それで言えば、当時(江戸時以前)の那覇で釵を所有していた手の修行者がいたかといえばYes.
ただしそれが当時の那覇の手の修行者達の間で一般的だったかと言えばNo.

沖縄の手は一部のそれを自称している流派を除けば、けして一子相伝で伝わってはおらず様々な人間達の交流によって作られた言わば沖縄島拳法。
那覇手は、その中で那覇周辺に住んでいる人間達の交流によって作られた手
そして当時の那覇では棒以外の釵うぃ始めとした武器類はけして一般的はなくあくまでも傾向としての話として当時の那覇手は、素手が主体であったと書いている。

那覇手の修行者の中で釵等を用いる武器術の練習していた人間は確かにいただろう。
けれどそれは全体の中の一部だった。
首里にはそういう人達の名前が少ないけれど残っているのに対して那覇の手の名人や武士で武器術も優れていた名人と言われた人の名前が殆ど残っていないからでもある。