【他流を排せずして】新陰流総合【他流を認めず】2
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新スレ。
以後もID表示やワッチョイは導入しない方がいい。
おそらく、あれは一般人の書き込みが減って、
自演魔や業者の書き込みが増える要因になる。
(結局のところ、対策してる人間の書き込みばかりになる。
やたら、導入したがる人間の書き込みも信じない方がいい。
本気で荒らすつもりの人間には何の役にも立たんもんだから)
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【他流を排せずして】新陰流総合【他流を認めず】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1540761907/
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新陰流総合【ワッチョイ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1465872336/ 979名無しさん@一本勝ち2019/02/21(木) 22:18:15.90ID:0OWCfcY90>>980>>988
実際上泉家発祥の大胡地区には剣術が残っていて
神戸さんの剣術にそっくりだった。
失伝している剣術も神戸さんに聞き新陰流が春風館が一番元祖に近い。
980名無しさん@一本勝ち2019/02/21(木) 22:50:11.74ID:FrM/7vwX0
>>979
大胡のそれはどういった伝系のものなんですか?
例えば上野国の馬庭念流とかなら現地で受け継がれてきていて伝系もはっきりしてるけど
江戸時代の大胡の新陰流の話は何かありましたっけ?
981名無しさん@一本勝ち2019/02/21(木) 22:56:55.73ID:d0PBqgjq0
その大胡地区でやってる剣術が、どうして新陰流の元祖と言い切れるのか…
近年神戸さんが創り出した「柳生新陰流」が上泉伊勢守の遣い方だという事?
ここ70年位の新陰流についての皆様の研究全否定じゃん。
悪い冗談でしょ。 988名無しさん@一本勝ち2019/02/22(金) 16:16:13.95ID:r0aXZknW0>>992
>>979
>実際上泉家発祥の大胡地区には剣術が残っていて
>神戸さんの剣術にそっくりだった。
どこにどんな由来で、何がどう残ってたのか、
もっと詳しく書いてくれないか?
神戸さんにそっくりかどうかは見る者の判断フィルターで異なるだろうから
何とも言えないが
自分も古い新陰流を習ったが、柳生や他の新陰流の人から見て
新陰流に見えない技も多いとは聞いたが、此方から見れば
応用が入ってるだけで、やってることはほぼ同じか、
此方の方がより、原理的な面を強調してる様に見える。
991名無しさん@一本勝ち2019/02/22(金) 16:38:02.34ID:idtjCQJJ0
神戸さんとこにそっくりというだけで、もう上泉伊勢守とは関係無い感半端ない。 992名無しさん@一本勝ち2019/02/22(金) 17:07:44.21ID:sP/p3hVS0
>>988
柳生もちゃんとしている所は新陰流の原理的な面も伝えているから、そういう所と合致するのか興味あるね。
993名無しさん@一本勝ち2019/02/22(金) 17:12:50.28ID:93Jukin20
問題はその大胡地区の新陰流が誰の系統かってことなんだけどね
まさか現代になって大胡に突然復活したとかじゃなくてずっと道統を繋いできた人がいたんでしょ?
994名無しさん@一本勝ち2019/02/22(金) 18:03:43.99ID:6rZjSZwg0
何を持って新陰流の原理とするか?
神戸さんとこや延さん渡邊さんとこに
その原理とやらは残ってるのか?
話はそれからだな 自分の所が正統だとかどうでもいいんだけど、純粋に本当の術を知りたくてある会派で修行してる。
で、他の会派を参考にしようと時々見て思うんだけど、それらの会派からは何も得るモノは無いな。
よくもまぁ、嘘ばっか言ってるなと感じる。
これから新陰流を習いたい人は、技術見て決めた方がいいよ。 大胡地区、地域。
この近くには上泉城(本城・今は太田の演歌歌手岡田しのぶさんが上泉信綱師の歌を歌い聞ける)、
大胡城、山上城(城主が前田慶次と上杉軍と戦った)、女淵城、膳城(武田の裸攻め)がありそこの地区に残っている剣術。
北は上泉信綱師(当時秀綱師)が籠った箕輪城。
南には箕輪城陥落後、一時期上泉信綱師が待機した桐生城。
あなた方は柳生の文書。
こちらは地区の口伝。
神戸さんの新陰流が地区の剣術に一番近い。
転会も上州にあるが地区の剣術とは多少似てるが違う。 山上城の山上道及は前田慶二と一緒に上杉軍で戦ったね。
上泉信綱師の孫も上杉軍にはいたね。
ここらは貴殿方も良く御存知でしょう。 >>11
上野国なら馬庭念流の樋口家がいい実例として残ってるが百姓だろうと道統は繋がるぞ
地区の口伝って誰が伝えてきたか証拠が残ってないってこと? >>13
ハッキリ言わせて頂くと。
今女淵城本丸跡に住まわれる方が
私の師匠です。
只の家になっていますがね。
流派名は新陰流ではないです。武術で言えば手裏剣もやりますし体術も他武道もやります。
そこが神戸さんと親交があり、
新陰流の失伝した部分をお互い補ったのです。
そして私は春風館新陰流とその流派を赤城山にて修行しているのです。
皆様には驚きでしょうが、400年の口伝が我々にはあります。
新陰流の技術は神戸さんから加藤さんがうまく継いでいますが。 >>15
いえいえ。
大胡は前橋であり貴殿方の好きな転ですよ。
大胡地区と言ったのは上州の片田舎から興味をもって頂かないといけませんからね。 粕川村と大胡町が2004年に前橋に吸収されるまでまったく別の自治体であったこともご存知なさそうな言い訳w
大胡地区の新陰流ww
いやー面白いわコイツwwww でも神戸さんの所は尾張の新陰流を半分程しか習得していなくて、後は創作だよ。
だから新陰流ではなく「柳生新陰流」なのだし。
上泉伊勢守の時代を補填できる程、新陰流を奥まで知らない筈だけど… 伊勢守の故地である上泉からますます遠くなり大胡の範囲ですらないって…
興味を惹くための詐称を認めちゃってるしひどいのがいたもんだ 400年の口伝を知っている人に質問してみたいけど、春風館の七太刀ってあれで合ってるの?
上泉伊勢守もああいう風に使っていたの?
それだけ教えてくれない?yesかno でいいから。 400年の口伝を知っている猿廻は各流派で診な動きが違うようですが
本当に正しいのはどんな動作ですか?
天狗抄についてもお解説お願いします。 始めから信じない人もいますからね、いきなり前橋と粕川村統合知らないのかと来ましたからね。そんな当たり前の事を言わせないで下さい。
上泉に道場があり一帯から上泉信綱師に習いにいっていたのは
こちらの地域では当たり前の話。
箕輪城内鍛練は勿論、桐生城の城主も弟子です。
大胡地区から前橋、高崎、桐生、みどり市(過去大間々←こんな事も言わないと突っ込む人いますからね)から様々な人が習いに行っていたのです。 >>26
そんな話はどうでもいいから>>20と>>22について答えなよ ここ見てる人達は新陰流の研究者が多いから、キビしいっすな(笑)。
皆が気になるのは、確かに上の質問でしょう。
その答え如何で、大発見でそちらに修行者が殺到するかもしれないですね。
よろしくご返答お願い致します。 猿廻の技術は新陰流の根幹なのは皆知っていますからね。
ハードル高い問題ですよね(笑)… >>26
その当たり前の話はお前が粕川を大胡地区とか偽ったことから来てるのを忘れるなよ
鬱陶しがって見せてるけどそれは嘘つきのお前の自業自得でしかない >>20
まず影目録の七太刀。
一般には失伝されていたと言われて来ました。
こちらの流派の七太刀と神戸さんの七太刀を照らし合わせ、『柳生の芸能』にて厳周伝にて間違いなく七太刀技法だと確信したのであります。
@踞地獅子
A天関
B容髪
C小手斬り
D地軸
E明月の風
F燕雁
全てこの地区(高崎から桐生まで・やっている道場は一部)にて伝わっている技術であります。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています