【他流を排せずして】新陰流総合【他流を認めず】2
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新スレ。
以後もID表示やワッチョイは導入しない方がいい。
おそらく、あれは一般人の書き込みが減って、
自演魔や業者の書き込みが増える要因になる。
(結局のところ、対策してる人間の書き込みばかりになる。
やたら、導入したがる人間の書き込みも信じない方がいい。
本気で荒らすつもりの人間には何の役にも立たんもんだから)
前スレ
【他流を排せずして】新陰流総合【他流を認めず】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1540761907/
前々スレ
新陰流総合【ワッチョイ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1465872336/ >>484
ていうか江戸幕府がまだ健在だった頃の書物なんだから将軍家の御流儀を
傍流に過ぎないなんて書けるわけないでしょ
慮り忖度するに決まってるじゃん、しかも江戸柳生は流派としては大昔に滅びてるし 逆に正伝新陰流以降の武道関係者や剣豪小説家が尾張柳生を正統として扱ってきたのも
たぶんに活動してる尾張柳生への忖度がありそう 豆相記の記述も今出ているのは法螺だからな。
かなり簡略化しすぎている。
現物には上泉信綱・秀胤・泰綱が乗っている。
訓閲集自体も既に原本でなく
宗教的内容に変えられている。 誰も見たことのない豆相記の原本に上泉の記述があるとかそんな話はどうでもいいわ
大胡地区の口伝とか情弱騙しのハッタリをかますヤツが多いスレだね ぶっちゃけ、尾張柳生が本当に正統なら
徳川も尾張柳生を呼んで指南を受けそうな気がする
一国うんぬんの規制も
当時は徳川の権力のが偉いだろうし >>143
スレ唯一の技術の話題。。。。
しかもレスが付いていない。。。。。。。
それで猿廻の意味とはどんなものでしょうか。
よろしくお願い致します。 猿廻技術は伊勢守も柳生も疋田も同じであるはずだよね。
みんな異論はないよね。 ていうか、江戸徳川家は官僚としての能力の高さで宗矩を登用してた訳で
単に芸事のお稽古の先生として登用した訳じゃないでしょ 登用時点はそこまで期待してないでしょ
石舟斎が側にいないときの代理程度で 最初から徳川家としては剣の事だけで採用した訳じゃなくて
近畿地方における大和のあの地域の戦略的重要性から、柳生の能力を期待して
招請したのだと思うけどな
たぶん、会いに行く時点で、宗矩の事まで含めて面接の段取りは
決まってたんじゃないかと思うよ 当然の事だけど間に仲介者がいただろうし 奥山休賀斎に対しても剣以外に何かアテにして入門したのかな? 結果論的には大和での宗厳の人脈が関ヶ原で活きたけど
あの時点で家康が失領した一国人の力をどれだけ当てにしてたのかは謎だな 結局本文引用もないし>>476は大嘘か
なんであんなことするんだろうね 猿廻の話なら俺も賛成だな
技術論を繰り広げてみたい 疋田の方も伝承に自信があるなら、色々ある尾張柳生系の新陰流を見て、どこが自分たちと同じなのかわかるのでは?
ぜひ教えて欲しいな。 疋田新陰流の演武を見ていて思ったけど、疋田の方は新当流や陰流の技術がかなり残っているね。
違う名称にはなっているようだけど、尾張で伝承されている村雲斬りとかと同じ技術残っているみたい。 455名無しさん@一本勝ち2019/04/12(金) 05:53:24.03ID:ODaS2uC50
上泉信綱は余程強かったな。
柳生宗厳に圧勝し
宝蔵院に圧勝し
武田軍をなぎ倒し
北条家にも多数の弟子を持つ。
結局この>>455の話の大半が根拠なしかよ
それどころかウソ出典まで出しやがって >疋田の方は新当流や陰流の技術がかなり残っているね。
そういうのがわかるんだ凄いね
特に陰流のほうをわかるのが凄い 斬合二十七箇条は他流の技術で、「この技は陰流、この技は新当流」とかそういう事まで伝わっている所もあるからね。
笑っちゃうほど嘘伝の所もあるけど。 二十七箇条は表太刀の切り方をまとめたものだけど・・・ >>509と>>510のどっちが正しいの?
天正八年の柳生但馬守平宗厳から三好左衛門尉宛伝書に見られる古いタイプの「切合廿七ヶ条之事」だと
「右旋 左転」「小詰」「村雲」「懸待 表裏」についてのことなんかが記されているけど
この辺はみんな他流のものだったのか 表太刀という表現さえ新陰流には無いよ。
現代創始の柳生新陰流については知らないが。 古流の技術を分解したモノなら、外伝試合勢法になるだろうけと。新陰流では。 ごめん、尾張の新陰流では。
纏めたモノならそれこそ燕飛や参学では? 右条々面太刀一通也。(慶長六年 石舟斎より竹田七郎宛伝書)
右条々面太刀一通重々口伝有之也。(慶長九年 新陰流兵法目録事)
これはめんだちと読むからな
これらの記述は伝書に書かれている右の三学円太刀・九箇・天狗抄・廿七箇条截相が
めんだちであることを意味している
面をおもてと読むなんて聞いたことがないし間違わないように 亦、面太刀之打太刀、新当流也。(柳生三厳「月之抄」)
お、月之抄にはめんだちの打太刀が新当流だと書いてあるな
打太刀ってのは俺には意味がよくわからないけど多分めんだちでうちだす太刀ってことだよな?
つまり
>斬合二十七箇条は他流の技術で、「この技は陰流、この技は新当流」とかそういう事まで伝わっている所もあるからね。
というのはやはり正しかったってことじゃないか!
でも「月之抄」には「遠飛 面太刀ナリ」に始まってどこまでが面太刀と見なしているのかわかりにくいところあるな
燕飛を含んでいる時点で石舟斎とのズレがありそうというか、燕飛の仮想敵が新当流の魔の太刀などであることを
指しているようにも思えてくる 調べてみたら新当流でも面太刀という用語があるみたいだな
http://kashimashi.info/bunkazai/?page_id=1561
>鹿島新當流の形 「面太刀 三ノ太刀」
それでひとつ>>512さんに聞きたいんだけどこの流派の場合これってなんて読むんだ?
無学なもんで「面太刀」の読みにやっぱりちょっと自信がないんだよ 基本、九箇之太刀と七太刀は他流でしょう
九箇之太刀に陰流が多く
七太刀は新当流(ともう一つ私見では別流からの引用があると思う)
からの引用が多い・・・
と思う んで
猿燕は陰流から工夫を編み入れた新陰流の流れそのもの
参学は柳生独特の研究と工夫
で、それらをまとめたのが廿七箇条截相
ちな、天狗抄が影流
だと思って生きて来たけど違うの? >七太刀は新当流(ともう一つ私見では別流からの引用があると思う)
>からの引用が多い・・・
時々見かけるんで前から聞きたかったんだけどこれって七太刀が他流のものって誰の説なの?
七太刀を伝えているという春風館と組んでいる赤羽根さんも「柳生新陰流を学ぶ」では
そんなこと書いてなかったよね?
というか新陰流において陰流の組太刀って他流扱いなのか
じゃあ燕飛とかも他流の技だね 「柳生の芸能」
燕飛 長岡房成子曰く。
この六本は昔の表太刀なり。当流の始祖愛洲日向守移香、昼夜肝膽を砕き工夫せられし時、
夢に鵜戸権現、猿の形ちを顕わし伝え玉わると見て、これを心悟して撰びしという。
なるほど陰流は他流だけど「当流」の始祖は愛洲日向守移香という人なんだな
愛洲日向守移香は「新陰流」の創始者なんだな
陰流が誰の流派かは忘れたが
というか今思いっきり「表太刀」って言葉が出ちゃってるけど>>512さんどうしよう?
この長岡とかいう人はそちらの言う「現代創始の柳生新陰流」の関係者か何かなのかな? 「柳生の芸能」
当流にては我れを使太刀といい、敵を打太刀という。これもまた陰流の意を含んでのことなり。
なんで他流である陰流の意を含むの?忖度してるの?
「柳生の芸能」
九箇の太刀は皆、愛洲子より伝えるところにて古き形なり。
この柳生の芸能の説が正しくて愛洲子が陰流の愛洲移香斎なら確かに九箇は他流から来たってことになるな
だって陰流は新陰流にとっての他流だもんな
この愛洲子が「当流」の元祖であるところの愛洲日向守移香のことを言ってるなら話は変ってくるが >>512
新陰流に表太刀という表現があるようだけど
その点について何かコメントすることはありますか? オレが持ってる目録には燕飛の前に、思いっきり「表太刀之次第」と書いてあるね。 猿飛と天狗書(天狗抄)が陰流の形だとされている。
他は上泉の工夫だと思う。 >>525
私はぐぐることもできない大バカ野郎です、まで読んだ それで結局表太刀という表現は新陰流にあるの?
ないの? >>521
>>522
古流の経験がない人かな?権威付けのために実質的な開祖が学んだ流派の元祖まで遡及して自流派の開祖と見做すというのはよくあることだよ
例えば九州のいくつかの疋田陰流の系統では疋田ではなく愛州移香を流祖とみなして流名も愛州陰流と名乗ってたりする
当然本家本元の平澤家の愛洲陰流とは全然違う 嘘ばかりというか、「自分の研究結果や想像」を昔から伝わっていると言う輩が悪いだけでしょう。
嘘ではない所もあるよ。 各分派同士の型を比較したら大体原形は想像つくけどね
燕飛とか柳生新陰流と示現流ですら大まかな部分は一致してるし 打太刀の意味すら理解できないオレくんは基礎的な知識から身に着けるべきだな
剣道しかやってない人でも打太刀の意味ぐらい知ってると思うぞ ついでに言うと面太刀の「面」部分の読みは新当流も「おもてのたち」な
面をおもてと読むなんて聞いたことがないのは君が無知なだけ
一回演武会でも見に行って「面太刀」を何と呼称してるのか直に聞いて来い それはすまんかったな勘違いしてたわ
でも疋田陰流が流祖を愛洲に遡及してるのは間違いではないはず
柳生厳長の「正傳 新陰流」でもその点をあげつらって疋田の連中がおかしなこと言ってるって記述がある >>534
もしかして皮肉の分からない人なのかな… >>512
昭和33年に柳生厳長師から渡辺忠敏(転会の渡辺忠成師範の実父)に出した「新陰流兵法目録」には、最初に「表太刀之次第」って書いてありますが。
厳長師は「現代創始の柳生新陰流」の人ってことですか? そろそろ>>512さんに何かコメントしてもらいたいな このスレは適当なハッタリこいては根拠を出されて逃亡するってパターン多いですね
新陰流関係は文献も多く残ってるんだから適当な話しなきゃいいのに 残ってる物も何が本物かわからん。
柳生本家、転会、春風館 江戸柳生家はかなり大勢の門弟がいたはずなのに
江戸柳生系を名乗ってるのは新陰流協会と天心流くらいしか見かけないね 適当な事言っておくと、良く知っている人達が激しく訂正してくれる。それを見る事がこちらの正しい利用法(笑)。
少し知っている人なら、それらの情報から取捨選択できるしね。
先輩方、ありがとう。 江戸柳生を騙るには、少なくとも尾張柳生の本伝を知らなければならないから、事情を知っている程名乗れないよ。
バレてしまうからね。 江戸遣いと公開している団体のは、尾張で改変されたっぽい技(それとも違うけど)のだから、江戸とは関連が無いよね。笑っちゃう。 四国の柳生神影流が江戸柳生系だね。よく知らんけど。 〜のはず 〜だろう 〜らしい
出典元や確たる証拠が出せないなら無闇にスレを混乱させるでない! その土地に残ってる口伝が聞けなけりゃ
本読んだ方が早いぜ。 512名無しさん@一本勝ち2019/04/15(月) 11:43:07.17ID:57KMXWSb0
表太刀という表現さえ新陰流には無いよ。
現代創始の柳生新陰流については知らないが。
この件に関してはホラ吹き>>512の涙目敗走ということでいいの? 江戸柳生家は貴族だし幕府なくなって剣術辞めたのはわかるにしても
あんだけ各地に派生した支流がほぼ完全に消滅してるのがすごいな
尾張柳生が本当に兵庫の代に正統を継いだかは微妙な話だけど
うちこそが正統という意識からくる責任感は剣術を続ける上でプラスに働いた気はするわ 尾張新陰流は昭和32年をもって柳生厳長が断絶宣言してるから実際にはそこで失伝してるけどね
次代の柳生延春は父からは実際に小転までしか学んでないと転会は言ってるし
逆に柳生会に言わせると渡辺親子は実際にはそれほど学んでないアイツ等こそインチキだという
どっちが本当の事やら でも、渡辺忠敏師は柳生厳長師から高い伝位もらっている事実があるしね。
そう簡単にはくれないでしょうし… 内伝位を授けられたとか息子が勝手に言ってるだけでしょ
根拠となる伝書も何もないしあるならとっくに公開してると思う
あと赤羽根さんって春風館新陰流が厳周伝だと本当に信じてるのかな
それが本当なら荒木堂とあそこまで乖離するわけがないのだけどそれに気づかないほど鈍い人ではないだろうに >あと赤羽根さんって春風館新陰流が厳周伝だと本当に信じてるのかな
違うの? それが本当なら、厳周さんは人により全く違う新陰流を教えた事になるよね。 何でもかんでも他人が違って
自分だけが合ってるという
自己中止めたらどうか
知りもしないくせに >尾張新陰流は昭和32年をもって柳生厳長が断絶宣言してるから実際にはそこで失伝してるけどね
亡くなる10年前にそう言ってただけで最終的には印可あげて継がせている >>556
昔荒木堂で稽古していたけど、荒木堂は荒木堂で柔術の型ちょくちょく変えてるから保存という意味ではあまり当てにならないよ
例えば片衣表と裏は、前は中段と同じく巻き上げて接近する入りだったけど、新陰流やり始めてから手刀を一刀両段に見立てて切り落とす形で入るようにしてるし(演武ではあまりやらないが)
大和スポーツセンターでK先生からそう教わった
それに江戸柳生の使い方も復元したと言って教わったけど、あれも今考えたらよく分からない
荒木堂と違うから云々っていうのは、実際にやっていた身としてどうかなと思いますね >>560
でその印可状はどこにあるの?
>>561
いいか?落ち着いてよく聞けよ俺はどちかが正統だとかそういう話はしてないからな
それを踏まえてよく聞けよ?
春風館の加藤伊三男の師の神戸金七は厳周から授けられたのは天狗抄までで次いで厳長についたけど仮目録までしかいってない
ところが厳周から目録まで授けられた下条小三郎ですら授けられてない「江戸遣い」や目録以降の形が伝わってるってのはおかしな話だよな
転会の連中はこれを根拠に春風館の江戸遣いは捏造
江戸柳生が伝えていたのは本伝つまり上泉伊勢守が伝えていた甲冑剣術で我々の本伝こそが本物とか言ってる
厳周から目録までもらった下条すら知らなくて伝書か復元するしかなかったのだから普通に考えてお前らのそれも春風館同様捏造だろと思うがな 実際は違うと思うのだが、転会は江戸柳生=本伝だと考えてるようだ。
たぶん本伝の技自体は捏造していないんじゃないかな? 荒木堂は資料から江戸柳生を復元。
転会は本伝=江戸柳生と主張。
春風館は謎の江戸遣?が伝わってる。
ということでOK? 562の見解が客観的な事実だ。
現在はそれぞれが所属する団体により、勝手な主張をして混乱させている。
まぁ、今更認められない気持ちはわかるが… 純粋に本伝と内伝の区別がついてないんだろう 本伝教わって無いんだから >春風館の加藤伊三男の師の神戸金七は厳周から授けられたのは天狗抄までで次いで厳長についたけど仮目録までしかいってない
これは本当なの? >>562
561だけど、君が落ち着きなよ笑
俺もどっちが正当云々なんて話してないよ
荒木堂と乖離してるの部分を指摘しただけであって春風館が正当ともなんも言ってないじゃん?
多分勘違いして捉えたんだと思うけど、俺が稽古してたのは春風館じゃなくて荒木堂で併伝している大坪伝です... 落ち着かないといけないのは
自分の流派だけしか認めようとしない奴だ。
後はどこから習ったの?とか
伝が伝わってないとかな。
伝が伝わっているのにあれがない
これがないと難癖を付ける。 実際、天狗抄なんかは会派によって全く違うけど
大元の陰流の教えを確かに継承してると言えるのは何処? 陰流については実際のところどこまでわかっているの? >>569
ほらやっぱり勘違いしてる
なんで厳周から天狗抄までしか習ってないのに
それ以降の形が伝わってることをおかしいと思わないのかって話だよ 急にキレて別文脈の話をし出すのも文盲の一種なんだってね あれは違うこれは違うという人のいう正しいものってなんなのか気になる。
各会派の代表者より詳しい状態なれる一般人てありえるのか? >>568
天狗抄を学んですぐに厳周が逝去したため神戸金七は厳長に師事し「兵法目録」までを授けられる仮目録となる
神戸の新陰流のキャリアはここで終わり
つまり厳密にいうと厳周伝ではないし厳長伝としても不完全
その神戸が興した春風館では尾張遣いのほか各形に上泉以来の古伝と江戸柳生バージョンがあり更には十兵衛杖
静流自在剣や新陰流槍術が「厳周伝」として伝わっていてる
一方神戸よりも上の伝位であるはずの下条小三郎の荒木堂の系統では尾張遣いの剣術しか伝わってない
伝統武術の世界って基本的に新興宗教と同じである種の知恵遅れを食い物にすることで
成り立っている世界だとよく知っておいたほうが良い >>578
神戸のキャリアはここで終わりって何であんたがいつも断言してるんだよ。
道場に伝わってると言うことは口伝なり様々に伝わるものだろう。
あんた上泉信綱さんかい? >今より少し昔、大正時代に柳生厳周師に試合で破れ、その門下となった下条小三郎は、
>当時すでに心形刀流の免許皆伝であった。すぐさま目録の伝授があったそうだが、
>他流の皆伝者に免許(目録)を出すのは当時の儀礼として、むしろ当然であった。
とある会派の会報に載ったという文章を見てみたんだけど(本文を検索すればわかる)、
下条さんは門下となってすぐ目録の伝授があったほどの人なんだな。これは本物の厳周伝だわ。 578の意見が客観的な事実と合致。
厳周伝と皆言うけど、一番の厳周伝継承者は柳生厳長師。
そのルートは、流儀として正しく継承されているのだから当然。 客観的客観的言ってる人がなんか怪しく思えますねえw 怪しいとか信じられないとか言う人は、反論する証拠が無いからそう言ってるだけ。 >>585
立場上情報源を明かせないのかもしれないけど
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