【江戸しぐさ分流】天心流スレ28【裏口柳生?】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
NEW!【古剣法保存普及会について】 天心兵法第十世公式発表の「古剣法保存普及会」「名誉相談役 学習院柔道部名誉師範 講道館 九段 伊藤鐵一郎」なる人物は実在が疑われます。 https://twitter.com/tenshinryu/status/795830269399875584?s=20 (石井氏の過去の筆跡とも相違あり) 学習院柔道部のHPには「伊藤鐵五郎」とある。 http://www.gakushuin-judo.jp/modules/pico/index.php?content_id=1 講道館の殿堂にも該当する人物は存在しませんでした。 http://kodokanjudoinstitute.org/doctrine/palace/ 仮に古い文書から読み取ったため、「鐵五郎」を読み違えたと仮定したとしても、 そもそも講道館で棒術を併修する者は存在したが、剣術の保存活動は大日本武徳会が存在したため行なっていない。 また、「古剣法保存普及会」に名を連ねる 稲村明喜東京地評副議長は逮捕者であることが判明しました。 https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000002-I000011173124-00/ 今後も背後関係の検証が必要と見られます。 5ちゃんの反応 ○ ちょうど紙が破れてて、右の重なるところが五になってて、左の方が破れてて伊藤鐵一郎の様に見える ○ くわみが読み違えて伊藤鐵一郎と文字に起こしてしまったのが真相 ○ この画像じゃ、そもそも伊藤鐵一郎なのか伊藤鐵五郎か、それとも他の人物なのか分からないんだけどね 紙が破れてメチャクチャだから ○ 実在する人物に名前を似せた理由は、仮にバレて突っ込まれても「記憶違いだった」だとか「当時書いた人間の誤記であると思う」などと言えるように逃げ道を作った上つもりなのだろう ○ ただ公式に第十世が間違えた情報をツイートされてたら疑われるのも当然だよね https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) NEW!【第二の江戸しぐさ疑惑・「士林団」まとめ】 公式Twitter(2015年3月23日より) 先代は「流儀に拘るな」と仰っていたそうです。 古武術が流儀に拘るなとはこれ如何に…と思いますが、天心流兵法は柳営大目付士林団のお役目のためのもので、流儀のための流儀ではないという意味です。 士林団は当初、親藩・譜代などから諸流より腕の立つ侍を集めたとされます。 posted at 07:59:35 その後、構成された武士団で組織を維持していく際に、お役目のために宗矩公が考案した二百数十に及ぶ技法を整理体系化し、これを士林団のための武芸として確立したのが時沢弥兵衛師です。 士林団は五代〜七代将軍の時代に解体されていき、八大将軍の時代にお庭番衆と交代する形になりました。 posted at 08:04:49 八代将軍の時代に、士林団は皆、御家人となったとの事です。 伝説と伝書の中の事ですが、先代の家には士林団の子孫の方々が集っており、涙ながらに茶碗酒を酌み交わしていたそうです。 子孫達は上野の戦に参加した者、またその後さらに転戦を重ねて散った者…さまざまだったそうです。 posted at 08:07:48 (天心流公式HPより) 今日、数多の古流が存在しますが、天心流はその中でも異(い)なる流儀です。 天心流は当流遠祖であり、柳営大目付け宗矩公配下の士林団をそのルーツとしています。 城士の剣として、昔時のままに武家作法、礼法を伝え教え、間合を重んじつゝ、大小白扇にて多々の技法があります。 舘内入室は昔時の如く、武家作法に則った屋敷における殿中刀法、又使者の作法も伝えています。 諸国大名家により戦国の世も乱れましたが、天下治まり徳川の世となりました。 宗矩公は家康公、秀忠公、家光公に仕えて大役を授かり、柳営の裏方にて士道を確立しました。 それは正に生きた兵法をルーツとしたものです。 士林団は五代将軍綱吉公、六代将軍家宣公の治世には平和の中でその姿を消しましたが、八代吉宗公の世に大岡越前守が町火消にイロハ四十七の各組を作った所にも天心流、江戸柳生兵術の名残があると伝えられます。 士林団も伊(い)組・回(ろ)組・波(は)組・仁(に)組・保(ほ)組と(「へ」は欠番)イロハにて組み分けされて、それぞれ十名ほどで構成されていました。 町火消の組の名はそこからヒントを得たと言われます。 NEW!【天心兵法によるWikipedia不正利用・改ざん疑惑】 天心兵法が宣伝目的でWikipediaを編集し、客観的な根拠がないと消されるたび、また宣伝目的で編集するという行為を繰り返し、Wikipediaを宣伝に利用していた事案の顛末。 Wikipedia「ノート:天心流」より この保護が解除された後、再び編集合戦になる可能性があるので、先に問題を申し上げておきます。 今、問題になっているのは、現存する[[天心流兵法]]と[[天心流]]が繋がっているかどうかです。これは記事にする前にノートにて討論しあうものです。闇雲に編集合戦するべきものではありません。天心流と現在存在している天心流兵法の繋がりが不明瞭であります。天心流兵法の公式に記述されているように、系譜の一部が「三代から四代だろう」と記憶が曖昧です。さらにそれを証明しているのが中村天心の口述のみです。それは根拠不明の伝承でしかありません。 国際水月塾の調査により、系譜上の人物の存在が不確と言う結果が出た以上、新たなる証拠、もしくは調査の信頼性を明らかにしない限り、独自解釈の域を出ません。[[天心流兵法]]の事柄は天心流の記事に記入せず、新たに作った別途の記事にて現在存在する[[天心流兵法]]に関する記述をするべきであります。 どうしても、[[天心流兵法]]と天心流を同一として扱いたい場合は、先ほどから申し上げてるように[[天心流兵法]]の主張だけでなく、他の機関や学者の調査などによる証拠が出てから同一視するべきです。 (中略) くれぐれもウィキペディアは団体の主張の広告のためにあるわけではないことをご承知ください。 === 天心流兵法を兵法と呼ぶかについて === この団体を兵法や武術のカテゴリーに入れていいか、意見が欲しいです。 2014年に月刊秘伝のホームページの道場ガイドにて登録されています。 しかし、令和二年の全日本抜刀道連盟の総会にて、加入不可の理由として大道芸と批判されています。 他にも町井勲など多数の批判があり、客観的にどう呼べばいいかわかりません。 仮に兵法や武術と呼ぶ場合、系譜の問題で古武術扱いにしていいのか。それとも現代武術扱いなのか。 それらも含めて意見が欲しいところです。 今のところ、ゲームのモーションキャプチャーを行った点から見て、殺陣やアクションの団体としてカテゴリーしています。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる