【他流を排せずして】新陰流総合【他流を認めず】2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
新スレ。
以後もID表示やワッチョイは導入しない方がいい。
おそらく、あれは一般人の書き込みが減って、
自演魔や業者の書き込みが増える要因になる。
(結局のところ、対策してる人間の書き込みばかりになる。
やたら、導入したがる人間の書き込みも信じない方がいい。
本気で荒らすつもりの人間には何の役にも立たんもんだから)
前スレ
【他流を排せずして】新陰流総合【他流を認めず】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1540761907/
前々スレ
新陰流総合【ワッチョイ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1465872336/ 日を跨いでIDリセットにならないヤツっているんだろうか? >385
>全力で向かってくる敵を傷つけずに制圧できれば、
>殺すことなどわけもない。
>新陰流の活人剣の思想の影響も大きいと言われてる。
これのどの辺が「新陰流の活人剣の思想」なんですか?
新陰流の史料からその思想を引用して具体的に説明してもらえますか? そんな事聞いたら、「国語的な理解力の無いキミに説明しても無駄」なんて言われそう(笑)。
古流剣術はセイガンやハッソウなどで、「漢字が違う。それでは国語的に意味が解らない。」とか言い出す人いないしなぁ。
自分の考える活人剣で進みたいのだろうから、御自由にどうぞでいいんじゃない? 兵法家伝書…
三厳の残してる史料で、「柳生は変だゾって言われちゃうんだよなぁ…」っていうくだりがあったよね… >>407
>三厳の残してる史料で、「柳生は変だゾって言われちゃうんだよなぁ…」っていうくだりがあったよね…
気になるな
具体的に何に書いてあるんだろう? ちょっwあいつ眼帯とかして厨二かよwww
とか言われてたそうな 「柳生は変だゾって言われちゃうんだよなぁ…」の原文が見たい 質問です。鹿島神流の国井さんが最初に弟子入りした佐々木某の新陰流はどこの系統ですか?この先生茨城の人だけど、茨城は柳生系は弘流してないよね。 漢字違いの上泉直系のシンカゲ流でしょうね。
柳生流の方は宗家と一部の補佐家にしか皆伝を許さなかったから。 >柳生流の方は宗家と一部の補佐家にしか皆伝を許さなかったから。
尾張以外もそうだったの? 新陰流には傳位があるとのことですが、気になる事がございます。
現在も一部の会は傳位を出していますが、それらの証明書に当るものは免状なのでしょうか?
よく、目録や仮目録とか聞きますけど、今の柔道、剣道とかの段位の証書の様に免状一枚ですか?
それとも、昔ながらの巻物を伝授するのでしょうか?
あまり巻物の話を聞かないので気になりました。 最近の古流は、免状一枚で済ませたり何も書かない場合もあるそうです。
新陰流ではないですが私の行ってた古流は、傳位とかなくなっていました。
転会は傳位があることがサイトに書かれていますが、
それ以外の柳生会、春風館、荒木堂とかも傳位ありますか? 柳生会は伝位ないっていうけど本当?
古武道協会で演武するとき肩書き必要と聞いたことあるけど 古流武術は伝位を出せるのは、自分がもらっている所までなのだから、出せない所は察してあげましょうよ。 現代は資格社会で習い事するにも習った証が欲しい人もいるね。
古流は級や段ではないけど、きちんとした流派は其々の流儀で定められた伝位があるから、伝位を出せる出せないは入門する際に、入門希望者の大事な判断材料にはなるかな。 やっぱりそういう点では宗家の耕一さんのところが安心なの? 伝位は重要な要素だと思いますよ。
肩書きとかいうけど、江戸時代から多くの流派で、目録免許免許皆伝とか定めてある。古い武術で伝位の無い流派はかなり珍しいよ。
一流派として体系化されてる以上、そういうのは必要だと思いますね。 肩書と言えば、殺陣っぽいSNSで布教活動してるコスプレ団体って、伝書風に「支部長」とか紙を発行してるのね。
笑っちゃう…もとい、オシャレね… 新陰流各会派は仲がいいから実現しないと思うけど
戦ったらどこが強いの 現代における実力と言うよりは、柳生石舟斎から鏡写しで継承している所は、実力はほぼ石舟斎当時のレベルなのだろう。
現代人が捏造した所は、実力的にはその技を創作した人のレベルなのだろうと思うけど。 何十年も騙されて、情報を知ることができる時代になって、自分の所が近年創作だと知った人は可哀想だな… いつもの指導者の説明が納得いかないから捏造って人でしょ >>429
地稽古やってるとこが一番強い。
あと仲いい噂は聞かないけど。 >>437
新陰の地稽古ってどのようなやり方?剣道弊習とか直心影の撃剣みたいなことやってるとこあるの? 現代剣道の稽古の仕方で古流剣法の優劣を判断?
すげぇ…
新陰流は地稽古とかしないよ。 新陰流は竹刀でペシペシとかしないから、現代剣道の影響が強い柳生新陰流とは比較できないのでは? 春風館のやり方はわからない。
俺の仲間内は袋竹刀で刃部の触り勝ちでやってる。
どこに当たっても仕切り直し
強打しても構わないが触り勝ちにしないとバカバカ打ち合ってしまうので
防具は自由。
やはり拳が一番打たれるので空手の拳サポしてるのもいればオープンフィンガーもいる
たまに目に当たることがあるから、スーパーセーフとかゴーグルとかやった方がいいと思うのだが、誰もやってない。 触り勝ちといってもちょんちょん、ちょこちょこはナシという暗黙の了解でやっている。 仲間内ってサークルみたいなのでやってるのか
拳サポとかオープンフィンガーとか持ち寄ってなんか楽しそうでいいな 先生からの許可はもらってるが、稽古外で数人集まってやってる感じ 先生はやってないのか
それじゃ先生より強くなっちゃいそう 新陰流は自由攻防やってたと思うけど。
上泉が袋竹刀で丸目を倒してるし。 >>452
やっぱり型だけじゃなく、試合してるんだな
しかし、勝敗はちょっと怪しいというか
ビデオ判定も無ければ、
たぶん、ルールもあいまいな時代だろうし。
勝負には多少の運もからむ。
そんなポンポン勝てるとは思えない。
極端な話、敵の竹刀が当たった後から
自分も敵に当てて
「同時だった。むしろ、こっちのが速かった」と
ゴネる事も出来るはず。
結局のところ、試合内容も主観で決まりそうだから
自分が勝ったと思えば勝ちだし。
書き残す内容も、自身に常に都合よく残せそうだ。 でも片手うちで負けた相手が片手だから無効ってごねるとこは妙なリアリティあるな 上泉信綱は余程強かったな。
柳生宗厳に圧勝し
宝蔵院に圧勝し
武田軍をなぎ倒し
北条家にも多数の弟子を持つ。 >>453
袋竹刀は当たっても死なないからな。
真剣なら明白だけどw 疋田のは武者修行の記録で相手はほとんど木刀とか八角棒だから凄いもんだよ 疋田は目録や起証文が現残ってるだけで織田信忠、豊臣秀次、徳川秀忠、黒田長政、細川忠利に指導してるからな
多分今想像されてるよりよっぽど高名だったと思う >>459
信忠、秀次が死んだ時はどう思ったんだろうな
「ありゃー・・ ・秀次様とうとう死んじゃったのか・・」
とかかな まあ、当時の手合わせというのが、今の現代人の感覚でいうものと一緒なのか
どうかも判らないからな なにせ400年以上昔の人たちがやってる事だから
今我々が想像してる試合のイメージは、今の社会性や文化から成り立っている共有概念なだけで
400年前には400年前の現代とは違う社会性や文化性があった訳だしね >>455
>武田軍をなぎ倒し
こういうことって一次史料で確認できるような情報だっけ? 甲陽軍艦じゃなかったっけ。
同時代史料ではないけど、最近はベースは武田家臣が書いたもので、案外内容は改編されてないこでは、みたいな研究もあるな。 >>463
「甲陽軍鑑」で上泉伊勢守にスポットが当たるところは箕輪城を落とした後に信玄が召抱えた
長野の旧臣二百騎の中にいた伊勢守が兵法修行のため出仕しないと伝える場面だけど、
ここでは「武辺ほまれおほき侍」という評価はあるものの戦いにおいて「武田軍をなぎたおし」なんて
描写はどこにもないんだよな
長野信濃守の家臣たちが箕輪城防衛のため勇敢に戦ったことはわかるから個人としてではなく
その中の一人としてやはり頑張っていたことを想像することはできるけど伊勢守個人としての
傑出した活躍に関しては「甲陽軍鑑」では一切知ることはできない
>>464
そっちは「史料柳生新陰流」とかで見られるし俺は最初から別に興味はない
この先新史料が発掘されても大した関心は示せないだろう
そういうレベルで興味があるのは伊勢守くらいなので なんで「甲陽軍鑑」なのかと思ったらもしかして「武芸小伝」に引かれているからか?
それはともかく有名な「上野一本槍」という感状についての情報も江戸時代後期1790年の
「撃剣叢談」以前にあるなら興味深いが、残念だけど長野家臣時代の伊勢守の姿は確実な史料からは
ほとんどわからないと思う
大抵の武芸者なんてこのレベルだから別に伊勢守一人が怪しいなんて話じゃないけど
その点でいうと宗厳は確実な姿がわかる数少ない人かも知れない
だからこっちからすると逆に調べたいという気が湧かないのかもしれないがw 興味がない話で恐縮だが、松永久秀の研究者によると、宗厳は久秀からかなり重用されてそこその地位にいた形跡があるらしい
宗厳は隠し田事件で所領無くした(詳細はわからんけど)こともあって武将や領主としてはダメダメな印象があるけど、案外有能だったんだな 松永のほか筒井順慶や三好義継といった大和に影響力を持つ勢力の長と直接やり取りした書状も残ってるし
昔からそこそこ存在感があった人なのは知られてるね あ、宗厳だけじゃなくてその前の家厳を含む柳生家がね
松永との結びつきを作ったのも家厳だし >>455
北条家中の弟子ってどんな人がいたんだっけ? >>455
>宝蔵院に圧勝し
圧勝したんだっけ?
そもそも立ち会ってるか自体が伝わってないような >>470
長男の上泉秀胤
孫の上泉泰綱
北条綱成
直接でなく弟子から
北条氏政
北条氏照
北条氏規
北条氏邦
北条三郎 疋田新陰流の三光利剣って花車の事なの?五段之切って印可之太刀? >>469
松永と繋がる過程の史料って何か残ってるの?
タイミング的に松永の大和侵攻後に鞍替えしたのは明らかだけど >>474
北条綱成の孫がまとめた
信頼性の最も高い『豆相記』にしっかりと記述されている。 >>476
こちらで確認した限り書いてないようだが
チェック漏れかも知れないから本文の該当箇所引用してもらえないか?
あと綱成の孫(氏勝?)が作者ってのも「群書解題」の説とは違うようだがそれも誰の説? >>473
疋田新陰流ってのも柳生新陰流並みに違和感ある表記だな
柳生新陰流に違和感がない人ならそれでいいだろうが 上泉が宝蔵院に圧勝ってのは相手は槍だったの?
そもそもどういう試合だったか伝えている文献ってあったっけ? >>476
豆相記の件の真相楽しみにしてる
そこまで断言してるんだから俺は本当だって信じる 柳生新陰流は間違った表記だ
そんな流名など無いとか言い始めたのは厳長あたりが最初で
萩博物館に展示されてる内藤作兵衛の高杉晋作宛伝書だと普通に柳生新陰流になってたけどな あと一国一人の印可を貰ったのは柳生だけとか言い始めたのも厳長が最初だと思う つかそんな幕末頃の長州の赤の他人が書いた文字の事なんて知るかってーの
柳生では伊勢守の伝書に準拠して流名を正式のものにしているという それ以上でもそれ以下でもねえよ ついでに言うと尾張柳生が正統で江戸が傍流だってのも厳長の大ボラだからな
「寛政重修諸家譜」では宗厳の嗣子は宗矩となっている
実際に柳生新陰流の派生流派は柳生宗家のことを「師家」と呼んで尊んでいたのだがこの師家とは江戸柳生家のこと
有地新影流、細川藩の神影流といった宗厳から分かれた系統でも江戸柳生のことを師家と呼んで正統と仰いでいた
一方尾張を正統と見做していた系統や江戸時代の史料は一つもない
根拠は厳長の「正伝新陰流」だけ >>484
そりゃ面白い
逆に尾張を別格として扱ってるのなんて全然見かけないもんな >>484
ていうか江戸幕府がまだ健在だった頃の書物なんだから将軍家の御流儀を
傍流に過ぎないなんて書けるわけないでしょ
慮り忖度するに決まってるじゃん、しかも江戸柳生は流派としては大昔に滅びてるし 逆に正伝新陰流以降の武道関係者や剣豪小説家が尾張柳生を正統として扱ってきたのも
たぶんに活動してる尾張柳生への忖度がありそう 豆相記の記述も今出ているのは法螺だからな。
かなり簡略化しすぎている。
現物には上泉信綱・秀胤・泰綱が乗っている。
訓閲集自体も既に原本でなく
宗教的内容に変えられている。 誰も見たことのない豆相記の原本に上泉の記述があるとかそんな話はどうでもいいわ
大胡地区の口伝とか情弱騙しのハッタリをかますヤツが多いスレだね ぶっちゃけ、尾張柳生が本当に正統なら
徳川も尾張柳生を呼んで指南を受けそうな気がする
一国うんぬんの規制も
当時は徳川の権力のが偉いだろうし >>143
スレ唯一の技術の話題。。。。
しかもレスが付いていない。。。。。。。
それで猿廻の意味とはどんなものでしょうか。
よろしくお願い致します。 猿廻技術は伊勢守も柳生も疋田も同じであるはずだよね。
みんな異論はないよね。 ていうか、江戸徳川家は官僚としての能力の高さで宗矩を登用してた訳で
単に芸事のお稽古の先生として登用した訳じゃないでしょ 登用時点はそこまで期待してないでしょ
石舟斎が側にいないときの代理程度で 最初から徳川家としては剣の事だけで採用した訳じゃなくて
近畿地方における大和のあの地域の戦略的重要性から、柳生の能力を期待して
招請したのだと思うけどな
たぶん、会いに行く時点で、宗矩の事まで含めて面接の段取りは
決まってたんじゃないかと思うよ 当然の事だけど間に仲介者がいただろうし 奥山休賀斎に対しても剣以外に何かアテにして入門したのかな? 結果論的には大和での宗厳の人脈が関ヶ原で活きたけど
あの時点で家康が失領した一国人の力をどれだけ当てにしてたのかは謎だな 結局本文引用もないし>>476は大嘘か
なんであんなことするんだろうね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています