琉球時代の稽古は突き蹴り型、あとは掛け手
用法は教えられず自分で考えろ、師匠がたまに見せるのを盗めって稽古だった
2人でやる約束組手的な稽古もなかった
弟子個人の才能次第だから解釈がバラバラ
そして本部朝基時代には掛け手は廃れて本土の生徒に沖縄の先生は組手が出来ないと言われるレベル

型は中国や本土から伝わったもの、古くから沖縄にあったものが元になったと考えれば何か意味はあったかも知れないが「空手」になった時代には意味は失われてた
近年の分解はこうです、この型で突きの威力が変わります、みたいなのは、現代の人が型から意味を考え出したもの

こんな感じじゃないの?
そしてそれは悪いもんでもない