武道としての柔術3
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武道としての本物の柔術を語ろう。
ポイント柔術やスポーツ柔術は、スレ違いなのでスルーしてください。 >>1
ほんとにやってる人は語らない。同じようなスレ乱立して、何がしたいのさ? いや、俺、数分で答え分かったけど
贈り物とか握手がダメならこれしかないなと
文句は言わせん
事実解掌はほどけるから
お前らルールで世界だの不正解だのと言われる筋合いもないし
例えお前の想定する答えと違っていても知った事ではない。当たり前だ。
こんなもんで天才だのなんだのと言わないで欲しいし
ちょっとお前考え方甘く、浅くないか?
正直お前は正解を書くつもりはなっただろうとは俺も思うし
それらしい答えが出たら、便乗する気だっただろうとは思う
ま、だからヒントを書いて置くが
誰でも一日の間に絶対に筋力が緩む時間帯があるよな? 特に夜。
それを思えば友好的に緩ませる方法も思いつくだろう。
その時を待ってもいいし、強引にその時を作ってもいい。
これを卑怯とか違うとかは言わせない。 自分も自分で一体なにを言ってるんですか。しっかりしてください。 根本的に異なる点は無いと思うけど、柔術と一括りにしても流派によって何を重視しているかで結構違って見えるよ。
柔道は柔術の中でも特に足技とか下半身を使う技が多いのが特徴だと思う。
他に言えば柔術は柔道が普段稽古しない技、極の形とか護身術に相当する技も日常的に稽古するところ。 >>856
素手同士ではなく、攻撃側は、何か武器を持っている前提の練習が多いということですね。
そういう意味で、柔術のほうが武道的実戦的と言えるかもしれませんね。 根本的に違うのは、柔道は乱取りなので「約束」がありますよね、
お互いこういう決まりですよと。要は、元々は柔術稽古の練習項目なんで。
それが競技化してるものなんで。
ですから、バランス感とか瞬発力とかスタミナとかつくし、勘がよくなるんですよ。
力も抜けてくるし、粘りとか打たれ強さもつきます。
柔術は有事の対策の手法教授なんで、ある場合はこうする、こんな時はっていう。
それこそ行動の是非だとか、心の持ちようとか、全部含めて有事のものです。
昔の時代の武士の修得科目ですよね、だいたいは。
なので時代によって全然ちがうしまちまちです。
スポーツしたい人は柔道はおもしろいだろうし、いろいろ考えたい人は柔術いいですね。 >>857
それは柔道の中にも含まれている
基本的には違いは無い
俗的に言えば普段の練習でどっちに偏ってしまったかの比率かね
柔道も有事には武器術も禁じ手も解禁になるけど、普段の状況では乱取りメインになってしまっている >>855
柔術って徒手の武術、格闘技と言うことだから色んな考え方、スタイル、試合の有無、
ルールの違いの流派があります
柔道もその一つです
昔はキックボクシングみたいな大会の流派もあったし、
明治期はバーリトゥードみたいな事を想定していた流派もある
様々 >>855
柔術という大きなくくり、抽象的なくくりの中で
様々な流派があり、その中で柔道という流派があり
それが大きな流派(最大流派)になって、
>>18>>20で言っているように、古流柔術諸流派が武徳会で集まった際に
共通試合の規定、共通形を制定してそれを柔道をまとめた経緯がある
柔道というのは柔術という大きなくくりの中の一流派でもあるけど、
同時に柔術をまとめた総合流派としても扱われてまとめられた時期・経緯もある >>855
剣に対して素手で対抗する技術を内包しているのが(古流)柔術
この技術をオミットして素手対素手の制約ありのスポーツにしたのが柔道ならびにBJJとか >>863
剣に対して素手で対抗する技術は柔道も内包しているぞ
制約ありのスポーツ要素は柔道の中の一部、体育法の要素で
真剣勝負の勝負法の柔道の中には古流柔術が内包されている
そこから更に進めようとしていたのが嘉納治五郎で、
武器術も対武器術も形のみで無く乱取りでも学べる環境を整えようとしていた いや現実的には、それは言い過ぎですよ。
町のどこかで柔道教わったらほぼ100パーセント競技柔道教わります。
一本、有効、寝技。
対剣や護身術みたいなものは教わらないですね。
逆に、柔術も昔のように、乱取りや相撲をメニューに入れているところも少ないでしょう。
明治に別々に歩んだのでしかたないことです。 >>863,864
まず「柔道」の意味するところが嘉納が志向した初期の柔道なのか、五輪や部活動でイメージされる現代の(一般的な)柔道なのかを
定義しとかないと議論が噛み合わないんじゃないの >>865
別々に歩んだのは明治というか戦後だな
戦前・戦中は同じ土俵と言うか地続きと言うかにあって、
古流柔術家も柔道をやったし、柔道家も元々古流柔術家だったりした
戦中は特に勝負法面が重視されたし乱取りでも柔道技術の禁じ手の解禁がなされていたりした 柔術を知らない世代なんでしょ。まぁ世代に限らず一般的に知られてないですからね。
刃物で人を止めたり、縄にしたり、必要なら首を落とすのも柔術だと知れば、それは驚きでしょう。 戦時中には国公認で捕縄術も柔道の一部扱いだったみたいだね
古流柔術は言わずもがな 帯制度はBJJの師匠が直接認定出来るシステムの方が良く感じる わかる。今は講道館の集金システム以外の何物でもない。 >>872
昔の「免許皆伝」とかは、団体ではなく、家元というか師範が個人ででしているのでは? 嘉納治五郎ってすごいよね
東大出て、講道館柔道つくって
今の筑波大学の校長して、灘中学・高校の設立に関わって
なんかもうこんな人出てななさそうだな 時代の変革期だったからね。
それと東大出身ということで政界、財界に人脈が多かった事も関係しているでしょうね。 実家が物凄い金持ちだったんだよね。
本人の才能も凄いけど、経済的な裏付けもあったのも無視できないと思う。 やっぱりありますよね。以前オカダンさんも言っていました。
資産を使えて、自分一人は自由に動ける。そうでないと嘉納治五郎のような偉業は。
ただし嘉納治五郎本人の頭の良さがあってのことですがね。 お金がいくらあっても馬鹿は駄目。
才能も経済力も恵まれているから大成出来たんだと思う。 >>853
入眠時あるいは睡眠中のBに、
ゲームに付き合ってもらうという事でしょうか?
多分ちょっとした会話でさえ、付き合ってもらえないと思いますよ。
無理に付き合わそうとしたら、その時点で友好的じゃありません。
ゲームの成り立たない公算が高く、よって不正解です。
私が出題されたのはかれらの自治区、
元気いっぱいのこどもたちでした。
難問に向き合う秘訣としては、一心不乱に考える事です。
参考までに数学五輪金メダル、中島さち子さんの数学開眼の記事を。
http://college.nikkei.co.jp/article/83584613.html
当たり前ですけど、こういうかたは出題者を罵ったりしません。
まずさち子さんに倣い、ひと月考えてみてはいかがでしょう?
短いと感じたら、ふた月み月と考えて・・・・ そうする事であるいは、創造の宇宙が垣間見られるかも・・・・ >>880
ほんとにそうだと思いますね。
嘉納先生の凄さはそこですよ。 >>875
今の話よ
古流は各々制度が違うからBJJの方が皆調べやすいし例として良いかなと ところで昔書かせて頂いた刃物捕のカタですが、
>>319
>>320
>>349
>>363
肝心の箇所を書き落としてました。
敵が右手に刃物を持った場合、その右前腕中間部を、
自分の右手(五指グリップ)で捕りに行くと書きました。
これは自分から見て右手を右から左に動かすのではなく、
左から右に動かして、事実上まっすぐ突くように、捕りに行きます。
この時、体自体もやや沈めます。
ここからは左で敵右腕上腕中間部を抑え、右に振る事で制圧が可能です。
大事な話を添えますと、相手が刃物である以上、
これは確実な方法じゃないかも知れません。
ただ、これまで人類が到達した刃物捕のカタの中では、
これがおそらく一番でしょう。
云い方を変えれば、パーフェクトではなくてもベストではあると思います。
「逃げる」とか「そういう場に身を置かない」のが叶わない、
どうしても闘わなくちゃいけない、取り押さえねばならない場合は――― です。 >>884
うーん、
なるほど相手の片手を両手でとっていく手ですね。
是か非かは、立ち方、スタンスによりますね。
正面立ちだと難しい入り方かもしれません。 >>885
両手で持つのはあくまで片手で持つのに成功した後です。
「片手でまっすぐ持ちに行く」のが、ここの本質になります。
敵の前腕中間部にストレートを浴びせる――― と、デフォルメして考えてよいでしょう。
顔や胴体を殴りに行ったら、リーチの差で武器には敵いません。
唯一リーチに負けない、それどころか敵のリーチが敵自身の邪魔になるのが、前腕中間部へのパンチなのです。 >>881
>入眠時あるいは睡眠中のBに、
ゲームに付き合ってもらうという事でしょうか?
多分ちょっとした会話でさえ、付き合ってもらえないと思いますよ。
無理に付き合わそうとしたら、その時点で友好的じゃありません。
>ゲームの成り立たない公算が高く、よって不正解です。
そもそもその考え方が根底から間違ってるんだよ、お前は
付き合ってもらう必要も付き合わせる必要もない
思い上がりも甚だしい >当たり前ですけど、こういうかたは出題者を罵ったりしません。
自分可愛さ故の被害妄想が物凄いな、お前
罵られてる?
違うな事実を突き付けられてへそ曲げてるだけなんだよお前は >まずさち子さんに倣い、ひと月考えてみてはいかがでしょう?
>短いと感じたら、ふた月み月と考えて・・・・ そうする事であるいは、創造の宇宙が垣間見られるかも・・・・
まあ、他にもやり方は幾らかあるが、、、
想像的ね、、、。
それよりも人様の力を借りて上から目線のお前が
偉そうにするのを辞める処から話は始まるんじゃねーの?
それがお前の正体だよ、>>881さんよ? >>886
とても良いなと思うのは、まず、
まっすぐ手を出していて、しかも拳であることです。
しかも、打撃のように考えていて、接触を念頭にあることです。 >>887
あらゆるゲームは、付き合ってもらえないと成立しません。
私が自治区のこどもたちに、夜が更けウトウトしだすのを待って付き合わせたら、
かれらは私を、智慧ある人と称えてくれたでしょうか?
「このお兄ちゃんアホでしゅ・・・・ 」と、白い目で見られたにちがいありません。
>>888
私は(私だけが)答を書く者なので(→>>820、>>884)、
貴方の「お前は答を書くつもりがなかった」は、事実と異なります。
ニセの事実にいくら縋ろうとしても、貴方が解けないという現実は、変わりません。
貴方の敵は私じゃなく、貴方の敵は貴方自身なのです・・・・
>>889
幸いにも解きたいという意思はお有りな様子なので、
何年、何十年掛かってもいいですから、取り組まれますよう。
道具が使えず、>>787にあるとおり、「両手しか使えない」のが難しいでしょう。
それ以上考えないでいいですが、遥かその先「片手しか使えない」解への旅も、待ってます。
その旅には想像もつかない宝物があり、
それによりたとえば私に於いては、今年、癌の治療法の発明があったり等。
まあそれはずっと遠いお話なので、今は気軽なゲームとして、あたられるのをお奨めします。
何方かの手を借りる、たとえばさち子さんがフェイスブックをされてるんで、お智慧の拝借もありでしょう。 拳を当てるのは、左手で向かったほうがいいのかなと思いました。
足は左足のインです。 あ、でも、相手の上体の外側に付きたいっていう意図があるのでしょうね。 >>892
左手で向かうと、敵の刃物が長い場合、斬られてしまうのです。
または短刀を右手だけで構えられた時。
・敵が短刀を右手だけで持っている
・敵が短刀を両手で持っている
・敵が長刀を両手で持っている
おおまかにこの三パターンが想定されますが、
一パターンにのみ適した手の出し方は、確かにあります。
しかし実際には各パターンを、敵は次々乗り換えてくるものです。
(まあ短刀が長刀にはなりませんが)
なので全てに共通する対処形として、
「右手をまっすぐ、パンチのごとく素早く出す」が、とりあえずベストと、判った次第です。
人は顔や胴への攻撃は察しますが、前腕中央部への攻撃には、本能的にか無防備なのです。 >>894
そうした対策でしたか。
斬られるというのは分かるんですがしかし、右手を当てようとすれば、胴部に入ってしまった場合の体勢が、怖いんですよね。
また、大ぶりな攻撃だと私は、体の側面を護ろうとしたいのもあるので、
やはり左手を使おうとするかもしれません。
もちろんストレートに飛ばしますが、左手甲側から前腕外部を当てるようにといいますか。 まあ、相手に友好的に手を開いてもらうだけなら
そりゃナンボでも方法はあるわ
問題は、あれは駄目これは違うとルールを決めて
仕切ろうとするアホが独り芝居をしようとするから厄介になるだけや
理想的で最も創造的な正解は、「問題を出したそのアホが消えればええねん」
そうすれば誰もが友好的で平和に万歳と開いた両手を挙げるわ >>874
確かに試合は形だけやらせて型を覚えてきたら受かるような地域とか
何を審査できてるのか意味わかんないもんなあ >>896 それは究極の解答だろうが
その真の意味が>>894の間抜けな問題提出者に果たして解るかどうか? >898 理解できる人物もいると驚いた、有難う
これこそが武術の知恵の真骨頂だと思う
人の威を借り、幼稚なプライドを掲げたままで
問題を出して悦に入ってるアホは自分で気付かない限りダメだろうな
多分このまま、答えを示さず逃げるだろうしな
君には感謝する あの、あれだこれだ決めたがるやつってうざったいですよね。
そういうやつが現場を壊していくんですよ。そういうことやると育たないんですよ。 >>901
常に、脚を相手側にしているからで、
頭の方に回りこまれたら逆に危ないと思う。 >>903
動画の最後を見たらわかるけどあれは背中を丸めて地面との摩擦をなくして足をちょっと相手に引っ掛けるだけでずっとついて行くようにしてるんだよ。
そして柔術立ちで逃げると >>904
それって、簡単に出来るんですか?
簡単にできるのならば、相手は、抑え込みが出来ないということになりますよね。 そうですよ、回り込むことってけっこう出来ないんですよ。
しかも女性でも脚力ってけっこう強いもので、素人でも強いです。
この動画のひとは何か経験があってとった動きなんでしょう、見事な護身です。 >>895
左手で捕りにいくのは敵が素手の場合、威力を発揮します。
それを択ぶ(択びたいとする)のは、センスがある人。
実は私も、vs素手は必ず左で捕りにいくタイプでした。
(念のためですが、今は「敵の右前腕中央部を」が前提になってます)
捕りにいくと云いましたが、殴りにいくのも同様です。
敵が自分より殴打に長ける場合、延々とゼンチュー(前腕中央部)を殴ってれば、
ずうっとダラダラ、決定打をもらわないでいられます。(こっちも倒せませんが)
ゼンチューはvs殴る斬るの、基本にして奥義なのでしょうね。 ただ敵の獲物が長いと、どうしても斬られてしまい・・・・
スポチャンの刀で実験してるんですが、リーチの差が埋めがたく、ポコポコ入れられちゃって・・・・
刀には右手でいかないと無理そうです。
なおストレートと書きましたが、より正しくはフリッカージャブです。
インパクトの瞬間、パンチは拳を握り込みますけれど、
vs刀はキャッチなので、最後の最後、パッとひらきます。
指先をやや下に向け、掌底がやや上になるカタチで、ゼンチューをキャッチ。
注意点として、「キャッチ」と聞くと、なぜか人はノロノロと手をあけたまま出したり、
ましてや敵の攻撃を悠長に待ったのち、カウンターとして掴むと、誤解します。
それは刀を相手には禁忌です。
自分が先の先のそのまた先に動く。
その意識を徹底すべく、あくまでパンチとして手を出すのが、正しい理解になります。
最後の最後までグーでいる、正真正銘のパンチというわけではありません。
(ゼンチューを殴っても効かないので、そのまま斬られてしまう)
手、腕のみシャドーをしても、少し難しい動作かも知れません。
でも十数回、または人によっては数回やればコツが飲み込め、特に無理のない動作とお解かり頂けるでしょう。 >>908
なるほど、大いにわかります。失礼ながら、ぼくも同じ思考をしているんです。
ぼくの考えでは、
・グーは外傷を護りやすい、ストレートも傷を受けにくい
・打撃感覚だと早い、つまり掴もうというのは遅い
・当てることで威力を殺せる
・触ってから掴みにいく
そうした理由で優れていると思います。
ぼくの仮定では、小手を止めてから、
腕全体をころすため、胴を抱えたいなと考えています。
腕ごと組みつきたいんですね。
相手の胴と自身の胴と凶器とを挟み合うようにころすのが得策じゃないかと考えています。
問題は、そこから倒すことなのですが。 >>905
足を効かす者を抑え込むにはまず身体を抑え込む前に
相手の足を掴んで抑えて動きを殺さなきゃいけない
素人の場合はそこまで考えが及ばず
いきなり胴体を抑え込もうとしてしまうので抑え込むことができない。 簡単にできるかどうかは微妙だが週一練習で半年ほど練習すればだいたいの人間はできるようになると思う。 >>905
寝技を練習してる人が寝技素人相手にやるなら簡単
経験者同士なら相手との技量による >>909
胴は基本「動かない」「変形しない」ので、
そこをかかえるという発想は、正しいのでしょうね。
前腕中央部も、そこを狙うのはそこが肘や手首とちがい、動かないからです。
寝技で下になった敵の脚を越える話が出てますけど、
私はその場合も、下腿中央部を持ちます。
ここは膝や足首とちがい、動かないからです。
ここを持つと相手は脆く、過去にブラジリアン柔術の世界王者とスパーした時も、これで脚を越えました。
話全然ちがいますけど、下がここから戻す方法は、未解明らしいです。
https://youtu.be/Zjfqi6X4gY0?t=37
発明ごころが疼きます。(笑)
冬休みの自由研究に、取り組んでみようと思いました。 え、ブラジル柔術世界王者とスパーしてパスしたんですか。
それはちょっと、あまりここで言うことではなかったですね。 足越えたけど戻られたとかかもよ。パスは三秒押さえ込まないと成立しないし。 世界王者とスパーしたとか、よくもそういう恥の自己紹介できますよね。
本人どうするんでしょうね、ぼくらとしても相手してやるのかどうか。 >>914
>過去にブラジリアン柔術の世界王者とスパーした時も、これで脚を越えました。
その王者の名前教えてよ。
大会は帯色別で年代別にも分かれているが、青帯の50代の王者とかでなくてアダルト黒帯の王者?
妄想でないならば教えて、ぜひ。
ブラジリアン柔術の世界王者って、去年のアメバTVの大晦日の企画で、
朝青龍に挑戦したけど、瞬殺されましたよね(笑) >>916
まあパスは研究しましたからね・・・・
上も下もうしろも前も、偏りなくやるようにしてます。
ところで話また変わりますが、多くの人はなぜ下ばかりやりたがるんでしょうね?
パスなんか出来なくてかまわない、下から出来ればいいとする。
周りの評価も、下が出来ると讃えられたい。
これはなんでだろうと、ずっと長年考えてます。
好ければ考えをお聞かせ下さい。
随分くだらない事考えてるなと、お思いになるかも知れませんが・・・・ ともかく、世界王者とスパーしてどうのというのだから、
その前後きちんと話せるかどうかで人見られるじゃないですか。 >>922
世界王者云々はともかく
俺も柔道出身の人から試合でテイクダウンとるのはたいへんなので
スパーの時も下からの想定でやるよ。
まぁ柔道出身の人は上からは特に強いからそれも難儀するけど
他の人には上からやるけど 柔道って上をとりたがる癖があるから、
そのせいですごく強いんですよね。
意地でも下になりたがらないというか。 >>924
上をとるのが大変だから下をやる。
深読みすれば、下はそもそも難しいから、やってやり過ぎという事はない・・・・
そう仰りたいのでしょうか?
一理あります。
ご高察を裏付ける例もありますんで、また後刻・・・・ 本来それが柔道だからね
競技化してる部分は段階的に基本部分・初歩の乱取りだから
本当の意味で柔道究めるって言ったら康生監督のやってることを進めていかなければならない
将来的には全柔連会長や講道館館長辺りまで行くだろうから柔道界を発展させてもらいたいものだ
求めるなら、IJF会長のポジションも狙ってもらいたい じつは明治以前の古流稽古でも、裸で組みとかやってたんですよね。 自己レスですが、>>914に貼ったカタは、
シュルダードライヴと云うそうです。
色々検索し、こんな防ぎ方を見つけました。
https://www.youtube.com/watch?v=2OgG6opDmmo&feature=youtu.be&t=145
いいカタですね。
ただこれ上が膝を持ってます。
私式の下腿中央部に替えたら、防げないのが判りました。
皆さまも実験して頂くと、これが事実とご理解頂けるでしょう。
ではカチュー式ショルダードライヴを防ぐのは不可能なのか・・・・ とりあえず皆さま、好いお年を。 >>914
>>922
>>930
は同一人物なんだろうな。
>>914 の
>過去にブラジリアン柔術の世界王者とスパーした時も、これで脚を越えました。
って、その世界王者の名を教えてと聞いているんですがね。どうか教えてください、お願いだから。
ひょっとしてハファエル・メンデス? フーベンス・シャーレス? 誰ですか? 知りたくてゾクゾクです。
お教えいただけますようお願い申し上げます。 ブラジリアン柔術の世界王者って、
団体が3つあって、帯別、年齢別体重別なんだろ?
一体、何人いるんだよ(笑) >933
>934
そうなんだよ。914の
>過去にブラジリアン柔術の世界王者とスパーした時も、これで脚を越えました。
って、女子の脚を越えました、かと。
>>928
あくまで、「試合」に勝つための取り組みでしょ?
武道的な意味で柔道を深化させている訳ではない。 >>928
あくまで、「試合」に勝つための取り組みでしょ?
武道的な意味で柔道を深化させている訳ではない。 武道って、明確にルールとして記述できないから、
競技にできないし、各自の意見もぶつかるんじゃなかろうか。 頌春。
平成最後の新年ですね。
戦争の影が忍び寄る大正末期、おそらく和を照らす願いを込め、
昭和と名づけられたのでしょう。
そして昭和の末期、太平の成った世だから平成。
ストーリー仕立てだとしたら、今度は何になりますか・・・・
和を照らし、太平が成り、幸せに至る。
「至幸(しこう)」・・・・ 皆様に幸あれと、年始の挨拶に代え。 >>936
試合に勝つためだけに茶道や陶芸やまでに手を出さないよ
上の連中納得させるために試合に勝つため、強化目的って名目だろうけど
井上監督も柔道深化させたい気持ちは強いだろうよ
>>938
武道の中に体育法も含まれるから、その部分だけ目的でなら競技化することは可能
競技部分だけで全てを学ばせることは出来ない >>941
嘉納治五郎の武道論は、かずある武道論の一つに過ぎない。 >>943
歴史的に一番最初に提示したものであり、それを参考に武道が成立した訳だけどね
嘉納治五郎→武徳会、で武道が作られた 嘉納の柔術にあった当身が採用されていたら面白かったでしょうね。
総合か、手技だけアリなら相撲のようだったでしょうし、色々考えられます。 >>944
何を寝ぼけたことを言っているんだ?
武道論は、江戸時代から存在するんだけど。 >>947
ちゃんと歴史調べれば?
>>948
嘘バレバレ >>948
現在の武道論ね
明確に武道として成立したのは、武徳会で西久保弘道が剣術・撃剣を剣道、柔術を柔道、弓術を弓道としてから、
それが1919年
遡って、武徳会の成立は1895年
講道館の創立はそれ以前の1882年
嘉納治五郎が柔道の理念(武道の元になっているもの)を発表した講演「柔道一班並二其ノ教育上ノ価値」が1889年
江戸時代からの武道論に関して説明宜しく 武道という呼びかたを江戸時代にあてるのもおかしいですね。
武士道を論じたというなら宮本武蔵からそうですし。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。