糸東流の開祖、摩文仁賢和は沖縄時代に首里手と那覇手の大家であった糸州や東恩納に師事した
他にも沖縄各地の唐手家をたずねて教えを請うた。結果糸東流には数多くの型が伝わることになった。

そんな摩文仁さんが本土に唐手の普及に来て本も出した。
その著書の中に糸東流で有名な「受けの五原理」というのが記されている。

落花 流水 屈伸 転位 反撃 の5つ。

もう一度言うけど、首里手と那覇手の大家に習った人が書いたのがこれ。基本ですら、これ。

沖縄の言葉では分かりにくいから本土の言葉に直した、とかいうウンコみたいな言い訳する人には
じゃあ沖縄の言葉では元々これらは何て呼ばれてたの? って聞きたいし、名称とかそれ以前の問題で
この五原理を戦前に沖縄で練習していたの?と聞きたい。高度な内容とかじゃない、こんな受けの初歩の初歩
に相当するような内容ですら、本土の言葉を使って説明(創作)しなきゃならないレベル。大家に習った人がね。

こういう指摘をすると、俺が沖縄唐手をディスってるとか恨みを持ってるとか見る人が居るけど、全然違う。
むしろ俺は相対的に、沖縄の唐手全体がこういうレベルにある最中、それでも摩文仁や船越は、基本技術の構築に努めてくれた
と評価している。恨みどころかむしろ唐手や先人達にリスペクトすらあるのに、なぜディスってるとか言われるんかねえ。

あ、ところで誰か摩文仁さんがチルだのチンクチだの書いてたり指導してたりする記録があったらお願いしますw
摩文仁で都合悪かったら糸州や東恩納や本部でもいいよ。チルやチンクチで都合悪かったらガマクとかでもええよ。