【他流を排せずして】新陰流総合【他流を認めず】2
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新スレ。
以後もID表示やワッチョイは導入しない方がいい。
おそらく、あれは一般人の書き込みが減って、
自演魔や業者の書き込みが増える要因になる。
(結局のところ、対策してる人間の書き込みばかりになる。
やたら、導入したがる人間の書き込みも信じない方がいい。
本気で荒らすつもりの人間には何の役にも立たんもんだから)
前スレ
【他流を排せずして】新陰流総合【他流を認めず】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1540761907/
前々スレ
新陰流総合【ワッチョイ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1465872336/ 「貞丈雑記」によると平時に相手を無傷で捉えることを目的としてるのが柔術で
戦場の組討はもっぱら相撲で学ぶことになっている
柔術はどこも座取りが基本になっているが戦場で正座してるバカはいない とみ新蔵の柳生兵庫介読むと宗矩が嫉妬おじさんみたいに描かれていてちょっと悲しいな >>377
アメリカ海兵隊が格闘訓練にブラジリアン柔術を取り入れた理由が「殺してはいけない任務が増えたから」というのを思い出した。 >>378
あれでも津本陽の原作に比べたらかなり優遇されてる
漫画だと20すぎの兵庫と試合してほぼ互角だったけど原作は18の兵庫に手も足もでない 江戸時代でも現代でも作家の人が想像で言ってる事って、参考になるかなぁ…
漫画家の人や小説家の人が語る新陰流… その点「正伝柳生新陰流」には小説っぽさが一切なく伝承者が口伝や文献を根拠に語る
信頼のおける本だからな 500年前の話だから信頼も糞もねえがな。
新陰流の流れを伝えてきたのは事実だが内容は伝言ゲームの如く全く変わっちまってるぞ。
特に口伝は一子相伝の部分がかなり高いから弟子がわかってないのに
勝手に改悪をしている。 >>348
繋辞上伝 第十一章より
>是故蓍之コ。圓而神。卦之コ。方以知。六爻之義。易以貢。
>聖人以此洗心。退藏於密。吉凶與民同患。神以知來。知以藏往。
>其敦能與此哉。古之聰明叡知。【神武而不殺者乎。】
>この故に蓍(し)の徳は、円にして神なり。卦の徳は、
>方にしてもって知なり。
>六爻の義は、易(かわ)りてもって貢(つ)ぐ。
>聖人これをもって心を洗い、退きて密に蔵(かく)れ、
>吉凶民と患(うれ)いを同じくす。
>神はもって来を知り、知はもって往を蔵(おさ)む。
>それたれかよくこれに与(あずか)らんや。
>古(いにしえ)の聡明叡智、【神武にして殺さざる者か。】
ちなみに、神武天皇の諡号は易経のこの文章からきている。
らしいよ。 >>376
難しいからこそそれをまず修行した上で、最後に殺す為の知識を
心得として学ぶのが多くの古流柔術流派の教伝体系。
全力で向かってくる敵を傷つけずに制圧できれば、
殺すことなどわけもない。
敵が異民族でない同じ日本人で、どこかで縁が繋がっている
関係性だからこそ発展した思想だと思う。
敵が異民族の場合は殲滅しないと後で報復を受けるから。
新陰流の活人剣の思想の影響も大きいと言われてる。 古流柔術の殺法ってのは当身で相手を無傷で落とす方法で殺すための知識ではないよ
単純に殺害目的なら何度も殴る蹴る繰り返せばだけの話 >>386
当て方で臓器の機能不全を起こさせて緩慢に殺す
3年殺し、7年殺し、という当て方や、
頸椎を折る、喉仏を押し込む、などの技
柔道でさえ、地面で投げ終わりに腕を引き上げないと
壊したり殺したりする技になる。
他にも効果的に人を壊して再起不能=殺す、技術が
柔術にはあるよ。
その上で「活人剣」のように不殺で制圧するのが
柔術の理想であり極意とする流派が多いのよ。 新陰流の活人剣は不殺の事と違うよ。
そんな事妄想したのは、新陰流の事をよく知らない現代剣道の人。
柔術の世界も勘違いされている様で…
現代武術の人達は別のスレでお願いします。 >>388
活人剣=不殺とは言ってないが??
柔術の世界を勘違いしてるのは、そちらでは?? 新陰流の活人剣の意味は、不殺とは対極の方面ですね。
古流剣術の世界では、間違えてこの単語使うと恥をかきます。
気をつけて。 >>389
横だけど
>その上で「活人剣」のように不殺で制圧するのが
↑
新陰流スレでこういう言い方したら突っ込みが来るのはしょうがないよ >>392
>>391
すまねえ、はしょり過ぎた。
>>385を踏まえて読んでくれや うーん…
“全力で向かってくる敵を傷つけずに制圧できれば、
殺すことなどわけもない。 ”
その論は様々な技術が研究されている極めて現代的な論ではないでしょうか。
古流剣術の場合、傷つけずに制圧する事に意味を感じないですよ。
現代にあっても傷つけない様にという伝承も無いです。
そういう余裕も無い時代だったでしょうし。
目的完遂ですね。新陰流では。それだけです。 「人をころす刀、却而人をいかすつるぎ也とは、夫れ乱れたる世には、故なき者
多く死する也。乱れたる世を治めむ為に、殺人刀を用ゐて、已に治まる時は、
殺人刀即ち活人剣ならずや」(兵法家伝書)
相手を動かして勝つ技のほうではなく思想としての活人剣もこういうことなんだけど…
>>385がこれと一体何の関係があるの? それは剣技と思想を別に考えているのではなく、執政の方法を剣技の言葉を使い説明申し上げているのですよね。
活人剣は不殺と言っているのでは無いです。 柳生宗矩師の言っておられる事は、新陰流を修めて殺人刀、活人剣を理解して後でないと正しく認識できないと思います。 >新陰流を修めて殺人刀、活人剣を理解して後でないと
日本語もまともに書けてない人に正しく理解できているかが疑問なんだけど >>385
一人の悪を切ることで万人を生かすこととその話に何の関係が?
「兵法家伝書」
・しかるに、一人の悪をころして万人をいかす。是等誠に、人をころす刀は、人をいかすつるぎなるべきにや。
・兵法は人をきるとばかりおもふは、ひがごと也。人をきるにはあらず、悪をころす也。一人のあくをころして
万人をいかすはかりごと也。 少数の悪を殺して万人を生かすなんて発想は別に新陰流を修めているかとか
剣技としての殺人刀活人剣を理解しているかどうかとか関係なしに
わかることだと思うけどなあ いずれにしてもやたらスレ違いの柔術にこだわっていたヤツは新陰流のことをろくにわかってなかったんだな
知ったかぶりはよくないしもう君には関係ないんだから別にスレでも立ててやってくれよな 日を跨いでIDリセットにならないヤツっているんだろうか? >385
>全力で向かってくる敵を傷つけずに制圧できれば、
>殺すことなどわけもない。
>新陰流の活人剣の思想の影響も大きいと言われてる。
これのどの辺が「新陰流の活人剣の思想」なんですか?
新陰流の史料からその思想を引用して具体的に説明してもらえますか? そんな事聞いたら、「国語的な理解力の無いキミに説明しても無駄」なんて言われそう(笑)。
古流剣術はセイガンやハッソウなどで、「漢字が違う。それでは国語的に意味が解らない。」とか言い出す人いないしなぁ。
自分の考える活人剣で進みたいのだろうから、御自由にどうぞでいいんじゃない? 兵法家伝書…
三厳の残してる史料で、「柳生は変だゾって言われちゃうんだよなぁ…」っていうくだりがあったよね… >>407
>三厳の残してる史料で、「柳生は変だゾって言われちゃうんだよなぁ…」っていうくだりがあったよね…
気になるな
具体的に何に書いてあるんだろう? ちょっwあいつ眼帯とかして厨二かよwww
とか言われてたそうな 「柳生は変だゾって言われちゃうんだよなぁ…」の原文が見たい 質問です。鹿島神流の国井さんが最初に弟子入りした佐々木某の新陰流はどこの系統ですか?この先生茨城の人だけど、茨城は柳生系は弘流してないよね。 漢字違いの上泉直系のシンカゲ流でしょうね。
柳生流の方は宗家と一部の補佐家にしか皆伝を許さなかったから。 >柳生流の方は宗家と一部の補佐家にしか皆伝を許さなかったから。
尾張以外もそうだったの? 新陰流には傳位があるとのことですが、気になる事がございます。
現在も一部の会は傳位を出していますが、それらの証明書に当るものは免状なのでしょうか?
よく、目録や仮目録とか聞きますけど、今の柔道、剣道とかの段位の証書の様に免状一枚ですか?
それとも、昔ながらの巻物を伝授するのでしょうか?
あまり巻物の話を聞かないので気になりました。 最近の古流は、免状一枚で済ませたり何も書かない場合もあるそうです。
新陰流ではないですが私の行ってた古流は、傳位とかなくなっていました。
転会は傳位があることがサイトに書かれていますが、
それ以外の柳生会、春風館、荒木堂とかも傳位ありますか? 柳生会は伝位ないっていうけど本当?
古武道協会で演武するとき肩書き必要と聞いたことあるけど 古流武術は伝位を出せるのは、自分がもらっている所までなのだから、出せない所は察してあげましょうよ。 現代は資格社会で習い事するにも習った証が欲しい人もいるね。
古流は級や段ではないけど、きちんとした流派は其々の流儀で定められた伝位があるから、伝位を出せる出せないは入門する際に、入門希望者の大事な判断材料にはなるかな。 やっぱりそういう点では宗家の耕一さんのところが安心なの? 伝位は重要な要素だと思いますよ。
肩書きとかいうけど、江戸時代から多くの流派で、目録免許免許皆伝とか定めてある。古い武術で伝位の無い流派はかなり珍しいよ。
一流派として体系化されてる以上、そういうのは必要だと思いますね。 肩書と言えば、殺陣っぽいSNSで布教活動してるコスプレ団体って、伝書風に「支部長」とか紙を発行してるのね。
笑っちゃう…もとい、オシャレね… 新陰流各会派は仲がいいから実現しないと思うけど
戦ったらどこが強いの 現代における実力と言うよりは、柳生石舟斎から鏡写しで継承している所は、実力はほぼ石舟斎当時のレベルなのだろう。
現代人が捏造した所は、実力的にはその技を創作した人のレベルなのだろうと思うけど。 何十年も騙されて、情報を知ることができる時代になって、自分の所が近年創作だと知った人は可哀想だな… いつもの指導者の説明が納得いかないから捏造って人でしょ >>429
地稽古やってるとこが一番強い。
あと仲いい噂は聞かないけど。 >>437
新陰の地稽古ってどのようなやり方?剣道弊習とか直心影の撃剣みたいなことやってるとこあるの? 現代剣道の稽古の仕方で古流剣法の優劣を判断?
すげぇ…
新陰流は地稽古とかしないよ。 新陰流は竹刀でペシペシとかしないから、現代剣道の影響が強い柳生新陰流とは比較できないのでは? 春風館のやり方はわからない。
俺の仲間内は袋竹刀で刃部の触り勝ちでやってる。
どこに当たっても仕切り直し
強打しても構わないが触り勝ちにしないとバカバカ打ち合ってしまうので
防具は自由。
やはり拳が一番打たれるので空手の拳サポしてるのもいればオープンフィンガーもいる
たまに目に当たることがあるから、スーパーセーフとかゴーグルとかやった方がいいと思うのだが、誰もやってない。 触り勝ちといってもちょんちょん、ちょこちょこはナシという暗黙の了解でやっている。 仲間内ってサークルみたいなのでやってるのか
拳サポとかオープンフィンガーとか持ち寄ってなんか楽しそうでいいな 先生からの許可はもらってるが、稽古外で数人集まってやってる感じ 先生はやってないのか
それじゃ先生より強くなっちゃいそう 新陰流は自由攻防やってたと思うけど。
上泉が袋竹刀で丸目を倒してるし。 >>452
やっぱり型だけじゃなく、試合してるんだな
しかし、勝敗はちょっと怪しいというか
ビデオ判定も無ければ、
たぶん、ルールもあいまいな時代だろうし。
勝負には多少の運もからむ。
そんなポンポン勝てるとは思えない。
極端な話、敵の竹刀が当たった後から
自分も敵に当てて
「同時だった。むしろ、こっちのが速かった」と
ゴネる事も出来るはず。
結局のところ、試合内容も主観で決まりそうだから
自分が勝ったと思えば勝ちだし。
書き残す内容も、自身に常に都合よく残せそうだ。 でも片手うちで負けた相手が片手だから無効ってごねるとこは妙なリアリティあるな 上泉信綱は余程強かったな。
柳生宗厳に圧勝し
宝蔵院に圧勝し
武田軍をなぎ倒し
北条家にも多数の弟子を持つ。 >>453
袋竹刀は当たっても死なないからな。
真剣なら明白だけどw 疋田のは武者修行の記録で相手はほとんど木刀とか八角棒だから凄いもんだよ 疋田は目録や起証文が現残ってるだけで織田信忠、豊臣秀次、徳川秀忠、黒田長政、細川忠利に指導してるからな
多分今想像されてるよりよっぽど高名だったと思う >>459
信忠、秀次が死んだ時はどう思ったんだろうな
「ありゃー・・ ・秀次様とうとう死んじゃったのか・・」
とかかな まあ、当時の手合わせというのが、今の現代人の感覚でいうものと一緒なのか
どうかも判らないからな なにせ400年以上昔の人たちがやってる事だから
今我々が想像してる試合のイメージは、今の社会性や文化から成り立っている共有概念なだけで
400年前には400年前の現代とは違う社会性や文化性があった訳だしね >>455
>武田軍をなぎ倒し
こういうことって一次史料で確認できるような情報だっけ? 甲陽軍艦じゃなかったっけ。
同時代史料ではないけど、最近はベースは武田家臣が書いたもので、案外内容は改編されてないこでは、みたいな研究もあるな。 >>463
「甲陽軍鑑」で上泉伊勢守にスポットが当たるところは箕輪城を落とした後に信玄が召抱えた
長野の旧臣二百騎の中にいた伊勢守が兵法修行のため出仕しないと伝える場面だけど、
ここでは「武辺ほまれおほき侍」という評価はあるものの戦いにおいて「武田軍をなぎたおし」なんて
描写はどこにもないんだよな
長野信濃守の家臣たちが箕輪城防衛のため勇敢に戦ったことはわかるから個人としてではなく
その中の一人としてやはり頑張っていたことを想像することはできるけど伊勢守個人としての
傑出した活躍に関しては「甲陽軍鑑」では一切知ることはできない
>>464
そっちは「史料柳生新陰流」とかで見られるし俺は最初から別に興味はない
この先新史料が発掘されても大した関心は示せないだろう
そういうレベルで興味があるのは伊勢守くらいなので なんで「甲陽軍鑑」なのかと思ったらもしかして「武芸小伝」に引かれているからか?
それはともかく有名な「上野一本槍」という感状についての情報も江戸時代後期1790年の
「撃剣叢談」以前にあるなら興味深いが、残念だけど長野家臣時代の伊勢守の姿は確実な史料からは
ほとんどわからないと思う
大抵の武芸者なんてこのレベルだから別に伊勢守一人が怪しいなんて話じゃないけど
その点でいうと宗厳は確実な姿がわかる数少ない人かも知れない
だからこっちからすると逆に調べたいという気が湧かないのかもしれないがw 興味がない話で恐縮だが、松永久秀の研究者によると、宗厳は久秀からかなり重用されてそこその地位にいた形跡があるらしい
宗厳は隠し田事件で所領無くした(詳細はわからんけど)こともあって武将や領主としてはダメダメな印象があるけど、案外有能だったんだな 松永のほか筒井順慶や三好義継といった大和に影響力を持つ勢力の長と直接やり取りした書状も残ってるし
昔からそこそこ存在感があった人なのは知られてるね あ、宗厳だけじゃなくてその前の家厳を含む柳生家がね
松永との結びつきを作ったのも家厳だし >>455
北条家中の弟子ってどんな人がいたんだっけ? >>455
>宝蔵院に圧勝し
圧勝したんだっけ?
そもそも立ち会ってるか自体が伝わってないような >>470
長男の上泉秀胤
孫の上泉泰綱
北条綱成
直接でなく弟子から
北条氏政
北条氏照
北条氏規
北条氏邦
北条三郎 疋田新陰流の三光利剣って花車の事なの?五段之切って印可之太刀? >>469
松永と繋がる過程の史料って何か残ってるの?
タイミング的に松永の大和侵攻後に鞍替えしたのは明らかだけど >>474
北条綱成の孫がまとめた
信頼性の最も高い『豆相記』にしっかりと記述されている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています