダンク劇場版のほうが
興行収入が上だった。これは正しいものが残るのではなく単に需要の問題
気持ち悪い青い色の生き物の物語より往年の名作バスケ漫画の劇場版のほうが需要があっただけ
>>632
>人に聞いてばかりで自分で考えないから鈍臭いことばかり言う。
私ほど空手の歴史について色々考えた人はそうは居ないと思いますよ(笑) >>631
君に黒田先生の金言を授けてあげるよ
「居合というのは剣術の中の精髄である。 誰もが武の精髄に辿り着けるわけがないのです。」 >>634
>>635
年寄りは鈍臭くてかなわん。
後継者や現代人を馬鹿にすんな。
昔は良かった昔は優れていたってアホらしい。
これだから年寄りは。
現代人は馬鹿じゃないから良いものは残すんだよ。
白黒テレビや白黒映画でも見ておれ! >>637
自分の考えは自分の言葉で喋れって黒田先生はお前に激怒してるだろうよ。 淘汰を左右するのは時間じゃなくて市場の需要
どれだけ需要があるか、言い換えれば人々がどれだけそれを望んでいるかによる
聞きたくない正論よりも心地の良い戯言に耳を傾けたくなるのと一緒
時間は関係ない
だけど人間の時間には限りがある
寿命がないならその参加者が集まり続けることによって市場は維持されるが
参加者の離脱(需要の減少)ならびに参加者の減少(寿命が尽きる)によっていずれ淘汰される
新規参入があれば市場の維持もまた可能だが、それも結局参加者の減少や需要の減少そのものを
食い止めることは出来ない。なぜなら需要がなければ新規参入そのものが見込めないからな
ゆえに概して>>614が言ってることは言葉が足りず極論だが非常に正しい
何を残すかの取捨選択は有限(人間)だが、それらを含めて丸ごと淘汰するのは時間(無限)だからだ
例えば多くの古代文明が記録が少なく未解明なことが多いのは、後の世の人にとって古代文明なんて
学者でもない限り現実の生活に関係ない(需要がない)からだ。だから伝わらないし解明も進まない。
>>636
あっ、逃げた(笑) >>639
お前本物のバカか? 黒田先生のお言葉と俺の考えが一致したってだけの話だろうがよ
お前だってお前の師匠と考えがそれなりに一致したから道場へ通って弟子になったんだろ? じゃー俺も桜でも見に外出するかな
603さん
大半の流派が変わっている中でその2〜3の流派が古い手を伝承しているという根拠をお願いしますね だけど>>609が言ってることも部分的に正しい
船越義珍と那須川天心では那須川天心の方が強いし
嘉納治五郎よりウルフ・アロンの方が強い
可能性が高い >>638
現代人は馬鹿じゃないからっていうんおが既にバカっぽいんだが
時代云々のスパンで言えば年寄りも現代人だなんだが >>643
昔の砲術も火縄銃を扱うスキルですから、本体も弾薬も工場で生産されて統一された品質で供給されてる近代の銃器があればもう不要のモノですね。
稲富流とか武衛流とか砲術がありましたけど、そういう砲術の開祖よりも現代の軍の狙撃兵やオリンピックの射撃のメダリストの方が的に当てる技術では遥かに上だと思います。 一応伝統的な武術って奴は達人になれるか如何かはともかく、先人が積み重ねてきた武の叡智、真髄を修行する事に意義が有るんだけどな。その後にどんな世界で遊ぶかは本人次第なだけで。 >>646
鎖国をやってて火縄銃から進化する事無く、扱う人のスキルだけを磨いていたガラパゴス的な武術が砲術ってヤツです。
幕末になって海外から新式の銃が入ってきたら武器自体の性能が人のスキルをあっさり超えたので、あっという間に廃れましたね、哀しいですが。 と、砲術の悪口みたいな事を書いてきたけど、私はガンヲタでもあるので「火縄銃」という物を昔の人はどうやって戦に使っていたのか?という点から個人的に非常に興味はあるんですねw
今の戦争にはほぼ役に立たないでしょうけれど、懐古趣味つか歴史的な点で面白そうだと思います。
空手に全く関係ない話でスマン。 >>648
だからそれは武器の性能の問題であって狙撃兵やメダリストの技術は全然関係ないよねっていう話 >>650
昔の銃と今の銃を比べると、昔の銃が扱うのが面倒くさいってのはある。
だから、銃自体を扱いやすく改良するんじゃなくて、有り物の銃を如何に上手く使うかって技術にばかり熱心になっていたのは奇妙というかなんというか。
まあ、話がずれまくっているのは自覚してるw優れた武器は技術をあっさり超えるって事で・・・ 砲術って確か引き金引く前に流派独自の真言を唱えて撃つとかもやってたよな
あと原理や名称は知らんが、発射直後に弾丸というか弾道がわずかに落ちてから元の軌道に
戻って直進する現象を何故かあの時代に観測できてるフシがあって記述も残ってるとか 技術って事になるとイコールコンディションでないと意味が無いけど、昔の砲術家さんと今の時代の射撃の選手が火縄銃を使って勝負するなら砲術家さんが勝つと思います。
火縄銃は弾薬を装填する所から面倒くさいし、不発ってのも珍しく無いし、正確にやらないとまともに発砲すら出来ない。
それに対して今の銃は弾丸と火薬がパッケージされた弾薬があるから装填は神経使わずにすぐに出来るんで、撃つことだけに集中出来る。
だから、同じように現代の銃を使った場合の勝負はどうなるか・・・使い慣れてる分だけに射撃選手が勝つかもですかね・・・ >>609
よーするに八段の達人と四段五段の全盛期イケイケの選手が試合して勝てるかってテーマと同じだろ?
恐らくほぼ必ず四、五段の人が勝つだろうけど、じゃあそっちが優れた武道家か? >>638
>>昔の人を馬鹿にすんな。
今は良い時代だ今は優れているってアホらしい。
これだから若者は。
昔の人は馬鹿じゃないから良いものは残すんだよ。
ってカウンターが来るぞよ >>652
昔の帝国陸軍の射撃教範にも一部が採用されたとか無いとか・・
ガンヲタで歴ヲタなんですが、あまり砲術には詳しくはないというorz すぐれた武道家は負けるような試合をそもそも受けない 現代のJUDOしか知らないウルフアロンが古流柔術を修めてる嘉納治五郎に果たして本当に勝てるのだろうか? >>657
試合は試し合いなんだから何百回負けたっていいんだよ
大切なのは実戦 >>658
嘉納先生は紳士だから柔道選手の未来を潰してしまうような技は掛けないでしょう
わざと負けて「君の柔道は素晴らしい! もっと高めるために私と稽古しましょう!」と言うまである >>660
幕末生まれの人間がそんな温いわけなくね?
教育的指導=普通に怪我するレベルの体罰が当たり前な時代ぞ >>661
嘉納先生をそんなゴミクズ共と一緒にすんな
東大卒のインテリエリートだぞ >>662
そういう奴がゴミクズなのは今の時代だからこそで、それこそ数十年前までは割と問題にすらならないレベルで社会的に日常の風景だったんだぜ? >>663
だから? それ理不尽な体罰を振るうゴミクズが許される理由になってなくね?
まぁそれはさておき、初期の講道館は体罰やシゴキも無かったと思うよ
なんたって道を講ずる館だしね
自主的な稽古で怪我することはあったろうけど
船越義珍先生が弟子に暴力振るったってのも聞いたことないし >>664
講道館の話がしたいのか松濤館の話がしたいのか判らん >>659
>試合は試し合いなんだから何百回負けたっていいんだよ
違うね
「試す」のは練習や稽古
だけど勝ち負けがつくのは勝負。それは試合でも実戦も変わらない「実戦」なんだよ
そこに「勝敗」がつく以上は負けてもいいは通らない
だからこそ武道家は負けるような試合はそもそもしないし、してる武道家は未熟ということ
敵を知り己を知れば百戦危うからずは真理だがそれを実践出来ていない >>665
どっちでもいいよ 好きにレスしてくれ
空手も柔道も合気道も好きだから笑 >>664
時代がそうだったってのは十分な理由だぞ
江戸時代に男がみんな髷結ってたってのと変わらんよ
その時代では理不尽でもなければゴミクズでも何でもなかったというだけ >>667
未熟なのはテメーの頭だろ
ならどうして昔の武道家は試合に『試合』って名前をつけたんだよ
さらに昔の場合は試合は『乱取り稽古』って呼んだんだからやっぱり稽古じゃん >>670
>さらに昔の場合は試合は『乱取り稽古』って呼んだんだからやっぱり稽古じゃん
まず昔とはいつのことで、さらに誰が乱捕り稽古と呼んでいるんですか?
>ならどうして昔の武道家は試合に『試合』って名前をつけたんだよ
さあ? それは私ではなくそれを言い出した昔の武道家に聞いてくださいな
「昔の貴方は何を持ってどういう意味で『試合』と名づけたんですか?」と >>669
あ そう
なら訂正するわ
嘉納先生をそんな一般武道指導者共と一緒にすんな
東大卒の嘉納師範による合理的指導が売りの講道館で、弟子に乱雑な指導をするはずがない 砲術にしろ武術の定義にしろスレ違いな話はいい加減元に戻して
>>603
>古い手の技術を総合的ちゃんと伝承している流派は2〜3の流派がまず上がる。
大半の流派が変わってる中でその2〜3の流派が古い手を伝承しているという根拠は何でしょうか? >>671
さあ? それは私に訊ねるのではなく武道の書籍などを読んでくださいな
あなたの抱える疑問が私に聞くよりもずっと明瞭に解決されますよ(^-^) >>674
>さあ? それは私に訊ねるのではなく武道の書籍などを読んでくださいな
昔の人が言ったがどうとか初めに言い出した(>>670)のは貴方の方なのですが?
なのに、いざ出典を聞かれて答えられずオウム返しで誤魔化すとかw
まあそれでもべつにいいですよ(笑)
さて、じゃあ本題に戻して>>603さん
大半の流派が変わってる中でその2〜3の流派が古い手を伝承しているという根拠をお願いします ピタっとレスが止まる。やっぱ良い傾向じゃないなこれ。
ID:yn/4od+f0の書き込みは一旦全部無かったことにして
みなさん思い思いの書き込みをどうぞ フルコンの話をさせてもらえば、YouTubeの武蔵のチャンネルに元極真の数見さんが出てフルコンとキックのルールで武蔵とスパーやって
フルコンルールでは流石!って感じだったけど、グローブ着けてキックルールになったら途端に動きがぎこちなくなって逆に武蔵がイキイキしてたな・・・
当たり前の事だけど練習してない事は出来ないんで、伝統とかフルコンとかってよりも自分がどこまでやるか(またはやれるか)じゃないかな・・
格闘技は人と人が戦うっていう事から始まってるから、ルールが違う別の競技なのに単純に強い弱いで見られがちなのがちょっとね。 >>631 >>635
それだと発明や発見は埋もれて行くな
皆が使えるものしか残らないならある意味退化では?
資本主義社会では需要が全てかも知れないけど
その需要される技術や環境を作る人が少なくなると問題だ
現代でも人手不足や技術者や高能力者が少なくなりつつあって
社会が退化しつつあるのが社会問題になりつつあるんだよね
特にITや情報産業、流通で綻びが出て来てる
>>635
最後の一行以外。
で、それを認めるかどうかで色ピロ大きくかあって来ると思うけどな >>675
横から出悪いが
古い手を残してると
主張する流派はあるんだよな〜
そりゃその流派の者でない限り
そういうコトを書いてる書籍に当るか
そう主張するする団体へ行けよ
としか言えんわな?
その流派が何処かとか根拠はとか
知らないなら知らない奴の勉強不足だよ
後は自分で調べろ、甘えるなってコトにしかならんわな? >>678
凄い誤字だすまないね 訂正するね
× 色ピロ大きくかあって来る
〇 色々大きく変わって来る
酔っているとはいえ恥ずかし過ぎる(〃ノωノ) >>678-679
ID:yn/4od+f0のレスは無視していいよ もう伝統空手とフルコン空手と沖縄空手どっち派に
スレタイを変えた方がいい フルコン空手は顔面なし、武器なしが欠点
伝統空手は当てっこだから筋力が欠点
沖縄空手は試合がないのが欠点
そうそうグローブ空手があったな。
グローブ空手は怪我が欠点 まあ怪我していたんでは論外だから
沖縄空手と伝統空手のミックスがいいかな。
沖縄空手にマススパーを取り入れる >>683
グローブ空手はヤンキー崩れや品の無い奴しかいない >>682
そうだな。
あと歴史を聞いて人に絡んでスレ妨害は禁止とか。
>>685
なんでだろうな?
MMAみたいな総合系もそうじゃん?
観客呼んで大会開いて金儲け的な試合至上主義になると
不良やチンピラが集まるのかね?
偏ったとこで言うと
ブレ・・・系とかさ?
あれはチャンスを与えたいとか公正目的だった筈だが
そうなってる様には見えないんだよな?
なってる人もいるのかも知れないけどさ?
それがなかなか見えてき難いと言うかさ? どっちかと言うとボクシング=ヤンキーのイメージある
主に漫画ドラマのせいだが >>689
ボクシングジムに殴り込んでくるヤンキーは真面目な練習生にボコボコにされてるイメージ。
空手や柔道にも陰湿な馬鹿はいるけどぱっと見はそれとわからないのが多い。
MMAやキックに多いDQNはタトゥー入れてたり分かり易いから、そういうのに関わらないようにすれば良いですよ。
でも、ジム行って顔合わせたらフツーに挨拶されたりするからガン無視も出来ないけど・・・ 俺はけっこう侃々諤々してるの好きだけどな
読みごたえがあるとなお良い おかしな内容で
誰かが誰かに絡みながらずるずるとスレが伸びても
それは侃々諤々とは言わない >>604 (https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1706850251/604)
自分の中で根拠となるのは、先ずは系譜。
型は壮大な伝言ゲームであるので、流派として別れる時点でその創立者によって変わっていると見ていい。
なので、なるべく流派の宗家がその学んだ師の弟子ではなくその師の子供達が起こしているような所で絞っていく。
そうなると必然的に沖縄の中でも名門(本土では殆ど知られていないが)と言われるような流派になっていく。
次に競技を採用していない所。
これは乱暴な条件なのは理解しているが、個人的な経験からもやはり競技を採用した時点でどうしてもそれに合わせて技術が変質していく。
それの長所もあるので悪いとは自分も思わないが、古い手の純度を求めると言うテーマで見た場合、一端この条件で外して良いと自分は思っている。
そうでないと多く存在する沖縄の流派で話が進まなくなるので。
勿論、競技を採用していても古い手の原型を残している流派は幾つもあるが、そう言うのは一端置いて良いだろうと思っている。
そして、最後の一つはここでは名言はしない。
それを書くと多分空手を学んでいる流派の人間の中には不快感を感じる人もでてくるのが予測がつくので、私もそう言う手合いをあいてするのはもう面倒くさいので。 とは言え、こう書くと身も蓋も無いかもしれないが自分の中でも沖縄空手は時代に合わせて常に変化していく物。
という定義もまたある。
古い手の技術を大事に保存、継承していくのも大事だが実際沖縄の手は常に中国武術や本土武術の影響を昔から取り入れて変化していた。
これは歴史的にみても明らかにそう言える。
例えば沖縄古武道には太刀の手も存在しているが、これは明らかに本土の剣術の影響が入ってる。
そしてそれは示現流よりも更に古い時代に伝わっていると思われる。
現代の空手は、本土や沖縄問わず(一部の例外を除いて)空手=正拳突きというイメージが定着している。
ただこれも古い手の目線で見た場合本来は正拳もあくまでも攻撃時に使う部位の一つでしかなく、
一本拳、貫手、裏拳、鉄槌、肘、膝、等あらゆる部位を使って相手の隙や不意をついて急所に入れるというのが、
古い手の攻撃手段だった。
それは今なお、継承される様々な流派の型からも考察できると思う。
では何故、空手=正拳突きが定着したかと言えば、これにはボクシングの存在が大きく関わっているから。
実際、沖縄は早くからボクシングが日本国内の中でも普及、発展してきた地域でもある。 尚、古い手では顔面の攻撃は裏拳が主体で正拳は中段突きがメインだったという説が存在している。
ただ、これには一部語弊がありあくまでも「練習の中では」というのが正しく、古い手の場合、
手による攻撃は裏拳や正拳で撃ち抜くのと同じくらい、貫手や一本拳等で相手の目や喉元を抉るという手法が重要視された。
金的や膝関節への攻撃という手段も常套手段だったようなので、その流れでコッカケという防御方が作られたり、
ナイハンチの通称波返しは色々と難しい理屈をつけている人間達がいるが、元々は膝や足払い、脛蹴り等への防御法として作られている。
そこに無駄に難しい理屈をつけてしまっている流派が現代では幾つも見受けられるのが逆に古い手の技法を探す際には邪魔になったりする。 え〜、日本には江戸時代に「狐拳」というものが存在しましてね
狐の手 猟師の手 庄屋の手 三つを使いわけます
○○拳だとか○○の手だとか、一見すると中国拳法や唐手を連想しがちですが
狐は猟師に鉄砲で撃たれ、猟師は庄屋に頭が上がらず、庄屋は狐に化かされる
この三つを手や拳形を用いて相手と勝負する、いわばジャンケン遊びです
これらを簡略化ないし変化したのが、現代でいうところのグー、チョキ、パーですな
誰でもやったことがあると思う
仮に自分がグーだった場合、チョキには絶対に勝てる
勝つのは楽しいし無双も出来るし蹂躙も出来る
自分が強いのではなくグーという立場に居る以上はチョキは勝てないだけなんだけど
だからといって、やり込めて勝つのは楽しいからとチョキを狩り続けたらどうなるか?
残るはグーとパーしかいないつまらない世界で自分の首を絞めることになる
狐拳でいえば、猟師が狐を狩り続けて根絶させたら、自分と庄屋しか居ないしょっぱい世界になりますな 狐を狩るのがマズイなら、じゃあもう一方の庄屋を撃つ、という選択肢もありますが
庄屋が居なくなったら残るは狐だけなので、遅かれ早かれ狐も居なくなる
やはりロクな未来は待ってないなー
本部朝基スレでも空手の型はやるだけ無駄スレでも、狩りつくした先に待ってたのは
誰も人が集まらなくなって遊び場が過疎るという自分の首を絞めた結末でした。良い教訓ですな
>>693-695
もう少しまともな根拠を期待していたのですが、、、でもそれで充分です
もうこの話は終わりにしましょう。他の人も今後ID:yn/4od+f0のレスは無視していいよ
じゃー、引き続きなんか夢のある空手の話題をどうぞ↓↓↓ >>698
お前の質問に答えてくれたのに何ていう失礼な態度だ。
無視すればいい?
お前の質問が無視されなかったことを感謝しろ。
相手を否定するなら自分の考えを述べてからにしろ。 >>695
実戦で素手にこだわるのはおかしくないですか?
包丁や釘を持つのではないか?
空手家は実戦では棒や刃物などの武器を使うので
練習時は素手と考えるべきだと思います。 >>698
いるよな、コイツみたいに誰かを下げて
自分を偉く見せようとするやつ。
自説を説くのに誰かを下げるなって言うんだ >>704
良い着眼点だと思う。
自分も昔はその部分に疑問に感じていた。
通説として「空手は当時の武器を取り上げられた琉球民達が素手で薩摩侍への対抗手段として作られた」という話があるが、これは詳しい人達ならみな知っていると思うが後から作られた創作の説である。
当時、本土でも恐れられていた示現流を嗜んでいる薩摩侍達に素手で挑むのはどう考えても無謀である。
本気で対抗するのを考えていたのならどう考えても素手よりも棒やエークや鎌やトンファー等木製で当時の農民や漁民達でも入手しやすい武器術を徹底的に磨いた方が有効である。
だが、これらの武器術の中で当時の手の修行者達の間で広く広まっている武器術は確認できる限りでは棒だけである。
それ以外は地域限定として広まっていた。
というレベル。
では、何故棒術以外の武器術よりも素手での技術が広まっていたかといえば、結果的に当時の沖縄は平和だったからという結論になる。
より正確には当時の琉球王国では薩摩と戦争をすれば九分九厘負ける結果になるから結果的に平和な期間が長かったから。
これは、琉球だけにみられる現象ではなく本土でも中国でも同じ現象がみられる。
平和な期間が長くなれば武器を使っての殺し合いよりも素手での格闘の方が庶民には一般的になるので、
必然的に庶民の間では武器術よりも素手での格闘術の方の人気が上がる。
元々、素手での手は本土の武術と同じで、本来武器の手を補完する技術であったと推測出来る。(ここは明確に断言出来る資料は無いが古い手の名人達は全員当時の武士なのでそこから推察出来る)
それが平和な時代になる事で、武器術よりも素手の技術の方が広まった。
これが自分の中での一つの結論である。
ただ、棒術だけは当時の多くの手の修行者達の間でも素手と両立して学ぶ武器術の代表格だったのはいくつもの例で確認できる。(それ以外の武器術はその地域限定だったり、個人で研究されていたので一般的という範疇からは省かせていただく) >>706に書いてあることが正しいって言う根拠は?
どうやって調べたんだ? >>708
自分の周辺にいる長老方からの話。
図書館等に保存されている本に記載されている話、
後は、自分が実際にこの目で見た物から稀にYouTubeに投稿されている昔の映像からだね。
この場所に自分のソースを記載するつもりはないので、いつか書籍なり雑誌なりで公開する際に公開出来る物は公開する予定。
ただ中には公開は厳禁の物もあるので、そこは交渉次第となる。
当然だけど、ここに書いてある事はネットでも調べれば解る事が大半なのでそこまでの話しか記載はしていない。
より細かい事に関してはここでは書くつもりはないので読んでも真相が掴めないフラストレーションはあるかもしれなが、
それは勘弁してほしい。
所詮は落書きの場所なので、あくまでも楽しむ感覚で読んでほしい。 >>707
柔道は金メダリストが実刑くらって指導者資格まで剥奪されてるからねぇ・・・
MMAやキックがガラ悪いとかいう人もいるけど、空手や柔道にだってクズはいるんだよね、まあどんなスポーツにも言えるけど。 >>703
>相手を否定するなら自分の考えを述べてからにしろ。
別に述べてもいいけど
多くの人は後味悪くなって黙るか、もしくはシラけて他のスレに行くのが関の山だよ? 来月試合なんだが技が大外と内股しかないもう一つくらい技欲しいだがいい技ないか
ちなみに自分は身長は175、階級は73で初めて一年半でやっと勝てるようになってきた初心者や >>714
正拳突きと後ろ回し蹴りだ
顔面に正拳突き >>706
平和になって実戦を忘れたんですね。
スポーツや健康体操になったんだ。
しかし素手術を極めるというのは武術として間違いで
武器術(棍、棒、ナイフ)を極めるべきで
素手は練習用だと自覚すべきですね。
素手最強を目指すのは武術的に間違いだ >>712
自分が嫌われるのがわかってるなら嫌われないように
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