藤松は海外へ渡る。中国の山西省で宋光華の修行を受け、これを会得した藤松は上海に渡りカンフー家なった。やがて帰国した藤松は、別ルートでカンフー家となり、日本に武壇ブームを引き起こした劉ウンショーの孫弟子倉井ノブオと交流をもつようになる。
しかし、理不尽なマスコミに嫌気がさし、負け役ばかりの現状に耐えかねた藤松
は、「真剣勝負で決着をつけよう」と2ch板スレを通じ倉井の小飼胴締めの挑発に応じる。ここに「平成ひょーたん島」と呼ばれる試合が行われることとなった。