武壇5ちゃんねる分壇32
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>>308 浅い。あんたの言ってるのは初級。こちらが言ってるのは中級。 >>309 DVDでマスターとかの系列は、そんなにアレなのか? 見た事ないんだけど、例えば? 初級も中級もクソもない
相手の気配を察する練習と誤解してるんじゃないか >>317 違う。だから浅いと言われてるんだがな? >>314 >呉氏開門って昔評判悪かった套路不要論の人のですっけ?
違うかと。
八極拳を試合に向けてカスタマイズしようとしてた人では?
本を開けば套路でいっぱいです。
確か試合も開いてビデオ化してた様な・・・?
うろ覚えなので確かなことは調べて下さい。 >>319
おめえのやりたい目隠し稽古やってれば良いじゃん
別に止めはしない >>317 >>322
気配を読む稽古でもあると指導者が動画で説明してるけど? >>317 >>322 これは恥ずかしいw 動画をよく見ろwww
一度お前は自分の思い込みと思い上がりを壊し切るべきだな。
それこそが本当の修行だ。嫌ならそのままでいろよ、バーカwって話でしかないwww >>317 >>322 怒ったか? むしろ怒ってくれると話が早い
今、その怒りを自分自身に向けろ。早く!
やったか?
やってなければやれ! 実行してみろ! 今!
本当にそれが出来れば何かが変わるだろ。
その為にわざわざ挑発したんだ。愚かな自尊心でこの機会を無駄にしてくれるな。
自分の好きな稽古と言ってる内は何も見えんかもしれんけどな?
どうだ? 何か変わったか? 最近おかしなのがまた常駐してますね 無視するのが賢明かと >>314
そう、套路不要論の人が編者の本で、3種類の合計4冊出版してる。
因みに、通備系の套路有害説の人と、色々と似通っているけど別人だから。
言いたいことは判るが、内容が過激かつ考え方が偏っているんで、他派からの評判が悪かった。
特に、続以降は八極螳螂門を名指しで批判していたな。
ただし、呉連枝氏の書いた部分は非常に良いので、出来れば読んだ方が良いよ。
逆に、全くお勧め出来ないのが真法。
八極拳術図説の小八極の写真を見て作った、途中動作や過途式が滅茶苦茶なもの。
>>316
DVDのは、羅瞳系と呉氏のを混ぜて組まれた改変套路だと思う。
ベースは羅瞳系なのに、抜かれた技法が有ったり呉氏の技法が混じってて、不思議な套路だった。
八極門の体裁は成しているし、悪い動きでは無いと思うけど、自分の中では違和感が凄くてね。
呉氏もDVDも真法でさえも、大きな図書館だと大体置いてるよ。 初級中級上級なんて考えたこともないな
その人の状況に応じて
もっとも適切な方法をやらせるだけ
サンドバッグにもスパーリングにも初級中級上級なんて無いしな >>328
>>321
レス有難うございます
真法は家にありますね ネットに出てる動画見ても
あそこの套路は動きがデタラメで習って無いのが良く分かりました >>321
套路だけでは試合に勝てない、試合に勝つのに套路は不要って考えの人が編者として出版されている。
ただ、伝統技術として套路の必要性は認めている。
だから、八極門の歴史や理論に套路の部分は呉連枝氏が書いて、試合に使えるようにする理論と他派批判を編者が書いてる。
昔、編者の理論の実践発表の場として、編者主催でオープントーナメントを関西で開催していた。
7年目にしてやっと所属の軽量級選手が初めて優勝し、理論の成果は出たからこれで終了って翌年以降の開催を取りやめた。
全階級で優勝か、せめて2連覇したのなら成果が出たと言えるのに、と当時は苦笑してしまった。
あと、DVDの人と真法の人も、本の中でオタクやカルト扱いで凄い批判されていたな。
読んでも余り面白くない内容なんで、そこは流し読みで良いかと。 試合が何を示してるのかだな
競技での試合か、ガチの路上勝負なのか 套路だけでは試合に勝てない、試合に勝つのに套路は不要ってそんなの基本的に現在の公式の競技の場では判り切ってる事なのになあ
あの組手ばっかりアチコチでやりまくった太氣拳の澤井健一氏ですら試合は経験の為のモノ(実戦とは違う)とハッキリ弟子に言ったうえで試合に出したりしてたのに
まあヤラナイよりやるだけマシってとこですかな >>335
実戦経験を積む場が無いのが問題だわ
日常的に殴り合ってる人間なんて、レア中のレア
逆に言えば失神するようなガチスパー出来る環境があれば
昔の訓練で圧倒的に強くなれる可能性はある
格闘技でもガチスパーなんて行うのは難しいが >>337
だから今だったらある程度ガチで殴り合う
試合に数回出るのが望ましいだろうね
ただ試合偏重になり過ぎて套路不要論とか本末転倒
な事になっては意味無いけど
昔は空手の路上教習とかいって街での喧嘩が推奨
されたけど今はそうゆう時代じゃないし
(やってる奴はやってるけど) あと昔の武術家はスワイジャオで取っ組み合いの練習するのが常識だったようだし
我々もせめて稽古の中に相撲を普段取り入れたり 出来たら柔道習いに行ったりしての
補強も必要だと感じるね やるにしても「何故やるのか?」を明確にしないとあんま効果無い
普段の練習でもよく考えて動かないと
コース練習じゃほとんど意味がない ボクシング世界チャンピオン京口紘人選手にパンチを教えてもらってきた!
https://youtu.be/XlFMlG3uWKY やっぱり馬弓捶はゆっくり行うべきだし
手首を回転させたりしちゃダメ >>347
力が溜まってる感覚を優先すべきなんだよ
動かずに行う定式なんだから当たり前だけど
イメージ的には形のある風船に水か空気をギューっと入れる感じ
長いこと掛かって最初にやる方法の有益さに戻ってきた 横レス失礼
https://youtu.be/W8DtmhwOA1g?t=144
劉雲樵も手首廻してないな
個人的には回すと拳に乗った体重(質量)がダイレクトに相手に伝わらないというか
横回転で逃げるような感覚ある >>350
わざと封印すんのよ
そうすることで身体を使う方を優先させる
それどころか動かさない方が強い可能性がある
ここら辺はまだまだ検証が必要だが
腕を棒と同じように伝えるだけの橋とするなら
動かない方がより伝えやすいと考える
そもそも劉雲樵大師が動画でそのようにやってるんだからな
変に「本当は〜実戦的には〜」って奴がくねらせてやってる
そのような変な発想や動きが劉雲樵曰く「雑念」って奴よ むかし自分が教わったのは、訓練段階や訓練目的ごとに、打ち出す方向や拳の種類を変える方法。 >>351
確かに。
しかしこうやってみると、自分が習った体の使い方とは全く違うな。
伝わる力が途切れ途切れにさえ見える???
>>354
>訓練段階や訓練目的ごとに、打ち出す方向や拳の種類を変える方法。
自分もそう。身体の使い方も力の方向も種類も歩法も手形も段階で変わっていく。
>>349 >>352
ちな、俺は股と肩、肘を纏絲させると習ったもので・・・。
動かさずにやってみると、確かに力が溜まる。
>腕を棒と同じように伝えるだけの橋とするなら
>動かない方がより伝えやすいと考える
ここは納得がいかないが、もう少し考えてみたい。
溜まった力は解放させなきゃいけない訳で
そこは省略されてんじゃないかとも思ってるが、
とにかく、「わざと封印させる」という考え方はした事がなかったので驚いたけど
物凄く参考になった。有り難う。 これは自分の勘違いかも知れないけど
小八極拳始めてから自分が人間大の地蔵のようになった感覚の時期があって
外観的にはちょこんと打ってるようでも全体重(質量)が
拳に乗ってるような感覚になってきた 軽く対人で縦拳で相手の腹をさするように乗せても
相手がのけぞって崩れたりするし ガチではちょっと怖くて打てない。
李書文がちょこんと突いただけで相手が絶命したって話もまんざら嘘では無いのでは?
って気になってきた。 とは言えプロ格闘家のパンチやキックの破壊力を上回ることはないのだから
やはり劉雲樵の凄さは当てる技術の凄さだと思う >>360
勘違いじゃない。それが成果のひとつ。
>>361
八極拳の突きは、破壊力で格闘技と比較する内容ではない。
そして戦いで必要なのは当てる凄さよりも、当てた後の凄さと当てられない凄さ。 24式の基準にしてるんだろうけど
競技の世界はめんどうくせえな
邱慧芳示範24式太極拳 - 最新便服版 24 Form Taijiquan - Master Qiu Huifang
https://youtu.be/uh7Jd4PIiNQ >>361
>とは言えプロ格闘家のパンチやキックの破壊力を上回ることはないのだから
ボクサーはケンカになったら強いのか!??アフリカに「路上の伝説」がいない理由
https://www.youtube.com/watch?v=V8ukM2LFVqA >>371
考えるまでも無いのよ
答えはとっくに出てる
屁理屈こねても、使うべき時には使わざるを得ないし
特に劉雲樵太師やその次の護衛の人たちは
仕事として身体と心を訓練し
拳銃と同じように使用出来るものとしてきた
じゃあ我々はどうするのかと言うと
その人たちから直接学ばないといけない
「やれ衝捶の実戦技法は〜猛虎硬爬山の真伝は〜」ではなく
実際に会ってその精神と技をコピーさせてもらうことが重要なんだ >>372
護衛官でも自衛官でも特殊工作員でもない人間が
そんなのコピーさせてもらってもな、、、何になるの?
ただの社会的不適合者が出来上がるだけでは? >>372 それで強ければよいが
強くない奴が精神だけコピーしても
ただ惨めでしかない罠
その上技がデッドポピーでしかなければ何の意味もない
その主張で一番怖いのは、デッドコピーをどうするのか、だよ 実際、武術を比類なき格闘技術と考えてるのは今どき日本人だけでは?
中国、台湾でももっと冷めた目で見てる感じ
アメリカ人にとってのニンジャになってないか? 古伝や真伝が残ってないから仕方がないのだろう
格闘技術どころではなく、
昔は比類なき戦闘技術だったんだがな
それも今は昔の話 >>390
> 昔は比類なき戦闘技術だったんだがな
まだこんな事言ってる人がいるのか >>393 無知なお前が威張っても仕方ないだろ、バーカwww 最近雷公勝ったぞ(笑)インチキでも頑張ったんやな(笑) インチキじゃない武術を自分が身につければ良い
他人は関係無い >>393 ま、カ゚ンフーって基本隠された技術だしね
表に出てきてるのだけで判断されると
こういう感想でも仕方がないのかなとは思うが
その程度の浅さで実践者に何かを語ろうという時点で
アホウの見本みたいな奴でもある >>299 ま、情弱、低能ってのはこんなもんだろw 呉陳比武って、最初から結論が決められてたヤオで
バラエティ番組みたいに、互いに技を出して受けを取りつつ
勝敗は極めない所で落ち着きましょうって約束があったと言うな
それを見て中拳を馬鹿にして笑う阿呆は恥ずかしいwwwww >>407>>408 二人の事前の取り決めの手紙が見つかってるから普通に知られた話だ ま、どうでもいいよ
そんなことは
興味があるのは自分がどれだけ身につけられるかだね そうだね
格闘技でも武術でも大事なのは自分が何処まで身につけられるかだと思うよ
あとは自分の中でのテーマに(護身だったり対格闘技及び伝統の保存など)近づけられるか 初めは理想する形がリアルにイメージ出来るかに掛かってるけど
それが難しいんだよね
目の前でやってもらっても
それと自分を重ね合わせるのが難しい ただ練習重ねてるうちに昔も達人の逸話に近い事出来るようになったりして
そうすると自派への信用が増したり修行が面白くなってくるのでそこから自分が
自然と正しい形に近づくこともあるしね
結局はとにかく初めはあんま考えずにただ修行する事も大事かなって気もする そこに至るのは、どれだけ口伝を受け正しく指導され
練功を重ねた上で、どれだけ戦闘技術に通じて慣れていくのか?
という課題が外せなかったりする
そこを外しまくってきたのが、文化大革命後の近代中国武術であって
まあ、何処まで昔に戻れるのか?
となれば絶望的かも知れないけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています