>これってキッチリ弟子に教える文化じゃなかったのも大きな要因なんじゃね?

型のちょっとした腕の高さがどうだの足の幅ばどうだの
事こまかに事こまかに直して教えてる沖縄の先生いっぱい居るじゃん?
でも都合の悪いときだけ、きっちり教える文化じゃなかったとか言われてもねえ

価値観が変わったからとか時代が変わったから、とかまだ願望見たい人は言うかもしれんけどさ。

型の同だで、手の高さがどうだの「しか」教えれないレベルだから教えてるだけであって
技術的なことを教えないのは単純に教えれる技術が無かっただけかと。

俺が動画を見てシステマを創作して、弟子にこういう風にぐにゃぐにゃ動く、もっとヒザをこう曲げてこんな感じでグニャっと
とか教えることは出来ても「先生、このグニャグニャする動きにはどんな意味があるんですか? そして組手でどう使うんですか?」
とか言われたら言葉に詰まるのと一緒だよ。そこまで深く考えてないから答えようがないわな。「考えてこい!」とか言うかもしれないw

>>870
>俺は「真似た人が意味をわかってたかどうかわからんが、元の武術には意味があったはず」こう書いてる

俺も真似た武術に意味はあったと思うよ。そこは完全に同意。
ただし、真似た人がどのレベルで真似たかによる。俺は型は舞踊が発端だと思ってる派なので
そもそもからして武術的な技術を真似る必要がない、それよりも踊りなんだからいかに武術っぽく
突いたり蹴ったりを表現できるかが大事だったと思ってる。その時点ですでに話は噛みあわないかもね。