>>11
>それぞれが型を元に用法を考えるのだ。
>それでは型である意味はないではないかという考えではなく、型を元にして用法を考えるのだ。

うん、その通り。だから貴方も古伝でも何でもない「僕が最近考えた」「新興創作空手」を頑張ってくださいね(笑)

>>12
でもねえ、あれは当時大多数に受け居られたのよ
上でも書いたけど、それまでは分解っていったら前後同時受けとかが主流だったんだもの。

だけど面白いことに、その前後同時受けの分解でさへ隠されていた空手が世に出る前は特に不満の声なく行われてたよの。
不満の声が無かったからって、じゃあみんなは現実的だと捉えてたのかというと、それは違うよね。
もし前後同時受けの分解が現実的だと思っていたのなら、隠されていた空手の分解はあそこまで受け入れられなかった。

つまり、みんなも口には出さないけど頭では既存の分解はおかしいって思ってたんだよな。
でもさ、じゃあ隠されていた空手の分解が実際の組手で使えるかというと貴方が>>12で言うように無理があるんだよね。
それは危ないからとかじゃなくて、攻防や動作としての構造上無理がある。

でもそれが受け入れられた。じゃあ今でも主流であるシルエットクイズを用いた「隠されていた空手っぽい分解」を
みんなやってるけど、それを本当に使えるかといったら、多分前後同時受けの時と同じくみんな深層心理では非現実的って
気づいてるんだよね。おそらく。だって、道場の自由組手で使えって言っても無理だし、自由度の高いmmaでさへまず見かけないもの。

じゃあ何で型の動作をうんうん考えて「分かった、こういう意味がある!」とかみんなやってるのかというと
前後同時受けの時と同じく、内心では使えないって分かってるけど、そっちの方が都合がいいんだよね。型に意味があったと思いたいし、
なんか武術っぽいことをしている自分が好きだし、競技や組手で弱くても自分は型の理解で人より進んでるみたいなね、そういう気持ち悪い優越感とか
涙ぐましい心の防衛とか、ようするにオナニーと一緒。だから本当に強くなりたいとか本当に型を使えるようにしたいとかは思ってないと思うよ。マジで。