合気の原理説明します。その2
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>>592
> それよりまず>>559 >>589について異議の有無や意見
ワテは特におまへんな。
合気についてはわかりまへんから、ふーん、てなもんだす。 発言権のある大東流をあげると自分の派だとばれるから黙るビビりの大東流古武道オタクかな。 >>594
> 発言権のある大東流をあげると自分の派だとばれるから
そんなアホな。 相手が今流行りのカーフキックを蹴ってきた場合、
合気道だとどう対処するの? だってさあ、何か書き込むと「物理的に説明してください合理的に説明してください」とか論理性も合理性もないような奴に詰め寄られたりするわけじゃん。 >>600
それは原理を物理的に、論理的に妥当性あるように説明してないからでしょ
「合気は大東流の独特な技術です、これを使うと英手がエビぞりに硬直します(キリッ」なんか一ミリも原理を説明してないしw 今、町道場で習ってて楽しいからいいんだけど、握った方が手を離せなくなったりするレベルの人いないんだよな
一度でいいからかけられてみたい
モチベ上がると思う 手がくっついて離れなかったという塩田翁、佐川先生はとっくに死にますた。
今後はその技が出来る人は二度と出て来ないだろう。
その技術を求めるなら人生を無駄にするから稽古を続けるかは考えたほうがいいよ。 >>603
> 今後はその技が出来る人は二度と出て来ないだろう。
ほう。大東流系では現在いたはらへんのだすか? 手がくっついたままはなそうとして離れずに力も感じないで佐川先生の体のまわりを回されてしまうというのは失われたでしょう。
佐川道場元幹部の大森さんも途絶えた失われたことを言っていたそうだ。
よって、稽古するだけで時間の浪費になる。
合気道道場で他の武道相手のことなど何も考えずに稽古したほうが楽だろう。
MMA柔道レスリングサンボの強いのは道場に来ないでしょ。
来たって良くて青帯くらいなので技試しも一流相手には出来ない。 >>605
佐川道場において途絶えた
という意味かと。 >>602
体験したいなら大東流やるしかないですね。ただ、受けもある程度の技量があっての話だと思います。そもそもくっついて離れない状態に気付くことができるか。受けが弱い鈍い場合はそうなりませんから 反応しやすい武道関係だけに通用するのでは催眠術がかかる人だけにかかるのと同じでしょ。 >>608
> 体験したいなら大東流やるしかないですね。
現在いないと言われてる状態で、どこの大東流をやればよいのでしょう。
>ただ、受けもある程度の技量があっての話だと思います。
受けのレベルが関係するのたすな。
>そもそもくっついて離れない状態に気付くことができるか。受けが弱い鈍い場合はそうなりませんから
今も出来る人がいると言う人は、どんな場合にもどんな人にも掛けられるというわけではない、ということだすやろか? 技に掛かりやすい人と掛かりにくい人が居ます
手がくっついたり海老反りになってるのは技に掛かりやすい人ですよ 実際には鈍くて力が強い人に掛かかるように見えます
感覚が鋭いと相手がどう動いているのか知覚できてしまうので外されてしまいます
自分より上級者にはなかなか掛けられないのはそのためでしょう >>612
> 自分より上級者にはなかなか掛けられないのはそのためでしょう
その掛けられない下級者は合気とやらが出来ていないということにはならないのだすか? >>615
初心者ではなく既に合気の技術を習得した人がさらに上級者に合気をかけるという話です
誰にも掛けられない人が上級者に掛けられないという当たり前の話なんてするわけないでしょ あんたが相手にしてる人は
その当たり前の話が分からないアホだってことを理解すべし つまり合気を修得していても、掛けられる場合と掛けられない場合があるということだすな。
そんなことはごく普通の話でキックやボクシングや空手や剣道や柔道柔術でも当たり前にあることで、合気道でも同様だすなあ。
そこで合気の定義ですが、何が出来るのが合気なのでしょう。 柔道みたいに派手な投げる技よりも、その前に相手をどう崩すかのほうが実は超重要とかいう話じゃないの
崩しに相当するものがあるなら、という話だが
合気って、インチキ臭いんだよね。相手の暗黙の協力がないとあんなふうにかからねーよ、的な
そうじゃない、というのなら可能性としてはその前段階があると思う >>619
> 合気って、インチキ臭いんだよね。相手の暗黙の協力がないとあんなふうにかからねーよ、的な
型稽古しかやらなけば、それは仕方無いと思いますな。
六方会などでは、玄人的な攻撃の仕方等をしっかり教えていたのだすか? >>619
崩し方次第で硬直の有無が左右されるからな
崩すだけならそれこそ柔道でもできるわけで崩しだけ追究しても意味はない >>623
> 崩すだけならそれこそ柔道でもできるわけで崩しだけ追究しても意味はない
柔道は崩しだけではなく、つくりもあり、その上に投げがあります。
合気はどうなのでしょう。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>624
すげー
レベルが違い過ぎて他がカスに見えてしまう 佐川道場の高弟木村氏は合気を取ったそうですがあまり話題になりませんね? 三千世界一度に開く尻の穴
艮のコロナ神の世になりたぞよ
神が表に現れて三千世界の立替え、立直しを致すぞよ 抜けるのも合気だし硬直も合気だと思いますよ。原理が同じでしょ多分
呼吸は吸うと吐くがあるでしょ。だから二種類あるんですよ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
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「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>627
合気を取る??
相撲を取る的な?
指相撲、腕相撲ときて合気相撲ってところか。 >あまり話題になりまそんね
力士が道場で相撲取ってもニュースにならんのと同じだろ この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
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習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
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https://youtu.be/a6EtwbiLTmI >>627
合気相撲(合気くらべ)取った相手は誰よ
大勢とってこと? >>3
私もスレ主さんに同意できます。私は長年体術を齧ってきました。
合気上げを練習していて、本気で押さえられるのを上げられず
悩んでいた時期があったのですが、意識を肘に置き動かすとそ
の道場の全員を軽く上げることができるようになりました。
皆びっくりしていました。
これは、上げる側は掴まれたところを意識しないので力まない
ことと、上げられる側は、掴んだところから動作が感じられない
ので、力が抜けることが大きいのではないでしょうか。
ただ、これは、当たり前といえば当たり前の原理ですが、体で
感覚をつかまないと、すぐにはできないと思います。
初歩の原理ですから出来る方は沢山いらっしゃると思いますが。
懐かしくて書き込みたくなりました。
まだ、合気上げが上手くいかないひとはやってみて下さい。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
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大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
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https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 余り宣伝しないから知られてない人物だけど
長年岡本正剛先生の元で鍛錬した高弟の廣濱先生は凄い合気だよ、瞬間すっ飛ばされるし
手が張り付て離れなれなからな。唯一合気を受け継ぐ重要人物だな。
合気は世の中に有る所には有るんだよ。 >>637
ぶつからない力を研究しようスレに来てくださいねー 合気の原理なら川村義之さんって言う研勢塾の代表がすぐ教えてくれるよ
多分他は「教えてやんねーよー」って言うカスみたいな道場しかないしこの人が広まればそうゆうカス道場は全部廃業だよ >>642
動画見たけどなんじゃこりゃ
ただのよくある身体操作じゃねーか
合気はできないけど原理は知ってるとかか? >>643
中国武術会はMMAと他流試合をすることも禁止したよな
あまりにも負けすぎてメンツが丸つぶれだから 座って立って相手の手から体を挙げる練習をしても使えるように稽古が成る人は限られるだろう。
それが出来ても他の武道に通用するかは別で、
それこそ佐川先生のように本職空手家より突き蹴りの稽古をしないと。
豊富に稽古出来ない生活環境なら武道を辞めたほうがいい。 ここの人たちは身体操作とか支点をずらす、ってのは承知でそれは
合気じゃないっていう感じなの?それはもう答えが出てると思うんだけど
フィジカル的な身体操作を一切排除するなら呼吸と意識が合気の本質じゃあないの
合気道は合気とついてるけど実は合気がわかりにくいって。身体操作に気が行っちゃうから、とかね >>647
合気は円運動という身体操作と呼吸で掛けるものだけど
腕力を覆したり抵抗感無く崩したりするいわゆる「武術的身体操作」と区別されてるのでしょう。
なので物理的な運動を用いないということではないですね。 合気のかかった状態に持っていくために軸ずらしを使う事はあっても軸ずらし自体が合気ではないという事だね
脱力系は合気と全く関係無さそうだけど似て見える動きが無いとは言えないという所か >>646
そもそも佐川先生がどの程度強かったかよく分からんよね
弟子と自由スパーしてたわけでは無いし
大東流は自由攻防するような技術体系じゃないし喧嘩や格闘競技で使えると思って習う人はいないのでは無いかな 昭和3、40年代くらいまでは荒々しい人もいて喧嘩、空手、柔道相手に使えるにはどうしたらよいかと稽古して研究していた人もいるだろうけど現代はおとなしい人が身内だけで稽古しているだけ。
天竜など相撲取り、有名空手家との接触もない完全に身内間の趣味です。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 誰一人合気を説明できていない
素人が理解できないことは説明とは言えない どういう身体操作で相手がどういう反応をするのが合気だと説明しないと何の意味もない
誰も理解できないニュアンスのやりとりで何の意味がある? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
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https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 円と呼吸と条件反射は、球と呼吸筋と非条件反射と言い換えたほうが答えに近いと思います。
円の動きは立体的に見ると球状だろうし、呼吸は横隔膜や肋間筋による背骨の波動、条件反射は生後に学習するもので合気などに利用されるのは動物の身体に生まれ持って仕組まれている非条件反射の方だと予想されるからです。 >>657
硬直は鹿島の剛身と同じではないかと思います。 >>648
人間の目に見える物だけが物理現象ではないと思います。物を伝わっていく衝撃や縦波が与える影響や現象も物理現象ではないですかね。 >>657
訂正します。非条件反射ではなくて無条件反射でした。 >>657
訂正します。非条件反射ではなくて無条件反射でした。 無条件反射はよい着眼点だと思います
人間の体は、関節を壊さないようにおかしな角度に曲げられると本能的に筋力で抵抗する機能があります
これがいわゆる体の硬さですね。気絶して意識がない人などはこれがないから簡単に曲がるとか
合気上げで例えますと、力で手首を攻めても「力が来るのがわかる」ので耐えられる程度で両者が拮抗します
これを、ぶつからない力、察知できない力でやると先を取られるので、受けはいくら筋肉を硬直させても不利な姿勢で
固まってしまう、ということだと思うわけです。これに加えて倒れたくない本能も働くので負担が足腰に来ます
これが「かかとが上がって全身が固まる合気」の原理ではないか、と個人的には思いますね。 >>663
倒れたくない本能とおっしゃっているものも、たぶん反射だと思われます。脳があれこれ判断しているのではなくて、刺激に対して起こる反応です。 大東流の天野先生が言ってましたけど、一歩動いたらその状態は抜けてしまうって言ってましたね
動かさないのが技術だと
これ、肩までぶつからない力で送り込まれてるのが合気上げの状態とすれば
達人じゃなくても「肩が送り込まれてのけぞってる姿勢」から開始すれば擬似的に合気になるんじゃないでしょうか >>666
二歩あるくと歩容のサイクルが一巡するので元に戻る。肩が後ろにいくんではなくて、背中側の筋肉が反射で縮んで結果的にそう見える >>666
二歩あるくと歩容のサイクルが一巡するので元に戻る。肩が後ろにいくんではなくて、背中側の筋肉が反射で縮んで結果的にそう見える >>663
関節や腱を守る仕組みは脳が働いて起こる本能ではなくて、脊椎反射で起こる反応です。 >>663
>これを、ぶつからない力、察知できない力でやると先を取られるので、受けはいくら筋肉を硬直させても不利な姿勢で
固まってしまう
的外れ。
このスレで浅原本が紹介されてるけど
読めば一発なのに妄想こねくり回しちゃって
「下手の考え休むに似たり」以下だわ。 合気を掛けるには少なくとも相手の体の一部を物理的に動かす必要があるがその方法についてはこうやらなければならないという限定は無い
だからこそ人それぞれ違う仕掛け方になる もし使えるなら念動力を用いても良い
まあ使えないから接触して動かす訳だけど >>671
失礼ですが、あまり知らない人の本は買わない主義なので・・
その一発でってところを著者の迷惑にならない範囲で簡潔に説明できませんか? >>672
動かさなくても、振動させることでも相手の反射を引き出すことできるよ。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める
この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php
なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
触れずに倒すインチキ武道
合気道の暴かれた現実
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI 余程突き蹴りされたり、捕られたりするのが嫌なんかなあ それともそんなの多少は省けると思えるのかなあ
特に突き蹴りの接触は受けて痛みなんかを経験しながら徐々に髪一重に近づけて無効化することからの練習をするもんだろうけど >>676
振動はもろに動いてると思うけどなかなか斬新な掛け方だね
股間にバイブを当てられて足がぴーんと硬直してしまうというのと同じ原理かな? >>679
それこそがまさしくが676流の原理となります。 >>679
横波は動いて見えるけど、縦波は目には見えない疎密の繰り返しみたいな現象になっているのではないかと思います。 >>679
確かに、足ピンオナも脊柱に刺激が入って起こる反射がありそう。 >>672
合気をかけること、同調させることはこっちはほとんど動かなくてもできるけど、そこから崩して投げるとかするのに大きな動きがあるようになる。六方会の人の硬直投げは同調したうえで、皮膚や筋膜の流れに逆腹式呼吸の様な動きで背筋起因の発勁を打ち込むような技術。 妄想合気の議論ばかりだな
誰か動画で説明できる真面な奴はいないのか? 合気は、わたしは、大きく分け
ると、3つあると思います。
ひとつは、気を使うもの。
のけ反りや硬直、吹っ飛ぶとか
ただ、気にかかり易いか、気に
感応する習慣が必要。
かからないひとには効果なし。
気の技量で差もでる。
二つ目は、勁力的な力の使い方。
相手の力を返す、吸収するなど。
三つ目は、無意識を使う方法。
意識的なものは、すべて、力み
を生み、力勝負になるが、無意識
動作は調和融合するので相手が
感知できない。
この三つは別々ではなく、複合的
に使うのが最上。使うというより
必然的にそうなる。
と思います。私見ですが。
合気道の、力のそらし、ベクトルずらし
などは、合気ではないと思います。
有効なものとは思いますが。 個人的には呼吸と意識が合気の正体だと思ってます
それと気ですが、日本の武道の気というのは中国拳法とちょっと意味が違ってて
力が入ってるとかそこに気が(意識が)いってる、というようなニュアンスがある、それをそらしたり一体化するから
「合気」ではないかと
ちなみに葛飾北斎の北斎漫画で昔の柔術の絵があります・・武道マニアがみないと気付きませんが
大東流にそっくり。そしてなんと、カカトが上がって硬直してる合気の絵があります。武田惣角誕生以前に、です
このことについて言及してる研究家はあまりいなさそう。唯一大東流系のサイトで絵の紹介だけしてましたが
「武田惣角以前に絵に描かれた合気」はわりと重要な発見じゃないかなぁ >>689
気を使うってのは意味が分からないけどその分類に当たる物は脊髄反射を利用していると思う
なのである程度の速度が必要
じわーっと合気を掛けることできない
そして掛かりやすさに個人差があるけどなぜ個人差が出るのかは諸説あると思う
かかりにくい人は無意識に危険を察知して外してしまっているのかもしれない
そして掛けられる練習をすればするほど掛かりやすくなる
ように見える >>689
勁力を使うとのけぞりと吹っ飛びはおきまし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています