>>229
そもそも本来は十代のうちに目録や免許皆伝も普通だった。
明治期に講道館と試合や交流をした古流柔術家の紹介で
「18歳で○○流の免許皆伝となり」というような記述がよく出てくる。

山岡鉄舟も北辰一刀流の玄武館に入門して、たった2年で、
北辰一刀流の代表として幕府講武所の世話役になっている。

嘉納治五郎も天神真楊流や起倒流を学んだ期間としては
3年とか5年程度だが、
両流派をマスターしたとして新流派・講道館柔道の創始者となっても、
天神真楊流や起倒流の関係者から何の異議も出ていない。
それどころか、天神真楊流の道場から西郷四郎や横山作次郎を譲り受けたりしている。

むしろ逆に、現代の古流武術各派がもったいつけすぎというのが事実。
古流の形とは、多くの形を短い期間に学んで、
それら多数の形を何度も繰り返して練習するという
サーキットトレーニングの要素があったのに、
もったいぶって、なかなか次の形を教えなかったり、
何十年の経験者にも免許皆伝を出さなかったり。