【他流を排せずして】新陰流総合【他流を認めず】2
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新スレ。
以後もID表示やワッチョイは導入しない方がいい。
おそらく、あれは一般人の書き込みが減って、
自演魔や業者の書き込みが増える要因になる。
(結局のところ、対策してる人間の書き込みばかりになる。
やたら、導入したがる人間の書き込みも信じない方がいい。
本気で荒らすつもりの人間には何の役にも立たんもんだから)
前スレ
【他流を排せずして】新陰流総合【他流を認めず】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1540761907/
前々スレ
新陰流総合【ワッチョイ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1465872336/ 昔の形が残っているのは口伝書に詳細に書かれていて復元が容易だから。
重複するし今のを稽古しないと時間もったいないだろ。 さすがに自己申告で口伝が残っていると主張するところと
実際に現存している疋田の伝書を一緒にしてはいかんだろう >>114
春風館に残っている。
疋田を話に出すならば
神戸師がわざわざ出向いて修行したわけだからその上州大胡地区の上泉信綱師の魂は
春風館に有り。
勿論、どこが本物かとは断言はしない。 その馴れ合いが本当なら自己申告同士の駄サイクルかよ
本物の伝書を連綿と伝えてきたところに対して失礼極まりないわ
農村の剣術ならたとえば近隣の馬庭念流が伝書類も活動の記録も豊富に残ってるのに
大胡地区()にはそれすら何もないんじゃなあ 神戸師もちょっとアレだからなぁ…
新陰流界隈で神戸師は別に神でも何でもないからなぁ。
わざわざ出向いてくれたと喜ぶのもちょっと…
彼がそこまで行ったのも、柳生の師範に教えてもらえなかった古伝を覗けるかもと考えたかも。 神戸がわざわざ出向いて修行したとか言ってる話自体がウソでしょ
神戸の著作に大胡地区の新陰流とか出てこないし
そもそもコイツ地元民ですらないよ
>>14
>ハッキリ言わせて頂くと。
>今女淵城本丸跡に住まわれる方が
>私の師匠です。
女淵城本丸跡とかただの公園で人家は一つもないのですけど
それとも師匠は公園に勝手に居着いてるホームレスか何かか?
それぐらい調べてウソつこうぜ >>118
必死ですねえ。
何でも好きなのにしなさいな。
全ては可能性の話なのですから。
あなたは何をそこまで自分だけ独善的に語るのか。あなたには絶対的な金でしょうが私は全く金や地位や名誉の為ではないのです。
私も昔を見てきた訳ではないです。
ただ女淵城本丸跡に道場があったのは事実ですよ。
訪ねてみたらどうです。 >>119
>ただ女淵城本丸跡に道場があったのは事実ですよ。
事実というのは何か具体的な考古学的な根拠があるの?
それとも馬庭念流の道場みたいに史跡指定されているの? 考古学的ってww
コイツ自身が学んだとか言ってるんだからつい最近まであった設定何だろ
残念ながら戦前から公園に整備されるまでずっと畑であそこに道場があったことは無いよ 春風館関係の本読んで妄想が捗っちゃった人なのかな? 一方的な妄想で春風館側にも迷惑かけてたら面白い
春風館のビジネスパートナーとも真逆のこと言ってるところもあるし >>104 切磋琢磨すれば本物っていう謎理論が怖いwww >>104
疋田が偽物とかすげーな
君は新陰流の歴史をまともにわかってないのでは なんかほんとに妄想っぽい
ジキチンと違って実際に何らかの先生がいるとかではなさそう そういえば月影は立ち合いの詳細を書かず仕舞いだけど、ツイのDMで訊きにこいの一点張りだったな
捨て垢すら作るの面倒で誰も訊いてなさそうだけど笑 では、新しい話題は何かないですか?
自分が気にかかるのは
最近出てきたワードだと、
種字手裏剣とか
猿廻の正しい型とかが気にかかる
技術論が出来たら嬉しいのだけど、どうかな? そういうのちゃんと教えてくれる所はあるんだから、そこ行って教わった方がいい。
猿廻とか言葉で説明するのは難しい。 猿廻については流派毎に動作も解釈も違う面もあるので
知ってる者同士での議論なら十分に意味はあるかと。
しかも新陰流の核心とも言える箇所。 こんなところで教えあったりやりとりするようなものでもないだろうし 新陰流の核心と言える技はいくつかあるけど、技術として完成されているし、違うことを伝えられている事も無い筈。
見解や解釈が違う事は有り得ないよね。
やってる人が納得できない説明の所は、考えた方がいいね。 >>138 もっと色々と世間を見て廻った方がいいのでは? 語る必要はないって?
そりゃ、知らぬ人間は語るに語れないわあw
ただの袈裟斬りや横薙ぎに対する透かし技
後はそこからの展開が各派で変わるだけ 神戸さん系統の所は露出度高いから、色々な所で見る機会が多いけど、猿廻とか雑だよね。
猿廻の意味を全く理解していない様に見える。
どういう風に教えているのか、赤城山の神社の人に聞いてみたい。 新陰流に関連する伝承でそんな神社の名前出てきましたっけ?
古参の高弟である疋田が直筆伝書の道統の最初に記す「鵜戸大権現」か
月之抄で宗厳が祈請したと書かれる「春日明神」のほうがいいのでは? 根拠となる史料をお出しできない側が歴史知ってるつもりになってるってのも凄い 口伝という史料は、紙で残っている史料より参考になると思うけどな。
本物ならばの話だけどね。 >>150
ならないならない
それがいつから伝わってるかが不明なんだから
その「本物ならば」が証明できないのよ 参考になるけど本物ならばの話 ・・・ってw
そりゃなんだって本物なら本物だろうさw 郷土史等に全く現れず活動を示す史料や代々の伝書もないが伊勢守以来の口伝だけはありまぁすなんて
ネットの時代になって突然言い始めた人の何を信じろと というか、なぜ有史以来、
人類が紙や木簡に文字を残してきたかと言うと
……口伝なんてもんは、そんな長い事伝わらんからなんよ
事実を知ってる人間が
ボケたり、脳梗塞おこしたりしたら
それで終わりなんだし
ましてや、剣豪なんかは決闘や戦場で死ぬ場合もある訳だし
(まあ、江戸時代に入ったらあんま無いだろうけど) 創始以来ずっと存続してきたことが史料から裏付けられる流儀だって型の伝承に苦労してるってのに
受け継がれてきた証拠は示せないが口伝はあるとか言われてもね 活動の痕跡がなさ過ぎるんだよ
農村の剣術が隠れてコソコソする必要がないのは近隣の馬庭念流が示してくれてるから
尚更ウソが際立つ ほう。
馬庭が堂々と・・ねえ。
歴史を知らない奴は怖いな。 >>158
馬庭念流は江戸に進出してた時代もあるくらいだからね
幕末に近い時代も北辰一刀流とコトを構えて最終的にはあちらを撤退させている
間違ってもコソコソはしてないな 自分は史料的根拠を一切出さずに歴史を知っている顔されてもね 最近思うのだけどね、史料的根拠というのをやたら求める人がいるけど、それを掲示する義務があるのって弟子入りしたい人に対してだけじゃない?
つまるところ、お客さんに対してだけだよね。
冷やかしの客とか、ただ遠くから石投げたい人には掲示する義務は無いかも。
そういった人は、掲示したとしても信用しないみたいだし。
武術とか、技見れば判るけど、解らない人が不安で史料的根拠を求めてる。
まぁ、そんなの最近良くいる儲けたくて、武術を騙る団体が増えたせいだけどね。
そういう所こそ、お客さんだけには流儀の根拠を示すべきだよ。
新陰流の流れ的には、発見されたかもしれない古伝は、尾張で改変された技のみの神戸さん系統だと言う時点で、辻褄が合わないからクロだけど、そこが史料的根拠を掲示してもどうにもならないし。 正伝新陰流でちょいちょいでてくる小説仕立ての場面は絶対口伝で伝わらないと思う というか文書でも利方の書いた「兵法由来」と子供の厳延の「柳生新陰流縁起」ですでに細かい描写違うもんな >>163
本当のことは口伝で伝えるために敢えて異なった内容にしています >>164
技ならともかく流派の歴史について誤った内容を文書で提出する意味って何なん? >>165
本当のことを口伝で真実の人だけに伝授するためです >>166
技について敢えて誤った情報を教えるのは他流対策としてわからんでもないけど
歴史について敢えて誤った情報を広める理由がその説明だとよくわかんないな
流派にとって都合が悪い話を秘匿するためとかな? 尾張柳生家の史的の話は、盛っている部分が多いだろうね。
厳長師までの技術的な口伝は、習う側が全く疑う余地の無い本物だけど。 流派の歴史なんて別に大して重要じゃないから仮に間違ってても問題ないしな 柳生が新陰流の一国伝授を得た
一国とは、柳生が居住していた大和の国という意味で、
日本全国という意味じゃないというのが
佐藤金兵衛説。 そりゃ普通日本史の世界では「一国守護」「半国守護」なんかの文言を
日本全国の守護職、日本の半分の守護職なんて解釈したりはしないしな 上泉が一国一人の印可を与えた人って柳生宗厳以外にもいるからな
そもそも宗厳も複数人に一国一人の印可を与えてるしな 上泉の印可状って柳生と宝蔵院と丸目以外に現存したっけ? 印可状なんてのはただの免許状に過ぎないものだから、あまり参考にはならない
それより、柳生に相伝された影目録のように太刀目録の書かれた伝書を他の系統が
所有していれば 一次資料として価値が出て来るんだがな
少なくとも柳生はそれを持っていて、その通り伝えているが確認出来ているのだから >>169
入門者の数と流派の存続にはダイレクトに効いてきそう 俺もそうだけど、他に居合や剣術をやっていて、そこが失伝が多いから新陰流の様に古流剣術が比較的ちゃんと伝わっている所で、学んでいる人が結構いるのよね。
そういう人は皆伝もらうと大抵、新陰流から抜けてしまう。
新陰流の深い部分を、既存のテキトーな伝の流儀に混ぜ込んでドヤ顔したりね。
これ結構深刻で、いかにいい加減な自称古流が多いと言う事だよね。 >新陰流の深い部分を、既存のテキトーな伝の流儀に混ぜ込んでドヤ顔したりね。
具体的にどこの流派の人がこんなことやってるんだろうか >>174
その影目録なんだけど。宛名がないのは何故でしょう?普通はありますよね? すべて相伝しましたよと言う証である印可状が根拠にならなくて
ただのカタログに過ぎない影目録が根拠になるのか理解できない
普通に考えて一介の地方豪族に過ぎない柳生なんぞに新陰流の道統譲るとかないから
実際に目録とか見ると疋田には伝わっているのに柳生にはないものがかなりあるし だからその疋田の目録を公開して欲しいよね もちろん後代に書かれたものじゃなくて
伊勢守か最低でも疋田本人の時代のものでね
時代が後に下るほど、後代の創作可能性が上がってしまう訳だから 初代の頃に近いほど良い
要するに、一次史料として価値のあるものを多く保有してる所が、客観的にみて一番参考になるし
そこが基準になるのは当然の事では 上泉から疋田への伝書は失われたの?
なんで内容が伝わってるんだろう 伝書残ってる柳生も石舟斎の時点で奥義の太刀の構成変わってるし
そこは普通にいいと思ったから変えたんでないの 信綱が疋田豊五郎に伝授した「太刀目録」
新陰三学の巻
覧行 松風 花車 長短一味 徹底 磯波
新陰位詰の目録
高波 逆風 岩砕 残心 清月 眼勝
天狗書秘伝巻
乱勝 鈎極 雲截 電光 手留 曲勝曲勢 手縛乱勝
この形は同時に長柄武器の形としても使えたようで
速水家に伝わった伝書だと「槍、鎌、十文字、薙刀、右同前」とある
新陰流灌頂極意の巻
三光の利剣
新陰流紅葉観念の巻
八所の目付並びに先持後拍子の事
外の物謀略の巻二十三カ条
見てわかる通り外様の柳生とは全く別系の形を伝えてる模様
型名の多くは上泉流の軍学書である「訓閲集」に出てくる用語から採られているのだが
この「訓閲集」も息子の秀胤と疋田にしか伝授してない
>>184
誰がそんなこと言ってるの?
田舎の小豪族風情にすぎない柳生なんぞに正統とか渡すわけないだろ それでその疋田系の新陰流は、その目録を戴いた当時から技として現代まで相伝されてるの?
そして、伝わる花車とか、長短一味、逆風などは尾張に伝わる同名の技と同じなのだろうか。
面白そうだね。検証してみたいなぁ。 残念ながら残ってる和田の系統だと足捌きとか重要な部分がかなり失伝してるようなんだよね
無刀捕りや二刀小太刀や長物もなくってるようだし http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F953323&contentNo=42&outputScale=2
>一国一人たるべきの旨、書きし状の由、
>これら江戸の柳生家になき由、
>故に前々より不和にて、今は便宜もなき由
この記述自体が本当なのか
怪しいんだけど……
とりあえず、本当だとして。
ニュアンスとして、これに江戸側が怒ってるとしたら
「お前、それ、デッチアゲたよなぁ?」って
ニュアンスじゃないかと。
本物だったら、怒る必要が無い。
むしろ、当時からして江戸の柳生は偽物として
見てたからこそ、不和になったんじゃないかと。 >>187
>無刀取り
柳生の中では十兵衛の時点で石舟斎が作ったって認識みたいだけど疋田にもあったの? 武備志に引用されてる陰流猿飛目録にもあるぐらいだからな 伊勢守は元々無刀取りを持っていたよね。
石舟斎がそれに補完してるんじゃ無かった? 上泉が教えてくれなかったから自分で作っただけの話だろ 柳生新陰流には無刀取りが3つあるが何れも柳生宗厳の考案で上泉伝来のものはない
つまり柳生には教えなかったってこと >>193
柳生新陰流には「無刀捕り」と言う形はないよ
無刀取りの方法が口伝として3つ伝わっていただけで長岡桃嶺が名称も無ければ目録にも載ってなかった 長岡桃嶺が名称も無ければ目録にも載ってなかった→長岡桃嶺が勢法を定めるまで名称も無ければ目録にも載ってなかった 江戸柳生だと無刀って呼んでるよね。名称というより状況を説明してる感じ。 無刀と言うか三箇の大事ね
それぞれに名前はついてなかったと思う 月之抄でも兵法家伝書でも無刀では〜、無刀とは〜って説明をしてるよ 柳生延春氏が月刊空手道1994年1月号で
柳生家に伝わっている無刀のうち、
基本の構えの「一円の位」と
3つの型のうち、無刀勢、手刀勢の2つを公開した後、
転会の渡邊さんが、柳生延春氏の無刀取りはインチキ、我々は本当の無刀取りを知っていると
会報に書き出した。
そもそも柳生延春氏は「無刀取り」という表現を使ってないのに、
ついつい渡邊さんは「無刀取り」と書いてしまった。
で、渡邊さんは柳生延春氏の公開した無刀をインチキと主張したが、
延春氏が月刊空手道で公開しなかった無○勢については沈黙を保っている。
本物を知ってるなら無○勢を公開して、うちが本物だろと証明すれば良いのに。 延サンは父上からそこまで習っていないからなぁ。
習っていない筈の技を、「こうです!」と発信されたなら、習っている人はキッパリ違うと否定しないと。
そうしないと、歴史の捏造が始まってしまう。
まぁ、あのフザケた無刀を見て笑ったのは、ナベさんだけでは無いけど。
あと、ナベさんは自身の著書で無刀について公開しているよ。 >>202
>本物を知ってるなら無○勢を公開して、
↑
月刊誌『秘伝』でも公開してるよ。だからといって本物と云えるかは分かりかねるが。
長岡桃嶺の伝書には無刀の手順も記述されてるので、実伝でなくとも手順だけは真似できるから。 結局転会は杖の様に後から実は伝わっているんですと型を作ってるだけ
春風館もつられて作ってしまった
長い歴史で廃れたりしてるのが当然で、でないと膨大な数の型をなぞるだけになってしまう 型は確かに役には起たない。
それは柳生本家でもそうだ。 みんな、自分だけの思い込みが激し過ぎる(笑)。
柳生厳長さんも著書で「無刀取り」と表現してるし、その人から習った筋が師と同じ表現をしても何ら不思議ではない。 役に立たないカタを永遠にやってる所には、カタの意味とか解らないだろうに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています