『アルキメデスは手を汚さない』

1973年、乱歩賞受賞作品です。当時、深夜放送「オールナイトニッポン」でこのCMが流れてました。
推理小説が好きで、この本というかこの人の小説は繰り返して読んだ記憶があります。プロローグ、エピローグという言葉を知ったのも氏の小説から。
1970年代の時代背景を知っていないとこの小説の良さは分からないかな。大人びた高校生、子供じみた正義感の高校生、当時の言葉でいう少し飛んだ高校生たち。
ピカレスク小説。不良とは違う、どこかかっこいい、小気味よい少年たちの話。
ネット検索をかけてみると東野圭吾氏が作家になるきっかけになった小説らしいですね。


タイトルに仕掛けられた裏の意味には非常にしびれました。物語の真相を言い当てていると同時に、高校生たちがしでかしてしまったことへの哲学的な考察を含んでいます。

「いいかい、アルキメデスが発明した殺人機械は、大勢のローマ兵を殺した。彼は殺人機械を発明しただけで、実際に操作したのはシラクサの兵士たちだ。だからアルキメデスの手は汚れていないと言えるだろうか。彼が名利を超越した学者だという伝説を、僕は信じないね。君の言うように、"美と高貴の具わっている事柄にのみ自分の抱負を置く"人だったら、いくらヒエロン王に命じられたって殺人機械の設計はしなかっただろうからね。」

大勢の敵兵を殺すことを分かっていながら、殺人兵器を作ることは罪に当たるかどうか。アルキメデスの時代から原子爆弾投下までを貫く永遠の難問が、高校生の前にも立ち現れるわけです。

「お互いに、もうお伽噺の年齢は過ぎたんだぜ。汚れた世間には、手を汚して立ち向かおうじゃないか。」

この締めもなかなか素敵。子供から大人へと目まぐるしく成長していくこの時期ならではの青臭い言葉です。