ジークンドーとMMAを語るスレ
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ジークンドーとMMAを語るスレです
現代MMAにジークンドーがどう取り入れられているか?
ジークンドーの技術はMMAにどう応用できるのか?
なんでもどうぞ 未来の動きについてけない
つまり
ジークンドーの出番なし 石井氏のフットワークはジークンドーのフットワークとは別物
残念ながらテッド氏の芸術的フットワークを継承していない ジークンドーの要素ってMMAよりも
ゴルフと野球のほうが簡単に応用できると思うわ
地面からの抗力をボールに伝えるのは
すぐできると思う 石井は、家に帰って思うんだろうな。この道は正しいのか、
正しくないのか。
ジークンドー唯一の継承者であり、唯一の復興者である我(われ)は、
正しいのか。
なにか、ブルース・リー先生の伝承したかったことから、
なんか、ずれてきているぞ。ジークンドーの真の核を究明していくほど、
その核の核(コア・コンピタンス)からずれていく。
なぜなら、ブルース・リー先生は、ジークンドー・コアを探して行き、
辿り着いたと宣言しているのだが、あまりに若すぎた。
若者が悟ったというのと、同じレベルなのである。ブルース・リーの悟りは。
タマゴでいえば、湯の中で、ゆがききっていない、タマゴの中がトロトロの状態なのである。
タマゴの核が凝固されていないのである。
もし、ブルース・リーが、80歳まで生きて、「これが最後のドラゴン奥義ジークンドー」
として、まとめたら、それが、究極の教科書となる。
しかしながら、「ドラゴンへの道」ドラゴンへの入り口となったのは、詠春拳である。
ブルース・リーは、ジークンドーの入り口に向かうのではないだろうか。
詠春拳→ジークンドー→詠春拳
石井がいう、技をすべて削ぎ落として残ったのがジークンドーと哲理を明かすなら、
ジークンドーの技をすべて削ぎ落すと、詠春拳になる。香港で、詠春拳に古代復古するのは、
武の達人が、なんとなく、回帰復古すれば、詠春拳にたどりつくのではないだろうか。
究極の足技ゼロで、手だけの攻と防を組み合わせた武術ワンインチパンチの究極型が、詠春拳なのだろう。
詠春拳のみで、相手を倒す。それが、本物のファイナル・ジークンドーの完成型なのだろう。
キックボクサーのキックも詠春拳のみで倒す、スゴ技ピカリ。 詠春拳のワンインチパンチは
全く別物だから回帰することはないね
https://youtu.be/iLR9VINPCkM ジークンドー各派の練習生はキックボクシングや散打大会、ローカル総合格闘技大会でもクソ弱くて一方的にボコボコにリンチされて言い訳ばかりしてるイメージ 動画による展開だと、石井曰(いわ)く、ジークンドーは、「ストリート・ファイト」に先鋭化された武術のトータルし、そのトータルを
レモン汁みたいにしぼり出した技が、ジークンドーであると言っている。
「なるほど」と動画を見て、石井の哲学に共感したし、目からウロコが落ちた。
ブルースは、リングの戦い方なんて、頭の隅っこほどにも全くない。、ゼロなのである。ブルースは、タオとかいって、陰と陽と二元武道を語っているが、
二次元武道と言ってもいいが、ブルースの頭の隅っこほどにも、ジークンドーで、リングの上、試合会場で戦うシチュエーションはゼロなのである。
一次元、一元のみ、ストリートでの戦いしか、設定していない。石井の分析である。
ブルースの娘は、「水になれ」と言っているが、それは邪道というものである。石井は、ジークンドーは、ストリート・ファイトのみを
設定しているので、「水になれ」哲学ははずれているのである。ブルースは、二次元のタオを持てと道場で言っているが、
ジークンドーの中味は、ストリート一次元のみなのである。ストリートで負けたら、それはジークンドーではない。
つまり、金的攻撃の練磨化、金的攻撃の多角化。ストレート・リード・パンチは、究極的には、金的に使えということである。
石井の熱く語るジークンドー哲学を察すると、そう思う。あくまで、金的で仕留めろ。それ以外の技は、サイド・ディシュの極め技でしかないということなのだろう。
他の武道は、金的攻撃無しを想定して戦うから、型がまるっきり違うのである。これは、武道だけでなく、生きていく我々の社会でも、コアだと思う。
究極的には、相手のチンチンをにぎるかどうかなのである。その延長に、ブルースの映画みたいに、客のチンチンをにぎり、客の心をギュッとつかみきる奥義、極意の
片鱗をふれることができるのだろう。客の心をにぎったら勝ちというが、究極には、心でなく、金的破壊なんだろう。それが武術界破壊につながるブレークスルー型ジークンドーを
石井は、道筋を開拓しているのだろう。 ヒロ師匠が、力を抜けばいいのですよ。
地球の重力を利用すればいいのですよ。とにかく時計の精密機械の補修をするように、一個一個の歯車の汚れを取るように、
自分の身体の一個一個の無数の歯車についている油を取り除くのですよ。
そうなんだよな。皿の残り油を取るように、洗剤を使って、歯車についている、歴年にしみついた肉体の油みたいなのを取るのである。
時計の分解修理って動画でみたけど、ものすごく手間がかかっている。
あーいう感じで、肉体の筋肉の一つ一つを、一点に集中しなさいということだから、2、3年の修行では無理な世界だろうと思う。
肉体の老化を感じる心が、歳をとっても老化し続ける肉体を感じる特別な格闘家一筋の道を歩いたものしか体得できない。
肉体が衰えた分、精神が矢となり弓となるのだろう。
ヒロ師匠は、石井師匠に、まだまだ細胞の分解ができていないよって言っていた。 >>8
朝倉未来は冗談でも
「弟子にしてください」
なんて言わない奴だけどな >>16
それは朝倉未来が馬鹿で人を見る目がないってことだ。
そんな奴だから日本刀でボッタくられたりしている。 史上最高の武道映画のいくつかでチャック・ノリスとブルース・リーと一緒に訓練し、
一緒に行動したタンスー道のマスター、ロバート・ウォールは、82歳で亡くなりました...
TMZスポーツは学びました。
壁はノリスの下で9度のタンスー道の黒帯でした...彼は西に規律をもたらしたと信じられています。
男性は長年一緒に訓練しました...そしてビジネスパートナーでした。
武道の達人であることに加えて、ウォールはシルバースクリーンでも重要な役割を果たしました。
ロバートは1972年代の「ドラゴンへの道」と1973年代の「燃えよドラゴン」に登場しました。
どちらも、これまでで最も有名な武道家であるリーが主演しています。
ウォールとリーは、「燃えよドラゴン」で記憶に残る非常にリアルな(一方的な)戦いをしました。
実際、彼らが戦闘シーンを撮影してから数年後、ボブはリーが実際に肋骨を骨折したことを明らかにしました。
「ボブ、私はあなたを殴りたい、そして私はあなたを激しく殴りたい」と
ウォールは撮影前にリーが彼に言ったことを明らかにした。
理由...映画を撮影する前にウォールを8年間知っていたブルースは、戦いができるだけ
本物に見えることを望んでいたので、2人のマスターはフルスピードで行きました。
ウォールの家族は、ロバートの死去について次のような声明を送ってくれました。
「ボブは最高の夫であり父でした。家族は彼にとってすべてでした。
彼は素晴らしい人生を送りました。私たちの心には決して満たされることのない穴があります。
彼の精神と遺産は私たちの中で永遠に生き続けます。彼は私たちの岩でした。 「」
安らかに眠る。
https://www.tmz.com/2022/01/31/robert-wall-martial-arts-master-bruce-lee-chuck-norris/ 師匠ヒロが、あの年齢同士のクラスで大会があれば、すごいと思うよ。絶対に。
練習にまさる天才無し。
天才にまさる練習は無し。
ブルースは、練習も天才なみにして、天才を練習なみに、天才をさらに天才に磨いた天才がジークンドー武術なのだろう。
100年たっても、ブルースと同じだと言われる武術家が登場しないんだよな。ブルースは人間的にもさらに稀有(けう)な存在なんだろうな。
どうみても、ブルースの筋肉は、一週間で作り上げれるものではないと感じる。肩の筋肉に比べ、ウエストの細さにびっくりする。あのウエストで、あのパワーはすごい。
肩は、相撲とりで、腰回りは、水泳のモデルみたいである。 ジークンドーの石井なんて達人なはずねーだろw
ウェイブパンチの坂口拓と同じお笑い枠だよw
矢地みたいなバカがお笑いを信じてジークンドー練習して
まったく通用せずにボッコボコにやられて
ジークンドーの動き全部捨てて普通に総合のトレーナーに替えててスゲー笑ったわw 矢地のユーチューブに登場したときは、センセーショナルだったな。
ワンインチパンチを、突き抜けるタイプと、内側に残るタイプの
二種類があると石井が言ったときには、驚いた。
そのパンチにも二種類があることを覚えたのは矢地にとって良かったと思う。
さらに矢地が、足によるワンインチパンチもできるのですかと
質問したら、実践してみせた。
石井の足によるワンインチパンチにも驚いた。
あれだったら、石井なら、スイカ割りを頭頂部によるワンインチパンチもできるだろうと思う。 >>21
石井の言うワンインチパンチなんてある程度格闘技をかじってたら誰でもできるわw
石井が尊敬してるとかいう中国憲法のおっさんも言ってたけど
体当たりを拳でやってるってだけの話
二種類って、要は相手を飛ばすか飛ばさないかって話で、こっちも難しいこっちゃない >>22
かなり昔に物理学者かなんかが、
中国拳法のそれを色々計測して
力積などから、体当たりと同じって結論を出していたのは有名のはず 太極拳は、健康にいいと言われているが、
太極拳は、体に悪いからするなって、
テレビか、何かで言っていて、呼吸を整える格闘技が
こわくなったな。
息をコントロールすることが、普通じゃないと思う。
心臓でも、早くしたり、遅くしたりしてさ、そのまま心臓の
テンポが遅くなったままになったらこわいから。
ジークンドーは、呼吸法なんて特に重視していない感じだから、
いいと思う。ブルース・リー自体、呼吸に気を使っているように見えない。
好きなだけ吸って、好きなだけ吐けばいいみたいな自己裁量が
できるからいいと思う。
アイススケートがあれだけ回転できるのは、摩擦が少ないからだと思う。
アイススケーターが、そのまま相手にぶつかったら、そのまま力が相手に行くけど、
地面で、摩擦のあるシューズを履いていたら、それは、足を前進したとき、
摩擦のため、力を逃がしていると考えられる。踏み込んだとき、足がすべっていては、
力を注ぐことが難しい。ブルースは、足の摩擦ゼロで、相手に接近キックを
おみまいし、摩擦100で足でふんばっているのだろう。アイススケーター風呼吸法が必然となる。 覚醒下で随意運動の呼吸と常時不随意運動の心拍を同列に語るとかガイジか? >>23
物理は知らんけど、知り合いの中国憲法の人も寸勁についてそういうこと言ってたわ
一瞬腰を落とすことで体重を増やし(エレベーターが停止するときと同じ慣性の法則)
増えた体重で地面を蹴ることで力を増幅して(作用反作用の法則)
拳を使って相手に重心を移して力を送り込む
ジークンドーでいうパンチファーストって、こういう体当たりのための技術だよね 矢地のユーチューブで、石井が登場して、
ワンインチパンチを披露したのがインパクトが強すぎたな。
石井が、ブルースリーは晩年、木人をしなかったというと、
そうなのかって、納得してしまう。
木人をしなかった。それだけで、なぜそうなったのか、
原因を調べたくなるな。型が固くなるからか。
これから映画とか見て、木人拳を見たら、ブルースリーはしなかった
と思ってしまうな。
ブルースリーは、矢張り、指をつばでなめ、
上着を脱いで、肩の筋肉を見せつけるところがインパックトがあるな。
あれだけのインパクトを、瞬間に見せつけられるのは、
ブルースリーのみだな。全体で絵になる。
華麗でなければ、それはジークンドーではないよって言いそうだ。
ジークンドーはダンサーじゃないんだよ。
ジークンドーは、ストリート・ファイトなんだよって言うだろう。
木人拳の練習しないで、詠春拳+ジークンドーができるようにならなければ
ならないのだろう。木人拳とは、ジークンドーにとって、ちくわの空洞
みたいな存在なんだろう。味(だし)が内側からも外側からもしみこむ技なんだろう。 >>28
ブルースが木人練習したのは渡米してからだ
香港では小念頭しかやっとらん
香港の先輩と文通で木人習った
ブルースが通信教育の最初かもしれんな >>17
お前が気に入らない、認められない実力者を
お前が悪口を言って認めないだけだ
実力者が認めても、関係ない失敗談を持ってきて
お前がなかった事にしたいだけだ
結局、お前が基準でお前がわがままで認めないだけで
実際には、誰もそんなお前を相手にはしないだろ >>20
プロより見る目を持ってるという
お前の思い上がり凄いなw >>23 >>27
そういう大間違いを信じ込まれても困るけどな
その物理学者も力積の大きさは体当たりに近いとは言っても
力積の持続時間を見て
体当たりそのものとは言ってなかったのでは? ジークンドーに残ってる型は小念頭と木人椿
練習の大半は初歩のトラッピング
香港時代のブルースリーがどの程度だったか伺い知れる 矢地がジークンドー取り入れたけど前よりも弱くなってたよ 矢地の動きを見ていたら、ジークンドーのようで、ジークンドーでないみたいだ。
矢地は、シンプルにカラテ・チョップを練習したほうがいいと思うな。 >>27 >>32
ジークンドーのワンインチパンチが
体当たりかどうかは知らないけど
中国拳法の寸勁は体当たりではないよ ワンインチパンチの動画を見ていると、
プロの格闘家だから、1日で、ワンインチパンチをマスターしているけど、
一般人には、むずかしい技だと思う。
相手との距離をおかずにして、パンチだけで、相手を吹き飛ばすなんて無理だな。
まわりから見ても、ワンインチパンチなのか、ふつうの胸に対する正拳突きなのか、
誰でもわかる。一本足による瓦割りができるのは、石井オリジナル瓦割りだと思う。あの体勢でパンチが
くりだすことができるので、両足を使ってのワンインチパンチ効果も、想像できる。石井はだから、直系ジークンドーのラスト・マスターと呼ばれるのだろう。 ワンインチやストレートリードが出来るようになったとする
では、あとは差が出るのは筋力になってしまうのでは 宮本武蔵が、ブルースリーと対峙したらと架空すると、
宮本武蔵は絶対に、ブルースリーに勝利するだろうと確信する。
架空の中で。
宮本武蔵は、絶対に相手を破る技を見つけ、すでに練習していたり、
あるいは、試合中、相手を破る技を、戦いの最中に、編み出す。
とにかく想像を超えた存在が宮本武蔵である。
しかし、衰えを感じてからは、実戦はしていない。
つまり、筋力が落ちてからの技では、実戦では勝てないと宮本武蔵は、
五輪の書の如く、絶対に勝てないの書に、筋力が落ちては、
無敗を続けるのは無理だと悟って記すだろう。
石井の師匠は、今でも拳のひらを鉄板に打ちつけて鍛えているが、
宮本武蔵は、そういう練習を老後していなかったような気がする。
宮本武蔵は、剣を持たず、筆を持ったのである。ただ筆が、筆サイズの剣に
変わったら、その筆剣術の腕前は、達人だろう。 >>38
発勁なら何年もかけて修行しても
身につける事は難しいかもしれないけど
拳をつけて体当たりするタイプの攻撃であれば
誰でもすぐに出来るのでは?
よく色んなトコで宴会芸として紹介されてきた程度のモノだと思うけど?
その代わり、ただの体当たりでしかないから
相手を吹き飛ばすだけしかできないかもね? >>41
昔の検事って言う漫画じゃ主人公は体当たりパンチしてるからそれが発勁なんだろう 体当たりは、
相手が水平にすべりながら倒れ、
足をカニばさみ、左右の足で相手の両足をはさんだら、
倒れてしまう。体当たりは、相手が正面向きから、体を斜めにして、
当たる面を横にする。体当たりは、相手の接近した瞬間に避けられると、
勢いで、そのまま動きを変えることができず、
相手を通り過ぎた瞬間に背後、背中に剣を突き刺さられる。
背中に刺さった剣は、自分では抜けない。そういう感じのパンチをくりだす。
体当たりは、瞬間の変化に対応できない。爪先歩きをいつもしている石井なら、
体がデカいほど、体変化がむずかしくなる獲物といえる。
ゾウは百獣の王ライオンより強いが。爪先歩きは、地面との接する面積が、
小さいから、どんどん急速変化を点から点の重心の移転が
できる可能性がある。今は、わざと爪先立ち防御と攻撃を動画で見せていないかもしれない。
石井は動画で、一日中、道場で、爪先で立ってられると言っていた。
逆に、爪先で立っていると、不意の押しにすぐに倒れてしまう。将棋倒し、ドミノ倒しみたいに。 回転式ワンインチパンチは、骨法では、みんなグーパンチを使わないで、
指の五本を広げて、相手をたたく。
その理論は、人間の身体のほとんどが水ができているため、
そこにパンチの波動を効かすためには、手を広げた攻撃がいいらしい。
骨法は戦(いくさ)で使われる技術で、刀を落とした時に、
相手の鎧の上からパンチを効かすためには、ただ殴っただけでは、
鎧は鉄でできているから効き目がない。
殴って、力が鎧を貫通させるためには、手を広げるほうがいいらしい。
石井の場合は、手を広げての回転式なので、グー式回転ではないところが、
不思議である。鉄板をいつも叩いているのは、相手が鎧とか、
防弾チョッキを身につけていることを想定した戦い方なのか。
グーで殴った瞬間に次は、同じ箇所に掌底をする。拳と掌底を交差させる攻撃なのかもしれない。
貫通式と浸透式のW攻撃をしかけるのだろうか。矢地は、それを試合の中で、しようとしたから、
動きがいつもと違っていたのかもしれない。矢地は、実は、難しいことをしようとしていたのかもしれない。 歴代のすごいボクサーが登場するが、
同じボクサーのタイプはいてるが、まったく同じ型のボクサーは登場しない。
型に入って、型から出るといわれるが、
型に入っても、いずれは自分の型になっていくのだろう。
有名なボクサーとか、有名なキックボクサーは登場するが、
まったく同じ選手は出てこない。これは動画で、この選手をそっくりに
マネたとしても、完全なコピー、完コピーは無理なのである。
いくらジークンドーのコンセプトを追求したとしても、
完コピーはできない気がしてきた。ブルースリーを完コピーできるのは、
ブルースリーのみの気がしてきた。
矢地の完コピーをしようと思う人間が、ユーチューブに登場しないのは、
そういう意味なのだろう。ジークンドーの完コピーを追求する人間は登場するが、
矢地の完コピーをしようと思う者は、あの一番サイドにいてた行雄でもしようと
思わないし、平良でも矢地のコピーをしようとはほんの少しだけでも
思っていない。頭の中で想像するのは、ブルースリーの戦う姿である。
生徒が、戦う姿をイメージできるのが、ブルースリーなのである。
そこまでたどりついたのがブルースリーであり、ブルースリーが追求したジークンドー
なのであろう。体当たりは体当たりなのであろう。
MMAとは、河原の石をつかんで投げるようなものであろう。
プロの投手は、硬球を投げるのである。マウンドで石を投げない。
MMAとジークンドーとは、その違いがあるかもしれない。 ヒロ渡邉の指導を見た。直線をややアングル0.1から0.2度を変えて、
攻撃を避け、攻撃すると説明していた。
平良のパンチは遅いからね。危ないよと言っていた。
遅いパンチは、アングル・ジークンドにとって、危ないらしい。
遅いパンチはたどりつくのに、時間がかかるから、あまり早く体をかわすと、
そこに平良のパンチが軌道をかえて狙ってくるからか、
逆に自分で能動的に動き、かわしたところに、オウン・ジークンドー・パンチをもらうことになるのか。
このような練習によって、相手のナイフを、寸前でかわすことができるのだろう。
平良のパンチが、ナイフに見えた。あれはパンチでなくて、ナイフなんだ。
昔の海上の戦い、海賊船に乗って、相手の海賊船に乗り移る戦いは、実はすごかったんだなと思った。
海賊船にジークンドー・マスターが乗っていたら、すごかっただろう。 バカの妄想 おつかれ
あのアトピージジイは空手の試合で
前歯全部折られた雑魚だよ ブルース・リーは、何か違うんだよな。
何かが違う。どうして、ヌンチャクを武器にしたのか、
それも謎である。普通、ヌンチャクの使い手を見て、今度、映画で使ってみようと
思うその感が凄い。ヌンチャクって、歴史が古いのに、
ヌンチャクをあれだけ速く回転させて戦うのは、ブルース・リーが最初のような
気がする。それまでのヌンチャクは、二、三回の回転ぐらいだったと思う。
それをヌンチャクを左右の手で回転させながら、さらに自分自身も360度回転させながら、
全周囲の敵をブチブチ倒していく。その武道発想がすごすぎる。
さらにそのヌンチャクを床に置いても、さらに強い。
どう考えても、すごい武道家である。ジークンドー・プラス・ヌンチャク。
なにかさ、上着からヌンチャクが出てきただけで、唖然とするよ。
ブルース・リーが、ヌンチャクをふりまわしている時間が、
美術館で名画の前で立っている人間みたいになってしまう。
ブルース・リーは、相手と戦う前に、もうオレと戦うなというイメージを
相手の頭の中に刷り込ましているのか、浮かばせる術法を駆使できている感じがする。
戦ってから、相手は、相手の強さを理解するのに、
ブルース・リーの場合は、戦う相手は、戦う前に、戦った後の自分をみつめなおす機会が、戦う前にある。 矢地も石井を見限って
青木真也に習ってる。
総合童貞のトッチャン坊やに習っても
強くなれないと理解したんだろう 元々雑魚の石井は、20年修行しても
ブルースの
足元にも及ばない。
師の雑魚鍋は、嫌われ者
頭オカシイ糞ジジイだし 動画を見ていると、ほとんどの格闘家が、石井のことを
速いと言って驚いている。
この世界で、速い人はいくらでもいると思う。
何に対して「速い」と言っているか。
人間の急所に向っての「速さ」なのであろう。
「急所」の的に向っての速さが速いということなのだろう。
他の格闘家は、ただ速いだけであって、
「急所」に対しての速さではないのである。
野生動物チーターなどが、走りながら、後ろから顎の後ろ当たりをかみつくような
感じで、ズバリと行くのである。
それも足音のステップの音をさせないで、ズバット足が移動している。
腕だけが飛んでくるのでなくて、足のステップも同時に来ているのである。
そして、一瞬で背後に回っている。攻撃をしかけて、一瞬で背後に回るというところが、
ジークンドーのコア・ナビゲーションなのだろう。 石井の動画を見ていると、うーんと頷く。
宮本武蔵を教科書にして考えているから驚く。
武蔵は、大勢に囲まれたら、大勢の敵と戦うとは考えるな。
大勢に囲まれても、戦う相手は、目の前の人間だけで、
一人を倒すつもりで、一人一人倒していけばいいと言っている。
そしたら一度に、大勢を倒すことができる。究極一点主義なのである。
ところが、石井は、二人に囲まれたら、相手に家のカギをなげて、ひるんだところで、
もう一人の相手を倒す。必ず二人のうち、一人を油断させて、
力の大真空を作り、その間にもう一人を倒す。同時に二人を倒すなんて考えてはいけない。
うーむ。考える。武蔵の場合は、何人でも同時に戦う姿勢がある。 北斗神拳ってあれって、ケンシロウもラオウも、
トキも、足蹴りをするけど、ほとんど、足の移動はしていないと思う。
相手の技を受けるときも、自分の技を出すときも、
両足は、ほとんど動いていない。
足に力を入れて、腕に力を伝導させて、相手にぶちかましているわけではない。
本人は力を入れているみたいなことを言っているが、
両足には力を入れていない。ただ普通に立っていて、
ただ、拳を突き出しているだけ。
足の移動なんて、これっぽっちも北斗神拳は考えていない。
地面に足がついたまま。
そして、足が1センチ動かしただけで、おぬし、なかなかやるなって言っている。
北斗神拳では、正中線を狙え、正中線のラインで直進とか言っているが、
ケンシロウとかラオウとか正中線とか言わないと思うな。
二人は、戦う方法を頭で思考する以前に、闘志が、心の中で燃えたぎっていて、
それが、すでに技化している感じである。北斗神拳の奥義とは、心の中で燃える
闘志こそが、技であり、相手の技をみきる根本技なのだろう。
ライジンのリングに上がったとすれば、そこには、技など考えないで仁王立ちしている
ラオウが存在するのだろう。技を考えない思考で相手を倒す技が北斗奥義なのだろう。
何も知らないシロウトこそが、北斗継承者といえる。どうみても北斗神拳には、定められた型がない。
あるのは、闘争心が向かう角度の差。地平線の向こうから上がってくる北斗七星と大陸との角度のような、
闘争心の角度の違いが、北斗技の違いになってくるのだろう。
それをふまえて、ジークンドーを考える。 おいおい
あんまりだから言っておくが
漫画アニメを持ってきたら終わり
アニメなんて出来るだけ動かさないようにして、足だけ動いてるセルを描いてるだけ けっこう、実話を元にしている可能性がある。
ケンシロウが、次の北斗を継承する場面がない。
継承を受ける場面があるが、
継承する方の場面はない。
そこが描ききれないところなのであろう。
北斗みたいなホンモノの継承というのは、巻物がなくて、
口伝のみ。
だからヒロ渡邉とか石井が、継承と言っているとき、
口伝による継承だったら、本当の継承といえる。しかし、
口伝だから、継承を授けたフリとか、継承を受けたフリではだめで、
一般に流布されているような継承ではないだろう。
始祖シュケン。龍が降りてきて龍啓を与えるぐらいの技なのであろう。
石井が、平良に石井ジークンドーの継承者になれと
ユーチューブで言ったらびっくりするな。
行雄と平良の新たなる戦いが始まるのだ。
いかに、すばやい攻撃ができるか。タイ式ヘッドバッドをくらっていてはだめである。 ブルース・リーとジャッキー・チェンがもし、
戦えばどうなるか。
もしかすると、ジャッキー・チェンが、ブルース・リーを
倒してしまう可能性も感じられる。
ジャッキー・チェンは、打たれ強いところがある。
ブルース・リーが、うまくジャッキー・チェンの腕を取り、
関節技にもっていき、力まかせに曲げれば勝てるかも
しれないが、打撃とキックでの勝負となると、
カンフーのレパートリーでは、ジャッキー・チェンのほうが多いような気がする。
ジャッキー・チェンは追い込まれているようで、最後には、
勝ってしまうすごさがある。
ブルース・リーの場合は、打撃をチェンにかわされ続けると、
精神的に不安になる可能性がある。ジャッキー・チェンの場合は、
どこから打撃が飛んでくるのか、まったく予測をつけることができない。
チェンの打撃を見ている間に、虚を突かれるような気がする。
ジャッキー・チェンなら、石井のワンインチパンチを平然と受けて、笑っているかもしれない。
ジャッキー・チェンは、頭の骨が穴があいたままになっていて、
番組で、頭を触らせていた。 武器があったほうが格闘技はいいのか。
武器がなかったほうが格闘技はいいのか。
武器を持つ手に手刀を打つ。そして落とす。
武器を落として、格闘技になった場合、
日頃、武器に頼っている稽古ならば、武器なしで
戦った場合、弱くなる。武器をもっていない状態を
想定して、練習をすると、技術は向上する。
相手の武器を、手から落とさせれば、後は練習通りにすればいいだけなのである。
武器に頼る格闘技は、どうしても、武器なしの格闘技ほど、その技術は向上しない。
合気道の植芝は、棒術も、合気の手の技の延長みたいに、棒術をあやつることができた。
棒が、手の延長になっただけなのである。
その理論でいけば、手による格闘技の上手な人間は、武器を手にしても、
動きは同じで、上手であることになる。
武器を手に持つと、日頃の武術の動きができなくなると思うのは、個人がそう
思っているだけなんだろう。そう思う。武器は、手の延長だと思えばいいのである。
タイガー・ウッズが棒術が上手かといえば、おそろしいほど、上手なような気がする。
本人は、気がつかないだけである。バトンを回転させて上空に放り投げて、
それをクルクル前回転して、上手に手で受け取る体操の選手は、
多分、それを武器として扱うことも可能であろう。 クレベルの足げりは、いらないような気がするけど。
クレベルの足げりを見ていて、達人のような気がする。
カポエイラという足だけで、戦う発祥の国、ブラジルなのに、
なにか足げりが、クレベルは、上手でないような気がする。
だけど、相手がさけているのだから、痛いのだろう。
例えば、路上であのような足げりを見せられたら、絶対に、強いとは
思わない。しかし、関節技を隠していると思ったら、不気味だな。
ブルースリーの足蹴りライダーキックとクレベル式キックを
同時に見るとしたら、ものすごい違いがはっきりとわかると思う。
そこから相手に、自分の背中を金網ネットに押し付けられた状態から、なぜか相手に関節技を極めて、
相手を苦しめるクレベル。相手を金網に押し付けているのに、関節技を極められてもがく苦しさは、
苦しいだろうと見ていて思う。
痛いのと苦しいの違いが、クレベルの試合を見ていると感じる。
苦しいからまいったと心の変化、心の点移を、クレベルは、相手の呼吸から読み取っている余裕を
感じる。石井のジークンドーには、その技をかけた後に、まだその余裕を感じさせないことが、
動画から視聴者に感じさせている。なぜかスキがない攻撃なのに、大きなスキが見えてくるのだ。
それもクレベル式作戦なのか。ジークンドーによるカポイエラの対決の仕方を見てみたい。
カポイエラは、逆立ち回し蹴りでも、ジークンドーの技を受けないのか。受けない秘技があるのか。
わからない。 北斗神拳とは一子相伝と言われているが、
ラオウが天の星を指をさし、
北斗七星の八番目の星が見えるかとたずねるときがある。
北斗七星は実は、八番目の星ミザールが存在する。
これでいくと、北斗神拳法の真継承者は、八番目の星、七列からひとつだけポツンと
存在しているミザールのことを指しているのかもしれない。
そしてミザールと関係がない、北斗七星は、ラオウ、トキなどの存在を意味しているのかも
しれない。
もし、北斗七星にミザールみたいに二個の伴星があれば、継承者は二人となるのだろう。
北斗神拳を継ぐ者は、ただひとり、ミザールなのである。
https://smtgvs.weathernews.jp/s/topics/img/201804/201804100185_box_img2_A.jpg?1523414672
ミザールの拳こそが、一子相伝者の拳となるだろう。 石井ジークンドーのワンインチパンチを150キロあるラガーマンが
いたけど、まともに受けて笑っていた。
通常は、本気で打ったら、心臓が爆発してしまいますよって言っている。
この間も、異種の武道と戦っていた。
始まるまで、ニコニコしていて、試合中もお互い、
ニコニコしていた。
しかし、試合が開始され、回しけりをどんどん連発し、
次に手を打ったときに、石井がそれに合わせて手を打ったときに、
相手の顔が一瞬、変わった。なんとなく「重い」って感じたような顔だった。
想像している以上に、石井のパンチが重いのかもしれない。
通常うっているときも、浸透系をうっているのかもしれない。
それを石井は火加減みたいに調整して打っている。
相手もそうなのだろう。天心と朝倉が、ジムで戦っていたけど、
メンバーが天心速いと言っていた。見てたら、顔だけを左右に振り子のように動かしていて、
その動きが、無駄がなく、背中の中心から振幅させる力を上に伝達しているような凄さだった。
亀田とか、辰吉とちがって、顔の左右の振り子動きが、スムーズなのである。 そしてそこからの攻撃、やはり速い。打ちながら、いつでもその打った腕を自然と元にもどす
ことができるぜというパンチの繰り出し。だから朝倉が、踏み込めない。踏み込んでも、
すぐにバックする。バックしながら朝倉は次の攻撃をしかけようとしている目だった。
まさに黒ひょうの絵が好きな朝倉だけあって、黒ひょうみたいな動作反応だった。
石井は、その二人と練習で対戦している。朝倉と石井の攻防は、あの八角形のフェンスの中を、
縦横左右に動いて二人は、戦い合っていた。朝倉と天心は、天心は、顔を左右に揺らしながら、
前進していった。天心と石井は、天心が顔を揺らしながらの攻撃はなかった。
天心は石井をリスペクトしていたのかなと思う。そして天心は、朝倉、かかってこい精神状況だったのかも
しれない。天心がリスペクトするだけあった石井のファイナルステージ・ジークンドーだったのかも
しれない。あれ以後、天心が、弟に対して、また対戦相手と会話するとき、
オレ、ジークンドーできるんだぜという自信が、顔を出しているような気がする。
朝倉VS天心の戦いは、ジークンドー石井弟子同士の戦いだったのかもしれない。ある意味で。
お前は、ワンインチパンチでケガするぜみたいな。
両足で立っているのに、後ろにさがってしまう技を体験すると、心の中にも、何か変化(ジークンドーイベント)が起きるのだろう。 スティーヴン・セガールは一体、どうなるのかと思う。
ブルース・リーみたいに道場は開いていない。
スティーヴン・セガールも、創始者になれそうな気がする。
朝倉が、ヒクソンと戦えば、ヒクソンが勝つような気がする。
宮本武蔵の領域だと思う。
現役時代の選手が、現代の現役として戦っても、シュミレーシンョンしても
勝つだろうと想定がつくのである。
タイソンも現役時代のタイソンが、現在の現役と戦ったら勝つだろう。
その領域が大事なのだろう。
格闘技の神域と呼べる。格闘技の神域までつくり上げることができた者が、
道を作ってもいいだのだろう。
現役のヒクソンが、今現役のヒクソンが現れても勝てるだろうと
思わせる選手が、真のチャンピオンだろう。
現役のチャンピオンに負ける現在に登場するチャンピオンは、時代の流れの中のチャンピオンなのだろう。
宮本武蔵は、何千年後も、チャンピオンであり続けるのである。
今日も、明日も、武蔵は、チャンピオンであり続ける。
ブルース・リーの場合は、フィルムの編集した方が、毎晩徹夜で
暗い部屋で製作し続けた努力の結晶なのかもしれない。いかに、ブルース・リーが
銀幕の中で、ものすごく強くみせるかに全ての汗を投入したからだろう。
汗は、結果をうらぎらない。
ブルース・リーの気迫に負けないようにフィルム編集を気が遠くなるほど、
秒単位で止めては流し、流しては止め、つなげては、ハサミで切り、ノリではりつけ、
寝食を忘れて、作業にとりかかった努力の結果なのだろう。
他のアクション映画は、はやくフィルムを回しているのが、画面からも伝わってくるが、
ブルース・リーの場合、そのような細工がわからないほど、自然に作られている。
その作り方は、現在の編集者でも、編集できないほどの、オーパーツである。 ブルースー・リーはきちんと
ジークンドーを説明できたのだろうか。
それは謎である。ジークンドー・ミステリー・ツアーといえる。
「泳ぎ方」の本があったとして、それをいくら読んでも、
プールに入らなければ、泳ぎ方を理解することはできない。
「自転車の乗り方」の本があっても、
言語で記述すると、やたらにややこしくなり、かえって
わからなくなってしまう。
ブルース・リーがジークンドーの技を言語で説明できないのは、
自転車の乗り方の本を書くようなものなのだろう。
ペダルに足をのせて、力を入れてくださいなんて、
それを技術論的自転車の乗り方、哲学的自転車のこぎ方、
そういうのをジークンドーに求めていると大変なことになると思えてきた。
相手の耳を勢いよく哲学的に技術的につまんで、倒してください。
相手の耳の中は、キーンという音が鳴ります。
動画の中で、相手が倒れ、耳の中がキーンと言って痛いよと
説明されて、動画を見ているこちらは、痛みを推測しながら、是れ、ジークンドーなり。
と思うのである。是れ、自転車の乗り方なり。是れ、泳ぐなり。
みたいな感じなのだろう。ブルース・リーがジークンドーを解析するのむずかしかったのが、
この理論で理解できる。ブルース・リーは、ジークンドーを説明できなかったことこそが、
そこにジークンドーがあったという存在論と化するのだろう。 例えば、北斗神拳ミザール的なものが存在するならば、
世界のジークンドーっていろいろあるんだなって思ってしまった。
ヒロ渡邉や石井は、ストリート・ファイトに特化している型ジークンドーだから、
あのようなファイトスタイルになっているんだなって思った。
世界のジークンドーって、けっこう、キックを使うんだなって思ってしまった。
北斗神拳ミザール的なものが存在するならば、ほぼ、キックは使わない。
使うふりをするだけで、使わないな。
宮本武蔵みたいに、腰に刀があったとしても、それを使わないで、
船をこぐオールを海水にしめらせて、それで戦うように、
刀はあってもなくても、試合に影響はない。
北斗神拳ミザール的なものが存在するならば、ほぼ、キックは使わない。
なぜなら、北斗の拳は、相手の足蹴りより力が強く、向かってくる相手の足を拳でたたき
落とすことができるからである。
つまり、足技に頼るようでは、それは、北斗ではない。
それゆえに、ワンインチパンチの貫通型進化形は、気になる。 強さとは一体何か。その武道の奥義の洞穴を入って行って、
その中心に、岩に奥義が刻まれた剣が刺さっているのだろうか。
岩に刺さっている剣を抜いて、その文字には、何と書いているのだろうか。
格闘技とは、鍛えなくても強い人間が強いのだといえる。
草原のライオンが、あしげりの練習をしているだろうか。
していない。ライオンは、戦うための練習をしたり、師匠について、
技を伝授してもらうこともない。ただ、狩をするだけ。
子供のとき、母親ライオンの後をついて、狩の仕方を教わるだけ。
それも、かみつくだけ。
それしか教わっていないのに、負けなし。
強さを求めて、練習したり、対策を練ったりもしない。ただ、狩をするだけ。
ジークンドーとは、つまり、ブルース・リーのストリート・ファイトに特化した武技とは、
その先には、一文字「狩」なのであろう。
勝負に勝つとか、相手を倒すとかという概念さえも、
狩というカンナで削りとり、狩という一文字だけが、残るのだろう。それが狩=ジークンドーなのだろう。
リングに上がるのではなく、狩をするだけと思考したほうがいいのかもしれない。
強さを追いかけない。ただ、狩をするだけ。
そうすることで、観客のハートも狩するのだろう。 大山倍達によると、一度だけ勝負がつかなかった、
いや、負けたのであるという話がある。
あまり深くおぼえていないのだけど、
相手は、きれいな円を描くのである。
自分のパンチがかすりもせず、当たらないのである。
そして、まいったと思った。唯一、わたしが負けた試合なのである。
円を描いて点で刺す。
これが不思議なのである。あの大山のパンチが相手に当たらない。
それも相手は、敏速に動いてかわしているのではない。
ゆっくりと円を描きながら、どんどんかわしていく。
ヒロ渡邉の場合は、円弧を描きながら、ワンインチパンチを出すと教えていたが、
達人は、円弧を描きながら、相手のパンチをかわすことができる。
謎である。敏速な動きでなくて、パンチをかわすなんて、
どうしたら出来るのだろうか。
それについて、大山は解説していない。
まあ、相撲取りの取り組みで、お互いが、相手のまわしをつかみながら、
くるくる回ることがあるが、あーいう感じの偶然発生した異種格闘技戦となったのだろうか。
そういう戦い方もできるのが、達人なのであろう。
すもうの場合は、押し込まれても、カカトに目がついていると言われているくらい、
俵(たわら)にかかとをつけて、たわらに足がかかってから逆転する試合が多い。
格闘技でも同じであろう。かかとが俵にかかったときに、咄嗟的に逆転勝ちを
納めることができる武芸者がすごいといえる。カラテの試合でも、
あ、もうだめだという俵にかかとがかかった状態で、上空まわしけりが炸裂するみたいにである。
海外のリングは、ロープはあるが、かかとが俵にかかってからの試合運びというのがない。
かかとが俵にかかってからスイッチがかかる。 >>63
素人武術愛好家参加の散打大会で尽く惨敗しないだろ
3動画位みたが全て負けてたし、相手は他の武術やってる人とはいえ一般人だし
逆に対戦相手が胸を押さえてうずくまりアクシデント扱いの無効試合や救急車で運ばれたり、危険技を使用したと反則負け扱いや大会永久追放されたとかなら本物の技術だと思うがな 散打は、最強だと呼び声が高い。
そうだと思う。普通見たら、勝てない。
しかし、シンプルな打撃系に負けてしまうということは、
シンプルな打撃の練習をシンプルに続けている選手のほうが、
強いのかと思う。しかし、そのシンプルの打撃性も、
殴る系に、いとも簡単に、短い時は、数秒で打ちのめされるときがある。
すると殴る系が強いのかとなると、
そのときそのときチャンピオンになった格闘家の術を自分に合わせるので、
勝利した者が、明日の技となり、それを鏡として、イメージをつける。
ヒミコが、神通力に陰りが出たとたんに、人心がはなれていったように、
昨日のチャンピオンからは、人心がはなれていく。
それは絶対の武道の法則のような気がする。水が高い所から低い所に流れるのと
同じなのである。散打の選手が、サッカーチームを組んで強いのかというと、
そうではない。やはりサッカーの練習に特化したチームが強いのである。
中間クラスの戦いでは、散打編成チームが勝つかもしれないが、
極限クラスになると、特化チームが勝利する。
競技が違うと、練習も概念も違ってくる。格闘家は、自分のもつ概念も
最強の敵になる。 格闘技において、試合での勝ち負けは、
あまり気にしない。明日のジョーなんて、ボクシングなんて
したことがなくて、なにか、事を起して、
少年院に入れられてしまう。
まだ、そこではボクシングには出会っていない。
牛の世話の役をまかされ、
なんと、牛の背中に乗り、全部の牛をたたいて、
脱走する牛の群れの中にまぎれ、ジョーは逃げようとする。
その行動が計算できない。
すると、力石が、突進してくる牛の背中に乗っているジョーに
パンチを入れ込む。ジョーはぶっとんで地面に落ちる。
なのに、ジョーは立ち上がってくる。
この想像ができないシチュエーションの連続である。
ジョーは、その自分の心に闘争心と名付けていない。
ただあるがままなのである。
闘争心とも名付けていないその心で、ボクシングを習っていく。
強い人間は、本質的に強いのだと思った。
格闘技においての勝負の闘争心と、リアルな戦いの場の心とは、別物といえるだろう。
別の獣の心ともいえる。相手を敵とみなした場合、すでに負けているといえるのである。 このジョーの同じシーンを
実際に、撮影しようとすると、とんでもなく大変だと
想像する。
一頭の闘牛だけでも大変なのに、その群れの中で、
さらに牛にまたがり、雄叫びを上げながら、ジョーが、刑務所を脱走するところ、
その向かってくる闘牛の群れの前に突然、力石の姿が現れる。
牛に乗っているジョーに近づくだけでも大変なのに、
さらにパンチ一撃。
さらに力石が、ロープで、ジョーの手を背中でくくったら、
ジョーはなにもできない。
瞬間にロープ技を極めるのである。テキサス・ロデオでは、女でも普通に牛の足をロープでくくる。
動画では、ライオンが逃亡して、みんな逃げている中、平気で、
女は、ライオンの足にロープを投げて、紐でくくっていた。そのスピードを競う大会もあるらしい。 卍 ネオナチ・ゼレンスキーによる、ドネツク・ホロコーストを許すな !
≪ヤーレトイマ師教界世≫の警告
Q アメリカは9.11の攻撃にどう反応すべきだったのですか。
A あなた方の政府は大きな間違いを犯しました。
9.11テロ攻撃への対処において恐ろしい間違いを犯しました。
これらの西側権力と西側支配の象徴に対する攻撃は、
悪意から起こったのではありません。
世界の先進国のすべては、
好きなだけ侵略して分け前を取り、特定の国からすべてを奪い、
それから他の国に移るというようなことをしてきました。
彼らは世界を荒廃させました。
西側諸国が世界資源を搾取してきたのです。
それが世界貿易センターとペンタゴンへの攻撃を起こしたのです。
この国や他の国に対するテロ攻撃もそこから起こるのです。
【マヰト┗ーヤ】 米軍基地に遊びに行くポチは反社
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1577174201/l50 グリーン・ホーネットに出ている頃のブルース・リーは、
攻撃を3回ぐらいで、相手を倒している。
3回くらいの攻撃で、相手は倒れてしまうほど、威力があったという
ことなのだろう。
作品が作られていくほど、ブルース・リーの攻防の時間が
長くなっていく。
カンフーとは、初期の頃は、3回くらいパンチをもうらうだけで、
倒れていた。グリーン・ホーネットの頃は、
ブルース・リーの頭の中は、速く倒せという言葉で一杯なのだろう。 動画で見たのだが、
武術は、拳銃と対抗できるのか。
ある武術家は、目の前に拳銃をつきつけられた一瞬に、
その拳銃の引き金に、自分の指を入れ、
逆に、その銃口を相手に向けさせた。
拳銃をカラテ・チョップで叩き落とすのでなくて、
その引き金に、自分の指を入れるのである。
達人なら、簡単な動きなのだろう。
ジークンドーの目に指を入れる作業を、そのまま、引き金に自分の
指を差し込むだけなのだから。 >>77
引き金より銃口に指を入れて塞げば銃が破裂するよ
試してみて 速いとは一体どういうことを言うのか。
言えるのは、メッシだろうな。国の至宝をいわれているメッシだろう。
あのゴール前で、何人抜いて、シュートをしているのか。
あれだけ囲まれているのに、ボールを足で回しながら、あっち向いて、
こっち向いて、キーパーの足元を抜く。
あれをジークンドーであの動きをしたら、
速いといえる。
ここでようやっと、速いという言葉が出てくるのである。
メッシほどの動きを点から点に幾何学的に移動しながら、
空気銃のようなワンインチパンチを、多勢に撃ち続ける。
一人に対して速くては、サッカーでは、割ることができず、
ワールドカップに出場することも危ぶまれるだろう。
石井は、相手を見ないで寄けれると、ジークンドー、今日の決めポーズをしているけど、
サッカーでは、相手選手も、こっちの選手も全方位の動きを確認せずに見ているのが、
司令塔なのである。
まあ、サッカーの場合、手の動きや、足が顔に飛んでくる確認はいらないけれど。
おおまかな全体の動作の確認は、見ないでもしっかりとできている。 >>70
普通の神経を持ってたら
そんな危険な技は実際に出来たとしても
人相手には使わないし
試合で使うという事もないだろ
君だったら使うの?
そんな人には試合に出て欲しくないな
試合というものは
お互いに安全に技を試し合う競技であって
相手を傷つけあう競争ではないんだよ?
その為のルールと審判なのだから >>80
もろな負け惜しみだろ
危険技使わなくても勝つか善戦するわ
しかも敵の打撃貰いまくりで危険技使う以前に基本的な防御テクニックを駆使した護身が出来てないだろーが 忍者の映画の中で、忍者が、普通に相手を殴るような格闘術を
使っていると、それは違うとなると思う。
映画の中では、忍者は、古武道を使ってこそ、忍者映画となる。
それを海外の格闘家は見て、練習をする。
古武道を見て、新しい発見をする。
そして、忍者映画の役をやっている人は、家で、外国の格闘技の試合を見て、
あのような新しい技を道場でマネをする。
そして映画の撮影では、古武術をする。その忍者映画を見た海外の選手が、
それからインスピレーションを受ける。
つまり個人個人がインスピレーションの受け方が、技となるといえる。
ジークンドーはブルース・リーがインスピレーションを受けた技を、教科書にしている。
ところが、ジークンドーを学んだ生徒が、自分が後日インスピレーションを受けた技を、
ジークンドーに追加するために、
技の混乱が発生しているような気がする。自分のインスピレーションをいかにも、
ブルース・リーがストリート・ファイトの中でインスピレーションを受けたように
説明するので、インスピレーションの本源がわからなくなってしまっている。
そして、弟子のインスピレーションは完全に道場で否定する。
大否定と大肯定のひずみの中で、ブルース・リーのジークンドーは、鼓動を打っているのだろう。
大否定と大肯定のひずみの中で、パワーが出るのだろう。 今回は、長引いているが、本当は、1日で終了、遅くても2、3日だろうと
計画上はそうなっていたらしい。200人の最精鋭部隊が、突入後、空港を囲めば、すみやかに戦争は
終る予定だったらしい。後は戦車で玄関に入り、窓からは白旗をふっている人間を見るてはずだったらしい。
空港を最精鋭特殊の200人を突入させたところ、
空港で待機していた最精鋭特殊の人間が、待ち構えていてすべて絶命させ、
計算が狂い、長引いてしまったらしい。
それもただの腕のある者ではなく、選りに選った猛者が、空港の門をくぐった途端に、
200人全員、誰一人、基地にもどって来るものはいなかった。
これは本当なのか。
ライジン200名が、会場に攻め込んだ途端に、全員、KO状態って想像できん。
ブレーキングダウンの猛者200名が、「行くぞ!ゴー・ゴー・ゴー」と言って、柵を乗り越えた途端に、
全員、地面に倒れてしまっている状況は、想像できない。
ジークンドーは、ここまでストリート・ファイトの実戦でも絶えれるのだろうか。
わからない。空港で待機していた部隊は、ワンインチパンチを身につけていたのか。 >>84
ディフェンステクニックは駆使して当たり前だろーが、目突きやのど潰し、金的なんか反則当たり前だからやるわけない ブルースー・リーが第一番目に、
「ジークンドーの実際」
@攻撃と防御における、無駄のない、タイトな構造
(攻撃:生き生きとした仕かけ/防御:ねばりのある手)を上げている。
ジークンドー、その一に上げている。ジークンドーとは、無駄のないタイトな構造を持つとブルース・リーは述べている。
<無駄のないタイトな構造>この一行だけで、ブルース・リーがマーシャル・アーツ界に君臨していることがわかる。
死亡遊戯に登場する五重塔みたいに、地震が来ても、微動だにしない、見事なタイトな構造を、自分の身体に持てということだろう。
木の心をつかまなければ、五重塔は作れない。木を見て、その木がどういう動きをするのか、横にふれる(反る)のか、縦にふれるのかを
見分けて組み立てをしなくては、ならない。いったん木が反り始めたら、木材はものすごい力を出す。木が本来もっている力は、あなどりがたい。
そんな木の力が互いにうまく協調し合うように木材を組んでいく。木の心つかまない人間は、部材をこちらの勝手で使う。
無駄のないタイトな構造とは、このような意味だろう。攻撃とは、生き生きとした仕かけ。攻撃とは、攻撃でないとブルース・リーは、読者に語っている。
攻撃の神髄は、生き生きとした仕かけでなければ、ジークンドーの攻撃でないと言っている。これはブルース・リーの映画のシリーズ全般に貫かれているジークンドーの思考だろう。
攻撃とは、仕かけである。それも生き生きとして仕かけなければならない。陰陽の陽の気で、仕かけろという意味だろう。防御は<ねばりのある手>。
これはどういうことかというと、相手のパンチを防御するとき、相手のパンチを自分の腕ではね飛ばすのではなくて、避けるのではなく、相手の腕の本体に、ねばりつくようなはね返しを
しろという意味だろう。合気道や、少林寺の攻防がそのような感じである。相手の腕にねばりつくように、相手の力の支点を変動させる。しかし、相手は気がつかない。
出したパンチを元にもどすが、その戻すパンチの力に、納豆のねばりがひっついていくような力の変化を接着剤のようにマイナスの力(陰力)をつけていくような感じなのだろう。 テレビでも、あっちこっちで石井が取り上げられるようになって、
タレントとして、どこかの芸能プロダクションに入ったほうがいいと思う。
それと並行して、ジークンドーのトレーニングも、
一日30分ほどしなければならないので、大変だなと思う。
格闘技は、一日休めば、普通の人と言われるくらい鍛錬が必要だから。
達人は、そう言っていた。
ブルース・リーは、そんな厳しいことは生徒には言っていない。
大山倍達は、「カラテは、一日休んだら普通の人だよ。三日休んだら...」
とても厳しいと思う。とにかく海の中で、あしけりや突きの練習を波に向かって打ち、
冬は、滝に向かってあしけりや突きの威力をたしかめる。
練習後は、香取大明神と鹿島大明神にあいさつをしなければならない。
カラテとマーシャル・アーツの違いは、ここにあるのかもしれない。
タイソンと対戦した伝説のボクサーは、戦うことを見て、神が喜んでくれると信じているといっていた。
戦いを神に捧げるストイックな闘心をもっていた。
だからこそ、試合を見にきた観客が、その神々しい戦いを、心の中で伝説化していったのだろう。
ローマの古代競技場での戦いは、ブルース・リーを、この神々しい戦いの境地であるマーシャル・アーツのプレイヤー
としての究極ステージに魅せた。 「ツァラトゥストラはこう言った」
この中で、
認識の森から、この狩猟者は暗い顔をして帰ってきた。
野獣どもとの闘争から、かれは帰ってきた。
しかしかれの厳粛さからは、いまだに一匹の野獣が目を光らせている。
克服されなかった野獣が。
ツァラトゥストラのするどい目が向かっている野獣こそが、
ブルース・リーのジークンドーの森の中に潜んでいるのだろう。
ジークンドーには、ブルース・リーが、克服できなかった野獣という技があるのだろう。
いや、その克服できなかった野獣を狩猟できたのが、ジークンドー大系なのだろうか。 源氏皇流 八咫烏兵法て
源氏皇流 八咫烏兵法ってwww
折角、弟子の石井東吾先生&平良さんがオカルト排除で頑張ってたのに源氏皇流八咫烏兵法(爆笑)かー
高弟の必死の苦労をド馬鹿キ●ガイ師匠が全て水の泡にする黄金パターンですわ
昭和脳から見ると極真会館の顛末を彷彿させるね!(韓国民潭幹部との癒着・利権騒動、大山倍達による不正横領)
ヒロ渡邊みたいなこういう害虫が一刻も早く格闘技武術武道界から駆逐されますように 認識の森というのか、ジークンドーの森の中を、
克服されなかった野獣の足あとを追いかける。
それが、八咫烏流ジークンドーだったのか。
ヒロ渡邊は、なにか、ジークンドーの映画の逆のパターンのヒーロー化している
ような気がしてきた。
ジークンドーで、要塞化された無人島で、
世界中のマーシャル・アーツを集めて、大会をおこなう、
反ジークンドーみたいだな。
映画を逆に見ている感じがしてきた。ジークンドーの陽にライトを浴びせるのが、
ジークンドー・ラスト・マスター、ヒロ渡邊だと思っていた。
大会の主催者ミスター・ハンみたいになってきたな。
ミスター・ハンの反ジークンドーの継承者みたいだな。
八咫烏は、イギリスのマン島の市章とつながりあるらしい。
足が三本で、同じように烏がシンボルなのである。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8a/Coat_of_arms_of_the_Isle_of_Man.svg/330px-Coat_of_arms_of_the_Isle_of_Man.svg.png
三本の脚は、三素量をあらわし、宇宙法理の理を封じ込めているのだろう。
三素量の理論によって、時空間の働きを尋ね探ることができるということを、
太古の人々は、直感的に把握していたのであろう。 菊野克紀さんにすごい投げ技を学んでしまった - YouTube
https://youtu.be/dVWn1rHLrXk?t=701
これ過去のヤッチくん(矢地 祐介)チャンネルの動画だけど
この時、カメラマンのカンベが「矢地 ”も” そっちの世界に」って賑やかしで言ってて、
アシのデニス行雄(心霊チャンネル運営)はほぼYoutube労災で腰痛めて入院中なのに
本人居ないとこできつめのイジリしてんなーとカンベに対し冷ややかな気持ちを持ったんだけど
実は「親友でもある矢地をめっちゃ心配しててその上での忠告」だったんだな
そっちの世界の住人は行雄さん(心霊チャンネル運営)だけじゃなく、
ヒロ渡邊@ジークンドー御一行様(現:ムー大陸の源氏皇流 八咫烏兵法)まで
そっちの世界にどっぷり首まで浸かってるカルト宗教の信徒だったとか…
これヘタしたら坂口拓&石井東吾の映画「1%er」の興行にまで直接大ダメージ行くぞ? 佐々木小次郎と武蔵の戦い。
佐々木も無敗で、武蔵も戦において無敗で、無敗同士の戦いだったのだろう。
目的物をみないで、相手を倒す方法は、両者が、達人の領域まで、
押し上げていたと推測できる。
相手を見て倒すのは、道場の玄関の前に立っているようなものだと
考えていただろう。
佐々木のツバメ返しは、あの高速でターンするツバメを倒すのだから、
まさに、本体を見ていては、剣がその変転速度に追いつかないだろう。
武蔵は、はしで、飛んでいる虫をはさんだというエピソードもある。
両者は、物体を見ないで、倒すことは、余裕であったと考えられる。
佐々木の剣さばきのスピードなら、つばめより遅い武蔵の動きは、完全に見きることが
可能であろう。100に1回も失敗しないツバメ返しを武蔵は、一回の太刀の
動きがミスしたら、終わりなのである。
つまり、武蔵は、動態を見ないで攻撃する攻撃をさらに、
動態を見ないであろう攻撃をよける防御をさらに防御化を身につけていたのだろう。
動態を見ない佐々木小次郎の攻撃をさそう防御を身に備えてていたのだろう。
相手の百連打を、ケンシロウが、百連打で連続でかわす速度のように。
ピアノを楽譜をみないで、鍵盤をたたくように、ケンシロウは、1連、2連、3連を
見きったのではなくて、100連を100連みきったレベルの武蔵のみきりなんだろう。
最大の攻撃が、最大の防御なり。最大の防御が、マックスの攻撃なり。
最小の攻撃が、最大の防御なり、最小の防御が、マックスの攻撃なり。
最小の攻撃が、最小の防御なり。最小の防御が、ミニマム・マックスの攻撃なり。
最小のジークンドーが、最小のジークンドーなり。是、ブルース・リーなり可... 鏡の壁に囲まれている部屋で、
ブルース・リーとミスター・ハンは戦う。
鏡に映っている相手の姿を見て、攻撃をする。
そして、鏡に映っている無限に重なる自分の姿にも気にしなければならない。
その状況の最中で、ジークンドーを使うのである。
いや、ブルース・リーは使うことができるのである。
ミスター・ハンは、その状況にブルース・リーを誘い込み、
追い詰めていく。
この攻防は、実際に、ブルース・リーは、ミラーの五重塔の中で、
自由自在にジークンドーをあやつることが可能だったのだろう。
これは、相手の動態を見ないでジークンドーを操作するより、
さらに、上の静態を見ないでおこなうジークンドー領域と呼ぶのだろうか。
ブルース・リーは、非動態・非静態式ジークンドーをマスターしていたのだろうか。 矢地が、ワンインチパンチをだしたら、
それを見ていた石井東吾が、「とおっているよ」ってほめていて驚いた。
最初の矢地のワンインチパンチを見ていたので、
石井がほめているワンインチパンチだから「とおっている」と
動画を見て、そう思ってしまう。
石井は「とおっていない」「とおっている」と二語で語るので、
多分、生徒は石井の「とおっている」という言葉が欲しくて、練習をしているのだと思う。
なにか矢地が通っていると言われて、ベルトをもらうよりうれしそうにしていた。
ミットでかまえている平良も「音が違うよ」って言っていた。
音速による音波が違うのだろう。
平良が指導者になったら、生徒全員に音波流ジークンドーを教え、ジークンドー音波流派の創始者になって、
新しい流派を作っていきそうだ。
石井とおっている流派と平良式音波ジークンドーの生徒同士の戦いが起こりそうだ。 日本で一番古い武術とか
言っちゃうのにはちょっと・・・ 八咫烏流とは、裏神道系の流派なのかもしれない。
神道を「表神道」とすれば、八咫烏流はいわば「裏神道」系ということになるのだろう。
表神道、つまり一般神社の責任者が宮司なのに対して、
裏神道の責任者は宮司ではない。神職でありながら、神職にあらず。
ひとつの神社に常駐しているわけでも、神社本庁に属しているわけでもない。
密命を帯びて、いわば天と地を飛び交(か)う烏(カラス)のように、
全国を自由に行き来する存在なのかもしれない。
裏神道の継承者と会談する場合、それは通常の会話ではない。
ほとんど問答である。端から見ると、それは禅問答に近い。が、かといって、
質問と回答が交互に繰り返されるというものではない。
ある意味、一方的な質問であり、相対する者は逐一、即座かつ的確に答えなければ
ならない。 少しでも油断すれば、一気に裏神道の継承者のペースに巻き込まれ、
答えがどこにあるのかわからなくされてしまう。問答とはいえ、
それは言葉と言葉の真剣勝負。知識の底を見切られたら最後、
徹底的に迷宮へ落とされ、真理がどこにあるのか、まったくわからない状態にされる。
その知識を試され、最後の最後で心の奥底を見切られ、惨敗。
これが武術の試合ならリベンジ、再試合もあろうものの、この世界はそうではない。
もう二度と真理に近づくことを許されず、そのため両目と両耳を潰(つぶ)され、
手足を切られた。さすがに、戦後はこうした行為はなくなったというものの、
裏神道への接触はすべて断ち切られる。
八咫烏流派が、裏神道系なら、ジークンドーと違って厳しいかもしれない。
ブルース・リーのジークンドーは、陰陽の世界観だから、裏表観はないマーシャル・アーツである。 ヒクソンの柔術は、特に不思議な型であると思う。
小刻みな前蹴り。大蹴りはない。
なにか、距離を取るような感じに、ケリを前に出す。
あのけりは、柔道にはない。カラテにもあまり見ない。
ジークンドーでは、前に出る足に対し、押さえる感じで足をだし、
相手の動きにブレーキをかける感じであると説明していた。
ヒクソンの場合は、タップダンスみたいなけりである。
相手をけって、確かめるような感じである。あくまで、相手を横に
倒して、腕で極めるというスタイルである。矢が胸から斜めに突き刺さっているような、
力を外に向けるのではなく、内に向ける力が強い、引きずり込む力がヒクソンの場合は
強いのだろう。だから、ケリも外側に向けての力を出そうとしない。
ヒクソンは、引きずり込む力のベクトルを利用している。
柔道も、相手の上着をつかんで、内に引きずり込もうとする腕の力がある。
ボクサーは、逆で、グローブをつけているので、内に引きずり込む力を発揮できない。
常に、前に出す力である。ジークンドーには、相手の服をつかんで、
内側に引きずり込む力の作用の技がないような気がする。
逆に、ヒクソンには、ワンインチパンチのような気を前に出すような技はない。
プラスの力のパンチとマイナスに向かう引きずり込む技は、プラスマイナスゼロとなるので、
練習はしないほうが、筋肉のためになるのだろう。ある意味で、ヒクソンのキックは、
マイナス型ワンインチキックなのだろう。 ワンインチパンチのとき、「力をぬけ」と言うが、
これは、左脳の意識を止めて、右脳の意識で、パンチをふりぬけという
意味ではないかと思う。
左脳の意識を止めることを学び、右脳の意識の使い方を学べば、
誰でも楽にワンインチパンチが可能となるのかもしれない。
徹底的に左脳の意識のはたらきを止(留)め、
右脳の意識レベルに入って、右脳の意識が使えるように、右脳の意識を引き出し、
右脳意識が発するパンチを出せばワンインチパンチとなるのだろう。
石井が「ぬけてる」と言うときは、左脳意識が完全にからっぽで、
右脳意識が完全な状態で打ったときのことだろう。
そういう感じがしてきた。ブルース・リーが「ヒューヒュー」と動物の鳴き声を
口先で鳴らすとき、それは、左脳が閉じて、右脳という本能が、おでこに出現してきているからだろう。
そして、手で導き寄せるときは、逆で、完全に右脳が閉じて、左脳完全爆発覚醒状態のパンチなんだろう。
これはワンインチパンチと呼ばす、ストレート・イレヴン・パンチ。10.1パンチ(じゅってんわん)と呼ぶのだろう。 力をぬくということは、
右脳全開型ジークンドーなのかもしれない。
左脳の意識にはヒーリング力はない。けれでも右脳意識に導くと、
人間は自分の体の細胞の一つひとつ、血液の一滴にまで
コントロール力を発揮するようになる。右脳理論よると。
左脳意識は気をコントロールしませんが、右脳意識は気を自由にコントロール
する力をもっている。
人間は右脳意識の深いレベルに入ると、いろいろな形で自由に使いことなすことができる。
波動で情報を得たり物体に影響力を与えたりする。
魚を釣る人は、幻の魚を釣り上げるイメージをつくる。
イメージにはイメージしたとおりになる原理が働く。
右脳でワンインチパンチを撃てるというイメージを描くことが、力をぬくことなのだろう。
力を入れようとすると、左脳がはたらいて、左脳によるワンインチパンチになるから、
力が、ボディを突き抜けないのだろうか。 ジャッキー・チェン型カンフーでは、腰を落としてのカンフー技があるが、
ブルース・リーの場合、腰を落としての攻撃系はないような感じがする。
腰を落とさないで、攻撃技を使っている感じがする。
なぜそうなるのか、同時に両足を移動させ、その移動させながら、前足をさらに前に出しながら、
肩を斜めにしながら、左で手刀、右で拳みたいに、
すべての動作が同時進行かつ、つながっていくのである。
足といい、手といい、直線、直線、最短距離、最短距離、最小除け、最小除けと、
動きが自分の身体から10センチ範囲で動いている感じなので、腰を落としての技がないのかもしれない。
ある意味で、体全体が腰状態で、ジークンドーの技を繰り出している感じである。
距離をつけて、力をつけるのではなく、小さな動きを定規で計るように、攻撃パターンを組み合している
感じなのである。ブルース・リーの攻撃の動きは、全て三角定規で、線を引くことが可能な気がしてきた。
そうすると、矢地のレッスンを見ていると、矢地のレッスンを、
三角定規を当てると、点と点が重ならない気がしてきた。
ブルース・リーは、見てるだけで、勉強になるが、矢地の場合、もう少し、
三角定規型ジークンドーを使ったほうがいいと思うな。相手の腰をつかんで、
こかして、上からこぶしを落とすレッスンより。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています