[江戸しぐさ分流]天心流スレ35[裏口柳生?]
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※現在執拗な荒らしが常駐しているのでワッチョイを試験的に導入しました 天心流兵法 http://tenshinryu.net 天心流Twitter https://twitter.com/tenshinryu ※テンプレ参照スレ 【江戸しぐさ分流】天心流スレ30【裏口柳生?】 https://itest.5ch.ne...cgi/budou/1606736028 前スレ [江戸しぐさ分流]天心流スレ34[裏口柳生?] https://itest.5ch.ne...cgi/budou/1610885126 忙しい人用 天心流による自称一覧 ○江戸柳生(史料なし) ○江戸伝天心流(史料なし) ○宝蔵院分流陰派(史料ない) ○裏柳生(史料なし) ○古武術(史料なし唯一の公式見解は抜刀道連盟による大道芸) ○士林団(史料なし) ○無形文化財(指定なし) VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvv:1000:512:: EXT was configured https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 改訂【天心流兵法 伝系への疑惑について】 天心兵法は以下の伝系を主張していた。 国富忠左衛門→国富弥左衛門→国富弥五左衛門→国富五郎衛門→石井家三代→中村天心 そして、幕末に「国富五郎衛門」から石井家に伝承された時をもってはじめて関東へ伝わった。 (2014年7月 天心流公式サイトリンク http://tenshinryu.net/about.html ) ※魚拓採取済み しかし、国際水月塾支部の現地調査により 以下の事実が明らかにされた(2017年7月) ・幕末の国富家、及び福本藩の士籍に「国富五郎衛門」の名は存在しない。 ・国富家は幕末まで代々「忠左衛門」しか名乗らず、国富姓も福本藩にはその一件のみ。(=分家はなし) ・国富家の子孫は現在も関西に在住している。 これに対して、突如、天心流兵法は自分達が天心流の「江戸伝系」であることを主張し、水月塾の調査は「関西の伝系」だから別物だと反論した(2017年8月)。 国際水月塾支部の調査発表以前は、国富忠左衛門の名を代々が襲名していたことは明らかであったものの 幕末最後まで国富「忠左衛門」の名が受け継がれていたことは不明であったが、 国際水月塾支部の調査によって初めてその事実が判明したため、 天心流兵法の「江戸伝系」とは福本藩の国富忠左衛門家とは別の国富家の系統を発生させてしまっていることになる。 現在まで「五郎衛門」ら国富姓の人物及び、その別系統の存在の証拠は一切提示されていないどころか、公式ホームページを書き直し >五世(実質は七世、または八世)の国富五郎衛門師は、幕末の動乱期、徳川の世を憂いて柳営護持の影の剣を後世に遺すため、 >石井家に流儀を託し、天心流は関東にて香具師の世界で伝えられる事となります。 新たに主張した江戸伝系と矛盾する「はじめて関東へ伝わった」という部分をこっそり削除し、(はじめて)香具師に伝わったとミスリードさせようとしたが、 公式ブログ「古剣法保存普及会」2016-10-24 >江戸期には石井家は武家にて、香具師の元締め時代はあくまで先代のみというのが正確でした。 このように史実の国富家系図と矛盾しているだけでなく、天心流が自分で公開してきた内容とも矛盾だらけなのである。 【検証】天心兵法は江戸柳生及び、三日月・福本藩の天心流と縁もゆかりもないだけでなく、 歴史的に剣術流派であったはずの天心流が抜刀術を主とする体系に変質していたり、 川村景信氏や井上氏(三日月藩士の子孫)の所有する目録とは技や伝承内容が全く一致しないこと、 三日月藩・福本藩は討幕派なのに対して、天心流兵法は裏柳生を称し、葵御紋を使用する等、 数々の歴史的事実との矛盾を露呈しているため、 「伝系の正当性を証明できないのに、却って開き直って色々怪しい伝承を付け加えてる団体」 「真っ当な古流というには根拠がない怪し過ぎる団体」と指摘されている。 【宝蔵院流詐称疑惑〜宝蔵院分流陰派(宝蔵院流中村派)に関して】 【江戸柳生分流?】天心流スレ10【浴想伝天心流】より http://hayabusa6.2ch...gi/budou/1497706433/ ※リンク切れ。スレ名でググれ >宝蔵院の話しが出てきて思い出したけど、昔水道橋の尚武堂に中村氏の写真が飾ってあって、そこには宝蔵院流中村派って書いてあったんだが >尚武堂使ってた人なら覚えてると思うんだけどね >中村派とは珍しいと思って電話で問い合わせたら、天心氏いきなりきれてギャーギャー言い出して、電話切ってしばらくしたら折り返しがあって >酩酊しててすいません >て謝られたんだけど、当時からあそこはみたいな話しは聞いてたんで、やっぱりなと・・・ >尚武堂のおばちゃんに聞けば写真覚えてるんじゃないかな →天心兵法関係者の調査により、大阪大学に所蔵されている国富忠左衛門筆の「天心流直鑓」の伝書が発見された。 しかし、天心兵法が伝承していると主張している槍術は 宝蔵院流初代胤栄との交流により柳生家に伝えられた「宝蔵院分流陰派」である。 また、かつては宝蔵院流「中村派」を名乗っていたとの指摘もある。 →宝蔵院流の十文字槍・薙刀術に対し、「直鑓」という矛盾と、 そもそも天心流の直鑓が伝えられていないこと(失伝?) もっとも重要な点は、国富家の天心流に伝えられていたのは上記の伝書の通り、 「天心流直鑓」であるにもかかわらず、一体いつ何処で宝蔵院分流陰派と称する槍術が発生、入れ替わったのか、疑問が呈されている。 因みに、宝蔵院流関係の古伝書・史料には、宝蔵院分流陰派や中村(天心)派についての記載や実在を証明するものは一切存在していない。 【宝蔵院流詐称疑惑〜宝蔵院分流陰派(宝蔵院流中村派)に関してその弐】 公式ブログ 伝書について 2014/06/21 01:18 >当流に伝わる槍術(素槍、十文字槍)、薙刀術は「遠祖(柳生石舟斎師の事)と上泉伊勢守と槍術初代(覚禅坊 胤栄)の交流の中の >短く、九尺の傳槍法の技法」と伝書に書かれていたもので、石舟斎師から宗矩公(伝書では「若」と記載)へ、 >そして宗矩公より時沢弥兵衛師へと伝わった技法です。 >これがまさしく宝蔵院流の伝法を受け継いだものと呼べるのかはわかりませんが、やはり新陰流、あるいは柳生家の新陰流という流儀の中、 >そして天心流兵法という流儀の中に含まれた以上、流儀の矩というものの影響は少なくないはずですし、 >そもそも分流と明記している事からも、その事は明瞭なのではないかと思っております。 >或いは天心流流祖時沢弥兵衛師が柳生宗矩公伝の槍術を宝蔵院流に仮託して名を付したのかもしれません。 >また伝書にはどうとでも書けるのですから、後世の仮託という事もあり得ない話ではありません。 >(ちなみにこの記事は一週間以上程前に下書きしてあったのですが、 >その直後に奇しくも2ちゃんねるでも「仮託」の文字を使ってその可能性を指摘する書き込みがあり、 >夢遊病で自分で書き込んだのかと思うほどでしたが、 >ともかく言葉を引用させて頂いたわけでは無い事を付記致します) →柳生家の伝承や新陰流史にも一切記載がなく史料的根拠がないにもかかわらず、 柳生家に伝わった宝蔵院分流陰派槍術を称するため、柳生宗矩創作の居合と同様に捏造であると指摘されている。 (細かい指摘ではあるが、一般に使用される「支流」や「分派」ではなく、「分流」という用語や流名は天心流独自のものであり、 また流儀名に分派であることを冠する流儀は特異であるため、流儀捏造の証拠の一つとして考えられている。) また、現存する柳生宗矩筆の柳生新陰流伝書「外の物ノ事」の記述には、 柳生石舟斎の門弟でもあった、伊岐遠江守真利の「伊岐流」の影響が色濃く認められることから、 柳生家に外の物として伝承されていた槍術は、天心兵法が主張するような宝蔵院分流陰派槍術でもなければ、 宝蔵院胤栄との交流から石舟斎へ伝えられた技術ではありえないことが指摘されている。 →柳生家の伝承や新陰流史にも一切記載がなく史料的根拠がないにもかかわらず、 柳生家に伝わった宝蔵院分流陰派槍術を称するため、柳生宗矩創作の居合と同様に捏造であると指摘されている。 (細かい指摘ではあるが、一般に使用される「支流」や「分派」ではなく、「分流」という用語や流名は天心流独自のものであり、 また流儀名に分派であることを冠する流儀は特異であるため、流儀捏造の証拠の一つとして考えられている。) また、現存する柳生宗矩筆の柳生新陰流伝書「外の物ノ事」の記述には、 柳生石舟斎の門弟でもあった、伊岐遠江守真利の「伊岐流」の影響が色濃く認められることから、 柳生家に外の物として伝承されていた槍術は、天心兵法が主張するような宝蔵院分流陰派槍術でもなければ、 宝蔵院胤栄との交流から石舟斎へ伝えられた技術ではありえないことが指摘されている。 【天心一刀流 四代目 中村天心について】 「天心一刀流 第四代 中村天心 東京都三鷹市」(綿谷雪『武芸流派辞典』より) >ちなみにこちらでは天心一刀流となってますが、これは剣(限定)での名称です。 >全体では天心流兵法、剣の時のみは天心一刀流を称するとの事。(※天心兵法前代表、鍬海氏発言) ・本来の国富家の天心流の剣術は「天心流(天心流剣術)」(当たり前。史料や現地調査から確定事項) ・そもそも、総合武術A流派のこれこれ一部の武器術はB流派と称します、というのは 尾張新陰流の居合が制剛流居合という場合と同じで、元々全く別流派の場合にそういうのであって、 天心一刀流剣術が、国富家の天心流剣術と無縁の別流派と主張していることも同じである。 ・新陰流系統であるのに「一刀流」という大きな矛盾。 ・江戸初期から幕末まで続いた剣術流派であるにもかかわらず「四代目」を数え称する点。 以上より、現在の天心流兵法には、 中村天心で四代目を数える「天心一刀流」なる剣術、柳生宗矩創案と主張する居合術、 同じく、柳生家に伝えられたと主張する宝蔵院分流陰派槍術が存在するのみで、 国富家の天心流剣術の伝承が確認できないことが指摘されている。 【伝系創作疑惑――中村天心「九世」について】 (参考)天心流兵法公式サイトより当該団体の主張する伝系図 https://tenshinryu.net/?page_id=15 「流祖時沢弥兵衛ー国富忠左衛門代々ー国富弥左衛門ー国富弥五左衛門ー国富五郎衛門ー石井家三代ー中村天心(天心兵法9世、天心一刀流4代目)」 国際水月塾支部の現地調査通り、正しくは、幕末まで「国富忠左衛門」が伝系を受け継いでいたことが確定事項であり、 「国富弥左衛門、国富弥五左衛門、国富五郎衛門」は創作伝系濃厚であることを前提として把握した上で、 初代時沢弥兵衛から数えて、中村天心が9世にあたることは「国富忠左衛門代々」を一代として勘定しない限りは不自然であり、 天心兵法立ち上げ時点で、国富忠左衛門の伝系が何代続いてるか不明であったことから、 「国富忠左衛門代々」という形でまとめ上げ、中村天心9世に繋げるべく伝系を創作し、 国富忠左衛門家の天心流伝系に継ぎ接ぎした作為の可能性が指摘されている。 >天心流兵法流祖 時沢弥兵衛は代々同名を継いだ事です。 >流祖が何代目の時沢弥兵衛なのかはわかりません(鍬海前師家発言) と、自流の流祖のことにもかかわらず何代目かわからないなどと、後付けの苦しい言い訳で逃げている。 さらに、時沢弥兵衛、国富忠左衛門、さらには関東に天心流を伝えたといわれる石井恒エ門までも皆が皆、 三家ともが代々同名を継ぐ者で構成されたという、偶然にしてはあり得ない不自然な伝系のために、 史実記録との矛盾や時代的齟齬を誤魔化す作為があることが指摘されている。 ※神君伊賀越えに随行したといわれる34名の中に時沢弥兵衛は当然含まれていない。 ※国富家とは異なり、時沢家が代々同名を受け継いだことを証明する史料は一切発見されていない。 あくまで天心兵法独自の新主張である。 【天心流が公開している流派の成り立ちの変遷と矛盾について】 2011年12月15日の公式ブログより >流祖時沢師は柳生宗矩公に新陰流を学び、後に分流を許されて独自の兵法を編み出し >これを天心流と名付けて弘めたと云われています。 2014年7月30日の公式ブログでは >時沢師は、宗矩公の工夫された二百数十の技法を整理して天心流を編み出したといわれています。 >ですから新陰流分流でありつつも、その技法は何より宗矩公の独自の新陰流なのです。 前者は、後に分流を許されて(時沢師が)独自の兵法を編み出した 後者は、宗矩公が工夫された二百数十の技法を(時沢師が)整理したのであって 天心流を編み出したのは実質宗矩であり、宗矩公独自の新陰流である、と 独自の工夫をした部分の主語が全く変えられており完全に矛盾をきたしている。 このように「江戸伝系」の新主張や、時沢家が代々同名を世襲するという新主張以外にも その度に根拠を提示することもなく、一貫性なく、都合により自説を改変していることがわかる。 【天心流が公開している流派の成り立ちの変遷と矛盾について 其の二】 2012年4月27日の公式ブログより >もっとも林崎以外にも居合の語を用いる流派は御座いますし、 >当流遠祖であります柳生宗矩公も伝書の中で「居相」と漢字は異なりますが用いております。 2014年7月30日の公式ブログより >伝書には遠祖を宗矩公ではなく柳生石舟斎としていたようなのです。 >宗矩公はどちらかというと真祖とでも表現すべき存在といえます 2012年の段階では、宗矩公を遠祖と言っていたにもかかわらず、 2014年には、石舟斎が遠祖になっており、宗矩公は真祖に変わっている。 僅か二年の間に設定が改変され、遠祖を宗矩から父親である石舟斎=宗厳に繰り上げ、 天心流の系譜に遠祖=石舟斎、真祖=宗矩公と、柳生家の高名な人物を取り込むことで江戸柳生分流設定を強化したと考えられる。 →天心兵法の型名称のひとつ「蠍の尾返」について、「さそり」が江戸期には一般的な単語ではなかったため、 捏造創作の重要な証拠の一つとして挙げられている。 また、このほかにも各型名に諱名(いなみな)を付す天心兵法独自の慣習の不自然さも指摘されている。 例)技法は柵太刀(しがらみだち)。隠字刀法の名称で、諱名(いなみな)は「袈裟乱」「四方切」を冠する 立合抜刀術勢法の七本目になります……内輪の呼び名であり、外には隠字刀法という隠し名を用います云々 【他人を卑下〜天心流兵法第十世による匿名掲示板での他流誹謗中傷疑惑】 古武術 天心流兵法【TSR】@tenshinryu 「他人を卑下しないと保てない自尊心など捨ててしまえ」 天心流兵法 第十世 鍬海政雲 2020年2月4日午後4:47 【異端?】修心流居合術兵法 修心館【色物?】九 878 :名無しさん@一本勝ち:2019/05/20(月) 23:56:09.97 ID:8ZI3kKpl0.net 町井さんっていつも、誰かを卑下したり馬鹿にしてないと平常心保っていれないの? 【異端?】修心流居合術兵法 修心館【色物?】十 167 :名無しさん@一本勝ち:2019/06/03(月) 01:44:10.59 ID:EcicK0th0.net この人言ってることも一貫してなければ、門下生に求めることも気分次第、おまけに自分の行動は省みず(言い訳がすごい)、他者を卑下しなければ自己を保てない未熟者 >時系列が逆だったら、アンチが鍬海に成り済まして 鍬海の言葉をモジって自作自演で火をつける可能性はゼロではないけど この件に関しては完全にマッチースレの書き込みが先で、 たまたま卑下の間違った用法を使いた人が、たまたま保って云々の文脈までもが被るなんて、偶然で説明できるかな? 1,武板に出入りしている 2,マッチースレに書いてる 3,マッチーアンチ派である 4,レスは真夜中になりがち 5,他人を卑下すると誤用 6,5のあとに〇〇を保てないと連用 この低確率がわかるだろうか もちろん偶然もありえる話だが、一般的に3回続く偶然は必然とも言われる。 今回の場合は6度続いているわけであり、オカルトやスピリチュアルな理論での「3回続く偶然は必然」ではなく、非常に興味深い一致であるといえる。 【天心兵法の伝系の設定が変わった言い訳の杜撰さ】 天心流 第十世師家ブログ 伝系について 2014/07/09 「記憶が曖昧なまま三〇年以上経ってしまい、その後演武会で必要との事で伝系を提出する事になった際に、 全部を思い出せなかったために、とりあえず門人が見つけてきた「撃剣叢談」にあった「平井勘兵衛」師や「渡辺友右衛門」師の名前を入れた事がありました。」 2ちゃんの反応 ◯ 天心先生の記憶力は凄い設定じゃなかったのかよ。都合の良いところでは記憶力が凄いから技は愚直なまでに古伝だといい。 都合の悪いところでは混乱してはっきり思い出せないという。本当に天心流って支離滅裂だよな。 伝系なんて一番大事なところを忘れてるなら技が古伝のままなんて言えないだろ。 ○ 当時はそういう設定で、後に矛盾を指摘され、削除して、苦しすぎる言い訳をして誤魔化しているとしか思えないよな。 ○ 国富家の名前は似通ってるじゃなくて襲名でずっと同じなんだけどね ○ 似通ってる名前 と 代々襲名 これは記憶違いでは済まないレベルの痛恨のミスだね ○ 後付けで設定を変更したり追加するからこのような矛盾が生まれる。 ◯ 何代か前がよくわからないのに、柳生宗矩が弟子に託したとかの情報ははっきり伝わっているのか? NEW!【全日本抜刀道連盟 裏口加入申請疑惑】 〈令和2年度 全日本抜刀道連盟総会 議事録より〉 香港支部の文支部長から杉山理事長に対して内々の伺いとして、「かねてより交流のある『天心流』という団体を全日本抜刀道連盟に加入させてもらいたい」旨の打診が有ったことから、その可否について審議された。 その結果、「天心流」という団体の日本国内における活動状況、他の武道団体からの風評等を勘案すると、当連盟の会員として受け入れるにそぐわない団体であるという結論に達したことから、加盟申請を受理しないこととした。 全日本抜刀道連盟は、抜刀道を愛する者、抜刀道を通じて切磋琢磨し、その生き方を昇華させていく者に対しては門戸を閉ざすことはなく、入会を拒まない。ただし、あくまでも抜刀道であり、大道芸ではない http://zenbaturen.wo...20_sokaigijiroku.pdf ↑リンク先の2ページ目を参照 5ちゃんの反応 ○ 実は抜刀道連盟という権威にお近づきになりたかったのです。 ○ 抜刀道連盟への裏口申請ですか。なぜ抜刀道なんだろうね。 ○ 全剣連居合道部に加入が認められる可能性は無いだろうし抜刀道ならワンチャンあると思ったのでは ○ 抜刀道の活動なんてやってないだろうに。 ○ 日本抜刀道連盟加盟なんていかにも本物っぽい肩書きだけ欲しかったんだろうな ○ 和服着て刀持ってるだけで抜刀道連盟に加盟出来る訳ないだろ ○ なんでもかんでも自称してきたから言えばなんとでもなると思ったんだろうな ○ そういう脱法的な所を狙うスタンスがお前らの風評の悪さに繋がってるんだぞ ○ 裏口加盟失敗、裏工作失敗、なぜ外国から推薦?大道芸と認定、そぐわない団体、武道は大道芸ではない パワーワードの数々 ○ 「あの抜刀道連盟も認めた〜」という宣伝文句が欲しい為だけ。 ○ 抜刀道連盟には大道芸として認められてるやん ○ 事情のよく分かっていない外国の支部をつてにして、全く関係の無い団体に加入しようという考え方自体が卑怯な手段 ○ 抜刀道香港支部の人の顔を潰すことになるわ、抜刀道連盟内で要らぬ軋轢を生じさせるわで、外部にとっては迷惑行為以外の何者でもない。 ○ 妖怪バイアスまみれは自己評価が高すぎるから本気で抜刀道連盟も天心流を欲しがると考えてたんだろな NEW!【天心流に寄せられてる苦情ツイートまとめ】 1 回転納刀の動画について 動画内では「指の力をすごく使うので手の稽古になる」と二人が発言していますが・・・逆です。回転納刀というのは、刀の重心を動かさないように回すことが出来れば指の力など全く必要としません。その辺が全く理解できていないのなら、解説などしないでほしい 何故こんなことになるのか?2.5回転させる回転納刀てのは10年前に私が解説動画を上げた技法そのもので、天心流門人の皆さんには昔武士コンで私が手ずからお教えしたものなんですが、動画の二人には直接教えてないんですわ。妙な手順になってるのはそれが原因でしょう で、そもそも回転納刀という単語は、かつて私が解説動画を作成した際に該当する技法を表す言葉がなく、仕方なしに私が造った言葉なんです。つまり、流儀の看板を背負って納刀法の解説をする際に、私の造語である「回転納刀」という言葉が出てくることは本来「あり得ない」んですよ。 しかも、天心流十世は私が回転納刀の解説動画を投稿する前からネット上で知り合っている人物であるため、そういったことを知らないはずもなく、従って確信犯で嘘をついていることになるわけです。 これは流儀の信用に関わる問題ですが、回転納刀なんて単語はそもそもよく知らない人が大多数なわけで、騙せるとでも踏んだのでしょうか。ですが私にはもうバレているし、私の事を昔からご存知の方にもバレるでしょう。もうそういう方向でやっていくのでしょうか。 2 東京武道館の演武会(2020年2月2日)にて #天心流 さん。これまでは好意的に見ていましたが、 今日の師範の行為を見て私の中では地に堕ちましたね。 反論お待ちしております。反論できますか? まーこ先生。今日の演武会に参加されてませんよね? どうして昼食の研修室で堂々と席に座り、 出場される他流派の先生への配慮もなく座ってご飯を食べてたのですか? 私は出場しませんでしたが兄弟子が席に座れず、 後ろの階段みたいなとこで弁当を食べる姿を見ています。流石です。#天心流 参考1【国富家の天心流剣術と中村天心・鍬海の天心兵法の体系的差異】 ・中村天心・鍬海の天心兵法=柳生宗矩創作という二百本以上の居合術群、天心一刀流剣術、宝蔵院分流陰派槍術(宝蔵院から柳生家に伝えられた技法らしい)、その他武器術や柔術?(詳細不明) ・国富忠左衛門家の天心流=天心流剣術、天心流直鑓(国富忠左衛門重次筆伝書、大阪大学所蔵)、當用術(居合、二刀などの外之物系) 参考2【『撃剣叢談』の天心流に関する記述】 『撃剣叢談』巻之一より「天心流は元柳生流に出づ。宗矩の門人時澤彌平と云者一派を立しと云、彌平門人国富忠左衛門此流を弘む。 此忠左衛門元は備前の産也。後播州福本松平靭負殿に臣たり。今以同家に子孫有り、代々忠左衛門と称す。 此流の表上段受流し、同じく切違、中段腰車、上段外し切、怒切等也。中段にはかたけしなへ、下りしない、丸木橋等のわざ有。 相気、気先、?相、水月、寒夜霜、心妙劍、來る如くなどといふ伝有り。備前にても宝永の比渡辺友右衛門といふ者此流を伝へたり。 又平井の百姓、国富忠左衛門が草履取成しが、此流を習ひ、のち備前に帰り、平井勘兵衛と称し弟子扱をせしといふ。天心流伝書に平井九郎兵衛と云者あり勘兵衛と同人か別人か未詳」 参考3【天心一刀流活動時代と思われる中村天心のバラエティー番組出演映像】 https://www.nicovide....jp/watch/sm22865325 https://www.nicovide....jp/watch/sm22853054 https://www.nicovide....jp/watch/sm22855550 参考4【月刊秘伝誌の道場ガイドに2014.05.12付けで掲載されていた当時の設定】 http://webhiden.jp/g...e/detail/dojyo71.php 新陰流分流・天心流兵法 神奈川 剣術/居合/刀剣 古武術/伝統武器術 刀術(鞘の中)、坐法・立合い・剣術・組太刀。宝蔵院流支流十文字槍術(くさり鎌術)。裏兵法(大道芸居合抜刀術)その他 ※江戸柳生を名乗っておらず、宝蔵院分流ではなく支流、裏兵法(大道芸居合抜刀術)などと今の設定に至るまでの紆余曲折がうかがえる。 New!!【天心流兵法と他流派との交流の記録】 @ 柳生心眼流島津先生より「同じ柳生流」古武術として術理に多くの共通点あることが判明 ttps://twitter.com/tenshinryu/status/834636588462141440?s=20 無比流の木村先生とご一緒に、柳生心眼流の島津先生に様々な手解きを受けました。 多くの点で天心流と共通点が多く、島津先生と面白がっています。 同じ柳生流だから当然と仰いますが、歴史を経ても変わらない術理には感動を覚えます。 島津先生も天心先生も誤解されやすく捏造だと昔から誹謗中傷を受けており、『そんな事が出来たら物凄い天才でむしろ褒め言葉だ』と天心先生と同じ事を仰います。 島津先生も天心流の技法に大変興味を持っておられ、無知な者は妬みに任せて思いつくまま誹謗中傷するものだが、無視するしかないと。 A 卜伝流小山宗家より「高名な鍬海先生、滝沢先生」と一目おかれるだけでなく技法を伝授される ttp://bokuden1969.hatenablog.jp/entry/2014/12/18/ >高名な天心流兵法の鍬海先生、滝沢先生にもお会いでき、林崎新夢想流居合「向身」の技法もご紹介させていただいた。 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) NEW!【古剣法保存普及会について】 天心兵法第十世公式発表の「古剣法保存普及会」「名誉相談役 学習院柔道部名誉師範 講道館 九段 伊藤鐵一郎」なる人物は実在が疑われます。 https://twitter.com/...830269399875584?s=20 (石井氏の過去の筆跡とも相違あり) 学習院柔道部のHPには「伊藤鐵五郎」とある。 http://www.gakushuin...dex.php?content_id=1 講道館の殿堂にも該当する人物は存在しませんでした。 http://kodokanjudoin...org/doctrine/palace/ 仮に古い文書から読み取ったため、「鐵五郎」を読み違えたと仮定したとしても、 そもそも講道館で棒術を併修する者は存在したが、剣術の保存活動は大日本武徳会が存在したため行なっていない。 また、「古剣法保存普及会」に名を連ねる 稲村明喜東京地評副議長は逮捕者であることが判明しました。 https://iss.ndl.go.j...02-I000011173124-00/ 今後も背後関係の検証が必要と見られます。 5ちゃんの反応 ○ ちょうど紙が破れてて、右の重なるところが五になってて、左の方が破れてて伊藤鐵一郎の様に見える ○ くわみが読み違えて伊藤鐵一郎と文字に起こしてしまったのが真相 ○ この画像じゃ、そもそも伊藤鐵一郎なのか伊藤鐵五郎か、それとも他の人物なのか分からないんだけどね 紙が破れてメチャクチャだから ○ 実在する人物に名前を似せた理由は、仮にバレて突っ込まれても「記憶違いだった」だとか「当時書いた人間の誤記であると思う」などと言えるように逃げ道を作った上つもりなのだろう ○ ただ公式に第十世が間違えた情報をツイートされてたら疑われるのも当然だよね NEW!【第二の江戸しぐさ疑惑・「士林団」まとめ】 公式Twitter(2015年3月23日より) 先代は「流儀に拘るな」と仰っていたそうです。 古武術が流儀に拘るなとはこれ如何に…と思いますが、天心流兵法は柳営大目付士林団のお役目のためのもので、流儀のための流儀ではないという意味です。 士林団は当初、親藩・譜代などから諸流より腕の立つ侍を集めたとされます。 posted at 07:59:35 その後、構成された武士団で組織を維持していく際に、お役目のために宗矩公が考案した二百数十に及ぶ技法を整理体系化し、これを士林団のための武芸として確立したのが時沢弥兵衛師です。 士林団は五代〜七代将軍の時代に解体されていき、八大将軍の時代にお庭番衆と交代する形になりました。 posted at 08:04:49 八代将軍の時代に、士林団は皆、御家人となったとの事です。 伝説と伝書の中の事ですが、先代の家には士林団の子孫の方々が集っており、涙ながらに茶碗酒を酌み交わしていたそうです。 子孫達は上野の戦に参加した者、またその後さらに転戦を重ねて散った者…さまざまだったそうです。 posted at 08:07:48 (天心流公式HPより) 今日、数多の古流が存在しますが、天心流はその中でも異(い)なる流儀です。 天心流は当流遠祖であり、柳営大目付け宗矩公配下の士林団をそのルーツとしています。 城士の剣として、昔時のままに武家作法、礼法を伝え教え、間合を重んじつゝ、大小白扇にて多々の技法があります。 舘内入室は昔時の如く、武家作法に則った屋敷における殿中刀法、又使者の作法も伝えています。 諸国大名家により戦国の世も乱れましたが、天下治まり徳川の世となりました。 宗矩公は家康公、秀忠公、家光公に仕えて大役を授かり、柳営の裏方にて士道を確立しました。 それは正に生きた兵法をルーツとしたものです。 士林団は五代将軍綱吉公、六代将軍家宣公の治世には平和の中でその姿を消しましたが、八代吉宗公の世に大岡越前守が町火消にイロハ四十七の各組を作った所にも天心流、江戸柳生兵術の名残があると伝えられます。 士林団も伊(い)組・回(ろ)組・波(は)組・仁(に)組・保(ほ)組と(「へ」は欠番)イロハにて組み分けされて、それぞれ十名ほどで構成されていました。 町火消の組の名はそこからヒントを得たと言われます。 new【中村天心は石井清造が亡くなった後に師事していた事が判明?!】 天心流公式Twitter2016年10月9日より 「古剣法保存会の設立趣旨用紙にあるように、先代は明治25年生まれだったようです。 ここには先代石井清造が古希(70歳)の時に後継者はいないとも書かれている。 天心流公式Twitter2015年12月12日より 「これは先代がお亡くなりになった時、天心先生が詠まれた悲しみと決意の詩です。 今日天心先生が部屋を片付けていたら、タンスの奥の方から出てきたものです。」 と、この画像には 【昭和四十一年七月先師是悲しや逝くなり】と書いてあり 天心流公式Twitterが公表した先代石井清造の存在を証明する物的証拠の画像の内容をまとめると 【石井清造は明治25年生まれ(1892)昭和41年没(1966)の享年74】となる。 しかし天心流の公式ホームページには >太平洋戦争後、第八世に当たる石井先師は既に齢八十となっておりましたが、若き日の中村青年が入門。 と、74歳で亡くなっているはずの石井清造が80歳の時に、なんと中村天心が師事したという時系列的にあり得ない事になっている。また、 天心流第十世湿ブログ「天心先生の修業時代〜天心流以前〜中村天心先生逸話」2015/02/18より >七十過ぎていた先代が牛若丸のように自在に動いて、五十歳以上も年下の血気盛んな天心先生を翻弄された事から、「言うだけの事はあるな」と心服したそうです。 70歳から80歳にと10歳も設定が変わった今、80歳の人間が牛若丸の動きを云々という過去のブログの内容との整合性にも疑問を持たれるだけでなく、天心流兵法を名乗る団体は天心一刀流に背乗り、またはそもそも創作の可能性までもが指摘されている。 中村天心オフィシャルブログ2017/07/19より >宗矩公76才で逝く 天心74才「祝日」 宗矩公の年齢に近づけて祝日としか読めないのだが、74歳は石井清造の亡くなった年齢なのに「祝日」などという言動からも中村天心が石井清造に師事した事実に疑念を抱かれてる。 NEW!【天心流兵法と大日本武徳会の関係性及び武道団体からの評価】 https://mobile.twitt...& ;src=typed_query 2019年4月29日に行われた第57回全国武徳祭に、天心流兵法は大日本武徳会から招待されて演武に参加したとツイートし、団体特別賞と書かれた賞状を持っている滝沢代範の写真をアップしているが、この団体特別賞は参加賞と同じで招待演武団体全てが授与されている模様(大日本武徳会会報 2019年10月発行 秋季号) 当スレ有志が天心流兵法と武徳会の関係性を事務局へメールで確認を取ったところ 「いつも大変お世話になっております ご質問頂きました天心流兵法の件ですが、本会主催の演武大会へ1度だけ ご参加して頂いたことはございますが、本会とは直接的な繋がり等は、 一切ございませんので何卒宜しくお願い申し上げます」 との返信をいただいた。 また、当該演武会は招待演武とは名ばかりの応募制の要項を確認している有志もあり、自分達から応募しておきながら「招かれました」と、さも「武徳会から声掛けてきた」みたいなわざと誤解を誘発させる言い方をしているとの指摘もある(武徳会の要項にソースあり) 他武道団体から天心流兵法への評価をまとめると、 抜刀道連盟「あくまでも抜刀道であり、大道芸ではない」 大日本武徳会「直接的な繋がり等は一切ない」 とのコメントが明らかになった。 new!【天心流と新陰流居合とに一致している術理について】 天心流の滝流(たきながし)は、柳生宗厳(石舟斎)の弟である柳生重厳(松吟庵)が考案したとされている技で、柳生制剛流(及び新陰流居合)では「瀧流」として伝えられている形である。 元々、制剛流には瀧流という技は存在しなかった。しかし、制剛流に柳生新陰流の理合いを加えて再編成された柳生制剛流には、截合の1本目として瀧流が追加され、新陰流居合にも瀧流は継承された。 制剛流居合の伝書 https://twitter.com/6858ichikawa/status/957587260198678528 柳生制剛流抜刀術の相伝書 https://www.youtube.com/watch?v=rb1rGCrvPOs そして、同じく柳生新陰流の影響を受けた天心流にもこの形が見られることから、滝流及び瀧流は伝承通り柳生家によって生み出された技であるといえる。 どちらの形も、正座している時に頭上から斬りかかってきた敵に対し、右膝を引いて抜刀しながら切っ先を突き上げ、続けて斬りつけるという基本的な術理は完全に一致している。 細かな動きについては両流派に違いがあるものの、同じ流派であっても伝系によって若干動きが違うことはよくあるので、基本的な術理が一致している時点で同じ技であることに間違いはないだろう。 天心流の滝流 https://twitter.com/tenshinryu/status/974080248349212672 新陰流居合の瀧流 https://www.facebook.com/shinkageryuheihou/videos/%E7%80%A7%E6%B5%81/704233053052451/ https://www.youtube.com/watch?v=QcJbvYSyVPg https://nandemokousatu.blogspot.com/2021/01/blog-post_24.html https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) そんなに待ちに待って書きたいことあるなら自分でスレ立てればいいのにね笑 new !【天心流が招待演武団体として武徳会に招かれていた事実】 ※天心流は武徳会に加盟していないので直接的な繋がりはないとの回答>>24 は当然の事でありアンチの印象操作以外に何の意味もありません。 https://nandemokousatu.blogspot.com/2021/01/blog-post.html?spref=tw 近年、一般社団法人・大日本武徳会は、毎年開催している「全国武徳祭」に外部の武道・武術団体を「招待演武団体」として招いている。 武道の聖地である京都市・旧武徳殿で演武出来るとあって、招待された演武団体にとっては大変名誉なことであり、マスメディアから注目されることもあるようだ。 https://mainichi.jp/articles/20190628/ddl/k24/040/249000c 大日本武徳会が外部の武道団体を招待し始めたのは、2018年4月29日に開催された第56回全国武徳祭からである。 具体的にどのような演武団体を招待するかについては、「大日本武徳会会報 2017年10月発行 秋季号」に次のように説明されている。 このような厳しい時期であるからこそ想像力豊かな対策を講じる必要がありますので、来年度の全国武徳祭には、各地から厳選された招待演武者を招聘したいと考えています。その為の適切な調査やリサーチを進めると同時に、全国で活躍されている武道家で、武徳の理念に共鳴される先生方を中心に啓蒙活動をしていきます。 http://butokukai-honbu.org/kaihou/pdf/201710.pdf つまり、全国武徳祭の招待演武団体とは、適切な調査を元に大日本武徳会から「全国で活躍していて、武徳の理念に共鳴する武道家である」と認められた演武者なのである。 2019年04月29日まーこ@harima_mekkai 本日は大日本武徳会様からの招待により、京都武徳殿で演武をさせていただきましたー!! 武徳殿での演武はずっとしてみたかったのでありがたいお誘いでした♪ 何名かの先生から「動画見ています。」と声をかけられ、メイドのだったらどうしようとドキドキしましま retweeted at 23:58:24 4月29日@tenshinryu 本日は歴史ある武徳殿にて天心流の演武を披露させていただきます。 武徳会主催、武徳祭という演武会です。 なお、一般のご見学は出来ません posted at 12:40:11 今までの経緯を拝見しましたが、天心流って胡散臭いですね。 >>30 天心流は胡散臭い伝承に関してはかなり慎重に扱っているのと、そもそも武道の伝承は胡散臭いものであるので、天心流のように >間違ってるかもしれないけども、そういう伝承も含めて流派を伝える と公言してる方が良心的なのかもしれない。 2020年11月13日(金) 我乱堂@SagamiNoriaki 天心流兵法さんのここらの伝承の取り扱いはかなり慎重で、裏柳生的な仕事をしていたという話の記事、あれきちんと最後に今のところ史的に裏付けとれてないし、間違ってるかもしれないけども、そういう伝承も含めて流派を伝えることだと思う旨が描かれている。 posted at 18:22:18 2020年12月02日(水) みんみんぜみ@inuchochin 武道の伝承、地方の伝説や由来と同じと思った方が良いと思う。代々の伝承者や先生方、稽古者の思い付きや研究なんかが混入してるし、近代以降でも講談や小説、ドラマの設定が入り込んでるのも珍しくないように思います。 12月2日@inuchochin みんみんぜみ@inuchochin 流派の歴史ってある意味宗教や伝説みたいなものだし、組織や人間関係なんかもあって大きな団体ほど言ってる事はなかなか変えられないイメージがある。 基本的に武道の団体の言ってる伝承や由来は学問的に調べてるところ以外は、話半分に聞いといた方が良い。かなり話を盛ってるか作ってるのが多い 2019年03月12日(火) みんみんぜみ@inuchochin いわゆる歴史的な捏造作り話や、史実と明らかに違う伝承は、家族の伝承や宗教における説話や民族の伝説に近いものですから、基本的にそれぞれの流派や会派が伝えるのは何も問題ない話だと思います。 天心流に対して疑問を持ったり質問をする人たちの事を、天心流は「カス」と言ったり、「ゴキブリ」呼ばわりするけど、それが良心的なの? 古武術じゃなく捏造団体だからしゃーない。 古武術名乗るの止めれば問題ないのに。 >>32 天心流の発言じゃなく門外漢の発言を参照にしてる理由は? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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