武壇5ちゃんねる分壇26
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>同じ話で申し訳ないが自分が習った大陸の先生(霍殿閣の孫弟子)もマレーシアにいた劉雲樵の弟子の先生も李書文が云々って言ってる話しを直接聞いた事がないんだよ。
そりゃ、会った事がないからだろ?
柔道やってる奴から、嘉納治五郎先生が云々なんて聞いたこともないし
自分の先生の話しか出来んわな。先生の先生の話さえできないと思うぞ。
会った事も教えてもらったこともないならな。当たり前の話。
道場でも嘉納治五郎先生云々なんて、ほぼ聞くこともないだろう
しかし外側には嘉納治五郎先生が云々と言うだろ? 宣伝だけの意味合いじゃなくて。
そういう感覚って解らないかな?
これがもしも、柔道が嘉納治五郎先生が纏めたものではなくて
他者からの盗用とか、史伝も嘘なら大スキャンダルになる罠?
ヘタしたら学校教育から外されるかもな。
そういう感覚が解らない? スパイとしての資料や証拠が残されて無いのが
歪んで伝えられて李書文に学んでない云々に変わったんじゃないか?
スパイが証拠を残すはずが無いので当たり前だが 李書文に拝師してないから李書文の拳譜の弟子リストに載ってないってのが李家の言い分だけど
そもそもその拳譜は文革の時に焼かれたものの写本で 尚且つ拝師弟子リストには
8人(そのうち4人が養子等の李一族)で少なすぎるし 元国民党軍将校で共産党を恐れて
国外脱出した劉雲樵を 『李家の関係者です』と言えるかというと微妙
まあ劉雲樵は李書文に習った事あるのは事実なんじゃないかな 陳発科とも交流あったほど
だし 大金で良いコーチを呼べる立場だったし
柔道だって嘉納治五郎が集めた弟子たちが工夫して現在は当初とは相当
改変されてる(嘉納が晩年講道館の練習を観て『私の柔道ではない』と語ったとの逸話もあり
本来は打撃アリのMMAを作ろうとしていた)
まあ個人的には劉雲樵は 李書文の武術に対しての”姿勢”を受け継いだんだと思うよ
自分が強くなるためにカスタマイズするのは何でも当然だし 李書文もやってたし
そもそも小柄で痩身の李と 長身の劉雲樵では使う技術も当然変わってくる >>72
まあ合う合わないは当然あるし 特別強い門派は
無いと思いますよ(特徴はあるけど)結局は個人
蟷螂拳も自分は比較的威力軽いトリッキー連打拳法と
勝手に思い込んでたけど この型見た時に認識改まった
これあるなら八極も心意六合拳も内包してるような物じゃん!!
18門派統合は伊達ではないなと
https://www.youtube.com/watch?v=gS4QECrizpw >>78
>柔道だって嘉納治五郎が集めた弟子たちが工夫して現在は当初とは相当
>改変されてる(嘉納が晩年講道館の練習を観て『私の柔道ではない』
>と語ったとの逸話もあり
>本来は打撃アリのMMAを作ろうとしていた)
植芝の合気道を見て
これこそが私がやりたかった柔道だと嘉納氏が語ったとの話もあるけど?
ところで、教本も残ってるのに
本当に現代の柔道は当初のモノと改変されてるの?
例えば大外刈り、出足払い、膝車、背負い投げ、巴投げ
これらは元はどんな形だったのよ? >>陳発科とも交流あった
これ自体がウソだろう('ε')wwwwww >>75
うーん、煽りじゃなくてよくわかんないな。宣伝はさておき李書文に習った八極拳そのものを教えていることが重要?
どのくらい、どこでは議論の余地があるとして劉雲樵が李書文にある程度の深さで八極拳を習ったのは事実っぽいし。
やり込めばやりこむ程、個人個人で同じ拳でも風格が異なってくるし、体格が違えばさらに異なってくると思うんだよね。
大切なのは自分の先生の拳から何を最もよく受け継いだか?じゃない?八極拳の中の攻撃力、威力を最もよく受け継いだ人もいれば歩法や身法を最もよく受け継ぐ人もいるじゃない?
そこに優劣はないと思う。習ってもいない八極拳を他の拳法から類推して八極拳として教えるとかなら問題だろうけど。 拳児の李書文のモデル=劉雲樵説が濃厚感
・当時李書文の人物像は分からなかった
・李書文子孫の証言では晩年は好々爺の把式爺
・劉雲樵老師をモデルにするのが容易い
・弟子達は挑発されても実力見せる程度だが
劉雲樵を挑発するとタダじゃ済まないとの証言
・シークレットサービスを含めた弟子達は劉雲樵老師が怖いと証言
・談笑していて劉雲樵老師が部屋に入ってくると空気が変わり
緊張感が半端ではないとか
・劉雲樵老師が動くとまるで肉食獣がいるような異質感があった
・見本を見せる時に屈強な軍の兵士を軽く打つと
顔色が変わってうずくまった
・八極拳を教える時は特に怖い >>82
>劉雲樵が李書文にある程度の深さで八極拳を習ったのは事実っぽいし
先ずはそこからして疑われてるんだが
話が通じない奴だなぁ。わざとボケてるのかも知れないが。 >>82
偽りの看板文句で儲けるのは詐欺だし今に至るまで謝罪がないどころか
徐なんちゃらさんは開き直って大陸に売り込みに言ってるぞ
深いどころか何年も馬歩が出来なくて他の李書文弟子達に泣きついて教わってるレベル
スポンサーの息子だから破門にも出来ない癌
ろくろく習ってないし違う技術体系盛り込んで芯の部分を捨てて八極拳の風格はギャグだろ >>77
師匠欺いたり同門消したり資料焼きに頑張るクズと
スパイとか財産持って妻子捨てて逃げたにしても酷い言い訳だよな
山東小覇王なんて人から呼ばれるくらい有名ならスパイなんて向いてないし
スパイが本当なら山東小覇王は嘘になる >>84
ついに李書文とウンショが同一化したか
インド神話かよ
李書文の孫の話も変な切り出してるし
李書文のエピソードを武勇伝にして吹き散らかしてるのもウンショとイクショとジョキな 滄州武術に詳しい李書亭氏によると、松田の套路(ブダン)をみて確かに李書文公の八極拳だ!と語ったらしい
ブダンの套路が李書文の八極拳なら李書文でなくてもどこかから習ったことは確かかもしれんな
まあ、この話自体が全て嘘っぱちということも有りうるが…。 >>87
> >>82
深いどころか何年も馬歩が出来なくて他の李書文弟子達に泣きついて教わってるレベル
これって何か根拠があるの?
なんでこんな事聞くかって言うと自分で霍殿閣の流れの八極拳、劉雲樵の流れの八極拳や燕青拳、その他基本拳術と稽古してきて自分マレーシアの先生のその先生である劉雲樵が弱いとかレベルが低いとはとても思えないんだよ。
この人(自分の先生)だって劉雲樵に習う前に相当な功夫を身につけてたのにその先生をがわざわざ指導を請い、そしてその先生に指導した劉雲樵って人の功夫の深さはどれだけ深いのかって思わずにはいられなかったんだ。
> ろくろく習ってないし違う技術体系盛り込んで芯の部分を捨てて八極拳の風格はギャグだろ
八極拳自体を李書文からろくろく習っていないかどうかはわからない。ただ、自分の先生を通して見た劉雲樵って人の武術がどれほど深いかは想像できる。それが八極拳で培った功夫なのか?八卦掌や他の武術で培った功夫なのかはわからないけどね。
オタクの妄想って言われると嫌だから言っておくけど自分も最初は中国武術なんてと馬鹿にしてたクチ。就職して大陸に海外赴任する前は実戦空手って言われる道場の首都圏の支部で十数年稽古して大会も出てた。
で、当然大陸の自分がいたところにはにはその空手の道場はないし、何か格闘技やりたいなぁと思ってたところたまたま会社に霍殿閣の弟子の弟子に習ってるって人がいてその人の紹介で…ってのが中国武術の入り口。
なので、あまり李書文幻想も武壇幻想も八極拳幻想も無かったんだよ。 >>93
両方の馬歩やってどう思う?
あと武壇は八極拳門派じゃないことには同意してたろ >>6
80の老人にめった刺とは?
エピソードを教えて下さい >>93
>それが八極拳で培った功夫なのか?八卦掌や他の武術で培った功夫なのかはわからないけどね。
うちの先生が良く言う、李書文はこうやって剣を使ったとか劉雲樵はこうやったって
見せてくれる技って八卦や劈掛が多いんだよな
実際晩年の劉雲樵は劈掛の基本練習を良くやってたらしい
あくまでも先生の言ってたことだが、劉雲樵は李書文からは小八極しか習ってないらしいから
フィジカル的な土台作りは八極だろうが
実戦技術は八卦や劈掛や六合蟷螂をメインにしてたかも知れない >>87
訓練内容知らんからそう言う事が言えんのよw
他の八極拳も知らんなおまえ 八極拳を知らない人間は「形が違う、順番が違う、だから学んでいない」と言う
套路の順番だけ教わった人間も同じ
八極拳が何なのか分かっていない 拳児で人生狂わされた奴多そう
当時蘇c彰の日本セミナー参加費?十万円だったよね >>94
馬歩?どう思うって言われも馬歩は馬歩としか…。
そういえば大陸でもマレーシアでも全く同じではないが似たような話しを先生からされたよ。
一動作づつ静止する套路練習をやってた時、静止した形を先生が修正してくれた。
で、今度は動いてみろと言われて通して套路の動作をやった。先生は良いよと言って次の生徒にも通して套路をやらせた。
稽古が終わってお茶飲んでる時、止まってやるとある程度正しく形ができるのですが…と言うと、お前はお前が動きやすい形で動いてちゃんと力が出ている、理に適っているから力が出る、それでいい。
形を直すのは鍛錬のためと力を出しやすくする形は概ねこの形というのがあるから。
その形から大きく逸脱していれば力が出やすいように直すのであって、ある人にとって力の出る形が別にとってもそうとは限らない。
静止する稽古で養った力が動きの中で自然に出ることが重要で形が重要なのではないと言ってた。
これは鍛錬がある程度進んだ段階での話しだから初学の段階では先ずきちんとした形を取るってことはさせるんだろうけど。 みんな李書文先生が大好きなんだな
見たこともない先生よりも劉雲樵先生の方が憧れるわ 劉雲樵が李書文から直接手取り足取りの教授を受けた可能性はどの程度だろう。
李の没年は1992年、劉は1909年生まれとされているので、
それぞれの情報が正しければ、李が無くなった時に劉は25才前後と推定される。
劉の主張通り幼少の頃(10才前後)から李に個人教授を受けたのであれば、
それなりの実力を得ていたとしても不思議ではない。
ただ天津中華武士會に参加できるほど武林で実力を認められた武術家が、
10才前後の餓鬼に実伝するほどの暇があったかが争点であろう。
>>100さん
ここ何回かの書き込みを面白く拝見しています。
書かれる内容についても同意する事が多いです。
今回書かれている
>お前はお前が動きやすい形で動いてちゃんと力が出ている、
>理に適っているから力が出る、それでいい。
全く同意ですし、私も師からそのように教授されました。
もちろん初心者の頃は・・・
その段階でなんだかんだと理由をつけて辞める人の多いこと多いこと。
通過してわかるが、その後から面白くなってくるのに。。。 >>102
>10才前後の餓鬼に実伝するほどの暇があったかが争点であろう。
というより見ても判らないでしょう
55歳の枯れた動きより30前後のイキのいいコーチじゃないと
10歳には参考にならない気がします
多分李書文の拝師弟子あたりが普段教えて総仕上げを
李が行ったのではとこのスレでも推測されてましたね
自分も少し奥の部分の練習になってきて面白くなってきました >>104
あっ…ごめん1934年ですね。
タイプミスってかコピペミスですねw >>103
同意です。
門内において、拝師と実伝が別というのは、割とよくある事なので、李と劉の関係もそうだったんじゃないかなぁ…と。 >>106
大山倍達とその存命末期の有名選手の関係に
近いと推測します
基本大山の弟子って言ってるけど基礎から教わった人は
一人もいないし 武壇の捏造は本当に酷いな
八極拳のwikiに長春の事全く書かれてないのはワザとか?
何で亜流が本流みたいなデカい顔してるんだ? 李書文の孫という人がやってるのが真の李氏八極拳かね? >>109
動きに説得力あるな('ε')
槍ができるし。 李書文の孫っていう人は父親が国術館かなんかで八極拳の指導にあたっていた人物だよな
李書文の死因を家族は病死だったと言ってるし話が合ってない 劉雲焦がかつて対戦して勝利したと語ってた帝国軍人も日清日露戦争時代に活躍した人物で
劉雲焦が生まれた段階ではすでに鬼籍に入ってたってのもあったよな 本と漫画で覚えた知識だけで偽物扱いとか
失礼極まりないね >>107
大山道場の設立経緯がWikipediaの記載と大差がないのであれば、
その通りなんでしょうね。
さすがにこの時代の生き証人みたいな人に知り合いはいないし、
もちろん私も生まれる前の話なので・・・。
で話題を戻すんだけど、長春と武壇の両方をやってみて、
一番の違いはどこだと思います?
ちなみに私は両系統ともにやってないんだけど、
他系統の八極拳を参考として大八極(とその用法)くらいまではやってるので、
興味があります。 >>114
私は107ですが マレーシア武壇さんとは
別の系統で別人ですスイマセン
まあ大山道場というより 大山晩年の世界大会とか
全日本で活躍した選手を例に出したつもりでした
最初期の人たちは流石に胸を借りた人も多いですが
理論的なモノでなく4時間続く数稽古的なのが
主だったようですね >>109
李大忠八極拳も李書文八極拳も李雲龍八極拳も李氏八極拳だと何回言われたらいい加減覚えるんだよ
李書文系統名乗っててパチ物はウンショー伝だけな
あと現在の武壇で李氏八極拳を指すのはウンショー拳混じった李雲龍の嫡伝の方
ここの赤国世代の爺達とそのカルトシンパは大体ウンショージョキの方
マレーシアは知らん
背中丸めて縮こまった三角馬歩ならウンショージョキ系 話しがズレちゃうけど(笑)懐かしい空手、大山総裁の話題が出たので。
実戦空手なんて書いたけど要は大山総裁のところ。
自分の先生は大山総裁の弟子であったし、直接指導も受けた事もあった様ですが、細かい技術的な事は極真会館初期の伝説的な先輩方から指導してもらったと言ってました。
大山総裁の稽古は哲学的と言うか、よくわかんな「かった」と言ってました(笑)
過去形なのは自分で稽古が進むうち、他の武道に出稽古に行くうちに「ああ、総裁の言ってたのはこういう事なんだ」って初めてわかったそうです。
先生がよく言ったてのは大山総裁が「脇を締めて、しっかり握って、叩く」って指導してた話しで、そんなの当たり前じゃないかと当時は思ってたらしいですが実はその意味するところが何十年かしてやっとわかったと。
その話しを何回も聞いてたので後に大陸で中国武術を学ぶようになって、なんかわけわからない事を言われても、まぁなんか後々わかるんだろう程度で、疑問にも思わず、黙々と稽古してたんだよね。
そしたら、ある時先生が練習後に「コイツを見習え」「コイツは頭で理解しようとせずにひたすら拳を練ってる。その結果、頭で理解してることも的を射てきた」
「こういう態度で練習に取り組まないとモノにならんぞ」って他の生徒に言って、「お前スゴイなー」「先生が練習態度を褒めたのって初めてだぞ」
「お前らは練習が足りないって」のは毎回言われてるが…って先輩方からも一目置かれるようになったんだよ。
そういうとこは空手も中国武術も一緒だよね。
その点は、霍殿閣の系統の武術も劉雲樵の武術も一緒だと思ったよ。 背中丸めて縮こまった三角馬保歩ってのが劉雲樵の馬歩?
自分が先生に直された時にいつも言われたのは、外から見える形じゃなくて、体幹、身体の内側(意識)でどうなってるかを先ずは静止した状態で自分でわかるようになりなさいって事。
外から見て馬歩が前傾してても「よろしい!真っ直ぐ立ってる」って言われた事もあるし、外から見て真っ直ぐに立ってて、「真っ直ぐ立て!」って修正された時もあった。
マレーシアから帰任するくらいの時、つまり先生に習って5年後くらいには、ああ、こういうことかって自分でもわかるようになった。
三角馬歩ってのがよくわからないけど馬歩の立ち方の見た目、脚が三角形に見えるって事なら三角形に見えて、本当に三角形の時もあれば、三角形に見えて脚の内側(の意識の流れ)は実は円形って時もあるし。
結局そこは正しく指導を受けるうちに自分でわかるようになるっていうか、わかるようにならなきゃいけないんだと思うよ。
○○系の形(外観)はこうって分類は自分の経験から言えば的を得ていないような気がするなぁ。 武壇八極拳だけが内家拳ファミリーに入ったものだから嫉妬が凄いですね 八極拳を内家拳にしたのは
李書文? それとも 劉雲樵? 劉雲樵の八極拳はスマートで
本当に頭の良い人が作ったと思うよ
オタクが想像する物とは全然違って摩訶不思議な物やまやかしのような技は一切無く
ただ純粋な攻撃の為に作られている
そして精神が大切
精神が強い戦闘法に繋がってる 李書文の拳児や武壇以外の逸話でも 李書文自身は明らかに内家拳にシフトしてた感あるんだよな
あ
ただそれは万人向けではないし出来る人限られてるし そもそも多くの中武は最後内家拳に
シフトするのは珍しくない話だし
(太極拳 意拳等のようにはじめっから判りやすく打ち出してるのが珍しい) やっぱり武壇だな
良くそんなの間に受けれるなぁ
おまえが愚直なくらい真面目なのはわかったけど言葉に騙され過ぎだろ
良い歳なんだし少しは考えて疑問持てよ
個々に合わせて応用するのは当たり前だけど力学のベースからフラフラしてたらが踊りしか身に付かんよ
>>119
ウンショが内家を自称した時点で劉氏八卦門だろうが >>121
創設者のウンショからして摩訶不思議なことばかり言って
中国拳法が嘘臭くなった原因そのものだよ
確かに柔らかくスマートだな正に花拳繍腿そのもの >>124
それは受け取る方の問題
きちんと師匠について練習してれば説明されているし
何もおかしな所はない
何も知らない人が理解する為の言葉では無い >>124
お前、朝昼晩と激辛キムチ食ってない?
体に悪いでぇ >>125
受け取る側の問題でもなんでもなく嘘は嘘だよ
雲樵の妄言論破された時には黙ってる癖に良く言うよな
大体ポエムマンのおまえは武壇に所属してるわけでもない赤国の金魚のフンじゃん
やればやるほど頭おかしくなる辺りは内家拳に良くある詐欺カルト門派そのものだよ >>126
それ達人口調のポエムマンに言ってやれよww なんで長春の人間は文句言わないんだろう
武壇が歴史改変と捏造しまくってるのに 長春と武壇は関係無いから。
因みにウンショが習ったと主張してる時期は霍慶雲さんが習った時期と重なってる。 >>130
向こうも古武術やる人の情報収集疎い人多いことや
霍氏が習ってた時期以降は世情の混沌さもあってきちんと把握されてない
そこに付け込んだジョキがウンショの李書文の嘘を武器に
いつもの口八丁で中国内の八極拳の統括団体(主に北部ラドウ系)騙して幹部になってる >>133
詠春じゃないけど組織運営には南拳のヤクザスタイルの影響受けてるよ 証言なんてものは曖昧でいい加減なんだから
みんな多かれ少なかれ事実と異なることを言っているし白黒では判別できない事だってある >>134
混沌さもあってきちんと把握されていない
と言いつつ徐紀先生が嘘を付いていると断言する矛盾について説明してくれ あの当時の中国の情報通信の状況を想像すれば、死んだ、毒殺、病死と複数の情報があればどれが本当かなんてわからなかったんじゃない?
複数の情報源から毒殺っぽいと聞かされたら毒殺らしいと思い込んでも仕方ないかと。
これが丁子成とか宮寶田みたいな温厚?な先生ならそんな馬鹿なって疑ったかもしれないけど。
李書文で、しかも試合で不具者にした相手の親戚による毒殺って情報だったならまぁ有り得るって思わせる人物だっという事だと思うけど。 あと80年代以降にウンショの嘘をある程度暴いたのもジョキ
嘘と分かりながら飯の種にしてるのもジョキ >>125 >>127
お前らは、武壇のどんな技や劉雲樵のどんな話や逸話について
嘘だ、いや、説明されれば分かる
と罵り合ってるんだ?
具体的に幾つかを例示してきちんと議論して見せろや >>140
一番傍にいた人間、看取った人間が知ってるだろ
大陸の李書文の孫の証言が一番正しいに決まってるわ
残念ながら霍慶雲が習ってた時期に、劉雲樵が習ってたと証言するなら
劉雲樵の方が怪しい
しかも毒殺と遺族とは異なる証言。。。
これに関しては勝負ありじゃないのか? >>143
ただ劉雲樵自身はインタビューで
李書文の死の第一報はコレラで亡くなったらしい
て当時世話になってた将軍に聞かされたって
書いてあったそうな
毒殺も劉本人の思い込みなのかもな
10年習ってたと言っても 李書文が用事で出かけてた
時期もあったようだし 霍慶雲と時期的に重なる
事もあるのでは? 他にも同時期講習会的な形で習ってた
軍隊とかあったようだし 遺族は、李書文は親戚が最期まで看取ったと語ってるからね
劉氏は毒殺の報せを受けて犯人を探した回ったというがその前に、生前の住処を訪れたり
遺族と直接話をする機会はなかったのか? >>145
その頃戦争中で情報部の軍人だったでしょ
(実際は諜報員でなく佐官クラスの司令官だったようだが)
なかなかそんな時間は取りずらいと思うよ まあ戦争中の混乱もあって 色々情報錯綜があってその後の文革が決定的だったのは
全ての武術に通じる話だろうな 戦争中の情報錯綜があろうとなかろうと
亡くなった人間に亡くなるまで10年以上就いてた人間の証言と
死を最後まで看取った遺族の証言が食い違うのはおかしい
それを昔の情報混乱時代だからといい加減に済まそうとするのはちょっと。。。 劉雲樵が李書文より遥かに高名だってのが先ず分かってない 武術家を実力や真実ではなく
世間の名声で判断をしようと言うのがもうね
しかもその評判の内容を流したのは誰か?
まで考えると、もうねw >>145
遺族からのコメントがでるまではメディアなどで
劉は情報部にいたから李書文毒殺の一報を速やかに得ることができたのだろう
とか書かれ、信頼できる情報筋などと言われたぞ
武壇の人たちは都合の良いことばかり信じてるんじゃないか。 >>145
君は自分の先生の生家を訪れたり
家族や親戚に会ったりしているのかい? >>154
当事者でもない私がなんでそんな真似をするんだ
劉氏は、当時そこまでの情熱を傾けて犯人探しをやったのなら、書文の住処や家族、親族に
接触し協力の求めや情報共有その他を介して犯人に迫ろうとするのは
当然の行動だろう
だいたい、師匠が死んだと言うのに墓にも参ってないのか
遺族に会わない理由がないだろう。 >>156
状況的に少しおかしい内容を書いてるな?
と自分で思ったりはしないかい?
で、君が当事者かどうかなんて聞いてもいないし書いてもいない
独り芝居は楽しいかい? >>156
だから当時戦時中で内乱と外国軍隊がやりあって
中國全土が危険地帯
しかも将校の役職にあってそんな真似ようできんよ それ以前に、旅先でゴタゴタがあって云々・・・
って設定なんだから、遥か彼方にあるど田舎の住みかや家族に
事情を聴きに行っても 訊かれた家族も は? ってなもんだろ
しかも移動が困難で危険な時代のさ中なのに
ど田舎の家族に事情聴取に行く軍隊の将校の個人的事情って何だ? となる罠 しかも第一報がコレラ
第二報? が毒殺って
遥か彼方にあるど田舎の住み家や家族、関係ない 本人が行かんでも地元の軍やら警察やらから事情聞けないの?
亡くなった状況について霍殿閣の系統はなんて言ってるの? 旅先でゴタゴタしてもいずれ遺体は遺族の元に返されるだろうよ
遺体も確認せず、あれほど有名な李書文公も無縁仏となり哀れな末路を迎えた
と信じてたと言うのか
中国全土が危険地帯で私的事情が優先されないなら犯人探しに行くのも無理だろう
そこはまたなんとか間隙を縫って抜け出したていたとでも言うのか 劉雲樵が嘘を言ってたとか捏造してたとかは武術の歴史家が検証すればいいんじゃない?ここで嘘だ、嘘だと言ってる人がもし、実際に武術を練習している人なら自分の拳を磨くこと、稽古することをもっと大切にした方がいいよ。
自分で中国武術を稽古してわかったこと、それは霍殿閣系統の八極拳もきちんと練習体系ができていて素晴らしい、劉雲樵の武術もいろいろな門派の武術が体系立って整理・統合されていて素晴らしいってこと。
伝承云々より、やっている稽古法が正しくつまり効果のある稽古法で、それに沿って練習することでちゃんと功夫が養われる事実の方が重要だと思うよ。 李書文が何で死んだとか多分真実はわからない。だって歴史を勉強した限りの知識で言えばあの時代の中国での出来事だよ。
今となっては何が事実かなんて殆ど検証できないと思うけどな。所謂文化大革命もあったし。
実際に中国で数年間生活して中国人と接してて思うのは基本的に中国人は日本人が思う色々な事を厳格に考えていない。
だから、「こうですか?」って聞くと大抵が「対」「そう聞いている」
「こういう可能性もありますよね」って聞いても「対」「そうかもしれない」だもん(笑) まぁ強烈な偏向主張アンチというのは、なかなかに御し難いものです。
もう認知が歪んでるから、どうしょうもない。
それは、戦争反対、安倍政権反対、原発反対、大麻合法主義、動物愛護、フェミニズム…
中国武術なら呉伯焔問題。
それでいて自らは理知的で冷静なつもりだからタチが悪い。
でも本人にとってはそれが正義w 中国拳法に限った話じゃないけど、批判する奴はほぼ必ず技術論はスルーする
武壇が気に食わないのはそいつの勝手だが、武壇のどの技術にどういう問題があるのか
そういう指摘は全くと言っていいほど見ない
と言っても技術論は個人の好みもあるからな
バチバチ殴るのが好きな人は長春の方が優れてると思うかも知れない
ちょっと見た感じ、武壇よりもコンパクトで素早い動きっぽかった
うちの先生も「南拳みたいだった」と言ってた 劉雲樵の系統が李書文の残したファイナルステージ八極拳です
真実の李書文スタイル八極拳の実際を理論と実技をもって解説してます どの段階のものを見てるかでも違うから。小架、小八極をやってた時は縮こまって、ギュウギュウと力を込めて、内に籠ってやってた。
「小八極やると陰鬱な気分になるんです」って先生に言ったら「小八極は蓄だからそれでいい」「蓄の稽古は内側に蓄める一方で苦しいだけだ。気分は良い訳がない(笑)」と。
この段階のものを見れば、劉雲樵の八極拳は縮こまって見える、力が出ていないって言うだろうし、事実そう。
次の段階大架、大八極で蓄めた力を出す事を練習するんだけどこれがなかなか出ない。何せそれまで小さく、緊密に内側にギュウギュウやってたものだから(笑)
そこで、一旦八極拳から離れて劈掛やったり、劉雲樵の体系なら八卦やったりして身体と頭を外側に開く練習をする。
この段階を見れば、劉雲樵の八極拳は大きく、柔らかくやってて八極拳というよりは八卦掌だと言う人がいてもおかしくない。
このあたりが同じ八極拳でもそれぞれの系統で工夫があるところ。
だから、他の門派の練習や套路を見てあれは違うとか偽物とか軽々しく言えないってこと。 >>164 言い訳
>>165 >>149さんの意見を
正座して100万回読み直せ >>102
102さん、賛同してもらえて嬉しいです。きっとあなたも稽古し続けているんですね。
自分の空手時代の先生が○○空手だから強い訳じゃない、黒帯だから強い訳じゃない。稽古をしているヤツが一番強いんだ。お前ら古参の黒帯は自分が一番稽古してた時の幻想の中に生きたがるが現実はそんなもんじゃない。
だから稽古し続けなくちゃいけないんだといつも言ってました。強さは流派、門派、拳種によるものじゃなくて稽古してるかしてないかですよね :) >>170
アハハ。色んな考えがありますね。言い訳?言い訳かぁ。言い訳って言うかこれは自分の考えですね。李書文がどうして死んだかとか劉雲樵が嘘を言ってたかどうかとか、正直なところ殆ど興味はないので。
自分は別の考えを百万回読み直すなら、百万回、突きでもなんでも稽古したいです。 劉雲焦が李書文の弟子だったかどうかを問うているだけで
端から技術論など問題ではない
だいたい、以前はあれだけ李書文、李書文と言って
高いセミナーに参加したり中国や台湾に渡った人間までいるのに
異なる事実関係がでてきて雲行きが怪しくなってくると
「李書文よりも劉雲焦のほうが名手だから」「技術が確かであれば誰に習ったものでも良い」
なんてさ
自分の大事にしてきたことを守りたい気持ちは分かるが
あまりに節操がなさすぎないか。 嘘でもいいから
100万回稽古すれば何とかなると思い込んでるなら
お気の毒としか言えませんな
普通の人間は同じ稽古するなら嘘より本物をと思いますわ >>173
ああ、何で議論が噛み合わないのかなと思ったけど、そういうことか。
これが、もし自分に向けられたメッセージなら、自分はたまたま大陸と馬來西亞でついた先生の先生の先生が李書文だった(らしい)というだけで李書文の武術だからと理由でやったわけじゃないんだ。
だから、劉雲樵が李書文の弟子だったかどうかにはあまり興味がないってこと。
他の人が李書文に憧れて、中国、台湾まで行って劉雲樵系の八極拳を学んだのにそれが李書文のものではないのが許せないと言うならその通りかも。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています