(続き)
どこの世界に弓道の道場に行って「実際に相手と弓矢で射り合いをしたいから方法を模索しましょう!」
とかいうバカ居るんだって話でね。本来唐手は居合いや弓道みたいな人と戦うためのものじゃないんだから
そこら辺がまったく発達してないのはしょうがないし、発達してなくても誰も困らなかったのよ。

だから唐手にロクな分解も自由組手もなくて、唐手家が分解も自由組手もやったことなくてクソ弱かったとしても
弓道の先生が実際に人間相手に弓を放ったり、居合いの技術に槍で突かれた時の対処が無かったりするのと同じで
無いからといって悪いものではない。良い悪いの問題じゃないのよこれ。根本の認識が違うんだもの。

なので、そういうものが無いことをしっかり認めることこそが本来の正しい修行者のあり方。
別に認めることは恥でも何でもない。弓道家が防具をつけた人に向けて射る練習したことないって言っても
別に恥でも何でもないのと一緒。

むしろ恥ずべきは、ここまで不自然な現実に目を背けてレッテル貼りをし
あまつさへ虚構の願望を垂れ流す>>165-166みたいなヤツラ。

俺はこういう輩こそ、唐手や唐手家そのものをある意味侮辱してると思うわ。