【公式】合気道関係総合スレ9【ワッチョイ】
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合気道関係の総合スレです
初心者から有段者まで、会派、流派問わず語りましょう
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VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured >>236
そういう話は眉唾だから、話半分にしといた方が良いよ。 >>231
合気道に限らず武道をやる人間は基本的にドSだったりトラウマがあったりする
技をかけるときはドSで受け身の時は受け身の練習だと思ってる
あなたは武道をするには優しすぎる 俺もそう思うけど初心者ほど
やったやられたと言うんだよね お互いの身体を使い、確かめ合い、学び合うのだから、お互いに尊重し合わないと。やったやられたではないと思うがなあ。
だからお互いに「お願いします」「ありがとうございました」と礼をするものだとばかり思っていたが。 その通り! 技を身に付けるためにお互いの身体が必要
形だけの礼が多いように感じる 稽古後の「ありがとうございました。」を心から言えるようにしたいね。
自分の下手くそな技にも受けを取ってくれてありがとう。って意味もあるんだよって師匠から教わった。
当時は、稽古後、相手をしてくれた人全員に「ありがとうございました。」を普通にしていたな。
今の所属道場ではそんなことしない。他の道場でもそんなことしてるの見たことない。 下の人と組んだ時に大半が教えてやってると思っている有段者ばかりだろう
そういう有段者を育てた師範が悪いわな
手本を示すのが師の役割で弟子はその鏡 合気道って武道の中でも対人関係重要だから神経質には向かないのかな
淡々としてる人ほど長続きしてるような やっぱり教えてやってると思ってるんですかね
めんどくさい表情してる人も確かにいます 何事もステージとして小の兵法(戦闘技術)から大の兵法(政治 外交)に上がってゆくものですが
ぶつかり合いの段階を経験せずして 人は和合の段階に成長出来るものなのだろうか?
経験ない者が口先だけの和合なぞ唱えたところで どこまで実践出来ることやら
土台として他武道でも良いから乱取りスパーリングなど真剣勝負のぶつかりあいの稽古も経験しておいて良いと思うんですけど(特に学生時代や若いあいだは)
理由としては上記の『真剣勝負の経験 土台が無くして和合の精神なんて追求できるんでしょうか』というところ 合気道で乱取りすると怪我もしやすいし あくまで対手との間や呼吸を養うため
本気で仕掛けてくる 本気で抵抗する相手とはどんなものかの感覚を養う程度でいいかと考えています。
柔道の稽古に参加するだけでも(もちろん柔道のルール内で)合気道の足捌き体捌きの練習に役立ちますし。
(本気で動き回って堪える対手の正中線を崩す稽古って合気道でなかなか出来ないじゃないですか まして投げられない事に長けてる相手に)
柔道メインのパワー信者相手に合気道で学んだもの試せる良い練習場になりますし
(特に合気道で特殊な稽古をするべきとは推奨していません) 合気道しか経験したことのない者同士で乱取り稽古したところで
くだらない手首の極め合いになるだけかと考えています。
第一に合気道探究の役に立たないと思います。
SAや覇天がその典型かと まぁ歳とってから試合だの乱取り稽古をしろとは言いません(怪我もあるし逆に健康を損なうので)。
ただ若いうちは他武道他格闘技でも良いから乱取りスパーはしといた方が良いとおもいます。
型稽古しかやったことないと
取りが手加減してくれていること
受けが技に掛かってくれていること
そんなことすら気付かない人間になっちゃうと思います。
誤解を招かんないようもう一度言いますが、
『若いうちは』乱取りスパーなどある武道や格闘技はやっといた方が良いと思います。 この流れの書き込みをすると、
「合気道は武術ではない、思想だ、哲学だ!」と5ちゃんねるでよく目にしますが、和合や万有愛護を日々の生活でどのように体現されているのですか?
正直、普通に仕事してるだけでも、コミニュケーション力や相手の立場になって考える力など養われると思うのですが。
合気道をされてる皆さんの折衝力はビジネスマンや公務員のそれより更に優れているのでしょうか?
合気道の哲学や思想を学んで、生活はどのように変わったのですか? >>251
其れを聞くと合気道オンリーの絶対至上主義の人からしか回答来なくて宗教布教になるよ 本物は語らずとも実践
その足跡は現在進行形では語られず後世になってから口伝で伝えられていく
まあ口伝になると背鰭尾鰭が付いて本当の事がわからなくなるけど 合気道を稽古しても自営業で更に儲けたりリーマンで出世する、家庭生活で女房と更に良い関係を築けるなんてのはないです。
何でもやりすぎれば仕事家庭には悪い影響が出ます。
合気道やる人でも離婚する人はいる。
金持ち以外は武道なんて道楽はやりすぎてはいけない。 >>228
舟漕ぎは技に重要なのに
まあやり方が全く舟漕いでない体操じゃ意味ないけど >>255
当て身の練習という理解でシャシャシャシャとか高速でやってるところあるよね 勢いでやってる道場もあるし
お参りに行く神社の宮司と鳥舟の話になって
合気道の鳥舟より神事の鳥舟はゆっくりというかタルいって言ってた
ちなみに宮司は合気道弐段 幻のラジオ体操第3に入っていたんだよね。
戦前は神道の行法っていうよりも体操の一つとして行われたようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=AY1gBWXGCJk
合気道で行われている船漕ぎは上体をあまり前屈させないが体操の方では
つま先に拳がふれるくらい前屈してる。「体操」としてはその方が分かりやすくて効果があるんだろうな。
船漕ぎと言えば、エッサー エッサーの掛け声を恥ずかしがって出さない人が多いよね。
少年部で教える時にイチニー、イチニーの掛け声に変えたら漸く声を出してくれるようになった・・・・・・・・・・ 体格や姿勢、重心が違うから技も人によって違ってくるのがあたりまえ
師匠の動作をそっくり真似してもダメだって事 >>260
じゃあ自分には何が良いのか?と考えるわけだけど、その結論は観察力やセンスでも変わってくるしねえ。 >>262
コレの原理で両手持ちで受けの後ろに何人か背後から支え合ってるやつを崩してる技をよく大東流の方では見かけたけど合気会でやってる人最近いないよね げっ!!
昭和のトンデモ合気道漫画「ザ・合気道」が
「合気道 『神気』一閃、躍動する武道家列伝」って改題されて
電子書籍になっていた・・・・・・・・・・・・・・・
なんだよ”躍動する武道家列伝”って・・
知らない人がこんなタイトル見たら有名師範のエピソードが漫画で読めるかも って絶対に誤解しちゃうだろ。 合気道やってても友達できないんですがどうしてですか
残って稽古してると友達できますか …友だちって、合気道やってると出来るものなの?(苦笑) >>265
まあ「寄席芸人伝」という漫画で実在の芸人は一人も出なかった例もあるから… >>268
剣道なり空手とか柔道、キックボクシングやレスリングのどれかひとつでもやった方が良いとは俺も思うなあ。
その上で合気道に行く人も居るけど、そこはご縁というもので。
実際、道場で稽古してても格闘技や護身に使えそうな人は少ないみたいに感じるし。 >>270
その通り
付け加えるならやるなら最低初段まで取ってもらいたい
合気道に限った事じゃないけど級と段ではやはり違う
ただ合気道の場合は最初から合気道だけの人の場合脳内最強の人が多いように感じる
この技は絶対掛かるし仕掛けている最中の反撃などあり得ないみたいな > ただ合気道の場合は最初から合気道だけの人の場合
日本語 合気道しかやってこなかった人は、反撃しないデク人形に技掛けてるだけなのに実際に使えると勘違いしている。
どこの世界に反撃してこない敵がいるんだろか。
技の理解をする為の型稽古
実戦形式の乱取り稽古
この二つを交互に行って更に理解が深まるのに、片方だけしか行わないのは習得法として不完全かと >>271
>ただ合気道の場合は最初から合気道だけの人の場合脳内最強の人が多いように感じる
>この技は絶対掛かるし仕掛けている最中の反撃などあり得ないみたいな
そうなるのは、技の動きを覚える段階の稽古しかしないから…てのもあるんじゃないかな。
動きのカタチを覚えさせるには、受けは逆らわず取りのやり方に従う…てのは解るんだけど。
ある程度カタチに慣れれば、取りの動きの無理や隙を指摘して直すべきだし、さらに進めば受けの攻撃の強化や変化をつけ、それに対応する練習もすべきだろう。
更に上の練習方法も必要だろうが、普通はそんなのやらないんだろうな。
だから結局、自分の経験に頼らざるを得ない。
なら他武道やった方がよっぽどノウハウがある、てことに。
まあ、そんなことは上も知ってるだろうから。強さを全員に求めてなんかないんだろうなあ。 >>271
仰るとおり。
せいぜい「力いっぱい抵抗されても自分なら掛けることが出来る」とかね。
自分は実戦を想定してると言いたげなセリフを言うけど、その割には相手が反撃してきたり避けられたりすることは全く考慮されてないというね。 ワイが合気道止めたのもそれが原因
師範が、実戦で使えるが危険だから形稽古では手を抜いていると言ってた
ワイは他武道経験者だから騙されなかったけど生徒は信じ込んでる
運動のためにと始めたが、矛盾だらけの稽古には耐えられなかった なんか言われても心の中で「はいはいw」でいいんだよ
こっちは運動のためなんだから
まあ太極拳の方が精神衛生上いいかもね >>277
違う違う、運動の為にやってりゃ良いのに、合気道側が勝手に拗らせて他武道に喧嘩売りだすんだよ。 あるあるですねー
真意としては俺は俺の合気道が大好きだと言いたいだけなのに、
壁のどこに耳がついてるかも知らずに他所の名前を出しちゃう。 剣は剣
杖は杖
餅は餅屋
コレは合気剣だからとか合気杖だからとか言っても杖道や居合や剣道やってる側から見たら?マークが付く事が多々ある
徒手も同じで突きにしても拳がマトモに握れないし実際に突かせてみたら手首捻る人がいる
まあ教える事ができる人が少ないから仕方ないけど上手くいかなかったらこれは合気道だからという言い訳は辞めたほうがいい
逆に合気道を落とした見方を招いてしまう 言い訳はイカンけど、剣杖の練習するのは別に良いんでない? 武器技は、
興味があってやりたい人はやればいいし、やりたくなければやらなくてもいい。
俺の経験では、やらないとか不要って言う人は、先生からそういう事を教えてもらう機会が無かった人に多い。
杖、剣の型をやっても、「あんなもの型を知ってるだけ、やっても意味ない」とかいう人もいたなあ。
他の支部で体術だけの稽古で有段者になった人、に、「武器技出来ますか?」って聞いてみて
「そんなことやったことない」って答える人は、自分が知らないことを否定する傾向がたまにある。
武器技に限らないし、そんな人ばかりじゃないんだけどね。
師匠からちゃんと教わってそれが合気道の基礎として染みついてる人は、
他の派閥?(例えば武器技でも岩間流と西尾流の違いとか)の動きであっても
意味ないとかそういう事は言わないんだよ。
今はコロナのせいで体術が出来ないので、剣杖の型を教えても昔とは風当たりが変わってる。
そう言う事を知らない人がエア合気道を指導しようとして稽古がグダグダになったこともあったそうだからな。 >>281
剣や杖を練習するのは一向に構わないけどせめて最低限の知識を持っていただきたいものです 戦前は合気会(当時は皇武会か)も剣道部があって、剣道の試合に出てたらしいが……今となっては、剣杖の知識はアヤシイわなあ。 俺は杖道もやってるけど
本部師範の誰とは言わないけど
杖や木剣を床から取るとき置くときに片膝着かないって
剣道居合杖道やってる人か見たらバカだねって思われるよ
置かずに投げたのには絶叫した 今は禁止されてるようだけど、昔は武器取りで取った武器は投げてたんだよなあ。その癖が未だ抜けてないのかな?w 剣をやってても全然中心を狙わんやつがいるんだけど。型をなぞるだけになって基礎が出来ていない。 剣道とかやってても合気取れない人も居ます
「合気」とは剣道、剣術用語の合気でも >>288
それを言ったらそもそも「切る」という事ができてませんからね
だから正面打ちも届かない距離で打とうとする様になる
剣や杖を持つと得物に振り回されて相手と腰を正対させることもできず崩れながら打ち込んでいく癖が付く
其れが徒手にも反映されて届かない間合いから崩れながら打つようになり取りとしては技の理合いが整っていなくてもかかる状態になってるように感じます
他を知っている人は観る事ができるから疑問に感じるけど合気道しか知らない人はこういうモノですと言われればそう思うでしょうね
自分は合気道を習い始めの時に知人の空手有段者の方から「合気道なんて最初からやられに言っているような体勢で打ち込んでいる」と言われました
ガチ間合いでやり合っても技が成立する手本ができる指導者が居る道場ならいいけどそうでないなら畳水練と言われても仕方ない 連投誤字脱字申し訳ございません
ついでに言えばやはり剣や杖を教える人はせめて居合道か杖道の段位を取ってる人でお願いしたい
贅沢言うなら五段以上の方が理想 指導者は生徒に基礎が出来なくても知ったことではないということ。
若しくは故意に死にに行く稽古をしても知らんぷりか、指導者が技を理解していない可能性がある。 居合五段、合気道四段て先輩が居たが、居合は知らんが合気道の腕はそんなでもなかったな。
まあ、持ち出した資料は返さない、宴会代はバックレる…て人間的にアウトな人なので。そんなものなのかもね。 そもそも合気に剣の理が必要なんて植芝が言い出しただけ
大東流はそんなこと一言も言ってない
体軸を崩さないなんてどの武道でも同じでしょ 植芝さんが習っていた剣術の中で最も入れ込んでいたのは柳生流(柳生新陰流ではない)で、
その人達の刀の使い方を見たことがあるけど、今の合気道の正面打ちとは全然違う使い方だった。
どういう過程で今の正面打ちが剣の理論という事になったのだろう? 植芝盛平、「剣の理が必要」て言ってたっけ?
「剣と素手は一緒」、「柔道より剣道に近い」てのは言ってたようだけど。
…一時期、後継者を剣道界から探してた、てのはあるか。 >>297
じゃあ合気道の剣とやらを説明してください 新陰流の話になったからちょっと聞いてみたいんですけど、
神戸先生のところの「柳生新陰流」も転会の「新陰流も(延春さん柳生会はおいといて)厳周伝なんですよね?
YouTubeで古い白黒映像の厳周伝の演武が見れますが、
疋田系の新陰流やタイ捨流など修められてる方が見るとどう映るんでしょうね。 合気道飽きずに続けられる秘訣はなに?
数年やると目新しいこともなく
段持ちの人も毎回初級技やってる
クラス分けしないのはなぜ? 技を極めるには初級技を繰り返すことが重要だとは思うけど、
受けが抵抗するわけでもなく、変化がなく、極められないでしょ だから技を覚える「型稽古」と
実戦形式の「乱取り稽古」
この両方を行うのが本来の武芸武術の稽古です。 型稽古だけをいくらしたところで畳水練の不具者になるだけです。
合気道業界は自分が「畳水練の不具者である」という自覚のない者が多いので、タチが悪い。 国語ノートにお手本の漢字や熟語や文章を真似て書く練習をしているのが「型稽古」
練習ノートにいくら書いたところで、作文や小論文、文章問題の問いに対して考えて答える等の対策にはなりません。 >>303
週数回を10年以上やってるけど全く飽きないなー。
同じ初級技でもテーマを変えればいくらでも追求できるし。
殺傷術としての武術と解釈して稽古すると今の時代だといずれアタマ打ちになるのはなんとなく理解できる。 岩間に伝わる合気剣は鹿島新當流の影響も受けてる(一応、植芝盛平は門徒として名前を書いている。見とり稽古が主体で実技は弟子任せだったようだけど。)ようで、お互いの一の太刀が外見上似ている、て話があるんよな。
俺が思うに、銃剣道の影響もあるような。一種、独特の剣なんよな。
剣道経験のある二代目も、著書で『普通、剣は離れた位置で相手を斬ろうとするが、合気剣は体術と混じっていて、相手に近づく剣でもある』と語っていたと思ったが。残念ながらソースを思い出せない。
幸か不幸か、植芝盛平は研究を続けていく中で技が変わり続けているので。
どの時代に習った弟子かによって、技が違ったりする。
他にもいろいろな合気剣の解釈があるのかも知れない。 >>309
( ´∀`)人(´∀` )ナカーマ
俺も年数も週の稽古日数も同じくらい
同じ技でも課題持ってやると変わるし
上段者や上級中級初級初心者と同じ稽古をやっても違いがあるから飽きない
所属道場の先生は有段者には有段者の
白帯には白帯の課題を与える稽古をやってる
稽古への探求は指導者次第なところもあると思う。 >>311
そんな素敵な先生がいるんだね
いい道場だなあ 剣をやればいいですよ。全ては剣の理合。四方投げも小手返しも。 武術としての合気道の特徴は、流れるような体捌きと呼吸力にある。
しかしそのいづれもが心の持ち方と使い方を無視しては全く成り立たない。 合気道で一番大切なこと
開祖植芝盛平先生の教えをよく学ぶこと。
穏やかに自分をみつめて観察する心をもち、他人を批判しないこと。
沢庵禅師の太阿記の冒頭の言葉「蓋兵法者 不争勝負 不拘強弱 不出一歩 不退一歩 敵不見我 我不見敵 徹天地未分陰陽不到処直須得功」を良くかみしめること。 そういうのは烈しい稽古をしてきて一定以上の水準に達した者への言葉であって、
型稽古しかしていない合気道修道者にとってはヌルい稽古の言い訳にしかならない 古武道の人が剣道、柔道のやつには勝てるよとか昔から言うが、剣道柔道のように厳しい稽古はしなくて自営か会社勤めをしているだけ。
剣道の人に剣術の技が当たるのか、鍛えこんだ柔道の人に柔術の当身が当たって必ず倒れるかは検証はなく無視されている。 全ては練習量だよ
合気道も一日8時間やってたら相当なもんよ >>316
言っても無駄
出来ない人ほど開祖や先人の言葉を使う
先人や偉人の言葉を持ちいて他人に講釈する輩は今の自分が空の人の特徴 >>318
そんなこと言って、アンタは実際に8時間もやってるのか?
どうせ毎日8時間もしてもないくせに、してても仕事と家庭を蔑ろにしてるだろうし、どちらにしてもアンタは糞人間だよ。
あと稽古や練習は「量より質」な。 >>321
突然現れ、罵声を浴びせてプロファイリングかw 週に一時間半くらいじゃ質も量もない。
仕事家庭稽古の三つ巴どれも上手くいく話なんかないわ。
仕事優先なら稽古は犠牲に、稽古優先なら仕事は犠牲にです。
家庭優先は稽古仕事が犠牲。
体はひとつしかない。
理想通りにはいかない。 クリント・イーストウッドファンのお叱りを覚悟で申し上げれば、本作はイーストウッドの遺作になるような気がします。80歳を超え、尚、創作活動に情熱を傾けて来たクリントも90歳を目前に、来し方を振返り主人公に託しファンにラストメッセージを発してるように感じたのです。本作の主人公が、結婚記念日を忘れるほど懸命に麻薬の運び屋である自分を追い捕えた若い捜査官に向って言います“俺は、いつも内のことより外のことを第一に人生を送って来たが間違ってた。外のことはどうでもいいんだ。結婚記念日をもう忘れるな!”、って。
思えば、クリント監督作品のヒーローは、大抵、悪人ではないが社会的規格外で、最後に一瞬並の人間に戻り観客をホロリとさせ終ります。その落差が大きいほど観客は感動するわけですが、監督は落差を大きくするため並の人間に自分の命や残りの人生、はたまた一番大切なものを棄てさせるのです。グランドトリノの老人はわざと銃で撃たれ、ミリオンダラーベイビーの老トレーナーは弟子の求めに応じて殺人を犯す。そして、本作の老運び屋は捕えられ情状酌量を断り刑務所に入る、と言う具合です。
実生活における、クリントは5人の女性との間に7人の子供を設けているようです。実の娘の一人が本作で娘の役を演じてます。察するところ、彼は、外のこと映画創りにかまけた人生を送って来たのでありましょう。世間は、彼の外での活躍を観て称賛しますが、彼自身は、今、内なることをないがしろにして来たことで心を痛めてるのではないでしょうか。
クリント・イーストウッドと言うヒーローが人生の最後にどんな落差を用意してるのか、同じく仕事にかまけ続けて来ながら何も残せてないクリントに遅れること10歳の並の老人は気になってるのであります。
幸せな人生とは「自分が価値あるものと思えるものを大切にして生きることである」
1番大切な物なんて、人それぞれ、また人生のその時期で違うだろうけど、1番価値あるものを見極められず、それを大切に出来ないことは確かに不幸かと。
長文スンマソ 試合をしないのはいいけどさ、受けが抵抗する稽古くらいしないと上達を実感できないし
やりがいないでしょ
毎回のんびりした稽古してて道着着てる意味あるの そうか。
じゃあ毎回のんびりした稽古をやって幸せな俺は完全に間違っているんだな。
猛省して改めよう。 ビールが美味い位に適度に汗かいて、若い女の子が多い道場
男女交際も多く、笑顔と歓声が絶えない
臭いおっさんだらけ、怪我人続出、ガチムチ、イライラ、とりあえず外部からは本格的と言われている道場
お前らどっちで稽古したい? >>327
それは人によるでしょ。
真摯に強くなることを目指して頑張っている人達を馬鹿にするような発言はやめたほうが良いと思うよ。 >>327
若い内は前者
合気道と他武道他格闘技も併修
社会人になってからは前者
結婚したら週一
こんなもんで十分かと 好みによるな。優劣じゃない。
ただ、なあ。申し訳ないが、俺は正直女性と稽古するのは苦手なので。避けられるなら避けてる。 >>325
賛成
ある意味高段者は入門したての人と稽古した方が練習になると思う
>>327
前者と言いたいけどそれは武道じゃないよねw
せめて武を語るならある程度厳しくないと 最近、一部の白帯の人が抵抗したりとかいろいろやらかしてくれる。
空手経験者だからいろいろ思うところはあるんだろうな。
俺にとっては面白いけど、内容が基本から少し外れるから他の白帯の人たちには迷惑かな?とか思う。
その時その時によって、今稽古としてやるべきことはなんだ?と考えないといけないんじゃないかなあ。 長年やってるとな、若い女の子が居て、記念撮影が映える道場の方がな、幸せだと言う事に気付くんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています