空手の型はやるだけ無駄と言う現実112
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スレを立てる方は本文の文頭に三行重ねて立てて下さい
空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。
前スレ
空手の型はやるだけ無駄と言う現実111
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1564577074/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured つまらなさそうな競技だな
なぜ練習でやっとくようなものを競技にしたのか
サッカーで言うと受け手なしでパスを出したりゴールマウスなしでシュート練習するのを見せられてるようなもんでしょ 呼吸音ダメとか言ってたけど、あれだけ絶叫と床踏みつけるドタバタ音で何の意味があるんやら? >>82
まあ、攻撃あるのみじゃないの?
それより、初めのの試合だといつからどのコートで始まるかしっかり確認しといた方が良いよ。
何から何まで分からない事だらけだろうから、気が付いたら試合が終わってたって感じだろうね。
気負わずにやるしかないよ。 >>87
絶叫はカラオケに使える
普段大きい声を出していない人よりは声が出るよw
床の踏みつけは足の関節を痛めるだけだねw
体に悪いだけだからやめといた方が良い。 独り言なんだが、
ナイハンチは実戦の為でなく、空手の力の発し方、体裁きに使う力の出し方の練習に使う為の鍛練型。
だから身体を捻らず、横向きという極端な移動になる。
無理に意味を作ったりするからおかしくなる。
中国武術でも基本型と実戦用の型があるように、日本の武術も初伝と奥伝と分けてあったのを見れば単に鍛練型と見るとすっきりする。
勿論、上級者なら鍛練型であろうと実戦で使うなど応用力があるから可能なのは言うまでもない。
セイサンやサンチンの型は前に移動する型だが、呼吸に合わせて動かすから良いだけでなくナイハンチで養った身体の使い方を前に出せるように、また前に移動するなど、ゆっくり練習するのに向いてるからちょうど良い型なのだ。
あと、昔の沖縄人が横向きの移動していたみたいな話があるがそれなら、ナイハンチ以外に横向き移動の型がほとんどないのはおかしい。
独り言終わり。 以上、僕の考えた型は「こうなら良いな」「きっとそうとしか考えられない」願望でした。終わり。 でも、ボクシングでもシャドーがあるし、空手も空想の相手に空突き、蹴りの練習するのはおかしくないよね? おかしくないどころか、それが全て
妄想で突いたり蹴ったりして自己満足するのが本来の正しいあり方 型はシャドーより低次元な技術だろう
フットワークを使うだけで前提条件が崩れる なんだっけ? うろ憶えで悪いんだが
江上茂が生前お茶を飲みながら弟子に語った話があってさ
「この湯飲みの価値はどこにある?」って弟子に聞いたら、誰も答えられなかったらしい。
で、飲み終わった湯飲みを持ち上げて逆さにして大仰にゆっくり振ったあと
「中に何も入っていない、空っぽなところに価値がある」「空手も同じ」って教えたらしい
江上は直接船越親子に習ったし、現地の沖縄にも行って色々研究したからこその結論だろうな。
江上は暗に型は空っぽってことを示して、その上で好意的な解釈を示してくれたんだよ。
ナイハンチには実践的な分解があるだの殺し技があるだの言う人も居れば
ナイハンチに分解なんてのはなく身体操作を学ぶために、とか言う人も居る
両極端な意見だけど、どっちが正しいかといえばどっちも間違ってるし、どっちも正しい
例えば>>92で
「ナイハンチは実戦の為でなく、空手の力の発し方、体裁きに使う力の出し方の練習に使う為の鍛練型。
だから身体を捻らず、横向きという極端な移動になる。」とか言ってるけど、そんなたった二行程度の
単純な概略ならとっくに糸州なり知花なり船越なりが弟子に伝えてるハズだって。だけど3人合わせて
1000人以上の弟子が居るにも関わらず、体裁きのためだなんて教えてもらった記録は残っていない。
もし普通に教えていたらどこの道場でも教えられてて当たり前過ぎてわざわざここで書くほどの内容ですらない。
しかし現実はナイハンチの分解を一生懸命自分の頭で創作したり、体を捻らないハズなのに腰を振る派と振らない派が
分かれてたりする始末。ようするに二行程度の概略で済む理念「すら」伝わってないから混迷を極めてる
言っちゃ悪いが、体を捻らない体裁きが目的云々も>>93が願望でこじつけた歴史の浅い創作理念だわな >言っちゃ悪いが、体を捻らない体裁きが目的云々も>>93が願望でこじつけた歴史の浅い創作理念だわな
最後の行、訂正。>>93じゃなくて>>92ね。
で、続き。>>92の願望と妄想による歴史の浅いナイハンチのこじつけ解釈についてだけど
それでいいんだと思う。
冒頭で書いた湯飲みの話と一緒でさ、お茶やコーヒーが飲みたいなら他の武道や武術をやればいい
だけどお茶と同時にコーヒーも味わいたい、お茶はお茶でも新種の葉を使ったお茶が飲みたい
そういう人にとって、最初っから中身が入ってる飲み物は中身が入ってる時点で、ある意味もう
可能性がほとんど潰えてるんだよね。二級茶葉は一級茶葉になれないし、ましてコーヒーになんか絶対なれない
故に、空っぽだからこそ価値がある。一級が飲みたいなら「自分で」一級を空っぽの湯飲み(型)
に注げばいいし、お茶とコーヒーが飲みたいなら創作して合体させたものを淹れればいい
結論として、型には大した意味が詰まってなくて中身スッカラカンだし、昔の唐手家は組手したことなくてクソ弱かったけど
中身が詰まっていない、積み重ねてきた技術が無い、という所にこそ無限の可能性をこじつけて詰め込める、という価値がある。
故に、ナイハンチにはこんな意味が〜〜、とか妄想しても本来そんな意味なんか無いけど、そのこじつけ行為自体は正しく尊いのです。 だから>>96で型はシャドーに比べて低次元と言われたら
「はい、型は余裕で低次元です」
「いや、むしろ低次元どころか大した意味ないので、シャドー様と型を比べること自体がおこがましいです」
と認めることが大事。
その上で、低次元というのが納得いかないなら、低次元じゃない意味や意義を>>92のようにこじつければいい
という訳で、もうこれ以上ないくらい完璧な型における結論と方針を出してあげたから、もうこのスレ終わりだね 終わりというか、同じような話を繰り返し話し継ぐのに意味がある
にわかのサッカーファンがとりあえずドーハの悲劇から入るのと同じ >>100
宮城長順が生前長嶺に語ったのとちょっと似てるな
先生、その話前にも聞きましたよってくらい同じ話を繰り返すけど
「20代で聞くのと30代で聞くのと40代で聞くのではまた違うから、まあ聞きなさい」
って諭されたらしい。
そういや首里手のナイハンチで腰を振る振らないと、那覇手の三戦でヒザを内に締めるか外に張るかの論争は似てるな
首里手問わず那覇手問わず、沖縄唐手自体が組手をやってこず技術も積み重ねてこなかったから
中身スッカラカンなのは仕方ない。だけど技術を積み重ねてこなかったのは良くは無いけどさりとて悪いことでもない。
宮城長順と一緒にするのはおこがましいけど、>>97-99で書いた内容の意味を
10年越しや20年越しでいいから型に凄い意味があるとか夢見ちゃってる肯定派たちが理解してくれればいいんだが・・・。 意外にコメントがあって少し笑ってしまった笑
>>97
良いことを書いているから一言だけ。
「そんなたった二行程度の単純な概略」とあるが実際なぜ伝わらないのか?
答えは内部の感覚が難しいから。
なので現在同じ空手を大勢が学んでいてもその感覚の話を聞いてもレベルや知識が達してないと聞いても理解できない。
つまり、理解できない人が大半だから使えないという話になりこのスレが成り立っている。
以上
P.S.
ある程度のレベルまで鍛えた方は私の独り言がもしかしたらヒントになり、動きが変わるかもしれない。
健闘を祈る。 >>102
>答えは内部の感覚が難しいから。
答えになってませんな
>なので現在同じ空手を大勢が学んでいてもその感覚の話を聞いてもレベルや知識が達してないと聞いても理解できない
教える側にとって理解できるか出来ないかは関係がない、それくらいは理解できますよね?
だからこその「概略」なんですよ
分かりやすく言うと、35+12=47 バカでも分かる足し算ですが、これすら分からない人がいる
分からないなら分からないでいい、しかし足し算って何?という問いに対して
「あるモノとあるモノを足すことですよ」と概略を答えることは出来ますよね、そのレベルの話をしてるんですよ(笑)
そして、たった二行で済む貴方が>>92で書いた「「ナイハンチは実戦の為でなく、空手の力の発し方、体裁きに使う力の出し方の練習に使う為の鍛練型。
だから身体を捻らず、横向きという極端な移動になる」なんて事すら伝わってないという現実です
そして、そのレベルのものすら伝わっていない、厳密に言えば伝わらないじゃなくて、そんな目的とか「すら」無かったから伝えようがない。
沖縄唐手は技術を積み重ねてこなかったから伝えようがない、無い袖は触れない、と言ってるんですよ。理解出来ましたか? ナイハンチで腰を振る、振らない
三戦でヒザを外に張る、内に締める
どうしてそんな違いが出るのかといえば、沖縄唐手がな〜〜〜んにも積み重ねてこなかったから
仕方なく弟子達が、それこそ>>92のように三戦はヒザはきっと外側に張るように締めるんだろう、いや内側に畳むように締めるんだ、とか
ナイハンチは腰の振りが重要だ、いや腰を振らないことに意味がある、とか個人個人で「こじつけてる」から違いが出る
内部の感覚が〜〜とかも呆れるほど分かりやすいこじつけです。船越が「内部の感覚が〜〜」とか語った記録はありません。本部も屋部も知花も遠山にしてもそう。
夢を見るのはやめましょう 補足
>>104
>夢を見るのはやめましょう
だけど、夢じゃなく現実的にこじつけるのは大いに賛成です
>>102で、内部の感覚がどうとか的外れな事を出してグチャグチャ言い訳せずに
「ええ、内部の感覚がどうとかは私個人がそう思った伝統でも何でも無い最近のこじつけです」
って当たり前の現実をあっさり認めていたら、一角の人間だなとは思ったんですが・・・。
まあ、歴史浅く自分で最近こじつけときながら、これは伝統だの古伝だの夢見ちゃう>>92のような人が大半ですよ、肯定派は、いやさ空手界の大部分の人が。 >>105
その動画にでてくる試合での攻防の動作はラジオ体操の動作でも変換可能なんですが
ラジオ体操も使えるって事でよろしいですかね? >>100は同じことを繰り返すことに意味があるって言ったけど
やっぱ疲れるなあ。
肯定派には頭の悪い人が多いんだもん。
あるいは頭は悪くないけど現実を認める勇気の無い人が多いのか。
どっちにしろヒドク疲れる。そんな難しいことは言ってないんだけどなぁ・・・。 >>103-106
>>102より
「理解できない人が大半だから使えないという話になりこのスレが成り立っている。 」
スレを伸ばすのに協力というか、才能がないことが直視出来ないからの反論ありがとうございます。
理解できた人は今頃自身の身体の感覚を味わいながら型をしてるだろうから、書き込みは無くなるかもしれないですね。
>>105
なかなか面白い。 >>109
>スレを伸ばすのに協力というか、才能がないことが直視出来ないからの反論ありがとうございます
貴方も本土で学生様に自由組手どころか約束組手まで一から作ってもらって逆輸入で使わせてもらってる現実を直視してくださいな
そして昔の唐手家達の大部分が弟子に自由組手で稽古つけたことがない現実もね
無い袖は触れないし、無い組手経験は稽古つけれないし、無い組手は逆輸入で作ってもらうしかない
対人稽古すらまともにやってこなかったから、沖縄の唐手は技術の積み重ねが無く、結果>>92のように
内部の感覚が〜とか貴方のように後世の人間が「こじつけ」るしかないんですよ。だから道場によって主張もバラバラ。
それが現実です。 久しぶりに書き込んだけど、やっぱ夢見がちな型オタに諭すのは疲れるなあ……
現実を直視したい人は>>3のリンク先を参照してね。じゃあ夜勤行ってきます いや、現在写真が残っているだけでも
琉球唐手が実際に組み手やってたのは残ってるんだが…
しかも、日本化した唐手と違って、普通に相手の腕掴んでたりしてるんだよね
南派中拳や東南アジアの武術に近い
(琉球の地勢や、貿易国家で人の行き来が盛んだったから、影響あるのは当然か)
知ったかに限って…といういつものパターンw https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1393642554/の≫6より
これを見るにナイファンチをすることによって本部朝基先生のようになれる可能性があると。
型だけでは駄目かもしれないが型をやらねば強くなれないということであり、
実戦派の達人が語るのだから型は必要ですね。 忘れた頃に蘇る長文荒らしのエア手ホモ野郎
お前何年も何度も同じことで論破されては消えてを繰り返してるけど
馬鹿なんだから資料を抜き出して意訳にこじつけてばかりいないで
一度くらい習うなり試すなりやった方が良いぞ >>105
いや、型やってるジジイが試合に出ても瞬殺だから、やっぱり使えない >>112
ほうほう、では手始めに弟子がいっぱい居た糸州はどんな組手をしていたのかな?
普遍的に行われていたのなら、当然写真なり証言なりが軽く10や20はあるハズですよねえ
あ、糸州で都合が悪かったらもっと歳の若い花城や船越や知花でもいいですよ(笑) 当時としては珍しかった写真撮影というイベントに際して
「ポーズとしてお互い向き合って構えてる写真」などは残されていますが
その割には戦前の沖縄の有名な唐手家が弟子に自由組手でどういう稽古をつけてやったのか
いはやはおどろく程残されてないんですよねえ。
本土で学生様に作ってもらって逆輸入で沖縄の唐手家も組手らしきものをやり出した戦後あたりから
わずかに写真が散見される程度。それとて冒頭で書いた撮影用のポーズの域を出ないものばかり
みんなもさ、自分がやってる空手の流派の開祖がどういう自由組手を弟子につけていたのか
胸に手を当てて考えてみればいいんじゃないの? 答えは無い袖は触れない、だけどねw >>114
消えたんじゃなくて、継続して書きたいんだけどアクセス規制に巻き込まれちまってな
しかもPCの調子も悪いから弱り目に祟り目だよ
また書き込みが途絶えたら、>>3のリンク先にこのスレで予想される程度の低いレスへの
大半の反論及び考察が載ってるから変わりにそっちを参照してくれ。
それを読めば昔の唐手家の大半が自由組手を経験してこなくてクソ弱く
型にも大した意味が詰まってない事がよく分かるからさ
つーか主張してる内容は何年も前から変わってないし、究極>>3読めで話は済むんだよな・・・。めんどい。 型という中立な文化の核があるからそれを通して人々が横の関係で語り合える
そうやって人が育つ
空手は人間学なんです ラーメンには中央集権的な物差しを拒否する文化があるから人々が横の関係で語り合える
だから人が育つ
というのと同じで、空手はまだ教えるためにするという雑味がある
ラーメンのほうが高度といえばそうもいえなくもない >>119
型がない流派の人は語り合えないじゃん
どこが中立な文化なんだ? 空手が人が繋がるツールとしての利用価値が高いってのは同感
しかしそれとて、ラーメンより劣るという現実
じゃあ、空手には、もっと厳密に言えば「型」には一体どんな価値があるのか?
実は型には沢山の有益なる効用があるんだなこれが・・・
まず相手が要らない、それによって自分のペースで練習できる、
相手と対峙する恐怖がない、自分が怪我したり相手を怪我させた
する危険性も無い、相手が居ない故に自分の弱さと直面しなくて済む
器具を必要としない、故に金もかからない、朝でも夜でもいつでも出来る
場所も適当なスペースがあればどこでも可能、室内でも屋外でもOK
人種や性別や年齢を問わず誰でも出来る、適度な運動量なので普段運動不足の人にも可能、
痛い思いも怖い思いも疲れる思いもせず、それでいて武術の練習をしているんだという自己満足感を得られる
こんだけのメリットがあって、デメリットといえば実際の殴り合いで強くなれない、くらいのもの。
そのデメリットにしても、常人が一生のうちで何回殴り合いの機会に遭遇するのかを考えれば安いもの。
さらに型は芸として祭りや式典の場でも可能だし、先生気取りで弟子に教えられる、という副次的な効果を得ることも出来る。
こんだけの利点があるんだから、そりゃ伝統にもなるわ。 >>122
定義の問題にもなるけど、型を基として戦うからこその空手であって
型が無い時点で残念ながらそれは空手とは呼べない。ただの拳法だね
あと中立じゃなくて、厳密には型には中身がほとんど詰まってなくてスッカラカンだから
中立ならぬ「中が空(カラ)」の中空が正しいと思う >>105
なんかこの動画のコメント欄、隙あらば自分語り君ばっかりだな
リアルでは大して認められてない人たちなんだろう >>124
素手による突き技があれば全部空手でいいよ >>123
大事な効能が抜けてた
「空手をやってる」というだけで、殴り合いに興味ない人や空手を知らない人達が勝手にビビってくれる
ビビってくれる事により何が起こるかというと、喧嘩を売られる事が少なくなり、場合によっては勝手に下手に出てくれる
1人で空気を突いたり蹴ったりして、それでもモノ足りなきゃ反撃してこない藁を巻いた板を適当に叩いて拳にタコを作るだけで
周りの人間が勝手に怖がって喧嘩売られる機会減ったり下手に出てくれるなら安いもんさね
それでも腕自慢の与太者や血気盛んな若者と揉め事になりそうになったら「空手に先手無し」「空手は心を鍛える武術」
ってことで、あれだけ長年空手を修行してるのに、喧嘩を売られても平身低頭で股の間をくぐるまでするとは、大した男だ!
って周りが勝手に勘違いしてくれる。沖縄という土地柄と相まって、空手や型ってのはよく出来たツールだよ
見誤ったのは、本土の武術は対人稽古が当たり前で、当時血気盛んで時間も体力も持て余した学生に真っ先に普及させちゃった事だな。
そりゃ組手やりましょうって事になるよ
沖縄における唐手は本土でいう居合いみたいなもんで、修養として身につけたり一人で抜き打ちや試し切りをする程度で
実際に試合してみようとか対人を相手に自由に攻防とかっていう捉え方では無かったんよ。居合いでも対人稽古なんて主流じゃないじゃん。 対人稽古繋がりで言えばさー
宮城が中国に行った一番の目的は、空手の自由組手における今後の在り方への対策として
中国拳法の練習方式を見聞したかったってのが本当のところじゃないかと思うよ。
宮城が中国に行ったのは、白鶴拳がどうとかルーツがどうとか言ってるけど
宮城は10年以上も直接教えてもらってるんだもん、師匠の東恩納が中国で
習ってなかったなんてのは10年以上もつきあってりゃ百も承知でしょうよ。
宮城もそこまでバカじゃない。 何が無駄って、長文が無駄
主旨を簡素化する能力が無いのか?
言いたい事も伝わらない >>130
この程度で長文って、普段どんだけ活字読んでないんだよお前w もうこのスレも終わりやね。廃墟のようで肯定派もカスみたいな奴しか居ないわ。昔はもっと面白かった。
もう俺も引退かな。 >>133
ていうか、もう既に語りつくした感があるからなw
1の言っていることが全てで、何一つ論破されてないからな 思えば色々な型ヲタがいたな
型は暗号だからそのままでは使えない
多人数をそうていしている
武器を想定している
組手の動作と型の動作は全く同じだ
型をやると組手では培われない身体動作が出来るようになる
型をやると誰にも負けなくなる
などもっともらしいものからぶっ飛んだ妄想まで飛び出して
面白かったよねw >>135
居たよねえ。面白かったよね。
大して意味のないものを有り難がってる自分、という現実を認めれない心の弱い人たちなんだと思うよ
だから意味があること前提で弁護したがるけど、根本となる意味が無いんだからそりゃ苦しい言い訳や矛盾になるわさ
俺は状況証拠や歴史的考察から、意味がないものを「無い」とハッキリ認めた上で
じゃあ意味を付与させてマガイモノを本物に変える作業をしようか、って人の方が好感が持てる。
でも肯定派は型の意味を語りたがるけど、古伝でも何でも無くその意味を考えたりこじつけたりしたのは
自分だってのを頑なに認めないんだよね。このスレを見てきた結論は、肯定派は病んでるな〜〜ってのが感想だよ 105の動画のコメ欄もなかなか香ばしい型ヲタがうじゃうじゃいるね >>137
型は使えないっていう理想と現実のフラストレーションがあるからねえ
そういう鬱屈してる人たちにとって、あの動画は沸いて出たオアシスみたいなもんなんじゃないかな
だからいっぱい群がるw
型が使えるのが当たり前でそれを本当に納得してる状況なら、そもそもコメする必要すら無いから人も集まらんよ
隠されていた空手が世に出たときも、ちょうどこんな感じで型オタや肯定派が嬉しくなってイキってたよ
懐かしいね そもそも、あの動画を見て型の動作が使える使える言うなら
どうして型の分解で動画のような攻防をしないんだろうね。
ほぼ必ず敵がバカ正直に突いてきたところを、受けて突いて、それがこの動作の意味
とかやってたのに、いざ動画が世に出たら急にこういう意味があるある詐欺炸裂w そもそも、型が使える使えないとか言ってる時点で間違い
カレーライスは実戦で使えるか? って言われたらみんな「はあ?」って思うよ。
カレーライスは実際の殴り合いで使うためのものじゃないんだよ。
型も同じで、本来舞踊の一環として生まれたものを殴り合いという別世界に投入しても使える使えない以前の問題なんだ。
それを舞踊ではなく長い時間をかけて蓄積された高い技術の結晶! それが型!
みたいな変なドリームを持っちゃうから、おかしな事になる 大正3 年(1904) 琉球新報「沖縄の武技」1月17日号掲載
「沖縄固有の武芸にして田舎の舞方(メーカタ)なるものが、
いわゆる唐手の未だ発達せざる時代のそのままであらう。」
寄稿者:安恒安里 無駄ではないよ
金がなく道場に通えない。怪我をしたら仕事できない。時間もない。
稽古相手もいない。
そんな人には型はいい稽古方の一つだよ 型が本当に意味がないなら先達も馬鹿ではない、現代まで残るはずがない。
今の平和ボケした私やこのスレの口だけの批判好きにも及ばぬ言語化されていない知恵がつまっているのだ。
型の意味を知るには型を練習するしかない。
上辺の浅い知識で深い知恵は読み解けない。
まずは道場で型を練習し汗を流す。
ここから始めよう。 まあパフォーマンスでしかないっしょ
昔は情報が伝わるのが遅いから強烈な印象付けが必要だった
キチガイみたいな絶叫とドタバタダンスにそりゃもう釘付けよ 女子の型選手がTVでアブローラーを普通に使えてるとこを見ると、筋肉は必要なんだなと思ったわ
型ヲタは1回も出来ないだろうし ところで
沖縄空手とかでチンクチやガマクやムチミとかよく言ってて、型はそう言った身体操作を作り上げるためのものだ
というような主張も聞きますが。松濤館とかでそんな事殆ど言わないですね?松濤館にそんな身体操作はないですか?
また、そもそもそう言うチンクチやガマクというような事を鍛えたら強くなるんでしょう? 一流ボクサーなら自然に使いこなしてるでしょ
それを型で身につけようとするのは非効率で無駄だと思う それは逆に言えば無意識に使いこなせる才能がある人だけが一流になれると言うことでは?
それを個人の才能に依存させることなく、使えるようにするメゾットがあるならそれこそ空手が空手である意義とも言えます
しかし、問題はそもそも一流ボクサーだけが自然に使いこなしている独自の身体操作であるチンクチ、ガマク、ムチミ
なるものが実在するのかと言うことだけど・・・ >>150
いや、どれだけの人が身に付けた実績があるのかっていう問題がある
口ではいくらでも理論っぽく言えるから、いくらでもごまかせる >>151
それで、結局ガマクやチンクチというのは身体操作として訓練する事は有効なのでしょうか? >>148
>松濤館とかでそんな事殆ど言わないですね?松濤館にそんな身体操作はないですか?
今から約20年くらい前かな
新垣清って人が「沖縄武道空手の極意」って本を出版してね
まあ、売れた売れた。話題にもなった。
その本で新垣さんがチンクチだのムチミだのガマクだのを言い出したのが発端だよ。
それ以前はほとんどそんな言葉使われなかった。
別に新垣さんの造語ではないし、沖縄に普通にある言葉なんだけど
俺が知る限りでは新垣さんが本を書出すさらに20年くらい前の月刊空手道(確か1978年頃かな?)
の巻末の小さなコラムで、ガマクだったかな。一言使われてた程度。
何度も言うが、それ以前で空手界でポピュラーな言葉ではないし、ましてそんな技も身体操作も存在しない。
もともと舞踊の業界で使われてたものらしいけど、まあいずれにせよ技術がスッカラカンだった沖縄唐手界において
ガマクだのムチミだのチンクチだの神秘的な固有名詞が出たから、みんな飛びついちゃったわけ。
少なくとも松濤館流及び船越の周囲でそんな身体操作なんてものは戦前の時点で確認できんよ。 >>153
>それで、結局ガマクやチンクチというのは身体操作として訓練する事は有効なのでしょうか?
で、肝心の訓練することは有効かどうかって話だけど。
そもそもからして、ガマクやチンクチというものがどういう身体操作なのかという確固たる定義が不確定。
発端となった新垣御大は著書で「屈筋で突く」とか解剖学的に無理なことを言ってて
当時の武道板でも型オタは頭っから信じちゃってたけど常識ある否定派には失笑されてた。
そんな氏が提唱するガマクだのムチミだのチンクチだのの理想とする身体操作も推して知るべしな始末。
実際、解剖学や物理などを取っ払っても、新垣の書いてる本の内容は文章力がメチャクチャなので
ムチミだのチンクチだの彼が提唱する身体操作がどういうものなのか把握できず現在に至る。
隠されていた空手の桧恒先生も新垣のことを最初は絶賛してたけど、著書の出版を重ねるうち
こいつ矛盾してること言ってるから読むのやめたわ、って見限ったほどだ。
そんなわけで、新垣が沖縄の方言でコーティングされた神秘的な身体操作のブーム巻き起こしたけど
名前だけが一人歩きして、これがそうっていう定義が人によってバラバラなんだ。それが現代まで続いてる。
だから、訓練することは有効なのか?と言われても、そもそも訓練するムチミだのチンクチだのの正体がアヤフヤだから
有効もクソも無いのよ。こういう事を書くと「私はムチミを理解してますし効果も実感してますよ?」とかのたまう型オタも
出てくるけど、型オタが3人居たら3人とも違ったガマクや違ったチンクチをそれぞれ正しいものとして信じてるから手がつけられない。
柔道でウケミ(受身)って言ったら、全国の講道館の道場のどこに行ってもまあ共通するものを教えてもらえるよ。
彼らは技術をちゃんと積み重ねてきた歴史があるからね。
だけど空手は技術を積み重ねてこなかったから、個人個人が思いつきで創作して「これこそが古伝」とかやってるから
どこに行っても誰に聞いても、バラバラな答えになる。だからチンクチ一つとっても千差万別だから答えは存在しないのよ。 >>153
有効ではないと思うね
大体、効果のあるトレーニングというのは、初心者はついてこられないはず >>153
補足。思いだしたから書いとく。
松濤還流よりも剛柔流の方にガマクだのムチミだのという言葉ではないが
身体操作のようなものがあった「らしい」形跡は確認できる
「らしい」というのは、名称だけは確認できるけど現在の剛柔流には伝わっていないから。
戦前、宮城と摩文仁と船越は同時期にあちこちの大学で教えていて、別に仲も悪くなかった。
なので、今となっては贅沢なことだけど、船越が教えてる大学の唐手部に、摩文仁や宮城を招聘して
松涛館流をやってる学生達に剛柔流や那覇手を教えたりもしていた。これは当時の唐手部の日誌で確認できる。
摩文仁はセイエンチンとかスーパーリンペーとかを船越が教えていた唐手部の部員に教えた記録が残ってる。
その成果、初期の松涛館流の大学唐手部では三段以上の項目で那覇手の型の名前が連なったりしている。
もう戦後の現在ではそんなの無かったことにされてるけどな。
んで、宮城が船越が教えてる唐手部の学生に教えた内容が日誌に記されてるんだけど
確か「直」とか「捻」とかだったかな。そんな感じの独特な名前の4つの何かを教えて
もらった記録があるんだよ。日誌だけではそれが技なのか身体操作なのかは分からんが
まあとにかく戦前の時点で宮城本人が学生に教えたらしい。だけど現在剛柔流でそんな
名前の技も身体操作も確認できない。
まあ、もしかしたら現在では名前が変わっただけかもしれんけどね。
でも個人的には宮城がごくわずかな時期そういうのを教えたけどやっぱ辞めちゃったんじゃないかと思う。
で、もしかしたらムチミだのチンクチだのと一致するかどうかは分からんけど
宮城が一時期学生に教えていたそれらの技ないし身体操作がもしかしたら該当するかもしれない。
まあ、該当したところで現代ではあんま大したものではないとこれも個人的に思うけどね。
当時としては画期的なシロモノだったけど、現代のスポーツ界や格闘技界では当たり前のものかもしれない。
あるいは、当時としても大したものではなかったかもしれない。俺は本部が思いつきで十二本組手を作ったのと同じく、
宮城も思いつきで直とか捻とか作った程度のものだったんじゃないかと推測する。まあいずれにせよ夢の無い話だよ。 ガマクやチンクチは本当に新垣さん一人の発明?なのかな
だとすると、何気に空手界に与えた影響は絶大と言えるね
ガマクやチンクチで調べたら無数に出てくるしそれを提唱
する指導者や格闘漫画とかの描写にも何度も見た事がある
この元ネタが全部新垣さんに行き着くとはww >>158
>ガマクやチンクチは本当に新垣さん一人の発明?
えっ、新垣1人の発明なんていったい誰が言ったの? 夜中にふと目覚めてみれば今夜もバカが無知を露出してるわ。
自分が知らない技だから元々存在しない事に無理やり定義するために永遠長文で語っちゃってw >>159
>>154
>その本で新垣さんがチンクチだのムチミだのガマクだのを言い出したのが発端だよ。
>それ以前はほとんどそんな言葉使われなかった。
とありますね
この方のいう事が正しければ、ガマクやチンクチは元々空手界では殆ど使われていなかった言葉ということになります
>>160
しかし、どうなんでしょう
ガマクやチンクチをキチンと使いこなせて本土空手と質の違う空手が出来る方がいらっしゃるのでしょうか
正直、いつかそういう動画とか見る限りうーん、、、と言う感じですが ガマクについて文献↓
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&lsmp=1&rnk=1&mcmd=25&st=update&asc=desc&fi=3_%E6%9B%B8%E8%AA%8C%E8%AA%BF%E6%9F%BB+4_%E9%83%B7%E5%9C%9F&id=1000101057
チンクチについては喜屋武朝徳氏が発言の記録がある
( https://shaokobe.org/shaolin02.htm )
↓
「師(喜屋武朝徳)は、小柄な自分に適した技(形)を工夫し編み出していたが、弟子たちが、それを〈まねる〉ことを絶対に許さなかった」
また「〈空手に先手なし〉の精神を型の中の個々の形に表現された」
と仲里先生は語る。
これらは、先生によって引き継がれ、少林寺流の指導理念となっている。
「チンクチヌイランクシドゥヤル、ナットンドー(チンクチはまだまだだが、(型の手順の方は)どうにかできているよ)」
少し鍛錬が進んだと思う頃、出来具合を尋ねる弟子に、師(喜屋武朝徳)は決まってこう答えたという(チンクチとは正しい型の鍛錬から得られる唐手特有の迫力、瞬発力である)。 ネットで調べるのが得意そうな方々が調べが甘いのは頂けない。
以上より新垣清氏の発明(笑)ではない。
知らないのはそれだけ、正確な技術としてなど表すのが難しいからかなと。
否定派の方も勉強になったなら何より。 >>161
>この方のいう事が正しければ、ガマクやチンクチは元々空手界では殆ど使われていなかった言葉ということになります
ますます分かりませんねえ。
元々沖縄の方言で存在した事や舞踊の世界の言葉であったこと、また新垣氏以前にも小数だが使われていたことを
きちんと書いているのに何故それで新垣氏が「発明」したことになるんですか? 頭大丈夫?
>>162
>ガマクについての文献
リンク先を見たら長嶺将真「猫足ならびに腰とガマクについて」(1994〜1998年頃の論文)
とありますが、私がガマクが確認できる出典について>>154で書いた1978年という年代より
さらに20年近くたった出典を出していったい何がしたいんでしょうか?
>チンクチについては喜屋武朝徳氏が発言の記録がある
リンク先を見たら奥野乙比古編著『一器水瀉一器 〜 少林寺流空手道 型の継承と真実』が元ネタで
発刊は2002年4月となっているのですが、これまた私がガマクが確認できる出典について>>154で書いた
1978年という年代よりさらに20年以上たった出典を出していったい何がしたいんでしょうか?
ちなみにルールーコーのように開祖格が無くなってから高弟が死人に口無しで都合の良い事述べるのは空手界の悪しき常識ですな
>ネットで調べるのが得意そうな方々が調べが甘いのは頂けない。
調べが甘い以前に貴方が何をしたいのかさっぱり分かりません。
誰も発明したなどと言っていない上に示した文献よりさらに近代の文献を出して一体なにがしたいんだか。
甘い辛い以前に頭が弱いんだなぁ、としか・・・・。 >>133でも書いたけど、重ね重ね肯定派はカスみたいなヤツしかもう残ってねーな。
レスついたと思ったら読解力も無くお門違いなドヤ顔するヤツばかり。再三言うがこのスレ終わってるね 近代以前にどっぷりの人はよい
近代にどっぷりの人もよい
両方を行ったり来たりの人はダメ
近代以降である今の時代でのしっかりしている人も出始めていてこれもよい >>162
試しにリンク開いてみたが話にならない
>ガマクについて文献↓
長嶺将真「猫足ならびに腰とガマクについて」(1994〜1998年頃の論文)を所蔵しているか。
当館蔵書検索、国会図書館蔵書検索、CiNiiでもヒットなし。
>チンクチについては喜屋武朝徳氏が発言の記録がある
HPが消えてて、キャッシュでも残っていない >>164
>元々沖縄の方言で存在した事や舞踊の世界の言葉であったこと、また新垣氏以前にも小数だが使われていたことを
>きちんと書いているのに何故それで新垣氏が「発明」したことになるんですか? 頭大丈夫?
発明という言い方は語弊がありました。すみません。
ただ
>>154
>今から約20年くらい前かな
>新垣清って人が「沖縄武道空手の極意」って本を出版してね
>まあ、売れた売れた。話題にもなった。
>その本で新垣さんがチンクチだのムチミだのガマクだのを言い出したのが発端だよ。
>それ以前はほとんどそんな言葉使われなかった。
と書いておられるので
今現在、多くの空手家が口にする、チンクチやガマクを舞踏の用語としてではなく空手の用語
として空手界に広めたのは新垣さんという事になるのではないかと思うのです。
>新垣氏以前にも小数だが使われていたことをきちんと書いているのに
この「少数」がどれぐらい少数なのか分かりませんが
逆に、本土ではほとんど使われていない言葉だったけど、沖縄では空手の用語としチンクチやガマク
は昔から割と普通に使われていた、という事であれば話は違うように思います。
もし、新垣氏以前から沖縄の空手界では普通にチンクチやガマクといった言葉(概念なのか技法なのか
よく分かりませんが)が使われていたのなら、本土空手にないが空手の用語として存在していた
という事になるのではないでしょうか。 ただ、誤解して頂きたくないのは
私は言葉の由来についてそこまで興味があるわけではなく
チンクチやガマクがというものを鍛えるメゾットが明確に存在しているのか
そしてなによりそれが武道なり格闘技なりで役に立つ事なのかという点です
>>155
>そもそもからして、ガマクやチンクチというものがどういう身体操作なのかという確固たる定義が不確定。
>発端となった新垣御大は著書で「屈筋で突く」とか解剖学的に無理なことを言ってて
>当時の武道板でも型オタは頭っから信じちゃってたけど常識ある否定派には失笑されてた。
>そんな氏が提唱するガマクだのムチミだのチンクチだのの理想とする身体操作も推して知るべしな始末。
この文から見ると
ガマクやチンクチが具体的にどういったことをするのかは明確にできておらず
したがって武道や格闘技で活用するのも難しい
こういう論旨でよろしいでしょうか? その長文ダラダラ日に10回も20回も書き込む奴は単に沖縄空手をディスってるだけのエアー空手の粘着野郎。
真剣にレスしてどうすんだよ?w 例として
youtubeを漁ってみると、丁度考察の参考になりそうな動画があったので貼ってみます
ガマクについて
https://youtu.be/5p_C6wRzg50?t=42
https://youtu.be/F1-Eqquri0o?t=52
この怪しい腰の動きがガマクをいれることのようです
自分なりの解釈として脚を上げる時、腹筋というか腸腰筋を使うと言うのは実際の運動生理学
として合っていると思います(上の動画2つでもそのようは説明はある)。
しかし、この怪しい腰の動きwを意識して鍛錬する意味があるのか?よく分からないです。
一番目の動画ではこの腰の動きが「三戦の中で多く出てくる」と動画の中で言っているのですが
正直他の三戦の動画をいくつかみて腰のあたりに注目してもこのような動きは自分は確認できま
せんでした。
他にムチミとかチンクチとかも色々あるけど、とりあえずこれらの技法は空手の身体操作として
伝わっているものなのか?実際に鍛錬として意味があるものなのか?知りたいです >>173
松濤館にサンチンなんて無いから、理解出来ないのは当然じゃない?
無理して動画引っ張っても仕方ないかと >>164-165
マウンティングに熱心だが、借り物知識ばかりで自身の感覚とか修行の話がないから内容薄いんだよね(笑)
後、彼女が見て、「この人自分の話ばかりして相手見てなさそうだし、エッチも知識は有っても自分勝手なプレイしか出来なさそう。」って言ってなんか分かると思ってしまった。
型は使えないのでなく、君が使うだけの頭と鍛練がないからじゃないかな?
全力で型をやってたら、まずは体力や筋力はかなり高まるし、それだけでも相当違うと思うが…。 >>175
彼女と一緒にこのスレ見てんの?
斬新な発想だな 間違えた。
一緒に見てはないけど、コメント書くとき彼女から誰にメール書いてるの?って言われたから見せただけ。
今はお家で二人まったりしてます(*´ω`*) >>174
このスレは松濤館の人専用なのですか?
例えば剛柔流の人ならみんな>>173の身体操作を理解して実践しているのですか? >>179
>>148の書き込みを見る限り松濤館の経験者だろうし、そう書いただけだよ >>144
いや、馬鹿なんだと思うよ。
と言うか、先人は使えると思い込んでいた可能性はあるよね。
実際に組手をやっていなかったのだから、無理もない
何よりもバカなのがこの情報化の現代で未だに型が実戦に使えると
言い張っている妄想野郎だよ。
全く意味もないものを繰り返し動作を真似ても永久に分かるようになるわけないだろ
THIS IS A PEN.
を何万回書いても意味が分からないのと同じ。 >>148
チンチクとか意味不明な単語を使えばすごい事をやってる
って優越感に浸れるだけの事で何のことはないよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています