【他流を排せずして】新陰流総合【他流を認めず】2
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新スレ。
以後もID表示やワッチョイは導入しない方がいい。
おそらく、あれは一般人の書き込みが減って、
自演魔や業者の書き込みが増える要因になる。
(結局のところ、対策してる人間の書き込みばかりになる。
やたら、導入したがる人間の書き込みも信じない方がいい。
本気で荒らすつもりの人間には何の役にも立たんもんだから)
前スレ
【他流を排せずして】新陰流総合【他流を認めず】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1540761907/
前々スレ
新陰流総合【ワッチョイ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1465872336/ >>15
いえいえ。
大胡は前橋であり貴殿方の好きな転ですよ。
大胡地区と言ったのは上州の片田舎から興味をもって頂かないといけませんからね。 粕川村と大胡町が2004年に前橋に吸収されるまでまったく別の自治体であったこともご存知なさそうな言い訳w
大胡地区の新陰流ww
いやー面白いわコイツwwww でも神戸さんの所は尾張の新陰流を半分程しか習得していなくて、後は創作だよ。
だから新陰流ではなく「柳生新陰流」なのだし。
上泉伊勢守の時代を補填できる程、新陰流を奥まで知らない筈だけど… 伊勢守の故地である上泉からますます遠くなり大胡の範囲ですらないって…
興味を惹くための詐称を認めちゃってるしひどいのがいたもんだ 400年の口伝を知っている人に質問してみたいけど、春風館の七太刀ってあれで合ってるの?
上泉伊勢守もああいう風に使っていたの?
それだけ教えてくれない?yesかno でいいから。 400年の口伝を知っている猿廻は各流派で診な動きが違うようですが
本当に正しいのはどんな動作ですか?
天狗抄についてもお解説お願いします。 始めから信じない人もいますからね、いきなり前橋と粕川村統合知らないのかと来ましたからね。そんな当たり前の事を言わせないで下さい。
上泉に道場があり一帯から上泉信綱師に習いにいっていたのは
こちらの地域では当たり前の話。
箕輪城内鍛練は勿論、桐生城の城主も弟子です。
大胡地区から前橋、高崎、桐生、みどり市(過去大間々←こんな事も言わないと突っ込む人いますからね)から様々な人が習いに行っていたのです。 >>26
そんな話はどうでもいいから>>20と>>22について答えなよ ここ見てる人達は新陰流の研究者が多いから、キビしいっすな(笑)。
皆が気になるのは、確かに上の質問でしょう。
その答え如何で、大発見でそちらに修行者が殺到するかもしれないですね。
よろしくご返答お願い致します。 猿廻の技術は新陰流の根幹なのは皆知っていますからね。
ハードル高い問題ですよね(笑)… >>26
その当たり前の話はお前が粕川を大胡地区とか偽ったことから来てるのを忘れるなよ
鬱陶しがって見せてるけどそれは嘘つきのお前の自業自得でしかない >>20
まず影目録の七太刀。
一般には失伝されていたと言われて来ました。
こちらの流派の七太刀と神戸さんの七太刀を照らし合わせ、『柳生の芸能』にて厳周伝にて間違いなく七太刀技法だと確信したのであります。
@踞地獅子
A天関
B容髪
C小手斬り
D地軸
E明月の風
F燕雁
全てこの地区(高崎から桐生まで・やっている道場は一部)にて伝わっている技術であります。 >>30
あんたは真に新陰流を理解してる人じゃないな。
実際に則して新陰流を見るに案外にもこの重大な人生消息を余りに軽く視ているという事実傾向が多分にある。
その証拠には認識力の養成という事を往々等閑に附して只徒に知識の詰め込みにのみ熱中して居る。
そしてその結果智識は割合に含蓄されて居るにも拘わらず諸事万事に対して認識の不全や不足を敢えてなししばしば失策や失敗をせずともよいのに招来して人生苦をこうむって悩んで居る。
あんたは新陰流を味得することは出来ぬと断言する。 七太刀は新陰流の技ではなく、古い技で時代からして対甲冑剣法ですよね。
春風館の七太刀は甲冑剣法ではありませんし、尾張柳生家に伝わる七太刀とも違います。
その辺は如何思われますか? あと、七太刀は新陰流の技では無いので、尾張柳生では公開禁止なのです。
そういった口伝は無いのでしょうか。
柳生厳周師から習ったのなら、その口伝もご存知であるかと思いますが。 >>32
空虚な言葉を連ねてはぐらかそうとしてるけど
粕川を大胡地区とか偽った嘘は消えないんだよなあ そもそも、甲冑剣法うんぬんが
(近代の)尾張柳生でしか出てこない設定なんで
はなはだ怪しい
敵が甲冑をつけてるとしたら、
それこそ左手を斬りにいっても効果あるのかと
(まあ、甲冑ごしでも刃が当たれば痛いだろうけどさ)
それに、戦国時代は鉄砲の登場で
甲冑が時代遅れになってきたってのに 甲冑用というのが尾張だけに出てくるのでは無くて、甲冑用ではない遣い方が尾張にしかないという事ですよ。
素肌用は尾張独自の改変だから、江戸使いと言って素肌用を披露している所はイタいです。
尾張柳生では甲冑用は奥の方まで修行が進まないと教えて貰えないから、半目録くらい迄しかやっていない人が「近代の捏造尾張にしか甲冑用は無い」とか思い込むのも知らないのだから解らなくはないですけど、時代的な背景から石舟斎師の頃だって戦国時代なんだし… 「敵が甲冑をつけてるとしたら、
それこそ左手を斬りにいっても効果あるのかと 」
御心配無く。
新陰流の本伝は「斬り」にはいきません。 七太刀が新陰流の技ではないから非公開というのはおかしいね
だって、影目録四巻の一つとして、新陰流兵法と名打って七太刀の巻があるじゃん
それに新陰流の技ではないとか言ったら、九箇だってそうだし、
そもそも、奥儀や天狗抄などとは違って、七太刀は表太刀の一つだったものだから
別に無理して非公開にして秘する理由は無いと思われるのだが・・
だって、奥儀や天狗抄の太刀出すら古来、伝書に言及があって、一部は現代にも
公開されてるというのにね 九箇は他流の技をアレンジして新陰流の技にしているけど、七太刀は純粋にフル他流の技だから、新陰流として人前で公開しないと伝えられています。
27ヶ条と七太刀は新陰流の元となった他流の技群で、修行の参考として尾張では保存されています。
奥義や天狗も本伝は絶対非公開案件です。 昔の柳生厳長師の花車の映像は「内伝」です。
伊勢守からの本伝は別に存在します。 >>38
>甲冑用ではない遣い方が尾張にしかないという事ですよ。
むしろ、他流派で甲冑用を名言してる流派なんて
どれほど在るんだろうか?
宮本武蔵の武勇伝がどこまで事実かはあやしいが
決闘でいちいち甲冑なんて着てなかったろうし
二天一流も別に甲冑専門の流派じゃないだろう
他流派にまで設定範囲を広げると
かえって矛盾が広がると思う あ、すいません、各新陰流の中でという話です。
あと、甲冑用の遣い方は勿論甲冑着ていない人にも有効です。 キャラ的に最近見なくなったジキチンに似てるやつだなあ >>31
>こちらの流派の七太刀と神戸さんの七太刀を照らし合わせ、『柳生の芸能』にて厳周伝にて間違いなく七太刀技法だと確信したのであります。
>@踞地獅子
>A天関
>B容髪
>C小手斬り
>D地軸
>E明月の風
>F燕雁
>全てこの地区(高崎から桐生まで・やっている道場は一部)にて伝わっている技術であります。
素朴な疑問なんですがなんで上泉から疋田への伝書には無く宗厳に教える頃には追加されていたことがわかる七太刀が
大胡地区に残ってるんですか? >>41
>41名無しさん@一本勝ち2019/02/25(月) 07:29:53.88ID:hqiAKxC70
>九箇は他流の技をアレンジして新陰流の技にしているけど、七太刀は純粋にフル他流の技だから、新陰流として人前で公開しないと伝えられています。
本当に「柳生の芸能」を見たならこの本の中ですら七太刀が「純粋にフル他流」じゃないことくらいわかるでしょうに
例えば「小手截り」の師曰くのところはなんて書いてある? 七太刀は神道流の技ですよね。
柳生の芸能ってどなたの著書です? >>31
地区じゃなくて具体的に今教えている道場名か団体名を書けよ >>50
この人が「柳生の芸能」について知ってそうですよ?
31名無しさん@一本勝ち2019/02/24(日) 21:07:33.77ID:/aSl7wSL0
>>20
まず影目録の七太刀。
一般には失伝されていたと言われて来ました。
こちらの流派の七太刀と神戸さんの七太刀を照らし合わせ、『柳生の芸能』にて厳周伝にて間違いなく七太刀技法だと確信したのであります。 転会、杖を追加しちゃったんだ。
まっ、どっかみたいに勝手に作っておいて昔から伝わっているなんて言わないだけましか 同じ柳生厳周師から習った人らで、言っている事が違うなら…
半目録の人と免許の人なら、免許の人の方を信じざるを得ないな。
悪いけど。
で、更に柳生厳長師と免許の人が同じだし… >>50
「柳生の芸能」によると七太刀の「当流和卜の変勢である」という組太刀の打太刀が
雷刀に構えることになってるんだけど、上泉伊勢守と同時代の神道流って雷刀を遣う相手を仮想敵にしていたの?
というか雷刀ってその当時あったの? ジキシンくん最近何をやってるんだろう
ちょうど就職した頃にWikipediaで暴れてたな懐かしい 七太刀は失伝というけど伊勢守から伝授を受けた宗厳自身が慶長元年頃には兵法目録から消してるんだから
この時期までに不用となって意識的に整理されただけでは? 『柳生新陰流縁起』って当時からそういう名前?単に現代に便宜上そう呼んでるだけ?
明治以前に(柳生流じゃなくて)柳生新陰流呼びもあったんだろうか まあざっくりとした地方名でああだこうだ言っても
伝承している団体名を聞いたら答えられないんだからお察し 疋田の伝書からわかる古い新陰流には見られない七太刀がどうして
伊勢守の故郷である大胡周辺に残っているのかという謎の答えが
知りたかったのにー(棒) 同じ群馬の剣術でも馬庭念流だったら上野と接する武蔵のあたりまで広まってたり
江戸に道場出したりなんて活動まで史料からあきらかだし、幕末に伊香保明神への額奉納を巡って
北辰一刀流とコトを構えるなんて事件が起こるくらい長年に渡って勢力が存続していたわけだけど
上泉の身内である疋田の新陰流より内容的に新しい謎の大胡地区の新陰流は江戸時代何してたの?
この念流は無形文化財登録されたり道場が史跡として登録されているけど
疋田の新陰流より内容的に新しい大胡地区の新陰流はどうなってるの? 神戸さんのトコと合致するんでしょ?
お話にならない… >>64
その後人はそこまでお話にならないの?
どうしてよ? せめて上野以来の高弟と言われる疋田の新陰流と合致するところが多いなら
まだ信憑性あるのにね 疋田の新陰流で、どこか鏡写しで相伝が続いている所あるの?
動画投稿サイトとかに出ている所ではなくて。 春風館さんが疋田の燕飛とかやってませんでしたっけ?
疋田自筆書では「猿飛」みたいだけど そこはもういいよ。検証する必要も無い。
古伝の技術の意味を知っているならともかく、現代流派と同じならそれは無いし。 師範が何を質問しても納得できる完璧な説明をしてくれるから。 別の流派に行ってもみな同じ事を言うと思うけどね
勿論、インチキのとこに行ってもそう言う人はいるでしょ 石舟斉がはじめて上泉に会ったときに、疋田に三回負けたって話について
『正伝新陰流』で厳長さんが、わが家に伝わる話では最初から弟子ではなく上泉と立ちあったと伝わってるって言ってるけど
兵庫の孫が書いた『柳生新陰流縁起』だと鈴木意伯に三回負けたって書いてるんだよな。
厳長さんあんまり自分とこに伝わる昔の文書読んでないんだろうか。 そりゃあれだろ「口伝」だろ
きっと先祖の残した文献よりさらに事実を正確に伝えた口伝か何かがきっとあるんだよ 詳しい人が多そうなので教えてください。
柳生新陰流縁起の内容は今村嘉雄さんの史料柳生新陰流下巻で確認することが
可能かと思いますが、そもそもの柳生新陰流縁起を
今村さんはどうやって入手されたか
ご存じの方がいれば教えてください。 入手ってあれに載ってる他の伝書も全部今村さんの所有物だったの? 転会の渡辺先生の著書に書いてあった気がします。
確か下條さんか大坪さんが口利いて江戸柳生家から経由だった様な… >>77
柳生新陰流縁起は知らんけど、他の何個の資料は「大和柳生一族」に柳生家所蔵とか芳徳寺所蔵って書いてたし
基本自分持ちではないんじゃないのか 76です。
さっそくのレスありがとうございます。
江戸の柳生家なら史料がありそうですね。
柳生新陰流縁起は尾張徳川家から
見せてもらったのかな? もしかして刊行物って全部刊行者本人の所有物だと思ってる人?
日本書紀とか古事記とか国宝級のやつとかどうするんだよ 大正時点だと利厳が上泉の印可状、目録を相続したのは「如何なる故にや」って扱いだったんだな
正伝新陰流は「利厳が正統三世を継いだから」というのが理由だと代々口伝として伝わってます、という書き方をしてたけど 口伝ねえ
正統を継ぐなんて重要事項はそれこそ文字で記録すべきことなんじゃないかと
当時において流派の正統なんて認識が存在したのかどうかもまずわからんが >>82
国宝級の書物を個人が所有できると思ってるの?バカじゃねえの? 76です。
82は私じゃないですよ。
今村さんの所有物とは思ってないですよ。
江戸の柳生家から大名家に出した書面などは、残っているものが多いでしょう。
ただし、柳生新陰流縁起は尾張柳生家の文書ならば、
基本的には尾張徳川家や尾張藩士に
出したものか、尾張柳生家に残っているたものか辺りかと思われるので
どうやって探したのか興味があって
聞いてみたところです。
これは想像ですが、厳長さんと特別仲が良くて、写させてもらったとも思えないため。 今村さんは厳長先生が「正伝新陰流」に書かれた口伝に基づく尾張柳生史観に史料の上から疑問を呈してるし
「正伝新陰流」で初めて公表された口伝の中に、厳長先生の創作が混じってることまで疑ってた節がある >>88
宛名が西川十郎兵衛となってるから、当時の尾張藩の偉い人だと思うけど
一旦西川さんに提出してから藩主が受けとる形式を取った可能性もあるのかもしれない 口伝ってそんなに怪しいの?
史料史料っていうけどそんなに史料が偉いの?
大胡地区の口伝だって本当っぽいんじゃない? 上州大胡地区の口伝は本物ですよ。
神戸師がこの地域に来たのも事実ですし。
神戸師の知っていた事が具体的だったのでお互い深め合った。 神戸さんは新陰流の古伝はもとより、無刀取りさえ教わっていないのだけど…
古伝以前に教授される尾張新陰流内伝と、上泉伊勢守の遣い方は大きく違うので、具体的とか感じる事も無いように思えるけど。 >>93
このレスに限らず
誰それはなんとかは習ってないとかと言う情報は
なんか証拠があるの? >>93
あと著名な遣い手が知らない技を
なんで知ってるの? >>88
今村氏は大坪氏に貸しがあったから、大坪氏が管理していた江戸柳生家の史料を拝借できたらしい。
柳生厳長師は結構金に困っていて、大事な伝書や史料を売ってしまっていたらしい(後に尾張の柳生別家が買い戻している)から、大坪氏から尾張柳生の史料が流れたというのは無いかも。 尾張の新陰流は教習システムが整っていて、伝授されている伝位により教授されるレベルが厳格でハッキリしていている。
神戸さんの場合、伝授されている伝位が判明しているので、どこまで知っているのかは他の人も知る事ができる。
教わっていない筈の技術を騙るのはどういう事なのかは、察する事ができるかもね。 >>97
それも伝わっている最中に一代で整備したと言う話もある。
厳格と言っても一人天才が現れれば剣術をその天才の色にしてしまうからな。
貴殿が偽物と言っている物が本物で、本物と言っている物が偽物かもしれない。 >>92
よう
伊勢守から疋田への伝書にない七太刀がなんでお前のところにあるの?
伊勢守の地元のはずなのになんでそちらの新陰流は
身内で古参の高弟である疋田のより後進の柳生のほうに近いの? >>99
貴方の信じてる物が全て間違っている可能性もあるわけだが。
疋田が伝えたのも失伝や改悪している可能性もあるわけだが。
上泉がこの地区に住んでいたのだから弟子達の交流は勿論あったハズだしな。
あんたは何を自信満々で言っているのか。
臆面もなく。 >>98
尾張柳生に天才と呼ばれた人は何人かはいる。
その人達が改編した技もあるけれども、尾張では改編前の技も伝承している。
また、教習システムの厳格な部分は改編されてはいない。
流儀のカタチを代ごとにコロコロ変える事が無かったから、殿様も信頼したのでは?
神戸さんの系統で伝えられているのは、尾張で改編されたバージョンのみなので、上泉伊勢守の頃と合致する事はあり得ない。江戸柳生とも合わない。
時代的背景が全く合わないのだから、本物かもと期待する事も出来ないでしょうに。
SF小説では無いのだし。 >>101
そのそれぞれについて断言している根拠はなに?
神戸より上泉や江戸、尾張の技を知ってるんだよね? 神戸さんより上泉や江戸、尾張の技を知ってる人なら、現在でも百人以上はいると思う。
皆、知らぬふりや勿体ぶっているだけで。又は「柳生新陰流」は興味ないとか。 >>101
貴方の言うことはごもっとも。
殿様に信頼されていると言うが、
師範が改悪しても弟子は何も言えませんわ。
だからこそ、
今地域の口伝剣術が正しいのではないか、
神戸師の流派が上州に来て実践しお互い切磋琢磨した流派こそが本物かもしれない。
そう言っている。
それも改悪かもしれない。
だが、疋田某、偽物だと断言する見てきたかのような偽物こそが断罪すべき者である。 >>100
改悪って上泉が改悪して身内で古参弟子の疋田に伝授したのかよw
こっちは上泉からの伝書のこと言ってるんだよ 尾張柳生の代々の師範は新しいモノも作ったけれど、決して改悪はしていない。
古いモノも残しているので、後代が新しいモノが気に入らないなら古いモノを遣える。
で、古いモノを教わり研究していると、その完成度に驚く。
その完成度の高さは他流の技に劣っていないので、古いモノを本当に知っているのなら、同流の劣化コピーに感化される事も無いと考える。 ただ、七太刀だけは尾張でも怪しい。
神道流の七太刀の独自性がその土地の伝承にあるなら、新陰流の研究に一石を投ずると思う。
でも、創作や復元は良くない。皆、わかるから。 >>105
上州地区一帯の方が上泉の地もあるわけだから上泉の色が濃く残っている。
だから神戸師も訪れて修行をしている。
ただ、既に上泉信綱師は亡くなっているわけだから、柳生の地でも大胡地区でも疋田でも独自に様々に転化し
連関してきているわけだ。
人生の如く様々に転化している。
上泉信綱師も言っている。
『武は常に新たなるべし』と。
武芸者に曰く
『箸でハエを捕まえる技でなく蝿叩きを持ってくる技術』
これを知っている継承者が全く改善・改悪(本人は気がつかないが)をしない訳がない。 一応尾張では古伝も鏡写しにて伝承という事になっているので、燕飛や九箇などはどこの伝承のモノとも一致して欲しいと願っているけども(笑)。
実際には随分違うよね。疋田とかも。分解して観ても猿廻の技術とか、違うよね。 改編しても古いものは全部残してるというか、古いものと並伝したものしか改編が記憶されてないだけでは
生存性バイアスじゃないけども でも本当は、昔の教えと今の教えを並立して伝承してるというのはよく考えると疑問なんだけどね
だってその昔の教えに悪い部分があるから、改訂して新しい教えを新たに建てた訳なんだから
本来は完全に置き換えじゃないとおかしいでしょ
事実、厳春の時代辺りで伝承があやふやになってきたのは、昔の教えをあまりきちんと
伝えてなかったからでは? 昔の形が残っているのは口伝書に詳細に書かれていて復元が容易だから。
重複するし今のを稽古しないと時間もったいないだろ。 さすがに自己申告で口伝が残っていると主張するところと
実際に現存している疋田の伝書を一緒にしてはいかんだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています