ところで、存在する技術は全て(ルールに)投入してしまって闇鍋にしてしまえ、といったスタンスには個人的にやや批判的です。

(中国)武術とは真のノールールであり、あらゆる事態や兵器をも想定してこそだから・・・とする理念は理解できます。

これは結果的に、ルールとはジェネラリストvs.ジェネラリストたるべき、との発想が支配的になります。

ただ例えば、レンタカーを運転していた時(借りる場面を目撃されて、裕福と錯覚されたのか)善意に付け込んだヒッチハイカーに後部座席からハンドガンで脅されたことが有ります。

この場面だと打投極遺漏なくこなせるオールラウンダーよりも、裏拳一つのみが出来る劣等生が機能する確率が大きいです(私は裏拳を知らないので、裏拳では対処できませんでした)。

ここでたとえ私が権力者であって実は核爆弾を保有していたとして、「真の実戦とは核爆弾をも含めたマルチプレイを意味する」「核のボタンさえ押せれば・・・」と主張しても問答無用で撃たれてしまっては無意味ですよね。

つまり本当の武術とは、マルチプレイヤーにも、(裏拳しか打てない)スペシャリストにもイーブンに開かれた姿であるように思えるんです。

なので競技のルールにも、全員にマルチを強要するでもなく、特定の個人や門派に偏るのでもない、徹底的なバランスを求めたい次第です。

>>183
非常によく共感できます。

>>184
二役というより顔役・・・と云うとお叱りを受けるでしょうか。。

>>185
私は手堅く三面張派ですが、源平麻雀でサマを使う時は形意八卦の歩法が活きますね。
卓下で牌を投げ渡すのに、露骨なサブマリン投法ではどんなにリストが強くともバレますね。
歩法で投げると、最小限の手首のモーションで弾丸パスが通るんですよね。

>>186
センスフルだと思います。