空手の型はやるだけ無駄と言う現実115
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空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。
前スレ
空手の型はやるだけ無駄と言う現実114
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1578121006/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured 日中国交が進んで、中国拳法の情報も多く入ってきた戦後になって
急にカキエとかいう稽古が登場し出した。個人的には化勁(かけい)
からのミスリードを狙ってカキエとか言い出したと思うけどね。ちーん。 どうでもいいけど、テコンドーの万能壁画って便利だよな。
万能壁画を知らない人はググってね >>62
わかったから半島かあの世に帰れエア手のホモ野郎 >>63
まあそう言わずに天ノ弱でも聴こうぜ? 5年前の曲だけどさ
https://www.youtube.com/watch?v=2-zPY0vrpjQ
1分過ぎあたりからテンポが急に変わるから歌いにくい 万能壁画を型ヲタは笑えないよね。
同じことしてるんだからさ そそ
やってる事はまったく一緒
だから、せめてどうせやるなら開き直って
「はい、こじつけてます」「古伝の技術なんかじゃありません」
ってやればいいと思うんだけどね
フルコンも、伝統派も、総合格闘技も、伝統がどうとか変な見栄を張らずに
普通に一から積み上げていって今じゃ立派な1つの勢力になってるんだから。 >>60
昔はやってなかっというソースがないようですが?w
古伝を叩きたすぎて史実じゃなくて自分の願望が入ってきてるようだけど?
史実と自分の願望はちゃんと分けて書くべき。ごちゃまぜにしてけむに巻くような
書き方は一番してはいけないことだろう。
>果たしてそれが本当に数百年前から受け継いでるかというと、非常に怪しい
>中国拳法の情報も多く入ってきた戦後になって
松田さんが紹介するまで中拳なんてほとんど一般に知られてなかったやん 戦後の日中交流で推手をパクッてカキエを作ったと言うなら
剛柔流の〇〇派とどこの中拳の〇〇拳が〇〇年に技術交流して…、
それまではカキエなんかしてなかったのに、それ以後の
練習メニューに推手っぽい対人練習が取り入れられた…みたいな
史実を出すべきだね。
付け足すと、仮に中拳からパクったとしても
>>56
>故に、自由組手を否定してきた他の唐手家たちにとって
>掛け手は自由組手ほどじゃないにせよ、やはり自由組手と同じカテゴリーで
>都合が悪いから取り入れたくないと判断した、ということ。
この意見と違うくない? >>69
エア手のホモ野郎に餌上げると喜んで連投しにくるから真面目に突っ込むのはほどにしとけよ そもそも、今の空手において掛け手?やカキエが役に立っているのかね?
伝統空手でも、フルコンの試合でもそんな風に手を掛けて相手をコントロールする技法は
殆ど使われていないように思うけど
試合でなければ使うのだと主張するのかもしれないけど
本当にできるのかね?試合でやらない動きなんて
むしろ空手家が掛け手に重要な意義を見出していたのだとしたら試合の形式も違っていたのではないかと思うし 立った姿勢で手を掛けて相手をコントロールするのって空手だけでなく
中国拳法とかでも色々あって魅力的には見える
ジークンドーのとラッピングとか、推手とか
合気道も原理は違うけどそれに近い感じに見えていかにも武術感あるけど
でもこれを競技で使いこなしてる人ほとんど見た事ない
別に総合格闘技等だって推手のやり方で相手転ばしても反則じゃないんだしやってもいいのに
誰もやれない(合気道の技は一部反則にかかるのがあるらしいけど)
立ち関節技も別にやってもいいんだけどほとんど決まらない
問題は結局「そんな中途半端な距離のジャレ合いに付き合ってくれる対戦相手はいない」という現実
トラッピングや推手または空手の掛け手?が全く使えない訳ではないんだろうけど
そんなものに熟練するより普通に殴り合いのスパーリングか、体幹部をねらって投げる
柔道やレスリングの投げ技寝技の方がはるかに確実に相手を制することができる 掛け手なんて、ハイキックやヒザを打ち込む際に当たり前のように使われてるけど、センス無い奴は分からないんだよな
ってだけじゃん。 そんな次元の低い程度のこじつけしか出来ないから型オタは無用なのだ 古本屋にしか貢献しないで全く身体動かさないエア手の中卒ホモ猿野郎が次元を語るなよ
おまえのこじつけ流のレベルは少年部より遥か下の0だろうが
>>73
そいつはセンス動向以前に資料収集が趣味の発達障害者で全くやってない どういう噛みつき方なのだ?
全く型オタは始末に負えん
しょうもないこじつけばかりやって
自己満足しているだけだ 自己満足こじつけはおまえの自己紹介だろうがエア手のホモ猿野郎
もう猿田の名前で空手着コスプレしてクネクネ踊りはやんないの? アンチは嘘と勢いだけだからな。
掛け手については白鶴拳や蟷螂拳、白猿通背拳、他良く使われる手法で、人間は掴まなくても手を手首や腕に触れられているだけで動きを止められてしまう。
試合ではルールにも寄るが技法的にあまり使わないのはすぐに組みにいく総合だが、組む時点で崩されないように蹴りとか出し辛い感じになるので掛け手の効用と同じだろう。
芦原空手はサバキ含めた手の使い方は掛け手の使い方と同じであり、極真とかフルコン系は個人で使うのは見る。
型では剛柔流はおろか、上地流も普通にあり、首里手の型にもバッサイやチントウ、ウーセーシ、クーサンクーに普通にある。
掛け手が便利なところは相手が武器を持っているときにも同様の動きで対処できるところだ。
中国武術では空手奪刀の練習に避けたあとの反撃時に掛け手はよく使う。
本部流の掛け手は現在も貝塚市などで練習しているようだ。
https://www.motobu-ryu.org/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%8B%B3%E6%B3%95/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%8B%B3%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%8A%80%E8%A1%93%E4%BD%93%E7%B3%BB/%E6%8E%9B%E3%81%91%E6%89%8B/?mobile=1 >>79
>掛け手については白鶴拳や蟷螂拳、白猿通背拳、他良く使われる手法で、人間は掴まなくても手を手首や腕に
>触れられているだけで動きを止められてしまう。
だから、それが型以外の試合で発揮されているのを見た事がないんだろって
中国拳法(を自称する連中)と空手やキックボクシングのスパーリングや散打の試合でも
伝統武術のような推手や掛け手で相手をコントロールしているシーンは皆無
結局、マジになるほど打撃で殴り合ってるだけだからな
>試合ではルールにも寄るが技法的にあまり使わないのはすぐに組みにいく総合だが、組む時点で崩されないように
>蹴りとか出し辛い感じになるので掛け手の効用と同じだろう。
いや、勝手に同一視するなよw
MMAやレスリング、柔道の組技はコントロールのメインターゲットはあくまで胴や足腰の体幹部だ
ゼロ距離で打撃を封じるとともに体幹部を直に捉えて動かすから相手を安定して投げる事が出来る
掛け手や推手の理論とは用法も距離感もまるで違う
強いて掛け手に一番近い実戦用法を挙げるなら
ムエタイの首相撲でかなり実力差があればスタンディングで腕を絡めて振り回すだけで投げる事が出来るから
それが一番近い。あとは柔道で袖つり込み腰や一本背負いや手技の一部が上手く決まればそこまで腰をガッチリ捉え
なくても投げる事が出来る。けど、これらも基本は首や腰、襟足等体幹を掴んで投げるのがターゲット。
結局伝統武術の想定するような相手の手や腕に触れ合う距離で手を掛けてコントロールするという展開は皆無なのだ あと、芦原空手というのが上がっていたけど
今どうだかしらないけど芦原空手は基本組手の公式試合はなかったはず
たしか円心会館がサバキの試合やってるけど
実際やってるの見ると分かるけど、そんな綺麗なもんじゃないからね
フルコンで掴みアリというルールで規定されてるから相手の袖をつかみながら
殴ったり蹴ったりしているという感じで
これが武道として意味があるのかは正直微妙に感じる >>82
素人だから試合でという話になるが掛け手はタイミングで使用するもので、最初からするものではない。
中国武術の試合の動画で掛け手が使えないのは単に試合相手に使えるように練習してないからという話だし、掛け手が有効な技術ではないという証明にはならない。
本部流にもある昔からの掛け手は中国風の試合のやり方ではあるが、さすがに本部朝基先生もボクサーとやり合う時は掛け手を使うまではなかっただろう。
掛け手は拍子の崩しに一番使う場合が多い。
この話が分かるならムエタイの首相撲云々のくだりはとんちんかんな話を出している。
組技にしても古流柔術にある打撃は掛け手でいう本命の技の前の拍子の崩しと瞬間の相手の静止に使うのだ。
アンチはまだまだお勉強が足りませんなwww >組技にしても古流柔術にある打撃は掛け手でいう本命の技の前の拍子の崩しと瞬間の相手の静止に使うのだ。
使うのだ(笑)とかいくら主張しても使えてる実例が皆無だから全く意味がない遠吠えだわww 実例皆無なものを勝手に都合のいい脳内シチュエーションを作り上げて存在するように言ったり
かと思えばMMA等でたまたま型の動作と似たような形になったらすごい拡大解釈してまさに古流だ!wwwwとか言って
大はしゃぎする
型オタのやり方はいつもこんなのばかり
存在しているのはお前の脳内だけだwwwwて話で >>88
使えないと言ってるのも己が体験してないのだから脳内だけでの否定は意味がありませんなww このスレで堂々めぐりになりがちだけど、使えないことの証明は無理なんだから、決着を付けるなら使える証明をするしかない >>91
無駄無駄ww
掛け手を使っても全員に使えないなら使えるとは言えないとかの論法だし、掛け手が使えるなっても型が使えることにはならないと意見は堂々巡り。
一番楽な証明はアンチの命無くなるかもしれんが、掛け手からの膝蹴り、肘打ちコンボでだまらすのが早いなwww
ちなみに剛柔流の久場先生がスーパーリンペイの裏分解の動画で見せる膝蹴り、肘打ちは見ていて気持ちいい威力を感じるね♪
https://youtu.be/WPW_WShEH7c >>92
内容の是非以前に、文章が散らかりすぎて何が言いたいかよくわからない >>92
スーパーリンペイか
他流だけど、全空連の若井敦子の型を録画して2時間で順番覚えたわ。懐かしい
で、クソ長い動画貼って時間稼ぐのやめたら? そもそも無意味論を唱えてる奴が、格闘術を何も身につけてないので、使えてるかどうか分からない中で、
使えない
と結論付けたところからスタートしてるから、議論にならないんだよな
もしくは、とにかく使えないと言い張りたいだけなのかもしれないけど。 >>93
それはお前の現代文の点数が低いだけの話で勉強が足りねえだけだろ。
>>94
型の順番覚えただけなんざ素人と変わらねえよ。
知ったかぶりで口出してんなよアホ。 >>95
またでたよww
この手の「勉強しなさい」「自分で探してごらんwww」みたいな
客観的実例挙げられないのに無駄に上から目線のハッタリで誤魔化そうとする論法
やればわかる、お前が未熟なだけだ、云々全部それ >>97
誤魔化すだのハッタリだのお前が言うなww
一応聞いておこう。
お前がよく例に出すMMAならどれくらいの掛け手の例が出れば使えると言える?
逆に空手の型が使えないというならどれくらいの型の鍛練をした空手の選手が試合で発揮出来てなく負けている?
それを出してくれ。
お前のいう客観的事実を勉強させて頂こう。 ここまで掛け手の実例なし
一つも出てないてヤバない >>96
じゃあお前は出来るの?
出来るようになってから意見してね 出きるかどうか分からずに偉そうに知ったかぶりするようなことは言わんのでな。
まあ剛柔流している人からすれば覚えただけの奴が訳知り顔で話すのを見たらシメたろうとは思うよね。
ちなみにこちらの動画はよく過去スレにアップされていた空手の型の技の動きと組技やMMAで似た動きの動画だ。
https://youtu.be/nDs7RPboEO8
アンチがこれを見ても型が使えるかどうかは分からないというのは分かっているが、逆に思ったのは動画の動きの練習をして試合で使い、身に付いたら型の練習した時は使えるということにならないか?ということ。
型が達人の技を組み入れた構成なら、試合で使っている技が入っている型を練習して、他の人も型やってから試合したら使えるとなるんではないか。 >>101
>出きるかどうか分からずに偉そうに知ったかぶりするようなことは言わんのでな。
要するに出来ないわけか
じゃあ黙れよ >>102
リンク飛ばないしソースが古いんじゃないの?
どうせ脳内なら脳内もアップデートしろよ >>101
>逆に思ったのは動画の動きの練習をして試合で使い、身に付いたら型の練習した時は使えるということにならないか?ということ。
型ヲタが今更思いついたことを言ったって、既に昔の人が約束組手というものをとっくに作ってるわけで
それが通用した前例が無いからやはり使えないという結論に至る >>101
使えるかどうか分からないというかこじつけだからなそれは
>逆に思ったのは動画の動きの練習をして試合で使い、身に付いたら型の練習した時は使えるということにならないか?ということ。
そんな事やって無理やり使えると言い張って何の意味があるのか?
普通にMMA習ってるだけじゃないか >>106
あっ、やっぱり意味分からなかったかwww
まあ、アンチのレベルはそんなものだな。
型が使えないない、弱いと思うなら道場で腕試ししてみて実証したらどうかね?
動画ばかりもつまらないだろう。 >>107
>型が使えないない、弱いと思うなら道場で腕試ししてみて実証したらどうかね?
そろそろさ、アンチの意見が型を学んで道場で試した上での結果だってことを認めろよ >>108
だとしたらかなり知らない奴だな。
フルコンにしろ、総合にしろ、掛け手知らんとか、型の技は全然使えんとか長く武術・武道・格闘技を経験した人なら完全に否定する人はあの朝倉選手でも断言せんと思うがな。 >>109
型とかどうでもいいとか言って総合のジムに行った経緯はあるけどな >>110
尚更ウケるww
才能はないのは理解したwww >>108
頭が悪過ぎて応用範囲まで出来てないだけじゃねえか
路上の粗大ゴミ兄弟みりゃ解るだろ 型ヲタがここでウンチクたれてるのは、それすなわち、才能が無いからでは? >>114
悔し涙流させてごめんな。
多分お前にも何かの才能あると思うよ。
あと、型の鍛練に才能の有無は別だから。
鍛練続ければ大なり小なり変わるから。
( ゚д゚)ハッ!!
すまん。
型の鍛練を長く続けることができるのもお前みたいのがいるなら才能と言えるな。
…そういう点も考えるとやっぱりお前才能無いわ〜(^_^;) >>102
当然、卵が先だよね
再現性が無ければ使えることにはならないから >>116
卵はどこからきたんだろうね?
無から技術が産まれたにしても効率が良い、または有効な技とかはどこから来たんだろう?
格闘技だってベースとなる技術があり、繰り返すことで技を身に付けるが…。 >>117
だから、ベースが卵であって、総合格闘技で出した技が空手の型に似てる部分があるからと言って、空手の型が卵になることはない
卵だと主張するなら、ちゃんと空手の型から育てた実績が無いとね >>118
私の見解は単純だけど、最初は総合のようなシンプルな構成、すなわちパンクラチオンのような徒手空拳であったのだろう。
様々な文化が入る中で達人と呼ばれる人達が研鑽し、より良い練習しやすい体系にしたものが型となり、その有効性が認められ、空手は型で研くというスタイルになったのだと思う。
現代の総合は更に空手や柔術など、研かれた武道を使い、更に変えようとしているかもしれないが、また最後は型に戻ると思っている。
それは学習したものをまとめ、後進に学ばせるのに適したものは型だから。
私の中では型は卵であり、格闘技は卵にまとめる元となる鶏という感じかな。
ちなみに沖縄の達人達の型の演武の動画の最新があったので貼っておく。
https://youtu.be/6I_CWXxjKQo >>119
そもそもにまで失礼すぎて、無神経で気持ち悪 組手をやらない空手流派が総合で活躍しなきゃ成り立たない理論だな、そりゃ
それは無理というものだ やっと書き込めたよ。
まーた規制食らってさ。他の板であんま長文投下するもんじゃねーなやっぱ。
遊ぶのは武道板だけにしとこ。
じゃあ、遅くなったけどレス返しとくか。
>>68
>昔はやってなかっというソースがないようですが?w
え、無かったことのそソースを要求するって馬鹿ですか?
>松田さんが紹介するまで中拳なんてほとんど一般に知られてなかったやん
そうだねえ、だから松田さんが紹介して世間にも中国拳法ってのが知られたあたりから
カキエを導入したんだと思うよ。俺が調べた限りでは戦前の剛柔流の練習でカキエなんて
まず出てこないからなあ記載も証言も。
ところで再三言うけど、テコンドーを代表とする万能壁画って便利だよな。
日本人はそういう朝鮮人のような思考に染まらないことを切に思う。 >>124
そうおまえみたいなこじつけホモ野郎はさっさと半島でしぬべきだな >>69
いや、日中交流どころか、さらにもっとあとの可能性もあるぞ。
いまググったら日中友好協会が発足したのは1966年だけど、俺の予想では1966年どころか
もっとあとの1980年代後半、遅ければ2000年ちょっと前になってカキエを取り入れた可能性
もある。どこら辺で取り入れたのかまでは追って調査はしてないが、まあ戦前にカキエなんて
稽古が剛柔流で普遍的に行われていた痕跡が見受けられない時点でお察しってところだね。
>戦後の日中交流で推手をパクッてカキエを作ったと言うなら
>(中略)史実を出すべきだね。
バカか? 存在したと主張する側が証拠を出すのがスジなんだよ。
存在したという証拠が確認できないから、俺はそんなものは戦前に普遍的に行われておらず
戦後になって急に登場したね、と現実を述べてるだけ。
例えばさ、高弟の誰が宮城長順とカキエしたのよ? カキエで宮城の得意な技はなんだった?w
まあ、宮城長順との自由組手を誰も体験どころか見たことない時点で、カキエなんてものを本当に
教えていたのかどうかも察しがつくでしょ。つかないって言う人が居たら、ぜひソースをどうぞ。
繰り返しますが、万能壁画って便利ですね。 >>69
> 付け足すと、仮に中拳からパクったとしても
(中略)この意見と違うくない?
違くありませんよ。ようするに時代の流れです。
門下生の一部の学生が自由組手をちょっとやりたがってる程度なら知ったこっちゃないですが
本土の伝統派やフルコンなどの空手が世界的に広まってどこもかしこも自由組手や約束組手を
やっていたら、対人稽古してこなかった沖縄唐手も何か取り入れなきゃと焦っただけ。
>>119
>様々な文化が入る中で達人と呼ばれる人達が研鑽し、より良い練習しやすい体系にしたものが
>型となり、その有効性が認められ、空手は型で研くというスタイルになったのだと思う。
うん、まず冒頭の「達人と呼ばれる人たちが研鑽し」っていうのが、
そもそも沖縄唐手はロクに対人稽古してこなかった時点で破綻してるのよ? 分かる?
武術である以上、対人を立てずに研鑽のしようがない。故に技術の発達のしようがない。
踊りだったら対人を立てなくても1人で舞ってればいいんだから研鑽は出来る。
そして、型は踊りが発祥なんだから1人でやるのが当たり前だったというわけ。
そして、対人なんて(ましてカキエなんて)そんな怪我するし痛いし疲れるし
相手も必要なことをわざわざやる必要なくて戦後過ぎまでずっと来ちゃった
というわけ。 俺は型肯定派だけど、歴史的に見て対人稽古をしてこなかった以上、型にロクな技術は詰まってない
と指摘している。
また型否定派も、型オタが言うような型に詰まってる凄い技術()とやらを誰も公の場で証明できていない
と指摘している。
で、型オタは馬鹿だから悪魔の証明や鶏卵問答などは難しい(世間一般では簡単なんだが)ことを理解できず
「型が使えないということをお前らが証明しろ!」とかアホなことを言い出す始末。
結局>>91が言うように無いことの証明は不可能なんだが
それを理解できない頭の持ち主(型オタ)にいくら言っても、まあ徒労に終わるよね(笑) まったくクソ運営が。
またいつ規制食らうか分からないから、俺が居なくなってもアンチでも
シンパでもどっちでもいいから引き続きみんなスレ保守してくれよな。 あ、書き忘れた
上地流にはカケとか掛け手(会派によってまちまち)と呼ばれる手首同士をひっかけて
攻防はしないがお互いに腕相撲のように引っくり返すような対人稽古が存在する
上地流の場合はかなり早い時期からこれをやっていた可能性があるが
それとて手首の引っくり返し合いのようなもので突きだの蹴りだの投げだの
攻防を繰り返すようなものではない。
剛柔流のカキエも、本来は手首をひっかけ合う程度の稽古としてなら
存在はしていた可能性はある。ただし、それでも取り入れたのは戦後になってから
あるいは戦前の時点であってもやはり手首の押し引き程度で、手首を引っ掛けた状態から突くだの
蹴るだの間接だの、そういう本部がやっていたような稽古の記録は見受けられない。
今でも本部の系統がやってるのは、そりゃ本部がやってたから細々伝わっているのは当たり前というだけのこと。
お互いに相手の手首を掴んで小手を打ち付けあう稽古は松涛館流でもやっていたと過去に書いたが
もしカキエというのが古来からあったとしても、そういう部位鍛錬寄りの対人稽古のひとつ程度だった
というのが実際のところだろうね。久場先生がやってるようなカキエからの突いたり関節取ったりの攻防とか
新興応用創作鍛錬乙、ってところでしょうな。どっちにしろ、あまり結論に変化はありません。 そもそもさ、本部は自由組手の経験あるのに、なんで掛手なんていう尻相撲のような
実際の取り組みに関係あるのか疑問な稽古を習得していたかという疑問が残るんだけど
当時の沖縄では俺が前々から指摘してるように大部分の唐手家が自由組手なんてしたことないし
やりたくもなかったから、仕方なく自由組手よりはまだ相手からしたら心理的にハードルが低く
また自分にとっても手加減をしやすい掛手なるものを「仕方なく」代替手段としたんじゃないかな。
その掛手にしたって、それすらやりたくない人が当時の唐手家の中では大多数だったと思うよ。
今現在、掛手なんてものが流行らないのは、寸止め、フルコン、防具など
自由組手の環境が揃っていて行う相手役にも困らない状況だから。
手首をひっかけた状態で〜〜、なんていう面倒な制約をわざわざこしらえる方がおかしい。
ボクシングもムエタイも、最初の段階でスパーリングがデフォだったから、掛手なんてものは
発祥しなかったんだと思う。中国拳法は自由組手に相当する散打を行う流派は少数だったから
推手(掛け手)なるものが大いに流行した。そして、中国拳法も沖縄唐手も、MMAの世界では
同じ立ち位置に居るね〜、という話。どういう立ち位置とは言わんけどさ。
スパーやってきたボクシングやムエタイも、それぞれお互い同じ位置に居るね〜という話。実力がモノをいう。
長々書いたけど、沖縄唐手は対人稽古をしてこなかった時点でもう詰んでるんだから
型オタは型に夢を見るのはやめようって話。スパーも組手もせずに相手を打ち倒す技術なんて発達のしようが無いから。 いつも通りこじつけ流エア手にしたくてしょうがないんだな
おまえの統失ファンタジー承認欲求なんてここですら誰一人汲んでないんだから
そろそろ空手やるとこから始めろよエア手のホモ野郎 まあアンチの文章を読み、相変わらずの無知ゆえのつまらん駄文の展開であるなあ。
次のページのを見ることで2つのことが分かる。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~thaishun/taikyoku5-3.htm
一、くっついて相手の動きを探る訓練は太極拳が有名だが、少林拳や他の武術にもある。
二、離れて戦うための前段階の練習が元の意味だが、太極拳は基本戦法がくっついて戦う。
上地流や剛柔流は太極拳と同じく接近しての戦いをイメージしている戦法ゆえにカキエなどあり、更に太極拳のような発勁法がなくても倒せるように手を武器化したと見るべきだろう。
首里手にもカキエ的な練習はあるが、どちらかというと古流剣術的なタイミングや技といった方法で一瞬の交わりで斬る戦闘のイメージだろう。
ゆえに首里手は型と約束組手を練習の主軸としたし、技法も接近戦とは違う発勁的な当破をメインとした。
アンチが言う過去に対人の練習、すなわち試合の練習に関する記事や記録がなく、誰も見てないし、練習も無いしというが、記録が無くても練習は伝わってる。
昔にはなかったというのも、恐らく大陸から武術が伝わったり、大陸に渡った人がいることから無いことは考えにくいし、アンチのように断言することはできまい。
で、型が使えないかどうかについてはいつものようにオフ会でアンチ相手に戦えば分かるだろう。 >>131
掛手は本当に無意味だよなw
あんな無駄なものに時間と労力を費やすなら
素直に柔道かレスリングをやった方が遥かに強くなれる 柔道かレスリングやる
と
掛け手
が同一線上なのがアレだなぁ 型ヲタは運動が苦手なんだから柔道やレスリングをやるなんて自殺行為に等しい 型にしろ掛け手にしろ、真偽を確かめる前に「効果がある」という前提でモノゴトを発言しようとするから
おかしなことになる
根拠の無い袖は振れないってな。それでも無理に振ろうとすれば、そりゃ苦しい言い訳にしかならない。
イイ加減、盲目的に使えるだの効果があるだのを「前提」にして主張するのはやめろよ見苦しい。
まともな常識持ってる人間なら、思考停止の先入観ではなく使えるかどうかを判断してから言うよ
そしてまともな人間なら、使えないと判断したとしてもやるべき理由や立場であるなら
何も誤魔化すことなくその旨を主張するよ
俺が今までスレ見てきた型肯定派の中で、一番ノレンに腕押しだったのは、何をどう煽ったところで
「組手に直結してるとか効果があるとかは思えないけど、伝統だからやってる」っていうスタンスの人間だな。
ここまで潔く言われたら↑さすがに二の句は継げんかったわ。ああ、そりゃ仕方ないよねという話。
実際のところ、多くの空手家がこの事実に無意識に気づいてるんだけど
それを認めると夢が壊れるし自分がやってる事が無意味だったり徒労に終わる恐怖もあるので
かたくなに「型は使える」「伝統的な稽古には意味がある」とか論理よりも前に「感情」で反論する。
本来ならその感情を抑えるのが空手(というか武道)の目的のひとつだと思うけどね。
件の彼は見事にそれを体現していて、あっさりこちらの指摘や現実を認めた上で
「それでも伝統だから続けるよ」と見事に自分の立場を気負うことなく表明してた。
地味だけどこれはこれで少し尊敬したね。思考停止、先入観、盲目的に型を弁護する感情的な輩よりよっぽどマシ。 >>140
盲目的に否定。
それがお前のレーゾンデートル。
どこにも行けない、無反省、非建設的、孤独。
そして無意味、自慰行為。
憐れ。
>イイ加減、盲目的に使えるだの効果があるだのを「前提」にして主張するのはやめろよ見苦しい。
鏡を見てから言いたまえww 盲目的な目を開かせるために、是非とも昔の唐手家達が自由組手で型の技を使った記録を教えてくださいな
え〜と、本土に来た唐手家は弟子がいっぱい居たんだし
沖縄にも唐手家居て弟子もいっぱい居たんですから
「さぞかし」弟子に自由組手で稽古つけた記録は腐るほど残ってるんでしょうね。
唐手家達が自由組手で型をどういう風に使ったのか、お答えくださいな。
あ、どう型を使ったのかが都合悪いのでしたら、弟子達との自由組手の記録だけでもいいですよ、どうぞw なんせ唐手家の数だけでも100人は軽く超えておりますし
その弟子も合わせれば500人は軽く突破しますわな
当然沖縄で戦前の唐手家たちが弟子に自由組手で稽古つけた事例なんて10や20は平気であると思います。
手始めに弟子が多かった糸州がどういう自由組手をつけていたかの証言からいってみましょうか? どうぞ。
あ、糸州が都合悪かったら東恩納でもいいですよ。どうぞ。 >>142-143
パッタリとレスが止まってる。都合の悪いこと聞いちゃったかなあ?
自由組手の部分が都合悪いのでしたら、自由組手のところをカキエに変えてもいいですよ(笑)
糸州や東恩納で都合悪かったら他の唐手家の自由組手なりカキエなりでもいいですよ(笑)
沖縄の人口と唐手界の規模や歴史から考えれば唐手家の自由組手やカキエの事例は10や20あって当然でしょうし
遠慮せずお答えくださーい。存在しなくて答えにつまってるなら可哀想だから質問を取り下げてあげてもいいですよー。 空手は独特の術。習い始めは「これなら自己流の殴り合いを繰り返して
いる方が早く強くなるんじゃないか」と思うことも多くあると思う。
そして型はどうか。実際に人間とぶつかることがないので、それだけで
徒手の格闘が強くなることはない。ただ一人でやる稽古である利点として
空手特有の技やその体重のかけ方などを確認するのに役立つ。 >>146
>空手特有の技やその体重のかけ方などを確認するのに役立つ。
対人戦において使える技、というのは対人稽古を重ねてこなければ解発も習得も出来ません。
そして、唐手は対人稽古を歴史的にずっとやってこなかったんだから
肝心の型につまってるとかいう「空手特有の技」ってのが
対人稽古をしてこなかった以上、生まれようが無いし習得のしようもないのよ。つまり非現実的。
その非現実的で使えないシロモノを世間一般では「妄想」と呼ぶのですが
まあ百歩譲って「技」としましょう。
で、その使えない技だとか、使えない技を行うにあたっての重心だとかを確認する事に何の意味があるのかなと。 涙ぐましい言い訳は「危険過ぎるから使えない」とかね。「秘密性が高いから使えない」とかね。
「使えるレベルに貴方が至ってないから使えない」とかね。
そういう見苦しい言い訳をするくらいなら
「使えないけどファンタジーとしてでいいから練習したり妄想したりするのは楽しいし健康にもいいからやってる」
ってハッキリ言ったほうがよっぽどマシだよね。現実を現実と認める心の強さを身につけるのが武道なんじゃないかな。 実際、日常生活でガチの殴り合いの喧嘩することなんて、まともな社会生活してれば3年に1回あれば多い方だろ?
そんな数年に1回あるかないかのためなんてのはコスパ悪いんだよ。
>「使えないけどファンタジーとしてでいいから練習したり妄想したりするのは楽しいし健康にもいいからやってる」
↑こっちの方がよっぽどコスパいいんだよな。娯楽がなかった昔の時代において上手く機能していたし
運動不足の現代においてもやっぱり上手く機能してる。実戦がどうとか言うよりも、日常生活を楽しく送れるこっち↑の方がよっぽど尊い。
型を支持する人はこの路線でいきましょう。
どうしても実戦がどうこう言いたいのでしたら、現実的なものをこじつけてから言いましょう。昔ながらの型には何も詰まってません。 >>148
長く書きまくってご苦労だねwww
自由組手の記録がなぜ無いのか?
そんなの分からないとはバカだなあww
自由組手の前には一定のレベルに達したと師が認めたものは変手という技を掛け合う練習をするよね?
それを終了したものは実際に使うかきためしなどの野試合など行うが、当時でも野試合は人に見せるようなものとしては認められてなかった。
だから、そんな大っぴらに誰々とかきためししたとか記録に残せる訳ない。
本部朝基先生は後に記録や話を出してかきためしの伝が伝わるが、それも彼以外は無いし、現代の路上のカリスマの朝倉選手も記録にしてあるのは動画わずか。
他に道場でも自由組手の記録がないのは生徒同士勝手にするのは禁止だからやっても記録には残せないし、先生が許可出した場合も上級の練習だから当事者だけ。
拳法概説で確か屋部憲通先生が自由組手の話書いてたんじゃないかな。
あと、日本の古流柔術も自由組手なるものはあったが、やはり師が許す上で立ち会う以外は野試合禁止だった。
理由は柔術も空手も技の終わりは人を殺すまでがセットだったから。
今の世の中の試合があるのはルールや防具があるから安全だし、見せられる。
岩があるような野外で、金的も目突きも関節へし折るのもありな野試合も立ち会い者が居ないなら単なるころしあいになる。
それを記録に残すようなものは宮本武蔵など武芸者くらいで、普通に役場に勤めたりしてるものが野試合しましたなど生活に不利になることするわけないだろ。
そんなことも理解できんとは。
昔のそういう話を知らないで無邪気にかけるアンチは自分で無知でバカだと広報してるようなものだ。 >>150
>自由組手の前には一定のレベルに達したと師が認めたものは変手という技を掛け合う練習をするよね?
ええ、ですからその掛け合う練習の事例を10や20だしてくれと言ったんだよ
糸州はどういう変手やカキエをしてたんですかあ?wwwwwwwwwwww
弟子いっぱい居たんだから当然記録残ってるだろwwwwww
糸州で都合悪いならほかの唐手家でもええでwwww 昔の唐手家たちが自由組手を経験したことなくてクソ弱かった、ってことを認めるのがそんなに苦痛なのかねえ
型オタは心の修行が出来てませなあ 昔の唐手家たちが自由組手を経験したことなくてクソ強かった、ってことを認めるのがそんなに苦痛なのかねえ
組手オタは心の修行が出来てませなあ いや〜、変手がどうとか技を掛け合う練習がどうとか言ってるから
じゃあ有名な唐手家たちは弟子相手ににどういう稽古つけてたの?
って聞いたらダンマリか誤魔化してばかりなんですもん
無い袖は振れないね 型は踊りが発祥 → 大したものは詰まってません
踊りが発祥だけど唐手家が型に技術をこじつけた → こじつけどころかロクに対人稽古もやってきてません
これが現実なんだが、それでも型に意味があるだの技術がどうだの言ってるのって病気か何かか? 空手の技は独特で、その使い方は型で確認するのが有効である。
いきなり対人練習をしてしまうと筋力に異常に頼るようになったり
空手から外れた技に変質してしまうことがある。 空手の型を見た目で総合格闘技その他の格闘競技に関連させて
考えようとするのは間違いである。
型で体を練ることと技の確認は格闘競技を目的にはしていない。
当然対人稽古ばかりをやる方が対人格闘で強くなるには最も有効
である。 >>151
今さらだが文章読解が弱いんだね。
だからお前は教わったこと身に付けられないんだろうねww
わざわざ丁寧に書いたんだ。
10回読んで内容分からなければ、あとはお前の身体に痛みとして刻み込むしかないかな。
世の中にはいるからね。
一定数は。
頭じゃ理解出来なくて、身体に直接でないと分からない奴がさwww >>158
おやおや、結局どんな自由組手やカキエをやってたか答えられませんかあ。
都合の悪いこと聞いちゃってごめんねwwwwwww >>159
昔見た2ちゃんねるの中にあった話では、(笑)とかwwwを必要以上にたくさん書いたり、より激しく相手を落とすかのような表現をしているときはとても相手が感情的になり、ダメージを受けているからマウンティングで心を守るために書くんだとあった。
私も同意、異議無しで、アンチがなんか分からないが負けているのが感じられる。
一言で言うなら、私の文章はアンチがそれについて反論したりすることを封じてしまった。
だから、書き込み内容が何度も書いたような程度の低いことを書いてくるのだろう。
自由組手については上級者がわざわざ練習としての記録を残すことは現代でも必要がないと同時に野試合をわざわざ記録する空手家はいない。
アンチが通う変なところはもしかしたら毎度の自由組手を未来の人が人類史に使うかもしれないと思い記録してるかもしれない。
どちらにしても言えるのはむきになったアンチは干からびたクソみたいなもので見えるとこにへばりついた残骸にすぎない。
どちらにしてもクソであることは間違いないが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています