合気から派生する剣術
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古の剣術とはまたちがう、合気術者の身体の使い方としての剣術を語りましょう。 >>1
佐川さんが甲源一刀流の免許持ってた関係で、「私の一刀流は合気甲源一刀流にもなるんだみたいなこと言ってたな」 合気とは、相手の力を抜いてしまう大東流独特の技術であり、合気之術に掛かっては、如何なる武道と謂えども太刀打ち出来なくなります。
因みに、大東流合気柔術から派生した植芝盛平の合気道は、大東流合気柔術の偽物に過ぎず、
合気という名前を大東流から盗用しただけで合気の技術は全く無く、使い物にならないカタチだけの踊りに堕しています。
その為、素人を騙して金を取って指導する疚しさから公益財団法人合気会(合気道)本部指導員の気が狂い、
通りすがりの一般女性の顔に精液を擦り付けるわいせつ事件を複数回起こしています。
https://ameblo.jp/ssrmondo/entry-12230795181.html
https://youtu.be/eAbuEpTdEOQ
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=-faXmVN40y4
https://m.youtube.com/watch?v=ifvmlYOJDek&feature=youtu.be
インチキ変態武道の合気道に騙されないよう気を付けましょう。 いよいよ「秘伝」次号に大東流合気柔術 幸道会 井上祐助師範 登場!
次号予告
未曾有の「合氣之術」を伝える幸道会が語る“真実”
武田惣角と彼を支えた高弟たち
大東流“合氣之術”の系譜
“武田惣角の実見者”井上祐助最高顧問インタビュー、惣角を支えた高弟たちの輪、
惣角直伝・堀川幸道が伝えた武器体系、幸道会・佐川一門 交流の“真実”、etc.
http://webhiden.jp/magazine/ 合気の剣なんて特別なものはない
ただの剣術と変わらん。 >>16
首を長くしてお待ちしておりました。
その間、他スレで刃物を持った悪人に通用しない護身術よりも目潰しスプレーの有効性を提唱している方に関するスレにコメントしていました。
逃走ならば
反転、お辞儀、股下覗き、逃走
攻撃行為ならば
反転、お辞儀、股下覗き、相手の足の指先に目付、膝下蹴り、余裕が有れば金的
これだと悪人のスプレー攻撃も避けれます。
この様な基本動作を、護身術教室では教えないのかなと不思議でした。 >>18
シチュエーションとしては、
この動画のように、
狂人が刃物を構えていて、それと対峙した
(させられた)想定でしょうか。
https://youtu.be/CH0CIS-VyHI?t=1506
ケガを覚悟で捕り抑えるならまだしも、
無傷で仕留めるには、
世上知られた様々な方法が、
NGになるでしょう。
こういうのは無理ですからね・・・・
https://youtu.be/u_xkF2hkg84?t=343
スプレーも、普段から持ち歩くのは難しい。 >>19
お巡りさんの場合は距離が離れているので、わざわざ悪人の刃物による斬り付けや突きを待たなくてはいけなくなります。逃走なら余裕です。
よほど腕に自信があれば、迫る悪人の足元を股下から眺めて、攻撃準備を待っことになります。
スニーカーの足元や指先から悪人の次の行動を判断するのは、格闘技経験者なら何時もしていることです。
蹴りあげは、悪人とのフィジカル格差が大きければ、出来る方もいらっしゃると思いますが、こちら側はあくまで一般人の護身を対象にしています。 >>20
目付けは確かに、重要そうですね。
わたし実は、
目付けまで研究の手が回りませんでした。
きちんと目付けからもアプローチなさる、
面白さまのご姿勢、見習いたいです。
ところで七夕を記念し、
少し剣術スレらしいお話を。
ボール(野球などの小さな)を、
強く速く、遠くに投げるには、
投げ終わりに、
親指が下になります。
こうするのが人体構造上、
いちばん出力しうるからです。
それが剣の場合、小指が下。
剣である以上しかたなく、
剣はこれでいいと妥協して構いませんが、
それでもピッチングの自由な腕を想うと、
剣はどうしても腕がビュンと振れないと感じ。
これを実は解決してくれるのが、
合気なのです。
剣がビュンと唸りをあげる。
武器が無くても手刀でこれをやれば、
刃物の凶悪犯も、自らは無傷で葬れます。 >>21
恐れ入ります。
唸りをあげる剣とは
体が剣先に引っ張られる様な状態を表す言葉でしょうか?
また、同じ意味で、ブレーキの無い腕を持っと言える様な剣捌きのことでしょうか? >>21
晩年の武田惣角が常に短刀を持っていたことについてなんと考えているのだろう。
武術の免許皆伝がたくさんいた明治幕末ですら
無手で武器持ちを葬った話などないというのに >>22
音が大きいという意味です。
風を裂く音。
人が観て、
かなりの速度が出ているそうです。
幕末の剣術道場、
練兵館(れんぺいかん)に
仏生寺弥助(ぶっしょうじ・やすけ)という
剣士がいました。
15の時、道場生としてじゃなく、
薪割りや風呂焚きの、下働きに雇われます。
いつしか館で行われている事に興味を示し、
道場を覗き見するうち、
習わぬ剣術をおぼえてしまった。
16歳、道場にあげてもらえた初日から、
練達の者を打ち負かすほどだった。
弥助が得意としたのが、片手上段撃ち。
振り上げた体勢で、「上段参る」
宣言したあと、振り下ろされるにも係らず、
誰もがどうしても、くらってしまう。
名のある剣士でさえ、防げませんでした。
十本やって、十本くらう。
今になって解かるのは、
このかたのこの業も、合気だったのでしょう。
それにしても16で解くとは… 天才ですね。 >>24
剣道握りと剣術握りの
双方でやりましたが
竹刀、木刀ともに音が鳴り
音の違いは分かりませんでした。
大きな違いは、剣術握りは短い振りで速い振りになるでした。
振りかぶる必要はありません。
素手の場合は音の差が明白です。
設問者様はこの話を通じて高速の合気への入門についてお教え下さったのでしょうか? >>25
剣術の握りと云っても、
何種類かあるようです。
両手の間隔をあける人がいる一方、
土方歳三のよう、両手を着ける人もいました。
https://ameblo.jp/hogyoku/entry-10026712164.html
両手を着けるのは剣道の握りなので、
「剣術の時点で合気の入り口」
「剣術が必ず剣道にまさる」
という事は、ないと思います。
合気には従来の剣術に、
もうプラスアルファが望まれます。
ただ、手刀の速度が増すのは、
面白さま、核心を突かれたのかも知れません。 >>26
片手持ちの場合
竹刀ならば、竹刀の重量に負けないのですが、
木刀の場合、木刀が先に行き過ぎるというか、最後はくねる軌道を描き制御できないです。
土方氏のように、下の手は持つでもなく、握るでもなく、上の手に付いていき、上の手を支えなければ、木刀が離れてしまう感じになりました。 >>27
面白さまはいつも考えて、
実験なさいますね。
そういうご姿勢は、素晴らしいと思います。
時事ネタですが(すみません)、
さくじつ愛知県の小学五年生が、
缶とペットボトルを分別する装置で、
特許をとりました。
高校一年のお姉さま共々、
安城市少年少女発明クラブという、
ある種の塾に、
所属しているそうです。
面白さまの名古屋にも、
「名古屋発明研究会」
「愛知県発明協会」
「東海発明研究会」
「名古屋少年少女発明クラブ」と、
実に四つもの発明教室が、
あるようですね・・・・ 名古屋以外にも愛知県下に、
「安城市少年少女発明クラブ」
「刈谷少年少女発明クラブ」
「豊田少年少女発明クラブ」
三つの発明学校があたります。
愛知は発明の里と称んでも、
過言じゃありません。
面白さまの「考える習慣」、
拝見していて思ったのは、
ひょっとしてこういった所のご出身
なのでしょうか・・・・?
私見(私事をふくむ)ですが、
道具の発明や何かの創造、
ここでの合気の解明は、
発明のノウハウを学んでないと、
無理だと思います。
武格の段位や指導歴、
流派、地頭、学歴等、いくらあっても、
発明のノウハウ無くして、到達は不可能です。 >>30
ご返信、ありがとうございます。
小学生の発明は、物体の形状と性質からアプローチしているのですね。
大人ならば、採取した土を分離して金や銀に分ける会社の手法や、廃棄物を分別する会社の手法を真似るのでしょうが、形状からのアプローチは、子供ならではだと思います。
合気の習得で言えば、
天理流や
黒住流の
双方が逃げと誤魔化しができない状態で何が出来るのかに通じると思います。
応用として、双方が限界まで両腕を伸ばしきり指先が触れあった状態から、相手に対して何が出来るのかの実験もあると思います。
膝蹴りは除くとして、僅かに肩が動かせる状態からです。
合気が剣術の秘伝の応用体術だとしても、現代は剣術の秘伝そのものが失伝し、応用したい土台と基礎が身近にありませんので、合気は極めて難しいか神秘か八百長と言われても仕方がないことに思えます。 ウクライナの教育家、
ワシリー・スホムリンスキーは、
「子供は生まれつき探検家であり、
世界の発見者である」
と云いました。
武格に関わりながら、
完全に子供のこころを忘れたおとな、
多いですけど、
私たちはいつまでも忘れないでいたいですね。
指先しか届かない遠間の実験、
面白そうです。
まず「届かせる」、この時点で普通苦心し、
それだけに取り組み甲斐があるでしょう。
カッパは腕が伸びるという言い伝えがあり、
それは脱臼するからだそうです。
腕を外し、距離を届かす。
でも私たちがそれを真似たら、
靭帯をおかしくする。
腕を外さず、その他もろもろ体を傷めず、
遠くまで腕を伸ばすには、どうするか。
ここで実は、
佛生寺弥助の剣が、活きてきます。
あくまで私のアプローチなので、
これがこの実験の正解とは、限りませんが・・・・ >>32
早々のご返信、ありがとうございます。
発明のポイントの1つとして、異なる分野の組み合わせ 誤って、送信ボタンを押してしまいました。申し訳ございません。
発明の着眼点に、異なる分野間の組み合わせが基本としてあるのですが、
私などから見れば、究極の合気に見える片手が相手に触れただけで、相手を倒せてしまう技術は、複数の技術の組み合わせに思えます。
なぜか、ガチガチの抵抗が相手にあり全く何も起こらない場合と、あまりにもあっさりと誘導できる場合に、見事に別れる結果が得られました。
自分が認識できない、気付けていない違いを発見しなければならないのではと考えています。
それにしても、素直な好奇心一杯の色眼鏡に染まっていない、童心は大切にしたいです。 >>34
面白さまは或いは、考えずいつのまにか
出来てくタイプかも知れないですね・・・・
そういう体を、元々お持ちなのでしょう。
観方を変えれば、
考える余地があるとも云えます。
ところで面白さまは、
なにか特別な
(場合オリジナルの)
鍛錬法をお持ちだったりしますか・・・・?
面白さまは特異体質の疑いがあるので(笑)、
拝聴したくなりました。
私事ですが先週、
体をゆるめる方法を発見しました。
何日か取り組むだけで、早速効果が。
合気の、一部原理をつかった鍛錬法で、
ほぼ微動だにしない、
かと云って寝るでもない、
暮らしの中の手軽な状態で、かかれます。
技とはべつに、こういった鍛錬法の創出も、
相当または無上に愉しい作業かも知れません。 >>35
ご返信、ありがとうございます。
特別に変わった練習方法は行っていないと思います。
スピードや力で誤魔化さないというか、技の正否に嘘をつかないことを心がけてはいます。
ゆっくりと出来てから、初めて速さを求めていっています。 >>36
特別な鍛錬をおこなってないのは、
寧ろ健全かも知れません。
秘密の鍛錬法の、
ある意味代名詞ともなった
大東流の佐川幸義に、本をみて心酔し
入門した知人がいました。
マジメに通う人もいた一方、
一、二回しか通わなかった人ほど、
きまって「オレは鍛錬の方法が
知りたいんですよ」と、言うものでした。
あとちょっと分野はちがいますが、
ボディビルに嵌り、筋力アップの成功が、
なにか格闘技術の向上と勘違いし、
対人練習の場に現れなくなる人も、多いです。
大東流にせよ格闘技にせよ、
そういう人たちは結局弱い、ヘタクソです。
対人技術である以上、
何だかんだ云って
対人練習にまさるものは無いと、
私は理解しています。
チカラやスピードで誤魔化さないの、
素晴らしいですね。
方向性として百パー正しくていらっしゃると、
こころから同意させて頂きます。 >>37
的確なご指導、恐れ入ります。
対人練習がなければ
果たして、1つ1つの技術が
組手で有効であるものかどうか
どの局面で使うものか
また使えるのか
何もわからないままで終わってしまいます。
ただ、未熟で必要な技術を網羅していませんので学んだ技術を、そのまま狂いなく使用できればと思いつつ練習しています。
理想は練習、できることに確信を得る、他流派に出稽古、復習ではあるのですが。 技術論と離れて、
申し訳ないですけど・・・・
対人練習で気をつけなくちゃいけないのは、
情報交換に陥る事です。
情報交換に陥ったが最後、
その場はすぐ芝居に陥ります。
Aさん 「こんな技術があるんだ」
Bさん 「(あ、この技知ってんだけどな・・・・
えーでも言いづらい。
掛かったふりしないと・・・・)
効きますね、この技!(汗)」
本やyoutubeから既存の技を持ってくると、
こう大事な研究仲間に、
気を遣わせるなんて、
愚をおかします。
ここがどうしても解からない人がいます。
既存の技ばかり持ってきて、気を遣わせる。
研究にならないので、申し訳ないと思いつつ、
グループから外れて頂いた人もいました。
研究と情報交換はちがうという事実を、
基本ながら今回は書かせて頂きました。
情報交換にすら至らない、
練習相手自体いない人は、論外ですが・・・・
ウェブ利用者の多くが、この論外の段階です。 >>23
脇差でも有れば、通常素手で戦う必然性が無いからでは? 一言で、
合気にも段階があるんだと思います。
武田惣角は1904年に、
北辰一刀流の下江秀太郎と、
剣道の試合をし、
1‐0で勝っています。
しかし惣角が1860年生まれ、
当時43だったのに対し、
秀太郎は1848年生まれ、55歳と、
年齢的なハンデがありました。
秀太郎は1889年に、
神陰流の松崎浪四郎と対戦、
互いに打ち込めない緊迫の試合で、
0‐0の引き分けでした。
このカードは浪四郎が1833年生まれ、
後年とは真逆の年齢ハンデがあったのです。
公平に見て、惣角と浪四郎は横一線でしょう。
その浪四郎が1860年前後、
仏生寺弥助と対戦してます。
「上段参る」と宣言しての片手撃ちを、
一度も防げなかったそうです。
弥助は1830年生まれなので、
ハンデはありません。
まさに日本一、無敵の剣ですね・・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています