武道としての柔術4
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>>247
アマテラスを中心にした太陽の民族だっていうコピーのですね。
伊勢神宮なんて墓地という感覚であそこに作ったのに、
今では安倍総理が年初めにお参りするのですから。 >>248
お、ありがとうございます。すごく参考になります。 そうなんですよね。武術の発達した時代はすでに摩利支天や、
天狗の神格化があって、天狗になろうとしてたりとか、
密教もするすると入ってきて、巻き物には真言だとか色々入っています。
とくに、修行系といえる修験なんかも武術とよく絡まっていました。
つまり、武術と信仰が親しいのは神仏分離「以前」のはずなんですよね。 神道っていうのはそういう意味では、むしろ体育っぽいというか、
少なくとも武術のそばのものでは無かったとも言えます。 >>248
現像する日本武術の中では割かし古くて影響力の強い鹿島香取の太刀が例外扱いになるってどうなんだ???...って突っ込みはなし?
後、摩利支天信仰がヒンドゥー由来ってのもずれてると思う
だって他所の神様や理論を取り入れるなんて珍しくないし、実際当時信仰されてたのはヒンドゥーの太陽神ではなく密教に取り入れられ さらに日本ナイズされた「摩利支天」じゃん >>253
いや馬鹿ですか、ヒンズー由来の来訪神だと述べたほうが分かり易いじゃないですか。
おたくのその耳糞みたいな講釈だと読んでるひとが意味掴みにくいんですよ。
このかたの述べようことをセンテンスから読み解けていない、まさに耳糞野郎なんですよ。 >>248
みたいな嘘吐きというか
穴だらけの自説を開陳し
事実を自説に都合よく捻じ曲げる奴って
一体何なのだろうな? >>254
どうした急に発狂して
俺がレスしたのはID:8pVZ5WAO0だぜ?
まるで自分のことのように頭に血を昇らせるなんてまるで信仰だなw おっと、同じ文で二回も同じ副詞を使っちまった
文頭の「まるで」は無しってことで >>252
「神道」と一口に言っても色々あると思いますが、
ここで言うところの「神道」は、いわゆる「国家神道」と言われるものでしょうかね。 >>256
おたくのレスが馬鹿だというわけですよ、自覚とれましたか。 >>258
おそらくそのことを述べているのだろうと思います。
国学的にいえば神道というのは少なくとも江戸時代には理解されていたので古いですし、
神棚についても江戸時代すでに江戸では一般的でしたから、そういう意味での話ではないのでしょう。 中村民雄の論文によると江戸時代の道場には神棚はなく道場の中央に神棚というスタイルは武徳殿が嚆矢とのこと
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000000586/6-161.pdf
一般家庭への神棚設置が国家により強制される過程は岩本通弥の「可視化される習俗」に詳しい
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1572&item_no=1&page_id=13&block_id=41 なんでも国家神道に結びつけたがるのは、ご自身の気分でしかないとおもいますよ。 >>248で「鹿島や香取発祥の流派を除いて」と書いているのだから(明治からの)国家神道に限らないことは明らか
て言うか文体変える努力くらいはしましょうよ
日本語苦手な君に言うのも酷だけど なにこいつですけど、人の話に手を出さないことですよ。
どうせ自分はまともにもの言えないんだから。 もしかして、足を投げ出すって言うのは、
抱えた後に、後ろに倒す過程で胴体は後退するから、足はその場に残って、胴体から見たら前に伸びてしまう現象の事ですか?
すごい衝撃と言うので(投げ出すという表現も相俟って)、てっきり、気を失った人が、自分で足を勢い良く前に伸ばすのかと思いました。 >>265
大部分そのとおりですが、
足は厳密には残らず(固定は生じず)、ズルズルと前へ滑り出てゆきます。
本人の意図なく脚がピョンと蹴り上がるのは、脚気の検査です。
https://2.bp.blogspot.com/-EBfeM8sZyFo/V2ucFRr8WhI/AAAAAAAA7vM/V-Hlq9OOiD8bvTWsf5yCnGfM6Z5f94JKgCLcB/s800/medical_kakke_woman.png
気絶した人間が突如跳び上がりドロップキックをかますなどと、
そんな主張をする人のいる事自体ありえないので、おかしいと思ったら、まず過去ログを読み直すのをお奨めします。 実際にやってみていないのでわからないですが、
後ろに倒す際、正確に言おうとすると、その場に残らずに後ろに引きずる形になると思ったのですが(体を基準にすると前に出る)、
そうではなくで元の足の位置に対して前に出ると言うので意味でしょうか? 脚気のように前に飛び出すと。
あの方も、ドロップキックはおかしいと主張してるんだと思いますが、
足が前に飛び出すことで、似たような体重のかかりかたが起こるような感じでしょうか。
ドロップキックなら真下に行くでしょうが、
足が前に出るなら、後ろ下に向かうような重さのかかりかたかな? 古流の稽古着なら生成、晒、藍染、黒染とか。あとは、刺し子の糸の色を変えたり。
昔の柔術着は白が多かったです。 ・材質は木綿
・腰継が多い
・刺子は横か縦又は十字、腰下は格子か菱(剣道着は縦、柔道着は横でした)
・半袖
・色は白が多い。黒も見たことがあります。
・襟に詰め物して丈夫にする
・生地は二重が多い。昔の本だと三重としているのもありました。
といったかんじです。
服を直接掴むので剣術のより頑丈に作るそうです。
講道館の展示室に嘉納さんの柔術着があります。色は白でした。
普通は捨てられてしまうので、実物は珍しいです。
今目にするのだと、真楊流の方が使ってるのが古いタイプです。
白い生地に黒か紺糸で刺していて、あまり見ない色でした。 >>270
>>271
回答ありがとうございます。
現代でも、ちょっと黄色ががった柔道着や空手着、合気道着が存在するので、
昔は、その様なものが主流なのかなと思っていましたが、
どうも違うようですね。
木綿色は、昔も今もマイナーな道着ということのようですね。
これって、入門用の安い道着ということでしょうか? >>272
いえ、その黄色がかったというのが本来ですよ。
昨今のいう白は漂白の白なんです。昔の白は黄がかっていて、
使い続けることで白くなっていくわけです。 稽古着は自分で作るか、誰かに頼んで作ってもらいます。当時は市販品はありません。
柔術着は厚く丈夫に作り、刺し子も緻密に刺し手間が掛かるものです。非常に面倒なので定めが無い場合は一々染めないと思います。
消耗品だから、特にこだわりがない人は生成りですね。
ただ、こだわりのある人は昔からいるもので、黒染や藍染め、染め抜きとかもありました。
今でも、柔術着を自分で作る人はいますが絶滅寸前です。
作り方は昔の柔術本に載っています。 馬鹿を言うんじゃないですよ。
柔術はその時代の稽古着や武具からすべて流儀ですよ。 そうはいっても、今の時代に柔術の稽古着使ってる人殆どいないですからねw
昭和の頃の年配の師範だと使ってる人もいました。しかし、今はみんな柔道着,剣道着です。
柔術着は絶えました。古流やってる人でも柔道着や剣道着と何が違うのかよく分かってないのが実際のところです。 さすがに柔道着はいけないと思いますよ。
そのくらいのことに気づかないひとは柔術には向かないかと。
柔術やるひとは歴史的な事にも詳しいはずですからね。 昔の流儀か何か知らないが
本質的なとこではないし
服なんざ何を着ていても柔術は出来るだろ 柔術のひととお話するとすごく詳しくて驚きますけどね。
道具が分からないと習慣が分からないですし。
わざわざ羽織りを着て稽古するかたもおられると聞きますよ。 本質的ではないと思うけど、服で形が変わってしまった例がいくつかあるので
それなりに重要な事だとは思います。
和服から柔術稽古着、柔術稽古着から柔道着と服を変えたことにより形が少し変わってしまったのがあります。
この辺は注意すべきでしょうな。 だったら和服に戻せばいいんじゃね
形も元に戻らね? 特定の服に縛られた技術なんて現代じゃ使えんだろ
365日同じファッションして同じ服装の奴としか一悶着起こさないなら別に良いけど
着有りにしたって柔道やBJJで問題ない まあ、和服が一番いいですよ。
稽古着が出てくる前は和服に襷とかですし。 >>283
実際に古流には和服でしか掛からないような形が幾つかあります。今の時代に不要な技です。
もちろん全てではないので、柔術の稽古着や柔道着でも何の問題もありません。
服そのものとは関係ないですが、二本差しとかを想定した技も特定の服装に縛られているともいえます。維新後に不要という理由で体系から削除した流派もあるそうです。 柔術は現在の武術と違い、昔の生活に則ってできています。江戸と室町でも雰囲気や発想とかが違っていたりします。
やはり、現代に使える技術を望むなら、明治維新前の古流よりも近代に創られた武術武道の方がいいと思います。 服装で変わる技ばかりじゃなし
普段着やスーツなど
自分が一番着る服で使える技がいいよ
現代格闘技、古流武術関係なく、
服が破れても裸でも、使える技がいいに決まってますわな いや、変わらない技術っていうのはありえないですよ。 不思議なのは柔術って帯刀を想定してるものはかなり少ないということですね
例えば関口流は刀を差した状態を想定した車捕といのがあるのですけど逆を言うとそれ以外は帯刀を想定していないということです ん?多いとおもいますよ。稽古中にわざわざ差さないだけではないでしょうか。
逆に、関口流というのは座敷での芸事っぽい性格が出始めて刀を外した柔術になったと聞きますよ。
関口流のかたがおっしゃっていました。 それがねぇ刀を差した状態を想定した型がある流派ってかなりレアなのですよ
天神真楊流みたいに一つもない流派とかありますからね
稽古でつけないから概念からも消えて行ったのでしょう そうですか、天神真葉流は詳しく存じませんが、少しくらいも無いのでしょうか。
敵の刀を奪おうとするなどの対処とか、あってもいいはずなんですが。
いずれにしても、稽古中から木刀など差すべきなんですよね。 一つもないは言い過ぎましたね
極意上段居取はほとんど刀をもった相手へ捕らえる形ですから
でもそれ以外はほとんど素手対素手を想定した形で刀に対する意識が希薄なんですねこの流派 時代もあるかもしれません。
江戸時代はじめとかいいかも。 >>291
鞘が突っかからないようにやるんだよ
>>295
んなこたーない
適当な事ばっかり、勝手な憶測で言っちゃダメだ >>291
取り敢えず、その時の状況と
刀の位置や場所や取り扱いを真面目に考えようや
刀をどうしてるのか? って話だ
真面目に古流修行してたら習う 天神真楊流は合計で124手あるけど
そのうち帯刀の手数は20手ほど
受け帯刀、捕り素手
扱捕、飛違、飛違(中段)、小具足、後捕、矢筈、突掛、無二剣
受け素手、捕り帯刀
コジリ返し、抜刀目附(中段)奏者捕、柄止、柄砕、大小捕、両柄捕、
受け、捕り、双方とも帯刀
抜刀目附、手矩捕、見刀曲、龍虎、残心目附 何十年か前に、当時まだいた真楊流師範から聞いた話です。
天神真楊流は、全ての形に帯刀したまま受けを取るのがあったと聞きました。捕りも小太刀を差すと言っていました。
居捕も抜身目付のように左に刀を置くのが本式だそうです。
あと、抜身目付の捕が使う小太刀は、本式は十手,手棒,鉄刀など刃がついてないものをもちいるようです。
また124手の各型に別法があったり、20手の応用技などがあるそうです。
極意教授図解は、真楊流の五分の二にも満たない内容だそうです。
柴田さんや久保田さんとかがやらないような、古風な足裏受身がありました。 >>302
詳しくはないですが、
たぶんその時代はすでに刃は使わなかったのでしょう。
当時の事情としても刃の無い道具だったのは大いにありえます。
余談ですが、レス一つに色々書きすぎですよ。 >>268
脚気の検査は脚が蹴り上がりますよね?
気絶者が背後から支えられ倒れたら、足が地面から離れません。
イコール蹴り上がらない。
「脚気の検査じゃあるまいし、蹴り上がるわけないでしょう」というのが、>>266の主旨です。
「足を投げ出す」という日本語に、
蹴り上げ(=地面から離れる)という意味は、基本含まれないです。
もう一度云いますよ。
「足を投げ出す」とは、地面から足を離し前へ突き出す(要するに跳び上がりドロップキックをかます)という意味では、
あ り ま せ ん 。
足が地面から離れない。
足 が 地 面 か ら 離 れ な い 。
難しく考えず、まずこの一点で良いので、きちんと受け取って下されば。 天神真楊流が主に町人の護身術として、
また、いまでいうヨガみたいな健康法としても流行した
というのは武道界でなく江戸風俗的な話としても割と知られているのでは。
辻斬り対策なら刀取りがもっとあってもいい気がするけど
町人があからさまに武士を仮想敵とした技を磨くのはさすがに不味そうだけど。 >>305
いや、ほとんどのケース武士が刀を狙われるんですよ。 適当なこと言ってる奴いるな
天神真楊流の開祖も弟子の多くも旗本とか同心だろ
そもそも武士は刀抜けばいい話だから無刀取りとかいらん >>304
その点は解決済みです。
確認のために再度尋ねる形になりましたが、>>268で、それを踏まえてききたかったのはその後の文面でした。
どのような重さのかかり方で、どのように体がうどうするか。
でもこれは言葉では限度がありますが。 >>308
体の移動を、とりあえず受に限って云いますと、
初期の>>89、>>100にありますよ。
わかりにくければ>>132の動画の冒頭部になりますが、
これは捕が一歩も下がっていないので、実際にはこうなりません。
(この動画は巻き戻し編集されたモノです)
改めて文字にまとめると、
「上半身が後に引かれ、お尻が落下し、足が前に投げ出される」が、受の体の移動の仕方になります。 ここ最近のレスを読んでいますと、
あきらかに柔術を知らないだろうひとが書いていますが、
史実にもないことを調べもせずにいろいろ述べるのはよくないですよ。 >>302
ぼくの聞いた話では、柴田さんは型を壊していると噂になっていますよ。 >>309
え?
マルチって、同じ(またはソックリな)内容を、同時多箇所に投稿する事ですよね。
私はしてませんが、具体的にどこに件の投稿がありますか・・・・?
詳しくお願いします。 >>312
出典があるなら、ちゃんと出典を明らかにして書くべきですよね。
出典が無いものは、基本的に疑うべきです。 >>315
出典というと語りにくいものになってしまいますよ。
こういうのは本のなかの世界だけじゃないですから。 >>242
嘉納さんは道場の神棚設置には反対してた。最後はお上に押し切られたけど 嘉納治五郎はリベラルよりの人で小泉軍治宛ての書簡を見ると
自分の作った柔道が「国威発揚」や「国粋主義」を鼓舞するための道具と化すことに警戒心を感じてたようだな >>318
あの時代に武道畑でありながらリベラルだったというのが頭の良さを物語っている >>319
嘉納さんの行動原理は儒教。だからキリスト教みたいに天皇や国家や戦争を頭ごなしに否定はしなかった。一方で共産党や蒋介石は嫌いだった。こいつらは儒教を破壊する連中だし。 >>320
ごめん今調べると蒋介石は陽明学の人らしい。 儒教も利用されると危ないんだけどな。
思想として見ても韓国で失敗しているし、
使い方次第だね。
日本人は思想に傾倒しちゃいけない、そう思います。 そもそも神道なんかに理論なんかない。
それを理論づけていたのは、江戸時代以前は、坊主であり。
江戸時代以降は、儒学者だろ。
武道(士)論も儒学者が理論づけていた。
従って、武道を学ぶ者にとって、儒学が非常に大切な教養である。 >>323
それは本当。朱子学が体系的にわかってないと古流の伝書は読めん。まあ禅や道教も必要だけど、理とか気とかいった学術用語は朱子学の法が説明がまとまってる。 まあ、柔道は誰でも、頑張ればそれなりに出来る
スポーツとしてはよく出来てるのかもな
柔術の、柔よく剛を制すとか、小男や女が大男を倒すという
柔としての醍醐味を失ってる気もするが
身体がでかくて運動神経が良くてパワーが強くて体重のある男しか強くなれん
一言で簡単にまとめると
古流柔術が伝統技術と贅を極めた日本中の寿司職人の名人達の技とするなら、
柔道は日本中どこでも安く食えて、バイトやパートでも作れる回転寿司という巨大産業というべきで
フランチャイズではあるが売り上げは立地や社会経済の行方による 今の一万円札は、反儒教だっけ?
新一万円札は、儒学者なのか? >>325
でも昨日の水曜日のダウンタウンとか見ると達人は保護されてるってホントだなって思うわ。あれ合気道だけど。 >>325
戦前の柔道はそれこそ古流柔術家も取り込み参加して
柔術の、柔よく剛を制すとか、小男や女が大男を倒すという
柔としての醍醐味をやってもいたんだけどね
嘉納、西郷、山下、三船等のレジェンド級はそれを体現していたし
一方で横山や徳のような大型のレジェンドも抱えていた
嘉納の理想としていたところは老若男女誰でも行える国民体育の活動の一方で、
古武道研究会等のもっと深めた活動で技術の復活・保存・普及も目指してもいた >>329
合気道も嘉納さんとこの柔道と事情はあんまり変わらんでしょ
大東流合気柔術という古流から、危険な技を取り除いて
一般の護身体育に直して全国に普及させて行ったんだから
試合をさせなかったから、大男や大漢の鬩ぎ合いにはならなかっただけで
高校や大学でも合気道部という体育教育としての姿もあるし
実際に合気道と大東流とを比べてみると、驚くほど違う 合気道に合気はないだろ
実際に合気を使える人も残ってなければ
合気を習得する為の練習さえも残ってないのでは?
残ってるのは演武という名の、合気を使ってた頃の昔の技だけで
実際にその演武の技が出来て使える人などいないだろ >>330 その柔よく剛を制すのレジェンド級達が
一代限りで消えてしまったのは何故? >>332
そうはいうけど佐川幸義が合気をやった証拠もない。弟子が洗脳されてただけかもしらんぞ。 >>333
一代限りなのかね?
地区・県レベルの大会であれば軽い体格で無差別の個人戦でも団体戦でも無双する人はいくらでもいるし
全国クラスでも無差別の全日本でいいところまで勝ち上がるのも毎年何人かはいる
レジェンドとしては軽・中でトップクラスの強さを見せた岡野功や古賀稔彦、
高校の無差別で優勝した秋本などもいる
デカいのも小さいのも等しく技術を身に付けてくから最後に差が出るのは体格な部分もあるけど
それはトップクラスの比較・相対評価で、絶対評価で見れば軽いのでも激強のレジェンド級は普通に輩出している >>335
それがレジェンドかどうかは微妙なトコだと思うけど?
講道館の指導者やオリンピックなんかの頂点に
小柄選手が集うなら話も分かるけどさ
体重製でも、必ず小さい方が勝つとかさ
>デカいのも小さいのも等しく技術を身に付けてくから最後に差が出るのは体格な部分もあるけど
>それはトップクラスの比較・相対評価で、絶対評価で見れば軽いのでも激強のレジェンド級は普通に輩出している
つまり、本質は柔道の術の話ではなく
個人の運動神経や運動能力に依るって言ってる訳だから
柔の本質や魅力は失われたって指摘を
自覚なく認めてはいるんだよね だからと言って柔道を貶めようとは思わないけど
弱者が強者に勝とうとする
護身的意味合いは全否定ではあるんだろうね
全員に同様のスポーツ的指導をして競技化すればこうなるっていう
当たり前のサンプルでもあるんだし
柔道が武術界に投げかけた意味合いは
良しにつけ悪しにつけ大きいのは事実だよね >>336
戦前戦中は無差別でやってた訳で、小さいものが大きいものに対処する護身の意識は強かった
敗戦後の武道禁止令で技術の制限と復活の際の嘆願書による実施方法にある階級制導入と
1964年東京オリンピックでの階級制導入がその分岐点だな なんというか、そのへんすっごく難しい問題だと思いますね。
柔道はとても実力があるし、柔道の技術はサンボやブラジル式や総合格闘技、
色々なところに影響していったのは事実です。
世界中の強い外国人に勝っていくという偉業もぞんぶんにありました。
一方、柔道の元々のかたちは逮捕術だとききますけど、
やはり競技にしてしまうとそんなものはとんと無くなっていってしまう。
事態を制御する意識や、安全な執行能力や、護身意識、
そういうものはみるみるうちに欠落していって、現実性すら失っているのも、ひとつの事実ですからね。
たいへん良い例です。 世界中の強い外国人に勝っていくという偉業もぞんぶんにありました
・・・・でも
皆に技が知られると、世界中の強い外国人に誰も勝てなくなりました
お・し・ま・い
これが現実だ〜ねw いま日本の柔道は世界で強い方だよね
格闘技系の競技で日本人が世界でなかなか負けない姿見れるのって柔道ぐらいなんじゃない でも、柔道から派生したジュウジュツには勝てないよね? >>340
>これが現実だ〜ねw
何がおかしいのか分らない
笑えるポイントはどこ? >>343 パクリに負けちゃ、なおダメ
>>344 >>345 世の中には、現実が見えてない
思い上がりに自覚を知らしめる
皮肉の笑いという表現方法がが存在してだな(笑)
コミュ症や精神年齢が幼いお前らには理解が難しいかもしれんが
もっと世の中を知ってから偉そうにしろとしか言い様がない 意味のある皮肉は構わないが
>>345みたいな皮肉は
ただの敗北宣言でしかないんだよなw
ここまで書いても、その意味も理由も解らないだろうとは思うが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています