ジークンドーとMMAを語るスレ
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ジークンドーとMMAを語るスレです
現代MMAにジークンドーがどう取り入れられているか?
ジークンドーの技術はMMAにどう応用できるのか?
なんでもどうぞ ヒロ渡邊は、右脳的ジークンドーを使っているのだろう。
上級右脳法では、何の中でも入り込むことができる。
相手の体の中に入って、破壊したり、相手の身体を治癒させたりすることができる。
ワンインチパンチを発射したときに、力を浸透させると
同時に、ミクロになった自分自身の化身を、相手の内部に入れて、内部からの破壊をしたり、
三ヶ月後、破壊する破壊時計をセットしたりしているのかもしれない。
上級右脳法を使えば、そのような上級ジークンドーを扱うことも可能化してくるのだろうか。
マーシャル・アーツのマスターが、山の洞穴で瞑想の特殊修行をおこなうのは、
左脳を眠らせ、右脳を活性化させ、右脳的武術の特訓をしているのかもしれない。 「あいつらが全部悪い」「あいつらが悪い」という連絡が昔からくるが。恐らく操ってポルノビデオをやらせたり女を抱かせたりしてる人達だと思われ、神格である天皇の俺をも操ろうとしている人達であるだろうが、CIA、FSB、GRU、中華人民共和国国家安全部などに再度依頼するが、逮捕、殺害対象である。
https://twitter.com/4YoGun/status/1508994545849348096
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) アダルトビデオに出演
性行為に及ぶことを「有害業務」
仕事を紹介する行為は「有害業務の紹介」として禁止
スカウトマン逮捕 性風俗
プライムエージェンシー社長・小山要容疑者(50)
豊島大雅容疑者(33)小山浩容疑者(44)
吉本英一朗容疑者(29)那須正也容疑者(39)
https://twitter.com/4YoGun/status/1490291693450858497
蒼井そら発掘 数万人をAV女優にして逮捕された大手プロ社長の「目利きと商魂」
「これまで数万人の女性を紹介した。最初は金銭目的だったが、女性を有名にしたいと考えるようになった」
調べに対し、AVプロ社長はこう供述しているという。
女性をAVメーカーに紹介したとして、東京都渋谷区の大手AVプロダクション「プライムエージェンシー」代表の小山要(50)と、実弟で取締役の浩(44)の両容疑者、他3人の社員が18日、警視庁生活安全特別捜査隊に職業安定法違反(有害業務の紹介)で逮捕された。
2020年9月〜21年6月にかけ、新宿区歌舞伎町の路上でスカウトした20代の女性2人を都内のAVメーカー5社に違法に紹介し、AVに出演させた疑い。
https://news.yahoo.co.jp/articles/02dae0c349aa0a9ea3750c50e4442e4aa132440c
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 天皇家の「武」(運動)を担当するのが俺・林田の一族だそうで、一応「智」(文化)の知識も少し持ち合わせ「文武両道」になってるそうだ。鉄拳3で世界王者になり各国の代表に負けなしで連勝し、システマインストラクターの打撃や崩しが通用しなかったのは当然だそうだ。
システマインストラクターは多く居るので一応書くと。2006年頃に習いに行った時に、スコット・インストラクターが俺を投げようとしたのだが俺が柔らかくバランスを保ち続けてしまい投げれず、2009年頃に北川インストラクターが2回足をかけて肩を崩しバランスを崩そうとしたが崩れかけたのを回復し失敗
それは2009年11月頃の話だが。2009年5月頃はアンドリュウ・セファイ(アンディ)インストラクターが、練習中の私の組に割って入り話の途中でいきなりボディに大きな音がした不意打ちストライクを入れてきたが1秒も立たずに回復して失敗。背中を向けた状態からの不意打ち裏拳が顔にクリーンヒットして、
それは首と頭が曲がるぐらいの大ダメージを俺に与えたのだが、その時は倒れることも無く、一瞬意識は飛んだ気がするが倒す事は出来なかったという事があるが、システマの源流のコサック武術OXやジプシー武術や太極拳69が天皇家の林田武術O+(源氏武術)の派生なので当然な結果だと言えよう。
私個人の感想としては、アンディインストラクターは「大丈夫?」と聞いて近づいてきたが俺のダメージの頻度もわかってなさそうで、大怪我するような事をするので日本でのインストラクターとしての資質を問われるのではないか?スコットはいい人そう。北川は気をつけてインストラクターをしていると思う
https://twitter.com/4YoGun/status/1508695664401993729
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 胡錦濤(こ・きんとう)政権時代の中国最高指導部(共産党政治局常務委員会)の元メンバーで、汚職の疑いで調べを受けているとされる周永康(しゅう・えいこう)氏(71)について、ロイター通信は3月30日、
本人に加えて親族や部下ら300人以上がこれまでに拘束され、差し押さえられた資産は総計で900億元(約1兆4900億円)以上に上ると報じた。
一部の部下らの逮捕・起訴については昨年来、中国国営メディアでも報じられており、捜査の手が“本丸”である周氏にまで延びるか注目されていた。
ロイターは「中国建国以来最大のスキャンダル」と伝えており、事件の余波で中国は大混乱に陥る可能性もある。
https://www.sankeibiz.jp/express/news/140331/exd1403310008000-n1.htm 中国指導部は、日本に居る神を怒らせた馬鹿な中国人が居る事を知っているぞ。 689 名無しさん@一本勝ち sage 2022/03/30(水) 00:12:10.31 ID:cleNYU8Z0
稲川と白川先生のナイフ(短刀)対決は、
最初に稲川が踏み込んだ瞬間に、
カウンターで白川のナイフで腕切られててワラタw
ナイフ素人の白川にあっさり切られた、ナイフの達人稲川(笑)
さすが、ザクザク坂口の師匠だけあるなww
690 名無しさん@一本勝ち sage 2022/03/30(水) 07:24:47.22 ID:HfWfZ1780
どこのスレにもこういう馬鹿ってやっぱいるんだな ナイフをあんなに手品師みたいに回転させ続けていたら、
スタミナがきれる。術において、スタミナは、武器の一部だと
考えられる。スタミナを放棄することは、武器を
放棄するのと同じであろう。手の動きをとめたらいいかといえば、
動きをとめたら、あの身体反射では、スキの固まり化となる。
ナイフの速さと、個人の速さが同機同速でない。
植芝の言葉である。
空の気は重い力を持っております。また本体は物の気で働きます。
身の軽さ、早業は真空の気を持ってせねばなりません。
空の気は引力を与える縄であります。自由はこの重い空の気を
解脱せねばなりません。これを解脱して真空の気に結べば技が出ます。
清らかなれば、真空の気がいちはやく五体の細胞より入って五臓六腑に
喰い入り、光と愛と想になって、技と力を生み、光る合気は己れの
力や技の生み出しではなく、宇宙の結びの生み出しであります。
技と光を結ぶことに力を入れなければなりません。その結びは中心がなければなりません。
中心があるから動きが行われるのであります。この中心は腹であります。
腹がガッチリしていれば、心は正勝(まさかつ)、吾勝(あがつ)に精進できます。
練磨精進するときは宇宙と気結びができ、いかほどでも無限に技が出るようなものです。
植芝は、無限に技が出ると語っています。
その植芝の無限に出てくる技の教科書に登場していなかった技が、ジークンドーのワンインチパンチなのかもしれない。
ナイフ術も、植芝宇宙と気結びができれば、いかほどでも無限に技が出るようなものであろう。 石井のワンインチパンチを見てから、いろいろ石井のジークンドーの
エッセンスを聞いていたら、
自分の趣向としては、なんとなく、初期のブルース・リーの
グリーン・ホーネットの頃のジークンドーをマネしたくなってくる。
ブルース・リーの後期型ジークンドーより、
ホーネットの頃のジークンドーのほうが、一番かなって現在のところそう思っている。
アクション・シーンは、全体のストーリーの中で数十秒くらいなんだけど、
石井やヒロ渡邊が動画で言っている基本そのものを、
ホーネットでしていることがわかってきた。
足で相手の顔をとらえている姿が、まさにテキスト通りの形なのである。
ホーネットでのカンフーの動きが、そのままジークンドー入門的教科書に
なっていると思う。自分は、初期型ジークンドーと同じカタチができたら、
満足っていう感じだな。全部、キックもパンチも全部寸止めなんだけど、
ピタッと止めているところ、そして、その位置が、つねに教科書的位置であることに驚く。
アクション的にみていたら、普通なんだけど、その位置を見ると、まさに教科書の鏡を
見ているみたいだ。陰陽のまんなかをついている感じだ。
さらに陰陽のマークのたて線がS字のようになっているが、この一本のSラインも極意を
示しているのだろう。S字線上のラインを五次元ラインとなる。
このS字線上五次元ラインが、ジークンドー最奥儀なのだろう。
陰と陽がせめぎあうS字一本ライン上は、究極龍の線を指すのだろう。 この人、俺の敵のグループの人らしい。
>29歳の男が逮捕されました。
無職の依田一樹容疑者は今月20日、墨田区の公園で男子中学生3人に因縁をつけ、顔に膝蹴りするなどした上、「正座しろ」などと脅し、現金7400円を奪った疑いが持たれています。
https://youtu.be/DFhzrRZdMi4
天皇である俺・林田を停滞させつつ、天皇の権利を悪用し、自分らで利益を得ている人々の一人だそうだ。パチモノ、偽者、まがい物。昔から居るそうだ。
https://twitter.com/4YoGun/status/1509140608325406726
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 普通は、腹に膝蹴りだと思う。それが、顔に膝蹴りだろ。半分、本気だと思う。
顔に膝蹴りの次は、どこの膝蹴りが入るか。その次は、どこに膝蹴り。
ストレート・キックでなく、足を曲げてのけりだから、
ある程度、こうなるよっていう意味のヒザ入れだけど、
顔にするということは、ある意味で、
東西の文明の衝突くらいの意味があると思う。
気分がわるいとかでなくて、お互いの観念の違いからくるものでなく、
東の文明と西の文明同士が衝突した次元だと思う。
相手グループを倒しにかかってきているのでなくて、
相手グループの文明を倒しにきているかんじである。
質問しない記者は記者の仕事をしていないといわれる。
なんでもいいから記者は質問しなければならない。
人間にとってはつまらない質問でも、多様性を認める社会では、
人間にとってはきわめて重要な質問に変わるかもしれない。
新聞記者には、読者と国民のために聞く権利がある。
相手は、質問に答える義務がある。
なぜわれわれのグループは、この公園で文明の衝突をしたのか、
あなたのグループは、質問に答える義務があると、
ケンカの前に「義務の共通認識」を築いたほうがいいと思う。
義務もなければ質問もない。そこに力の大真空ができて、文明の衝突が発生する。
大真空ができたエリアに闘争が起こるのが人間である。
逆に、相手を倒したかったら、お互いの間に大真空を大きく作ることである。 854 名無しさん@一本勝ち sage 2022/03/28(月) 00:57:04.98 ID:tcP2rLhF0
https://youtu.be/3DiaVdlJ3L8 特殊部隊の武術はすごいなと思う。
特殊化されている。動画に上げられている国家では、
「舌は頭の知らないことを、たくさんしゃべる」という諺がある。
技も同じだと考える。
技は頭の知らないことを、たくさん技を出す。
とも考えられる。
舌のように技がしゃべるような多様な技。
技は頭の知っていることだけを、技としてしっかりと出す。
ジャッキー・チェンのように、しゃべりすぎる技もある意味でいいと思う。
国は、サーカスとパンを与えるだけでよい。
そうすると、MMAはサーカスでなければならない。
サーカスならば、頭の知らないことをたくさんしゃべる技のほうがいいと思う。
頭の中で知っている技があるが、それを大事な場面で技がしゃべらない。
これも、こまることである。大事な試合でもしゃべれるように、
常日頃の練習で、技をしゃべらさなければならない。
特殊部隊の特訓をみたら、武蔵ならば、「舌は頭の知らないことを、たくさんしゃべる」と
つぶやくだろう。ワンインチパンチは「透っている」という感じでしゃべらない技のような気がする。 特殊部隊のかなり実戦に近いというか、ほぼ実戦の練習みたいな
動画を見ていて、「舌は頭の知らないことを、たくさんしゃべる」と書いたけど、
どうしてこのような喩(たと)えが出てきたのかなと思うと、
動画の国の言葉がわからないから、技の仕組みの説明というか、声の部分が
わからないから、「舌は頭の知らないことを、たくさんしゃべる」と思ったの
かもしれない。これが、言語が理解できれば、
「あ、そういうことなのか」「そう考えればいいのか」
「大勢で囲んだら、倒れたふりして、地面から股間に向かって棒でつけ」とか、
そういうセリフがあればいいのだが、言語が理解できないので、
動画全体の意味がわからなかったのかもしれない。
これはすべてにおいてそうだろうと思えてきた。
ライジンでも戦いは普通なんだけども、試合後、息をはきながら試合後の気持ちを
視聴者に伝えるから、こっちも同じ言語だからそうなのか、そう思うよとか共感的感動が
生まれる。ところが、いくら試合が凄くても、勝利後、リングの上で、
知らない外国語で叫んでも、感動が勝利した選手の気持ちの高揚まで、共通感動まで
いかないで、こう言っているのだろうと推測して共通感動しなければいけない感情のフィルターが
生れてしまうのだろう。ブルース・リーと同じ技をしても、
ブルース・リーがしている技と、ブルース・リーでない武道家がしている技に対して、
感情のフィルターがはいってしまっているので、どうしても素直に技だけを見ることができない。
技を魅せるためには、見る側の人間のフィルターをはずさなければならないのだろう。
しかし、自分で自分の哲学で、フィルターをはずしたら、その技がホンモノなのか、ホンモノでないのか、
そのフィルターをかけるべきフィルターもはずしてしまったら、逆の意味も発生してしまうだろう。
天才的武道家が、道場で生徒の動きをチェックすることは、大変であることが理解できてきた。 ブルース・リーの初期の頃の演舞を見ていると、
目隠しをして、詠春拳を披露している。
ところが、後半でのブルース・リーが登場する映画の中とか、
それ以外で、目隠しカンフーを披露していない。
目隠しカンフーができなくなったのかといえば、
目隠しカンフーができた上で、さらに目隠しはずしたカンフー、ジークンドーを
自分自身で進化させたのであろう。
普通に見れば、目隠ししないジークンドーから、目隠し詠春拳を披露すれば、
進化したと思うだろう。観客は、それを見てブルース・リーは進化したと思う。
しかしそうではないのである。目隠しをするカンフーから、目隠しをしないでするジークンドーが
進化させた型なのである。
これも同じで、宮本武蔵の戦いをいくら読んでも、ずっと一本の武術が流れていると
思うかもしれないが、ここが進化した、この箇所が進化したと
読者が理解したとしても、進化とは、宮本武蔵の心が判断していると考えられる。
一般的に見ると、目隠ししたジークンドーのほうが奥義に見えるが、
実は、目隠ししないジークンドーが、目隠ししたジークンドーの進化型なのである。
その進化型に、さらに目隠ししてカンフーをすると進進型ジークンドーとなる。
もし目隠し型ジークンドーを動画で見ていなければ、ジークンドーとは目隠ししない武道だと思ってしまう。
目隠しがあるときとないときがあるのなら、
ブルース・リーは、他にも多数の秘儀的トレーニングがあるだろうと推察するのが当然なのである。
陰の練習が存在するように、また陽の練習が存在する。陽の戦いがあれば、陰の防御がある。 よくわからないが、ボクシングのチャンピオンは、
勝ち続けるパターンがあるのだが、
格闘技には、そのパターンがない。
常にチャンピオンが風車のように変わっていく。
これは何を意味するのだろうか。
ボクシングは、通常、二本の腕しか戦う武器がない。
格闘技は、両手以外に、頭突き、あしけり、さらに横に倒して、関節、
チョークなど、カウントを奪う手技がボクシングよりはるかに多種多様である。
そのため、チャンピオンの座を守り続けることが難しいのかもしれない。
戦いに負ける要素が多いからかもしれない。ボクシングは、二本の腕しかないので、
その二本の技のみを鋭く磨けば、勝利を維持し続けることができるのだろうか。
技が豊富になれば豊富になるほど、決着の付き方が、比例して読めなくなるのだろう。
だから毎回ライジンの試合後、掲示板が荒れまくるのだろうか。
ボクシングは、試合が終わると、ファンは言い合いをしないで、結果だけを堪能するが、
ライジンの場合、試合のたびに勝つ選手が変わるので、
毎回ポールシフト、地軸逆転NからS極、S極からN極へと、
遊園地の回転ジェツトコースターみたいで、視聴後、格闘酔いをしてしまうのだろうか。 ヒロ渡邊がワンインチパンチを説明するときに、「重力」「重力」という。
天から「重力」、みたいなピラミッドパワーみたいな、重力が降りてくるみたいな
感じなことを言っている。
これはイチローの「振り子打法」的ワンインチパンチ的説明なのだろうと
思っている。人間の力でバットを振るのではなく、バッドのヘッドが
自然に当たるように、バットが振り子のように振れている途中に、
インパクトがあるという自然の教えが基本となる。
飛ばしたい、飛ばそうという欲望(左脳)があると、その願いとは逆に飛ばない。
振り子式スイングという、少ない力をもっとも有効に利用する「振り子の原理」を
用いて、イチローは振り子打法で打っている。
右腕が地面と平行になったとき、バットもその延長線上に伸びて、決してバットは上空を
指していません。もし上空を指しているなら、不必要な動作がどこかで入り込んでいるということです。
決して自分の手でボールを打とうとしてはいけません。 バットを使って、ヘッドの1平方センチくらいのスウィートスポットに、ボールの芯を当てねば
なりません。精度にすれば100分の1以下でしょう。方角にしても、これも100分の1以下でしょう。
角度にすれば1度以下で、フリーハンドで線を引く以上に困難な作業となる。
スイングとは、このようにたいへん精度の高い仕事が要求されます。
それを体にむずかしい制約をつけて行おうとすれば、よほどの精神集中ができないと
不可能です。振り子打法は、完全直線的である。インパクト前後でも50センチが直線軌道となる。
つまりヘッドが直線運動をし、合掌グリップによって手を返すことがないので、
バットのフェースはつねに飛球線に直角になっえいるのです。だから、方向の狂う要因がないのです。
バットは自分の力で振るものではなく、バットの振り子運動の周期に、腹筋の力を
利用して上体を動かせる。基礎段階では、このことを潜在意識に覚え込ませ、
体得して、はじめて超高級振り子スウイングが可能になる。シンクロナイズドスウィング型ワンインチパンチといえる。
バットが自然に振れる周期に合わせて、自分の体を大きく同調させる。バットは、決して自分の力によって
振るものではない。バットが振り子のように振れる周期に、自分の力を合わせてあげること。
重力といっているのは、周期の力のことを言っているのかもしれない。 矢地の試合を見ていると、組み付いている時間があるので、
ここでワンインチパンチをだしたらと思うけど、
那須川の場合、相手との攻防がはやくて、
ワンインチパンチを出そうかなと考えている時間がないなと思った。
2ラウンドにまともにアゴに相手のパンチが当たって、
腰あたりがグニャとなったから、どうしてヒロ渡邉の八咫烏にならないんだと
思った。八咫烏なら、よけれるはずだと思った。
日本一古いといわれている八咫烏派なんだから、
アゴに向かってくるパンチをよけれるはずなんだけど、那須川はよろけていたが、
すぐにもちなおした。逆に、相手が、後ろ足に力を入れず、前足のつまさきだけに力を入れ、同時にパンチが
アゴに当たった時、浸透系を使えば良かったかもしれない。ただ、まだ両肩のラインが相手の正中線に対し、
円弧を描いていた。アゴは、まともに正中だったみたいで、その痛みが、頭上の正中まで
届いていた感じである。3ラウンド。後ろ向きの大回転の大飛脚蹴りの連発だった。
3ラウンドに大技を連発して、審判の印象を良くしたのだろう。
きちんと、魅せる大技を披露している。オリンピックのアイススケートの大会でも、大技が
ラスト・ラウンドで大事である。松井章圭も最後の最後に、大技の大回転けりを
爆発させる。最後の土俵一枚にかかとがかかった時、逆転の大技をみせる。
松井章圭が、ダントツなのは、ここにある。大山倍達は言っていた。「華麗でなければカラテでないよ」。
首を絞めて、チョークや、関節をきめて、いためるのもいいが、最後の最後で、
ジャンプ、回転まわし後ろ蹴りをみせつけるキックは、華麗の一言である。
大山は常にいう。「スピード、ジャンプ力、一本一本の指の強さ」の八咫烏の三本足のように三拍子。 大山の説は、
小指で、自分の体重を支えれるようになったら、
一撃で相手を倒すことができるという。
手を握ったとき、小指にそれだけ力があれば、強い正拳を
打つことができる。そして小指で支えるぐらいの
体重が、一番、スピードが出るという感じで説明していた。
すると、それくらいになると、那須川のようなジャンプ後ろ回転まわしけりが
素早くできる可能性がある。
電車の吊り革に小指一本ぶらさがりながら、目的地まで行く感じで日々、練習しなさい
と、雑誌で言っていた。
そんなことを言っていたら、世界大会で、日本勢が負けだして、
その理論は撤回していた。
それよりも、回しけりをはなったあと、そのもどす足のかかとで、相手の顔を
すばやくける方法を伝授していた。往復あしけり連打である。野球でいえば、二本のバットを
同時に一振りする感じだろう。
松井章圭は、延長戦になると、この技を連発していた。
しかし、それくらいの技を持っていても、その技まで持って行くまでに、
拳だけで、相手を倒したほうが早いといえば早いのである。
ストリートには、観客がいたら、逆に困るので、目撃者がいないからこそ、
ストリートなのだから、観客にみせなければいけない美技は、必要はない。
貫技が必要なのだろう。作戦をかんがえすぎて、自分で作った穴に、落ちてしまう危険性もある。
戦いにおいて、戦略病もあると達人は言っていた。戦略病から抜け出す技も必要である。
一流になるほど、戦略病にかかってしまうらしい。だから、ヒロ渡邉のように、
戦う前に、八咫烏をイメージしていたら、いいだろう。 今回の渡嘉敷竹原畑山のYoutubeは楽しかった。 渡嘉敷竹原畑山と石井の対決は、おもしろかった。
かかとを90度に曲げて、クイッと上げて、力を拳に連動させるといっていた。
ここが難しい。パンチを繰り出しながら、両足を同時に前進させるのではなく、
パンチが当たった瞬間、かかとだけ上げる。
つまり、パンチが相手の胸をとらえていても、相手との両足との距離は変わっていない。
かかとを上げた分だけ、少し肩全体が、相手に対して距離が近づく。
そういう力の伝え方なのだろう。
これが、ワンインチパンチをしながら、両足も前進し、相手との距離を縮めながら、
力を伝えるのとは、力のベクトルが違うのかもしれない。伝わり方が違うのだろう。
ワンインチパンチは、相手との幅をつめながら、力を相手につたえるのではなく、
足はそのままで、後ろのかかとをやや上げて、力を伝える。
そういう感じなのである。ボクシングの場合、常にステップを繰り返しながらのフックなのだろう。
竹原が、「まあテコの原理だな」って言っていたけど、渡嘉敷と畠山は、
迷った顔をしていた。ジークンドーは、テコの原理ってどこでテコを使うのかなって思った。
https://www.atomlt.com/cstower/cms/wp-content/uploads/2019/09/02-695x515.jpg
竹原がジークンドーのコーチをしたら、「テコの原理」って説明しそうだ。 ヒロ渡邉が八咫烏流の
さやから刀を抜く動画をしていた。
さやから刀を抜くのってドラマで見ていたから、簡単だと思っていたが、
こんなに大変なのかって思った。
男は、刀を抜くのは、一生に一回だけって言われていたので、
そういうものだろうなって思っていたけど、さやからきちんと抜けないなと思った。
ある料理の名人の本では、一切、味付けはしないそうである。
包丁の切れ味が、料理の味であると言っていた。
その料理人の本には、調理の方法は、まったく書いていない。
ただ、材料によって、切り方を変えていた。
自分にとってジークンドーを語るとしたら、味付けはいらない。
達人の切り口が、料理の味付けとなる。そういう感じであろうか。
まったく味をつける必要はない。切り口が料理の味となる。
「味をつけるのをわすれているよ」といわれるくらいが達人のジークンドーだろう。
「徒然草」には、料理をする人を「包丁人」と呼び、料理することを「包丁」と呼んでいたらしい。 腰を切らない居合ってwww
そんな奴が口伝がどうのとかwww
ガチのコスプレ素人かよこのお爺ちゃんwww
久々に笑ったわ
これ日本の剣術関係者みんなポカーンと呆れてるか苦笑してるぜ ワンインチパンチを渡嘉敷が説明するのだけど、
ワンインチパンチをスタンド イット、そこにたって撃つを、
1メートルはなれて速度をつけてワンインイパンチを撃つとさらに強力ななり、
2メートルはなれて速度をつけてワンインチパンチを撃つと、
さらに強力になるということでしょう。
すると石井は、頷いていた。
走りながら、ワンインチパンチを撃つ場合、どの箇所で、足をふんばるのかわからない。
走り幅跳びのワンインチパンチみたいだなって思った。
ワンインチパンチ式棒高跳びも、渡嘉敷理論だったらあるなと思った。
石井が、足のつま先式ワンインチパンチもできるよと矢地に披露していたが、
見ている分ではわかりにくく、本人も、少し悩んでいた雰囲気だったが、
足のつま先から浸透させるのだろうと理はわかる。
ジークンドーの体系を直感的にに相対化しながら、そのうえで
「細かいことはまあいい」とそのジークンドーの体系に沿って拳をつきだす人間は、
どこかに香るような恰好よさが残るものである。
渡嘉敷が、2メートル・ワンインチパンチ必殺技を説明しているとき、
どこかに香るようなジークンドー性を感じた。
マラソン選手が、片手に水を飲みながら、先を急ぐみたいな感じで、走りながらのワンインチパンチも
可能なのだろう。 例えば、胸ぐらをつかまれ、あいている手で殴られたら痛い。
その時は、どうするか、相手に服をつかましたまま、
自分の手をその?んでいる腕に対して、回転させる。
上から下、下から上に腕があがってくるときに、ほどける。
その瞬間にワンインチパンチ等を撃てば、防御と迎撃ができるだろう。
そのまま腕十字でもいいけど。
胸ぐらを掴まれた時の対処法@【腕を巻きつける】
https://gobukaku.com/countermeasures-against-grabbing/ 達人?による腰切らずの居合とか初めて見たわw
腕と肩甲骨だけで抜く抜刀ってそれもう居合じゃなくない?w
もしかしてヒロ渡邊って素人チャンバラ映画を教材にして刀扱ってるの???w
https://true-news873.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_4a3/true-news873/m_upfl2540.jpg
やってるレベルが自称日本人の↑と全く変わらん
あとお弟子さんにふざけて刀身を当ててたけどああいう真似は絶対にしちゃダメだろ
本身の恐ろしさを何もわかってない
あんな恥ずべき真似をもし武術に携わる人が大ぴらに行えば界隈や一般社会から白眼視されるぞ
ヒロ渡邊が武術のド素人で助かったね 2006年頃にトウガとかいうアクションとCQCを混ぜたのを作って教えてたけど
たぶん刀の扱いはアクションや殺陣からなんだと思うよ。 ドラマで見ているからかもしれないけれで、
八咫烏派って影の軍団、服部半蔵とか、
柳生一族とか、ト伝、二の太刀は絶対になくて、
最初の一撃ですべてを決める一刀流とか、
そういうイメージが強いから、弁慶と牛若丸。
弁慶に対して、牛若丸は、橋のてすりに立って、回転しながら、
剣術を見せるのだろう。それも弁慶は倒した相手の武器を99本をもっていって、
100本目の1本を取るのに、いい相手が、橋を渡ろうとしていたところ、
失敗した。牛若丸は、何の用事で橋をわたるのかわからないけど、
準備もしていないところで戦って勝つのだから、牛若丸のすごさが理解できる。
ワンインチパンチは、牛若丸の技みたいなものだと思っている。
一寸法師の喩(たと)えも、秀吉も若い頃は、一寸法師ともいわれていたらしい。
一寸法師とは、町から町へと旅する念仏僧で、
町に行っては、人々の痛いところを鍼を刺して治療してあげていたらしい。
そして、影では、針を使って、暗殺もしていたらしい。
だから、一寸法師とは、暗殺者の意味もあったらしい。だから秀吉は影のネットワークを
信長の軍団において唯一、築くことができたらしい。 >>146
もうすでに起きてて辞めていった生徒はそれが原因だった可能性有 動画に出てたハゲた弟子も渡邊にとってはただのサンドバッグ役でしかないから
最悪斬ってしまってもいいと思ってるんだろうな あの師匠がジークンドー以外の事やってるときは見ない。 ヒロ渡邊ってド腐れジジイはなんでジークンドーで板の試割りやってんの?
ブルース・リーは古流中国武術・定番のインチキ試割りの類が大嫌いだからこそ
それらと一線を画す為に西洋型実戦武術であるジークンドーを編み出そうとしてたんだよね?
開祖の意に逆らうような真似してさ、しかも試割り用の切れ込み済み平板使ってさ
ヒロ渡邊は何がしたいの?詐欺師なの?ジークンドーコスプレイヤーなの?カルト宗教家なの? ブルース・リーは、inch Punch(インチ パンチ)で板を
割っている動画がある。
https://www.youtube.com/watch?v=aLDoHUKIFwU
ヒロ渡邊の動画を見ているかもしれないけれど、
関連した動画が、上がってくる。
ブルース・リーが、手で板を押して割る瞬間の髪の毛が、
逆立っている。
その板と拳に距離をとっているのでなくて、
板に拳をつけたまま、「エイ」っていう感じで、真っ二つに割っている。
加速する距離がない。
石井のワンインチパンチを矢地の動画で見るまでは、
板は割ればいいものだと思っていた。
見てからは、板に拳を密着して、割らなければそれは「ジークンドーでないよ」ってブルース・リーに言われそうだ。 急所攻撃が実用的なのは間違いない。急所攻撃を体得したMMA選手が最強だと思う。 菊野は、スキが見当たらないな。
ただ、間をとるからな。急所を防御するために、
試合でないから、距離をとるよ。
そして、相手が距離を縮めようと、足を移動して、足を上げて、地面に足をつけようとした
瞬間に、けりを入れるだろう。足をおろすとき、次のモーションに移れないから。
絶対に足をあげない、すり足で移動して、けりあげる。すり足なら、次のモーションに即座に対応できる。
https://www.youtube.com/watch?v=rcmVgjpFC-M 八咫烏流の
八咫烏(ヤタカラス)は、人名として八咫烏=頭(や)八(た)咫烏(からす)=頭八咫烏(やたからす)となる。
地名として、伊勢国矢頭香良洲→矢頭香良洲(やたからす)である。
伊勢=三重県には、現在でも、香良洲町がある。
http://www.ztv.ne.jp/benri/karasuzenntaigo.png
矢頭香良洲が八咫烏になったのか?
八咫烏が矢頭香良洲になったのかわからない。
矢頭香良洲だったら、香(か)おる=香港である意味で、連想的に合致している。 すり足は高等技術で、実際は弊害の方が大きいこともある
ってのを認識した上で練習する必要はあるよな
足払いとか投げ技対策としては良いけど、打撃オンリーだと弊害だけ取り入れてる人もいる
https://youtu.be/0sQUOA2feZM 八咫烏は、神代の文字で読まなければいけない感覚に思えてきた。
ある人物が、「太陽から来る素粒子は成層圏では左右にはじかれながら落ちてくる」
と言った瞬間、ああ、それは神代の文字の「カ」だと思ったと言っています。
すると、咫烏ー香良洲の「カ」は、その流れの「カ」なのかと思えてきた。
「ム」、生まれる。「ロ」、渦。
カムロギ・カムロミだとわかって、そのうずの方向に力を回しなさいという意味かなと
思えてきた。
ヤタカラスとは、
「ヤ」→極限や飽和の状態
「タ」→分離して分かれる
「カ」→カミをチカ<カ>ラの実体<ミ>とする
「ラ」→<ナガラ>のラ→けれども
「ス」→<ス>は、ススム、スッとなどからわかるように、「進行形」の思念
である。目に見え<ヌ>ぬカムアマの本来性にのっとって、飽和・安定の
方向へ極限<ヤ>まで進むという思念がワンインチパンチにこめられている。
「アマ始元量」の究極粒子「マリ」から五種類の「素量」ができる。
「イカツミ」→電気素量
「マクミ」→磁気素量
「カラミ」→力の素量
「トキ」→時の素量
「トコロ」→空間の素量
これらの五種類の素量は、究極「マリ」の複合素粒子である。
ヒロ渡邊の一本ゲタ式ワンインチパンチとは、この理法が隠されているのだろうか。 相手が急所を狙ってきたら、すり足でよけるだけでなくて、
同時に、手で、自分の腕で、その狙って接近する相手の腕を
はらってしまう。はらいながら、相手の胸に自分の片一方の肩を入れ込んで、
頭を隠しながら、拳を腹ににじり込む。さらに両足が左右に開いた瞬間、
さらに前進するか、片方の足の内側をけって、倒す。
それは、相手も読んでいるだろう。つまり、最初の急所攻撃は、
それが目的でなくて、誘いの武術の可能性もある。
誘いには乗れだけど、ストリートの誘いには乗るな。だと言えるかもしれない。
ジークンドーのその第一。
酒は飲むな。飲まれるな。
ストリートでは、誘いに飲むな。誘いに飲まれるな。 「勇気をもって中に入れ」
ヒロ渡邊が言っていた。
勇気をもって相手のパンチを頭で受けろ。
そこまで勇気をもって練習しろなんだろうな。
練習の練習でなく、勇気のための練習。一本ゲタの練習をしてから、
矢地の足のステップがやや変化しているように動画から見える。
しかし、ブルース・リーがみせる、あの華麗なるステップ。
モハメッド・アリは、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われたが、
あのステップは、ポップしているんではなく、
水面に波動をかけるような、忍者が水面を歩くような、
忍者が、堀の池の中を、竹の筒をくわえながら、静かに潜りながら近づくような、
呼吸の音までも消すような、ステップ。
城の天井を音を消しながら這うような移動。そして天井から垂直に降りたら、
すぐにまた、天井に、静かに速く戻る。
「忍のように勇気をもって中に入れ」「我の名は、霧隠才蔵」みたいな感じで。 ヒロ渡邊の矢地に対するアドバイスは、
ジークンドー・マスターは、このように見ているのかと
ものすごく勉強になる。勉強になるからといって、自分が、その通り
勉強になるだけで、それ以降は自分でも分からない。
自分は分かっているが、自分の中に住む架空のマスターが頷くかどうかである。
一回の試合を見ただけで、相手のクセは、大振りで、大振りのため、
振ったあと、自分の頭が、平均より、低い位置まで下がるので、
そこを上からどついたらどうかとアドバイスをしていた。
たまたまその時の戦いの戦機で、大降りになり、偶然、表面意識より力が
出過ぎて、潜在意識の止めようとする意識の範疇を超えて、
頭が必要以上に下がった可能性もある。いつも、いいところに腕を振ったあと、
頭が「はい、どうぞ」って後頭部を見せてくれるわけもないし、
チャンスだとわかれば、格闘をなめたことのある人間だったら、無意識に反応して、
どつけとセコンドから言われなくても、無意識が知っていて、どついていると思うし、
その意識を、相手の無意識もその心の動きをキャッチしていると思われる。
それぐらいの反応度がなければ、プロのマウンドに立っていないと思われる。
しかし、相手の拳を振った後の頭の位置を見ているなんて、すごいなと思う。
漁師で言えば、遠くの海面に魚が頭を出したり、クジラが背中から海水を噴き出しているところを
発見するような感じで、相手の頭の位置を見ているのが、ヒロ渡邊なのだろう。
自分の場合は、相手が拳を振ったあと、残っているもう一つの拳の位置や、足の動きが気になって、
相手の後頭部の緯度経度的GPSジークンドーを見ている余裕はなかった。 アクション映画監督の言葉なのだけど、
私の場合には、映像に相当するものが、人体という形で先に与えられている。
ブルース・リーの映画は、
映像に相当するものが、人体という形が材料として<先に与え>られているということになる。
実際のリングでの試合は、人体という形の材料よりも、格闘芸術の上での勝利が先に
与えられているのでなく、リングの上で奪い取らなくてはならない。
映画撮影は、映像に相当するものが、人体という形で先に与えられている。
そこから具体化の作業が主になるわけである。
だからそこでは、実際の試合と撮影のアクションでは、作業の方向が逆転していることになる。
アクション映画の中でなにかをありのままに伝えることなど不可能というのは、
当然の意見だが、世の常識は、ヴァーチャル・リアリティーもそうだが、
こちらは未来のものだという前提がある。ところが日常生活などは、
じつはVRそのものというしかない。
映画監督は、実際のリングの試合も、日常生活というヴァーチャル・リアリティーなのであると
ストレートに喝破しているのである。
ほとんどの現代人は試合を「現実」だと思っているわけで、それならすでにVRの世界に
住んでしまっているのである。そう達悟しているのである。
「夢の引用符」のなかで、映画のなかの夢は、映画そのものとまったく同じであると哲学を
述べている。映像の中でみる夢は、映像そのものと全く同じである。
この論理でいくと、映画の中のブルース・リーの動きは、
日常生活の現実のストリートと全く同じであるという論理に到達できる。 俺は、
ヒロ渡邉に本物のジークンドーを見せてもらった事がある。
そのストレートリードは想像を超えていた。
これは、本物のジークンドーなんだか!
本物のジークンドーは、
ストレートリードをやる時、その人物の背中を見ると分かる!そうだ。
本体がフィリピン武術でジークンドーの皮を被せたインチキジークンドーは、背中が板のように動かない!
本物は、
背中が螺旋状にうねるように動くんだよ。ウェーブするんだ!
そして、腹もウェーブしている。
これで、本物と偽物が分かる!そうだ。テッドウォンのジークンドーの動きとも違う。
1番、似ていると思ったのは映画【リボーン】のウェーブだよ。
この動きに1番似ていたね。 リボーンの攻撃とは、経絡攻撃理論なのだろう。
人体の循環エネルギーを破壊することにより、敵の行動を制圧する。
人体の循環エネルギーとは、経絡によって得られたものである。
それを水平に加撃することなのだろう。 経絡によって得られたもの、
その得られたものに中に、いろいろなものがあるのだと思っています。
武の達人がもつ、武者震いするようなオーラや、力の気のエネルギーです。
それらが人体を巡り続ける循環エネルギーの流れに石を軽く置いて、
流れをとめる。
それが、経絡にさだめるリボーンの技だと思った。
リボーンは、再復旧の意味だが、技は、ノー・リボーンの技といえる。
森の中で倒された相手は、リ(RE=LEE)ボーンしていないからである。 この罵倒されてもめげない雰囲気は
軍板のコテ 某研究者みたいな感じだな。 リボーン的にストリート上での戦いは、勝つという言葉を
持っていないのかもしれない。
主人公が、一人、部屋の中で、旧約聖書みたいな厚い本を開く。
スタート時点から、その厚い本が手元にあるのだけど、
主人公は、読書家だなと感心していた。その本は戦闘学の本ではなさそうで、
ハリー・ポッター風の本みたいであった。
ところが、最後の決戦の前夜、その本を開ける。明日、戦いの日だから、
心を落ち着かせるために、明日の一言を読むのかなと思ったら、
本の中から、サバイバルナイフが出てきた。
最後に頼りになるのは、文学ではなく、サバイバルナイフなのかって思った。
故に、リボーン的において、ストリート上での戦いには、
勝つという言葉がゼロなのである。ゼロ戦闘術において、相手に勝つという言葉もゼロなのである。
あるのは、サバイバルナイフと己の戦う心だけなのである。
戦う相手に対しても、ゼロなのである。戦う相手でさえも、ゼロの存在、
戦う相手は、未来においてもゼロ観念なのだろう。現在、未来、存在するのは、自分と手元にあるサバイバルナイフだけ。
八咫烏流みたいに、高天原の存在者は、自分とサバイバルナイフだけ。そういうサバイバルナイフで
研ぎ尽くされた存在コンバット・ライフなのだろう。
そして、勝つという言葉はない。ただ、明日のストリートの戦いは、制圧する。
その二文字だけなのだろう。主人公の頭の中は、敵に勝つのではなく、敵を制圧するという気持ちなのだろう。
敵を制圧することで、リボーンはリボーンして明日に向かって行くのだろう。
リボーンは、「明日に向かって撃て」の映画タイトルのように「明日に向かってリボーン(ネクスト・リボーン)」と主人公は言いたいのだろうか。 ヒロ渡邊の言う通りだった。
マスター・ジークンドーの言う通りの攻撃に
徹したほうがよかったのかもしれない。
立ってよし、だす腕のキレもよし、グランドになってからも、
パンチよし、スキが見当たらない。
唯一、あの強拳をヘッドで受けるしか、
攻撃の手をゆるめることができない。
怖がらすにヘッドで、相手の拳を受けろって言っていたけど、
それしか手段はないと思えてきた。
試合するまでは、頭を自分から出すなんてと思っていたけど、
ヒロ渡邊は、見ていた。
まあ、相手はそれも読んで、ヒザを顔面に当てるだろう。
それも矢地は読んで、あえて、ヘッドを出さなかったのだろう。
将棋の大山康晴は言う。
100回優勝は、ちょうど祖母が満100歳を迎えていたので
祖母へのプレゼントとして石にかじりついてでも達成したかった。
大山式チャレンジ100だな。 >>154
急所ありだとMMAは意味無し
くっついたら目潰しを食らったり、金たまを潰されたり
矢地がこの前やっていた
https://youtu.be/qomdEdcJS48 将棋の大山康晴は言う。
「将棋神への返事を用意せよ」
ジークンドーの場合、将棋神とは、ブルース・リーとなるだろう。
ブルース・リーへの返事を用意せよとなる。
大山が言う。
プロの棋士というのは、将棋を指すにも将棋盤も駒もいらない。
頭の中で考えるだけで十分に指すことができるのである。
たとえば私と弟子とで、次のような問答があったとしよう。
「あれからどうなった?」
「歩で取っていったのです」
「そうか、取って、取って、飛車がまわって、それからどうしたの?」
「交換して、打ち返したのです」
「そうなるわな。それで、どっちが形成がいいの?」
「それがですねえ、研究してみますと攻めているほうが苦しかったのです」
ブルース・リーも、シャドー将棋みたいにジークンドーの極意は、この
技を披露するのでなく、言葉で教え、言葉で理解できる状況なのだろう。
将棋の大山は言う。戦い抜いた将棋への「思い」が激しく燃えて、
むきになってぶつかっていくことができるだろう。
それが将棋神に対する私の返事である。
ブルース・リーへの返事を用意せよ。 ヒロ渡邊が、勇気をもって、ヘッドで拳を受けろという
アドバイスを聞いて、前回の試合を見たら、
その通りだと思った。他の技が出せる状況でなかった。
それを知ってから、ヒロ渡邊の術指導を見てみると、
何か、手を広げて、相手の頭をつかもうとしている動画があった。
ここでもヘッドにこだわりを見せている。
ヒロ渡邊のヘッドを突き出せという矢地に対するアドバイスがなければ、
見落とす場面なのだが、
手で相手の頭を、スイカのようにつかめと言うことなのかなって思えてきた。
ある意味で斬新だなと思えてきた。
相手も、自分の頭を指五本でつかまれると思わないから、一瞬、頭に神経が行き、
その間があいたところを、別の角度からの攻撃カウンターを狙うということなのかも
しれない。 金的関係ねーんだから自分で試合で試せよ
ブレイキングダウン出ろ バッティング恐れるな。
というかプレイスタイルがやさしすぎる。 矢地は、
ヒロ渡邊の一本ゲタ式トレーニングしたんだけどな。
相手は、その上を行くハードパンチだった。
矢地が、家で試合を見直したけど、
どのパンチが効いたのかわからないって言っていたけど、
その通りだと思う。見ていても、相手は、いいパンチを放っていた。
ヒロ渡邊が言っている通りの、脱力しながらの当る瞬間に、
ちょっとねじるようないいパンチだった。
相手のパンチと同時に、へそあたりに、
押し込むようにシンプルに前キックだったなとも思う。 平良が石井とトレーニングをしていた。
パンチを二回出して、相手の飛んでくるパンチの下を
頭でくぐるみたいなトレーニングをしていた。
石井がやった、パンチでロウソクの火を消すトレーニングをみてみたい。
平良がパンチを出したとき、ロウソクの炎の揺れで、
キレがわかるだろう。 ジークンドーとシステマの交流をしていた。
将棋の大山が言う。
人間とは、相手にかなわないと思いはじめると、時計のハリが元にもどらないと同じで、
どうにもならないものであると心境を語っている。
石井がジークンドーの技を説明していると、心が時計のハリのようになってしまう感じだ。
心の時計のハリが元にもどるような拳ではだめである。 矢地の試合後の家からの説明の中で
動画を再生したが、パンチが効いたのは覚えているが、
見ても、どのパンチが効いたのかわからない。
と言っている。
とても気になる。矢地ほどのベテランがどのパンチが効いたのか
わからないということは、その一発以外は、
効いていなかったことになる。
その幻しのパンチを矢地が習得すればいいのである。
何度も動画を見直して、世紀の一発のこぶしの出し方、腰の入れ方、
足のジークンドー的ステップの配置、リズム等、
自分自身に手に入れたらいいのである。
ジークンドー奥義、相手の最高の拳を取得する奥義その1なのである。
その一発だけ覚えればいいのである。それこそがジークンドーの道である。
燃えよドラゴンなのである。 このからんだヒモを解くことができれば、
未来の王となるだろうといわれていた。
少年アレキサンダーは、その永遠にほどくことができないヒモを
見て、剣の一刀で斬ってしまった。
少年アレキサンダーは、洗脳されない目をもっているといえるだろう。
そのような目を持ちながら、ジークンドーの道を歩まなければならないだろう。
ヌンチャクの鉄のくさりをはずせれるか。
ワンインチパンチのくさりを解くことができるのだろうか。 >>154
俺はこの疑問を知りたい
0355 名無しさん@一本勝ち 2022/05/07 01:15:11
朝倉未来の最新の喧嘩自慢を見てほしい
朝倉が何度も金的をもらっていた。そして金的ガードがない状態でのスパーを極端におそれていた
なんでもありのストリートファイトで生きてきた朝倉が!である
総合格闘技をやることによって金的のガードが甘くなるということはないだろうか?正中線を守らないのか?極めれば極めるほど金的以外のガードは鉄壁になる分、金的だけはもらいやすくなるのか?
喧嘩の時はどうしてたのだろうか? そんなこと言ったら石井東吾も朝倉未来とのスパーでタックルありでいいですか?って言われてなしでお願いしますwって石井は答えてたぞ
ストリートでタックル来たら終わりじゃん石井 未来も、動画で石井にワンインチパンチを教えてもらっていた。
50人と戦ったって動画で言っているけど、その50人だった人間が、誰も、
それは自分だったと出てこないところが、金的をよけられないより、
そのほうが気になる。当時の50人の一人が自分でしたって誰も出てこない。
当時の話を自分は、動画で聞きたいと思っている。
この金的を狙っていた相手は、実は石井との練習の動画だったのではないかなと思う。
ブルース・リーの手書きで描いたフォームを見ると、地面からひじの位置、ひざの位置、正中線、全部、
定規で線を引いているんだよな。ブルース・リーは、定規で、ひじ正中線、ひざ正中線と、
線を引いて、こういう移動をしなさいとノートに写してある。
そのこだわりには、驚く。そうすると、未来の戦い方を見ていると、
ひじ正中線、ひざ正中線など、まったく関係なしでランダムな動きをしている。
未来は、カラテをやっていたので、カラテの型を自分で壊して、自分の型を作って、
現在のランダム(手当たり次第)になっているのであろう。
型に入り、型を出る。その境地なのだろう。出た型から、また型に入る。 タックルしてきた人間に、
ワンインチパンチをしても、からだごと、
吹っ飛ばされると思う。ブルース・リーなら、
タックルをそのまま、全身で受けて、ぶっ倒れていると思う。
特に、やばいのが、アメリカンフットボールで問題になったけど、
コーチがなんでもいいから、相手を倒したら、試合に出場させてやると声をかけ、
すると生徒は、歩いている選手の背後からタックルをした。
絶対に、背後からのタックルは、ジークンドーでは、無理である。
二刀の武蔵でも、背後からのタックルは、姿勢が崩れると思う。
まあ、背後からの攻撃を見抜いて、そのまま相手の頭に腕を回して、チョークでしぼむしかないかも
しれない。そして、両足をジャンプさせながら、頭をアスファルトに落とす。
それぐらいしか考えられない。うまく自分の作った腕の輪に、相手の頭が入ればいいのだが。 ストリートで、ハイキックをみせるのか。
ここが醍醐味だよな。この最初のハイキックをならしでみせるだけで、
周りを囲む人間は、理解する。
ハイキックがローキックみたいだったら、ストリートが開始されない。
また、キックがうまければ、横のイスの腹をキックで、チョコンと打っただけで、
相手は、理解すると思う。
もしかして、わざとチョコンとけりあげたんじゃないのかって相手は思う。
天心だったら、わざと、チョコンと、レストランのテーブルをつま先でけって、
あイテテとやりそうである。それだけでストーリーが相手の頭の中を、流れていく。
人間とは、昆虫がこっちに飛んでくるのではないかという反射する神経を本来、
備わっているので、逆に小さな動きを見たほうが、相手は筋肉が硬直しやすくなる。 ブルースー・リーは「水になれ」
と言う。
ある詩人は語る。
「腹の奥底から生ける水の河が流れるようになる」
ジークンドーの戦いにおける運動は、「生ける水の河」である。 顔面ガラ空きのフルコンじゃリーの突きは目ないだろう ゴッド・ハンド大山は、真剣白刃取りした。
相手の指を真指白刃取りをすればいいであろう。
大山が言うには、真剣白刃取りの練習なんてしたことはなかった。
山奥で一人で練習をしていたら、林の中から突然、
真剣を持った男があらわれ、とにかくとっさに手を出したら、
真剣白刃取りができていたと言っていた。
練習していなくても、とっさにできたと言っていた。
ストリートでは、そのための練習でその技を出そうという技では、
強敵は倒せないといえる。とっさに出た技、自分でも思いもしなかった技が、
相手を倒す。つまり、練習場で練習している技は、
ストリートでは、技にならないと思って、練習することで、
ストリートで間一髪の技が繰り出せるのだろう。
実戦を想定して練習していると、その技は、ストリートでは、己の命を最短距離に走らせる
可能性があるだろう。最長距離の練習の技が、実戦では最短距離の勝利の技となる。 ゴッド・ハンド大山は伝説がすごい。
戦後、アメリカ兵がジープで走りまくっているときに、
アメリカ兵をこぶしでなぐっていて、
アメリカ軍の基地内でうわさでもちきりになっていたというのは、すごい。
大山が外を歩いている時は、外出禁止になったらしい。
ストリートを超えている感じがする。
今では、正拳が来たら、ローで対応する。
キックできたら、クロスさせてヒジで相手をとらえるって、
訓練しているから対応できるが、当時は、モロに攻撃を
受けたらしい。大山のすごいところは、関節技は、カラテじゃないよと
いいきっているところである。
つまり、拳を当てて倒すのがカラテだよ。
相手を倒して、さらに関節技に持ち込むのは、カラテではない。
関節技にもちこまなくても、蹴りあるいは、拳できめるのがカラテであると
言っている。華麗でなければカラテとは言わないと大山は言っている。
大山は風姿花伝みたいなカラテを求道していた。 「朝鮮人は、自分がついたウソを信じ込むねん。
差別とか、歴史がどうとかいう時は、
ぜんぶウソやで」 アメリカで最初にカラテを広めたのは、大山であった。
ビールビンを手で割ったのも、大山が最初のパフォーマンスであった。
そこからK-1のカラテが派生してくる。
コロンブスのタマゴみたいに、
このタマゴを立ててみろと言われても、だれも立てることができないところ、
コロンブスが、テーブルにタマゴを押しつけて、立てた。
それを見て、自分もできると言えるのは、誰でも言える。 「朝鮮には、誇れる歴史があれへん。
そやから歴史を守ろうとせんで、
かってに創ろうとするねん」 第二次世界の敗戦後、
日本の経済は、停滞し続けていた。
そこに、朝鮮戦争が勃発し、
朝鮮戦争特需が発生し、そこで、日本経済のカーブが上がり出した。
もし朝鮮特需がなかったら、日本は経済大国第三位にはなっていなかった。
朝鮮半島で戦争が起きたため、米軍が日本で食料、日用雑貨を買ってくれた。
アメリカ本土から、船で運んでくる時間がないから。
朝鮮半島が紛争勃発エリアに一番近い場所にあるから、
アメリカが、日本の経済の復旧の手助けをしてくれているわけで、
ハワイみたいに周囲に紛争地帯がなければ、アメリカも日本の経済なんてアテにすることはない。
朝鮮特需のおかげで、日本の経済は立ち直った。銃砲を聞いたら、株を買え。
銃砲が鎮まったら、株を売れ。 「朝鮮人は、劣等感のかたまりや。
おのれの自尊心が傷つく事を一番恐れとる。
だから自分にウソをつくんや」 動画で「行く行きて神軍」をみた。
ある男が、いろいろな男に会いに行く。
ある観光地のソバ屋に行く。
今、昼の時間でお客で忙しいという。
ある男は、畑を耕している。
そこにも、男が行く。
なぜ行くのかというと、あんた、あんたの兵隊の仲間を食べたやろという。
終戦ということで、島から退却することになるのだが、
岸まで歩くのに、体力がなくて、同じ仲間を食べて、
体力をつけたらしい。それを追求した動画であった。
相手の男は言う。「仕方がなかった」と。
つまり、仲間の兵隊を、食糧として、ジャングルの中を連れて歩行していたらしい。
それは、どこの部隊も同じことをしていたらしい。
男は言う。「自分が戦地をしたことを、はっきりとみんなの前で言え」と。
しかし、戦時中と戦後とは、状況が違うと言う。
男は、あんたに、こっちに来いと言って林の中に入り、
背後から撃たれ、その人間は、浮かばれていない。
今も、夢の中に出てくる。日本の兵隊は、仲間を食料として食べていたのである。
敵に撃たれて戦死したのではない。あんたの隊が、みんなで食べたのだと叫ぶ。 「朝鮮人は、他人のものは自分のものや思とる。
盗みがばれてもケロっとして、返せばええやろって
いいよる」 「朝鮮人は、
強いもんには笑いながらすり寄りよるけど、
弱いと思たら、襲いかかってきよるで」 「朝鮮人はな、
さんざん日本人をイジメたり悪口言ったりしてるくせに
自分の都合悪くなるとヘイトだのなんだの言い始めて
ゴールポストづらすねん」 ある動画では、
洞窟があって、その石の壁には、
紐でくくられたたくさんの武術の巻物で、壁が作られている。
それを男は、回転しながら、上空に舞い、剣先で、すべての巻物のひもをきる。
巻物が雨が降ってきたかのように落ちてくる。
そして最後に頭上から落ちてきた巻物を、剣で受け取る。
そして男は、武術の極意を知ったとつぶやく。
是れ、ジークンドーなりか。 この武道の極意がわかったとつぶやいた男が、
相手に向かって、剣を腰に当てて、向かっていくとき、
小雨が降っている。
その小雨が、石畳に落ちると、水滴の波動が起きるのだが、
その波動が作る拍子と同じリズムで、自分の足で、相手に向かっていくところが
すごいなって思った。
しかし、実際は、武術の達人は、一歩も動いていないのである。
相手は、それを頭の中でイメージされ、相手は、この勝負はしないほうがいいと思い、
戦いを避けるのである。
自分も、動画を見た後で、こうなることはわかっていたと頭の中にイメージを描いていた。
いや、頭の中にイメージを描かされていた。 突然、小雨が降り出した。
龍と水は関連がある。
龍のあるところ、雨が降る。
雨が降るところに、龍が来る。
ドラゴンには、雨があうのである。
雨と会話できれば、洞察力が湧きあがる。
雨の一粒一点においても武術は、影響し合っているのである。 ブルース・リーが創始したジークンドーとは、
「変化を求めて動いている」
という武技なのかもしれない。
変化を求めている武技ではなく、
変化を求めて、動いているといえる。
ブルース・リーの技は、技が技として成立しているのではなく、
変化を求めて、動いている技なのである。
技がタオ化しているので、一点だけを押さえていてはだめで、
一点一点を押さえながら、次から次に技が移行しているのだろう。
そのため紐のようにつながりがある。全体としてつながりができている。
その技の数は8×8=64 つまり易卦が64象で一巡するように、ジークンドーの技を64技で
習得すれば、64卦、変化を求めて動いているジークンドーとなるかもしれない。
1卦から64卦へ流れ、64卦から1卦へと始まる。
ジークンドーは64技を修得し、次から次に流れるように技流しをすればいいだろう。
その多くあるジークンドーの技の中から64技をきめるのが、己自身かもしれない。
その64技を一技一技、日々磨いていく。龍心。龍の心である。
ただ、64×8としてさらに八卦を掛けても、それもいいかもしれない。つまり8の倍数的に
技を増やしていけば、其(そ)れドラゴンなのである。其八。 大山カラテ、
大山は、零戦闘機のパイロットであったという
エピソードがある。
大山のツキの出し方は、ゼロ戦が、空中で戦う時のマシンガンみたいな感じだと思う。
どんどん撃て。
戦争中に生活していたので、本土決戦を想定して、
大山式カラテを一つずつ作り上げていったのだろう。
ブルース・リーの場合、本土決戦を想定はしないで、
ストリートにおけるファイティングを想定している。
電燈がともっていない、暗がりでのストリートを想定している。
そのために技が一つ一つ似ているようで、想定している形式が違うので、
技に違いがあるのだろう。
本土決戦での武技と、ストリートに特化した武技が違ってくるだろう。
本土決戦の場合、周りの仲間を鼓舞させる武技でなければならない。
本土決戦型ジークンドーを創出するならば、それは、リーサル・ジークンドーとなるだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています