藤松英一はなぜ胴締めを殺さなかったのか
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藤松は海外へ渡る。中国の山西省で宋光華の修行を受け、これを会得した藤松は上海に渡りカンフー家なった。やがて帰国した藤松は、別ルートでカンフー家となり、日本に武壇ブームを引き起こした劉ウンショーの孫弟子倉井ノブオと交流をもつようになる。
しかし、理不尽なマスコミに嫌気がさし、負け役ばかりの現状に耐えかねた藤松
は、「真剣勝負で決着をつけよう」と2ch板スレを通じ倉井の小飼胴締めの挑発に応じる。ここに「平成ひょーたん島」と呼ばれる試合が行われることとなった。 平成のひょーたん島(へいせいのひょーたんじま)とは、2009年11月19日に練馬中学体育館で行われた藤松(57)vs胴締め(32歳)の拳杯大会試合のこと。平成のひょーたんの決闘あるいは平成のひょーたん島の戦いとも呼ばれる。 試合までの経緯
試合を申し入れたのは倉井だった。この年の2月に拳武会の赤川夫妻を招聘しての講習が全国でロングランされて、これが本格的な日本のカンフーの嚆矢だとされるが、常にこの講習で倉井ノブオが負け役をやらされ鬱憤が溜まっていた。
BAB武芸紙上で「真剣勝負ならわしの方が上や」とぶちまけ、これに藤松英一が応戦した形だった。
しかし決闘直前の関係者の調整で、怖じ気づいた倉井は試合は胴締めに任せると変更なり両者共に了解していた決闘試合は泥沼の展開を示すことになった。 これは何をしたいんだ。全員、5chをさったからネタで始めたのか?しかも古すぎる。登場人物全員が性格に難があるというのも何とも救いがない。 >>1-3は【なぜ木村政彦は力道山を殺さなかったのか?】の改変コピペ。
実際は藤松A一が主宰する散打の大会で入賞者に払うべき賞金を使い込み
賞金不払いをしでかして胴締めが練馬区の体育館の会場に殴り込みをかけたが主宰者の藤松英1は放送室に籠城し、難を逃れたとゆうもの。 それにしたって部外の倉井や亀島が乗り込むのは変だよ(゚ω゚)
おまえらカンケーないやろしw この藤松という人のブログを見たんだが意味不明なはっけー論を無限ループのように垂れ流しているんだが精神病じゃないかね? このあと倉井も破門されたしな。
胴じめは疾走したww
挙げ句の果てに倉井は絶不調で倒れたwwwwww ネタとしては面白いけど嘘はいけないよ。ぼくちゃん😄 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています