田代誠と肥田式強健術
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肥田春充の後継者にふさわしいカリスマ
圧倒的な実力 肥田ハゲ充は、スターリン ヒットラ〜などの、人殺しを、持ち上げるぐらいなので、駄目だわ。 >>850
竹槍君よりかはずっと知的水準たかいぞw 親交とか裁判で奇声を出したとかじゃなく
歴史的に何をしたかは特に無いんだな 有名人との親交自慢とか裁判での奇行とか超能力妄想とか
麻原と変わらんな >>853
お前の願望では、そうなんだろうな。
しかし、表に出る轢死上の偉人や歴史の出来事は
それを支える人達あってこそ。
裏方がいなければ有り得ないのが歴史という物だ。
それが理解できず、薄っぺらい表沙汰の願望ばかリ垂れ流してるから
お前は駄目なままなんだ。 >>855
多大な寄付金を払ってダライラマにツーショット写真撮ってもらって
自己宗教の広告に悪用した犯罪者と一緒にしてしまうのが
あんたの知能の低い所で、かつ、精神性の浅い所
一度そう思ってしまえば、もうその様にしか見えないんだろ?
如何にあんたに判断力や分析能力に欠けているのかという証左でしかない
そんな「自分は頭おかしいですアピール」されても困るわ 肥田春充よりオウム真理教の方が1万倍スケールが大きい犯罪者だけどね 日本の為に戦った真の愛国者と
戦後最大の殺人教団を一緒くたにされても・・・
悪意あるが故にそんなことを書くのだろうけど・・・ 創始者が自殺してる健康法って時点で推して知るべし
昭和の裏面史の大立者なんて言ってた人もいたが
具体的に何をしたのか誰も書かないのね >>862
サイコロゲームしてみんなを幸せにしたぞ 悪意ある奴等には何を書いても無駄なんだよ。
肥田式強健術について
技術的な核心に触れようと思って
ここ何日か、このスレを覗いてはいたのだが
これは無理だろうな。 スレが伸びるほど肥田春充の実際の世間での評価が露わになるから続けてこう >>865
それよりもお前は現実の自分の評価を気にすべきでは?
最低だぞ? >>866
竹槍君は知能が低いから幾ら注意しても無駄だよ
ほっといた方がいいよ 肥田式ってほぼ指導者いないし
本を読んで何となく真似したりしてるん?
ミジメ過ぎない? 春充は腰を反らさない、気合いを使用しない鍛練を
毎日長時間、実行することで
筋肉隆々、記憶力抜群、臆病な性格が勇敢な性格へと変化した
中心を起点にして体を動かすコツを体得したので、スポーツの成績も1番
教師の言ったことや黒板の文字を写真のように丸暗記できたので
ノートを取る必要すらなかった
たった二年でこんな変化が起こるということは
春充は生まれつき知能の高いエリートだったんだろ
虚弱が原因で自分のことをダメ人間だと思い込んでただけ
虚弱を克服したら本来の才能が表に出てきたんだろうな。 そう言った面もあるかも
ある意味で当たっているのかも知れない
しかし、虚弱を克服したでは説明できない程に
身体能力が増幅してるので
それだけではないのかも知れない 春充の父は医者
長男は宗教開祖
次兄は台湾で開校した
先祖は武術の達人 >>872
高級ニートでいられる生まれであるのはうらやましいな 兄ちゃんが新興宗教の教祖なんだよね
遺伝子レベルで詐欺師気質なんやろなぁ >>872
>長男は宗教開祖
>先祖は武術の達人
先祖は誰でどこの流派の人?
>>874
>兄ちゃんが新興宗教の教祖
なんていう宗教で、今どうなってんの? こりゃ運命だね
勉強も武道も持って生まれた才能だからそこそこ成し得たんだよ
強健術が完成するまでの過程の運動法でも結果は同じだったと思うよ
茅棒として生まれ一念発起して立派な肉体を手にするも親戚だったかが戦士したのを苦に
また茅棒にまた一念発起するも最期は絶望し水も食べ物も受けつけられなくなり茅棒にだからな 春充個人が天才だったのは間違いない。
肥田式強健術がトンデモな間違いだっただけで。
如何なる天才も科学的知識が発達していない未開の時代においては正しい答えに辿り着かない。
野口英世も同じ。
野口英世個人は天才だったが野口英世の研究内容は現在ほぼ全て否定されている。 特に諸君のご注意を願いたいことは、私は種々の方法をやったけれども、それは何れも皆、
中心力を土台にしているということである。だから私の方法形式は、なるべく生理解剖力学の
原則に準拠して、出来得る限り、合理的ならんことを努めたものであるけれども、私はなおかつ、
あえてその型までも、そのまま諸君が学ばれんことを望むものではない。
諸君自身が、如何なる方法を案出して、実行された所が、元より毫も差し支えはないのだ。
ただ私がとった所の根本要則たる、中心力を閑却されたならば、如何に巧妙に組織され、配列
されたものであっても、心身健全の実際的、効果に至っては、極めて薄弱微小のものであることを、
断言することにおいて、私は躊躇するものではない。 おま、天才の意味解ってないだろwww
間違った結果残してるなら、ただの一人芝居でしかないわ
その間違いの中に見るべきものがあるならとにかく・・・
で、春充の兄はどんな宗教を作ったん? 教団の名前は? これに反して、いやしくも運動の基礎を腰腹の中心に、置いたものであるならば、その方法は、
たとえ如何なる型のものであっても、偉大なる効果を、もたらすものであることを、私は又ここに、
明言して置くものである。 肥田式では筋肉もつかないし心肺機能も向上しないよ
ビリーズブートキャンプでもやったほうが体力つく 是はあえて、私一個の独断ではない。幾多の先賢明哲が、刻苦修養の結果、ことごとく其処
に到達され、言辞を尽くして、皆その点を、力説されているのである。私が処々に先人の名句
を掲げたのは、腰腹中心の偉効が決して私一個の気まぐれの結果ではないことを、立証せんが
為であって、同時に、毫も私一個の珍奇な新説ではないことを明らかにせんとしたのに外ならぬ。
即ち古人が、既に体験し、体得した不朽の真理に、外ならぬのである。ただ外形だけが、先人
の其れと異なるだけのものであって、其の内容実質に至っては、全く同一不変のものである
ことを、私はここに、重ねて声明せざるを得ないのである。 だから、其の根本中心をさへ、基礎とせらるるならば、諸君は、どんな方法を取られても、差支え
はない。どんな体操をしても、どんな運動をしても、どんな仕事をしても━━━。 明治期にはウェイトトレーニング知識はないんだよな
サンドウで有名になった
春充はサンドウの本を読んでウェイトトレーニングを始めたんだが
欠点をいくつか見付けて改良し強健術に取り入れた そうだ。此の真要領をさへ会得されたならば、敢へて特別の練修など、やらなくとも良いのだ。
鍬を持ちながら、箒を取りながら、雑巾がけをしながら、大工は鉋を使ひながら、左官はコテを
動かしながら、鍛冶屋は槌を振りながら、下駄屋は鼻緒をすげながら、工夫は土を運びながら、
学生は机に向ひながら、漁師は網を投げながら、会社員は算盤を弾きながら………
何々は、何々は、何々は………ながら、ながら、ながら………ただ正しい姿勢を作ることによって
自己中心の根源を練り、以って健全なる心神を養ふことが出来るのだ。 中心力が、正しく完全に造られると、仙骨神経叢から、脊髄神経を通じて、脳神経は機械的に
自ら統一される。のみならず、其処に歓喜光明の、新天地が展開されるのである。
中心は何処にある?中心力とはなんだ?最強の中心力は、どうして作るかということに就いて
、私は自分のやって居った方法の上に、現代科学の理論を応用して、幾何学的、力学的、解剖学的
、生理学的、心理学的に説明した。さうして、心身修養の真諦、焦点、要訣、秘鑰はここにありと、
私は欣喜雀躍したのであった。 ところが、何ぞ知らむや。そんな事は、とうの昔に、禅の方では、喝破し尽くされて居らうとは
…………。しかも、角がどうの、線がどうの、横隔膜がどうの、仙骨がどうのと云ふやうな、七面倒
臭い、乾燥無味、砂を噛むやうな字句ではなくして、花霞み、鳥歌ひ、あるは、春の海の洋々
たるが如く、あるは秋の月の皓々たるが如き名文を以って其の境地が、遺憾なく描写されて居る
ではないか。 私の学理的説明において、腰、腹、氣海丹田、脚、足心の文字を読まれた方は、先哲の言に
おいて、其の要点が、ことごとく網羅し尽くされて居るのに、一驚を喫せらるるであらう。私は偶然
これを読んだ時、愕然として驚くと共に懼然として、恭しく首を下げざるを得なかった。是を体験
せざる者にとっては、何だ、そんなことがと、思はれるのみならず、殆ど気にも留めずに、読過し
去るることであらう。 この現代に地球平面説を信じる人が増えているという
人類の知性が劣化しつつあるという説もある
スマホなどのせいで自分の脳で考えることができなくなってるんだろう しかし私は、三十有余年間、殆ど一日も怠ることなく、中心の鍛錬を続け来たって、腰腹足心
の関係が、正しく行かなければ、円満なる力の発動は、もとよりのこと、引いては、肉体を以って
、精神を支配するの妙機は、絶対に把握することは、出来ないものであると、確信して居るので、
何十年かの潜行密修により、至難の要訣を、かくも明確に、摑まれたことに想到しては、そぞろに、
驚愕讃嘆の情に撲たれて、敬服の至りに堪へないのも、無理なことではあるまいと思ふ。 同時に、心身鍛錬における私の方式は、断じて誤りではないと云ふことを益々明瞭に裏書される
こととなり、其れに対する信念は、自ら一層、強固ならざるを、得なかったのである。
『オレの考へは、矢張り間違っては居らんのだ。先哲が既に明言されて居るぞ。確信して、ドシドシ
、やって行け』と、私は一段と強大なる力を得たのである。 説明の形は、まるで天地霄壤の違ひであるけれども、其の要領の実質に至っては、ピシャッ、
ピシャッと、符節を合はせたるが如く、ことごとく一致して居る点に………読者諸君よ。請ふ、
最大の関心を払はれんことを━━━。 引用元は聖中心道ですかね?
持っているが通読したことは一度もナッシング 相手に好きな数を紙に書いてもらう
その数を好きなように+-÷×して出した答えと
春充が前もって紙に書いてた数がピッタリと一致した
それを何回も繰り返したが1度も外れなかった >>886
> 中心力が、正しく完全に造られると、仙骨神経叢から、脊髄神経を通じて、脳神経は機械的に
> 自ら統一される。のみならず、其処に歓喜光明の、新天地が展開されるのである。
体験してみたいな 春充は前立腺を開発してなかったので
オルガズムは感じず、歓喜だけを感じたんだろう オタクってこういう楽してつよくなる的な詐欺に弱いよな コンセプトは簡単に強健になる方法なんだけど
春充自身が中心力の概念で思考停止に陥ってる気がする
病気や虚弱の原因は人によって違うはずなのに
こういう単純思考はカルトに多い 思考過多で肉体鍛錬が足りない人
あなたみたいな上から目線の人に多いね 肥田式と同じように腰を反る姿勢の岡田式静座法の
岡田虎二郎は尿毒症で死んでる
甲野善紀は肥田式を実践したところ出したくても尿が出せないという
苦しみをあじわい肥田式をやめたという
確か研究会の会長は長年透析を行っている
腰と腎臓は近いこともあり反り腰姿勢が及ぼす悪影響について
関連性はないのだろうか? あの程度の運動でそこまでのことにゃならんだろ
逆に強健が約束されるってのもないけどな、全て妄想だ 「丹田叩き」
下腹部を拳で100回ぐらい、慣れたら一日1000回叩くといいらしい。 丹田は実際、象や車に踏まれても、大丈夫なほど人体で一番強い部分なのです。 春充が食欲不振になったとき、家族は肝臓博士から助言をこうたという >>903
不摂生が原因でないのなら
反る時に腰の筋肉を力ませ硬くする→血の巡りが悪くなる→腎臓に悪影響 とか?
対策としては腰回りの血行を良くするために
・腰の筋肉をゆるめたまま尻をピーンと突き出す・脊椎腰椎接合点を
へそと恥骨結合の中間にブッ込む
・自分に合ったストレッチなどで腰の筋肉をゆるめる
・腰腹は丹田の表裏という表現に鑑みて
丹田呼吸法の対として脊椎腰椎接合点に内圧を掛ける呼吸法で
腰を内側からストレッチ
・上体の柔軟性を養い腰に掛かる負荷を上体全体に分散させる
などなど考えられると思いますがそんなもん無駄だと言う人はそれでいいや
どうせ人の話なんか聞かない連中の集まりなんだから各自好きにやればいい 肥田式信者は肥田式をやることで既に罰を受けている説 仙骨と腰椎の接合点に力入れると快感はありますよ。
一日中反らしてたら、腰痛くなるけどね。
だから一日数十秒で効果あるんでしょう。 2年で筋肉隆々になるのは誰でもできるけど
性格も激変して記憶力も異様に良くなったなんて
他に聞いたことないな 気合いも腰の反りも使わない鍛練と、呼吸法を
毎日長時間、実践した原著に書いてる
中学に入ると中心を起点にして運動をしたお陰で、スポーツの成績も1番だったとある。 春充は、たったの2年で正中心を起点にして運動をするコツを掴んだ
本のページを丸暗記できたということは、写真記憶ができたんだろ
写真記憶は生まれつきの場合が多いからな
春充は生まれつき天才だったが、体が虚弱過ぎてダメ人間だと思い込んでただけ
虚弱を克服したから本来の才能が表に出てきたんだろうなぁ
そうじゃないと、説明できない。 正中心を起点にして体を動かすコツを体得するには
気合い応用強健術もやらないとダメだろう
日常生活でも中心を起点にして歩く、座る、立つ、走るようにしないとダメだな 正中心を起点にして体を動かすというのは
下腹にチカラを込めるということじゃない
正中心を起点にして体が動いているイメージをしっかり持つことだよ 下腹にチカラを込めるなんていう不自然なことをやると
かえって病気になるよ 岡田式は創始者は早死にしたけど弟子の人たちは長生きしてるからな 春充が強健になったのは気合応用の型
簡易は高齢者や女性などの虚弱者でもできる型
いまでいう体幹感覚を鍛える型になろう 記憶力も良かったが、繰り返し研究した。
特に大事な本は繰り返し、精読、又精読、ボロボロになるまで読んだらしい。
努力の成果だと思う。 >>913 >そうじゃないと説明できない
と、君が勝手に思い込んでいるだけでは? 肥田式をやると病気になったり腰痛になります。
対策としては腰回りの血行を良くするために
・腰の筋肉をゆるめたまま尻をピーンと突き出す・脊椎腰椎接合点を
へそと恥骨結合の中間にブッ込む
・自分に合ったストレッチなどで腰の筋肉をゆるめる
・腰腹は丹田の表裏という表現に鑑みて
丹田呼吸法の対として脊椎腰椎接合点に内圧を掛ける呼吸法で
腰を内側からストレッチ
・上体の柔軟性を養い腰に掛かる負荷を上体全体に分散させる
肥田式をやるためには必ずストレッチや他流派の呼吸法や健康法を勉強しましょうね
肥田式をやるためにはいろいろ個人的に研究して適宜操法を変更したり角度を変えたり時間を変えたりする必要があります 全ての態度が活発になって、陰気な引っ込み思案の気がすっかり無くなった。物に屈託しやすい
、未だ当たらざるに、砕けると云ふ様なことが無くなった。何にでもぶつかって見たいと云ふ、進取
の気が出て来た。あらゆるものに、活気が生じて来て、世界がまるで、変わって来たやうな気がする。
古い世界の暗い影が、拭ふたやうになくなった。 精神が爽快となり、心に活気を帯びて来ると、気性までもスッカリ、変って来た。因循姑息であった
言動は、ことごとく男性的となった。もう何をしても驚かない。どんなことにも堪へられると云ふ、確信
が湧いて来て、何でも構はず、無茶苦茶なことがして見たくなった。否、しないでは居られなくなった。 >>921
その要求自体が間違ってることに気付かない奴に
何を言っても無駄
この世のどんな分野でも、誰もが納得できる説明などない
科学であろうと物理であろうとだ 肥田式やって腰が痛いとか笑かせやがる
そんな人は柔道や空手やると腰が痛いじゃ済まなくなるんだろうなw
簡単に武道の極意がインスタント的に得られるとか思うのがそもそも甘すぎるわなw
剣の達人、江連力一郎が春充のもとへ、どうやったら人間を縦に真っ二つにできますか?と訊ね
春充がそのコツを口伝、やな予感がしたのでくれぐれも悪用せぬように忠告しに追いかけたが
会えず、江連がその後にロシヤ人数十人を日本刀で縦に真っ二つに惨殺した事件が発生した
武の達人になると、春充の講釈を即座に理解し、実践できるとはな
恐るべし、中心力!!! 飲み屋によくいる武勇伝自慢のジジイと変わらんな
虚弱だったコンプレックスの反動なんだろうが
やたら講談めいた作り話が痛々しい 数十人ではなく、十数人だったと思うが、、、
多くの逸話はどれもよくある話の、レベルではない。 『厚さ八分の板を踏み抜く、猛烈な力を腰腹に起こすのであるから、ほんの毛すじ程の狂いでさえ、
心臓がキューッと収縮したり、脈拍が停滞したりする。もう少し強烈にやれば、そのまま腰の骨を
折ったり、即死する事も有り得る。』
*やり方を間違えれば、腰を痛めるのは、当然ではある。 『今やられたのは道と一体だ。活ける道だ。道は死なない。近頃流行の健康法には死が伴ふ。
不死の法でなければ駄目だ。素晴らしいものですなあ。自我の認むべきなし。絶対無我の境地だ。
無我は大我で、宇宙と合体する。天地宇宙と一体となること、是れ即ち、大悟徹底の域──。今
あなたが、やられた瞬間、光が全世界を照らした。盲者の見ざるは日月のとがにあらず。いいですな。
道なるかな。道なるかな。至妙の極致だ。それこそは本当の体育禅であり、動的禅である。………
全力全挙、一刀一断、獅子不羈の力だ。自己の胸襟より出でて、外天外地に至る。自分から
のものでないと駄目だ。鞍上人なく、鞍下に馬なく、その勢い豹の如し。豪いことですな。大変な
ことだ。』 >>930
そこの部分は強烈なヒントに満ちていると思うよ
どうすればそんな力が発生し、
どうすれば腰を痛めずに済むのか?
導き出されるやり方は
幾つかはあるだろうけど
すべての条件が揃うには
ほぼ凡そ似た様なものになると思うがねぇ?
普段はそれを穏やかにやれば良いだけで ズズウ、ズズウ、ズウーッ、瞬間、瞬間、又瞬間、老師の上体は、起き上がって行く。そして、
そして、そうして───、老師の物理的中心が、結跏した支撑底面の中央に、ギクッ………と
落ちた、機、一髪の主観、私の胸中からは、巨弾を投ずるが如く、ア其処だッ───と思った時、
老師の上体はピタリと止まって───。動かざること、まさに泰山の如し。慈顔靄然、威容堂々、
寸分の隙間もない。さすがは四十有余年間、坐禅で鍛えられただけはあるなあ!。何と云ふ立派
な態度だ。何と云ふ、見事な形だ。其の充実したる態度、其の虚々然たる姿勢……アア……アア……アアッ
………。 其れらは、みんな、道場に使った板や、根太であるが、一寸の暑さの板が、綺麗に足の形に、
踏み抜けたものや、周囲一尺四寸四分からある、檜の丸太が真二つにへし折られ、よく見れば
其れも亦、踵の形にむしられている。厚さ二寸もある板や、大きな堅い節のある板でも、みんな
踵の形に折れている。鉄の槌で叩いても、如何なる機械の力を以ってしても、こんなに綺麗に、
同じ形に打ち抜くことは出来るものではない。しかも軟らかな踵で、抜いているのであるから、板
の上にはかすり傷一つさへもない。 これ等は何れも、先生の中心力が、如何に強大であるかを、如実に物語るものであって、我々
は目のあたり、こうした実物を眺めた時、如何に先生の中心力が、強大無比のものであって、
無限の力を蔵せらるるものであるかを知り、畏縮する他面また、一種の強い憧憬の情を、禁ずる
ことができなかった。 『私は私自身の中心の力を、見ることが出来る。其れは細い線の白光である。力の作り方の
如何によって、この線が左右前後に、傾くことがある。完全なる中心力の場合には、この線が
重心から垂直に、支掌底面の中央に向かって、迸り出で、其の線の白光濃度が、前後左右とも
平均して居る。
だから私には、今の中心力は10であったとか、8であったとか或いは左が薄かったとか、後
が濃かったとか、もしくは、重心から支掌底面の前後左右の何れに、外れて居ったとか明らかに
自覚することが出来る。もとよりこれは、力の強弱を、云ふのではなくして、力の性質を、云ふ
のであることに、読者諸君のご注意を、願はねばならぬ。
正中心の光は、純白である。其れはまさしく、正中心の色なんだ。 >>931
道は死なない、ね
道が雄弁に語ることもないんじゃないでしょうか 無我とか大我とか言ってる人がいても
その人が本当に二元性を超克できているかは分からない >>932
そうですね。腰を反らせるだけならブリッジでも
いいわけですから。要は強い力を一点に集め
るのが要領でしょう。 僕が考えた最強の肥田式の創意工夫展覧会だな
やはり肥田式は未完成品か欠陥品 腰の骨が折れたり、即死するほどの力を中心に起こす。
これは、難しいことですが、出来たら、すごいことですね。 一点に力が集中しちゃうのは姿勢として良くないんだけどね 肥田式で頭が良くなった人はいないけど、馬鹿みたいに高飛車で傲慢になった人はたくさんいる。
偏差の見本市のようだ。 自分は人と違う特別な鍛錬法をしてるって優越感なんだろうな レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。