沖縄(古流)空手スレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
空手の競技化に迎合しない、本物の空手について語ろう。
道場の情報などもここで。 またキンニクバスターが論破されて敗走ですか
ハイそうですか
こりなさすぎ
定期的に論破されるためにわいてくるな ツイッターにも古流の技がすごくて新しいのを取り入れるのは厳に慎まなければならないみたいな空手家さんいるよね >>218
現在進行形の武術としてなら新しい技術を常に吸収、パクるのはある意味道理なんだけど、
現代では古流を学ぶ殆どの人間達は古流にロマンか或いは伝統芸能としてやってるからな。
新しい技術に関してアレルギーある人間が偶にいるわな。
本来それは、無意味な反応でしか無いんだけど。 別に使えるかとか実戦性がどうとか、どっちでもいいし
古流の方が今より優れていたとかの幻想もないけれど、
どんなことをやっていたのか、を探りたい。 >>220
>どんなことをやっていたのか、を探りたい。
船越が本土に来たばかりの頃に少ない弟子達に教えていた内容がまさに昔ながらの沖縄唐手の練習内容
ぶっ続けで型をひたすら繰り返し繰り返しやらせて、あとは巻藁を突くだけ。
それでも体力が残ってたら、チーシやサーシをたまには振ってお終い。
基本的には、ひたすら型やって終わりだよ。もちろん1人型な。分解とか存在し無いから。 となると身体操作を学ぶには合気道とかのほうがいいのか? >>222
昔の沖縄唐手には技術がスッカラカンで大した身体操作なんて無かったけど
開祖が没して数十年経った1980年代あたりくらいからかな、高弟たちや
さらにその次の世代が、分解とか身体操作とか色々と創作して型にこじつけてくれたから
沖縄唐手の道場行けばその新しくこじつけた身体操作を教えてくれると思うよ。
もちろん最近作ってこじつけたって言うと都合が悪いから「古伝唐手の身体操作です」「先人の叡智です」
とかハッタリ効かすと思うけどねw でもいつ作られようが学べるなら関係ないから新興創作空手の自称古伝の技をみんな習いに行こうぜ! さて、沖縄唐手にロクな身体操作も分解も無かったし
唐手家達も自由組手はおろか約束組手すら経験したことなかった
という現実が確定してひと段落つきましたので、続きましては話を戻して
>>120
>ぴょんぴょんできるのは、試合用のフロアやリングだから
このテンプレな偏見について本当にそうなのか語り合いましょうか。みなさんはどう思われますか? >>220
今月号の秘伝の松濤館特集は中々に面白いぜ。
本土には表面的で本来の空手は伝えられていなかった。
と言う通説あるけど今月号の秘伝読むとそうでもなかったな。
と感じる。
結局、自分達の空手こそ本物で特別と主張したい人間達が世界で最も普及した松濤館を貶す事でそれを遠回しに主張しようとしたんだろうな。
と思う。 >>225
いつもいつも情報小出しにしてないでどこでなに学べるかまで言おうや >>227
> いつもいつも情報小出しにしてないでどこでなに学べるかまで言おうや
ワテは合気道のことしか知りまへんもん。 >>221
長文ご苦労さんだけど、おれはフナコシ大先生が本土に伝える少し前には
どんな練習してたのか知りたい。だってフナコシ大先生はその時点でみんなで
できるようにラジオ体操化して伝えてたんだろ?後の世代の人がどういう
ことをしたかは置いといて。
今は残ってないわけで今と目的の違う何かがあったのではないか、と考えてみたい
わけだ。
このスレはそういうんじゃないの?否定ばかりしてないで考えてみたいというスレ
ではないの? >>229
「知りたい」と言うからには自分で何か調べはしたの? >>229
>だってフナコシ大先生はその時点でみんなで
>できるようにラジオ体操化して伝えてたんだろ?
あのな、唐手を教えるって言ったらいきなり門下生が押し寄せて盛況になったとでも思ってるの?
最初の一年は数人で、朝、昼、夜教えていたからその数人でさへバラバラの稽古で団体稽古など程遠い
マンツーマンか、多くても船越を入れて3〜4人だけの練習。その最初期に船越が指導していたのが
ただひたすらに型をやって巻藁を突いて終わりっていう稽古なんだよ。
>だってフナコシ大先生はその時点でみんなでできるようにラジオ体操化して伝えてたんだろ?
ラジオ体操化される前だろうが後だろうが、型をひたすらやって巻藁を突くだけが沖縄唐手の主だった練習法だよ。夢見るな。 幸運なことに通常の稽古時間とは別に、船越に特別個人指導を受けた人たちも居る。
作家の戸川幸夫とあと名前は忘れたけど大家さんの娘だったかな、女性が1人。
その2人は仕事の関係で通常の稽古の時間に来れないから、船越が特別に時間を
調節して個別指導をしてくれた記録がある。女性の方は分からないけど、戸川の方の
稽古内容はマンツーマンのハズだけどやってる事は型をブッ通しで繰り返すのと
巻藁だった旨を戦後の雑誌(中央公論だったか富士か忘れたけど)で回想してたハズだよ。 >>231
だから夢見てるんじゃないよ。だいたい夢ってなんだよ?
おれは別に古流に幻想なんか見てないの。競技より強いとかも
思ってないの。そういう話じゃないの。
おたくがタイムマシンに乗って見てきたかのようなこと言ってる
のが短絡的だ。小学生か?おれは見た事無い。あんたも見た事ない。
そうだろ? >>233
>おたくがタイムマシンに乗って見てきたかのようなこと言ってる
>のが短絡的だ。小学生か?おれは見た事無い。あんたも見た事ない。
>そうだろ?
そうだね、だから当時の記録を俺は随分調べたわけ。その上で言ってるんだ。
初期の頃は平安初段から五段をブッ通しでやり続けて、あとは巻藁突いて終わりだったよって。
短絡的だ何だって言うけど、いやさその可能性が高いって言ってるだけだよ。
その可能性を否定したいのなら、型は教えても手は教えるなとかいう秘密協定があったとか
夜の稽古では全然別の内容を教えていたとか、そういうのが行われていたという証拠なり記録なりを
出してもらわん事には、ただ現実を認めたくないから首振ってるだけに思えるだよねえ。
俺は戦前や戦後すぐの開祖達が存命の頃の記録なども随分調べたよ。上で書いた戸川の寄稿も
船越が存命中の出版だから、ウソの内容を語っていたら船越本人やその関係者からすぐに問題の声があがるだろ。
しかし問題になった様子はないし、むしろ戸川以外の他の初期の弟子達も似たり寄ったりの稽古で型をぶっ続けで
行うのと巻藁を突くってのが主だったね。まあ対人稽古の歴史がほとんどないんだからそうなるのは当たり前なんだけど。
そういう関係者が亡くなって、高弟たちが死人に口無しで好き勝手言えるようになり始めたのが
だいたい1970年代後半あたりからなんだよね。この頃になるとそれぞれの高弟も独立して自分の
会派を持ってるから、色々と箔をつけなきゃいかんから吹かすわけよ。久保田先生だって、船越先生が
亡くなった後に船越義珍直伝と称したよく分からない分解を多数披露し始めたしね。
死人に口無しって便利だよな。例えば現代で何かの雑誌で「船越先生は特別な稽古をしていた!」とか言っても
まあ信憑性が無いというか、久保田先生と同じくやったもん勝ちだよね。俺はそういう記録はあまり信用できないと思ってる。 上で紹介されてる雑誌読んでないので、すでにネタとして出てるかもしれないけど。
例えば戦前の松濤館流ではグレイシー柔術を教えていたよー! とか
システマの技術を教えていたよー! とか、そういうのを今になって言う人が出てきたとする。
当然、俺は信用しない。「お前はタイムマシンに乗って見てきたのか! グレイシーやってたかもしれないじゃないか!」
とかって言うかもしれないけど、はいタイムマシンに乗って見てきた訳じゃないけど信用できません。
仮にシステマとかグレイシーとか荒唐無稽な話じゃなくて、相撲の稽古もしてたよ、とかいう証言もやはり半信半疑ですね。
じゃあ、何をもって信用できるかといえば、当時の記録です。
例えば松濤館の昇段審査の内容に、三戦が出来るかどうかがあるよー!って言ってる人が居ても
信用ならないけど、当時の信用できる昇段審査の記録に三戦の名前が記されてれば信用に値します。
そしてその現物は現実に存在します。現物を見せずに言っても信用されないでしょうけどね。
ことほどさように、存在を証明する証拠というのは大事でなのです。
もし何かを主張したいのなら、まず「ある」事の証明をどうぞお願いします、と言いたいですね。 大変面白いのでぜひ続けて欲しいんですが、古流に夢見てないものをあるって主張してる人っているかな…? 現在残ってる空手は伝統、フルコン以外にも古流と称する派や道場も、色んな
人に引っ掻き回されて変化した形のものしかないのかな?
元はほとんど形しかやってなかった練習を、だんだん色んな人が「これじゃ強く
なれない」ってんであれこれ他のトレーニングを付け加え始めた結果?
古流の柔術とかなり似たものだったのか?しかし柔術みたいに関節技とかつかみ
を含んだ対人約束練習もあったのか無かったのか?
対人練習と言えば掛け手とかカキエというのは輸入アレンジの形であったんじゃ
ないかな? 船越と同じく本部の大道館での稽古も、一人の時は型と巻藁を延々やらされる。
ただ船越と違うのは、本部の場合は門下生が2人以上になると自由組手をやらせてる。
船越は自由組手は反対だったけど(まあ本人が出来ないんだから反対するのは当たり前だけど)
道場経営が拡大にするにつれ、あるいは大塚などの約束組手などの開発などの影響もあり
二人以上の場合は小手鍛えを導入した。これは1930年代中頃にはすでに確認されてる。
お互い小手を打ち合うんだけど、でもこれは現代の松濤館ではどうなんだろう? やってるのかな?
約束組手で小手を強く打ち付けるように受けるのは見かけるけど、純粋な小手鍛えというのは
不思議と見かけないんだよな。ここら辺、謎といえば謎だ。船越の時代にあった稽古なのに。
>>236
>古流に夢見てないものをあるって主張してる人っているかな…?
居ないってことで、この話は終わりにしよう。おそらく貴方以外、クソ長文を読んでないだろうし。
で、話は戻って
>>120
>ぴょんぴょんできるのは、試合用のフロアやリングだから
このテンプレな偏見について本当にそうなのか語り合いましょうか。みなさんはどう思われますか? >>237
>元はほとんど形しかやってなかった練習を、だんだん色んな人が「これじゃ強く
>なれない」ってんであれこれ他のトレーニングを付け加え始めた結果?
そう。強さ以外に、道場経営という面でも時代に合わせて変化しなきゃいけない。
>古流の柔術とかなり似たものだったのか?しかし柔術みたいに関節技とかつかみ
>を含んだ対人約束練習もあったのか無かったのか?
全般的に見て、ほとんど存在し無かった。個人がやってた可能性はあるけど
そもそも糸州の時代にはすでに沖縄に柔術の道場が開設されてる記録があるんよ。
起倒流だったかな。さらに学校の授業でも唐手のもっと前に柔道が正科に入ってる。
だから、投げたり掴んだりをしたいならわざわざ投げ技や掴み技の蓄積がない唐手なんかを
やらなくても、とっとと近所の柔術や柔道の道場に行くって話なんだよ。
>対人練習と言えば掛け手とかカキエというのは輸入アレンジの形であったんじゃ
ないかな?
掛け手は本部などの個人的な一派が仲間内でやってた稽古で、沖縄唐手全般で見たらそんなのやってない。
カキエに関してはそもそも戦前に記録が見当たらなくて、これも1970年ちょい過ぎあたりから急に出だしてる。
おそらく日中文化交流の影響で中国拳法の情報が流れ込んできたから、大方そこからパクったんじゃないかな。
うがった見方をすれば、化勁(カケイ)のミスリードを狙ってカキエとか名づけたんじゃないかな。
で、
>>120
>ぴょんぴょんできるのは、試合用のフロアやリングだから
このテンプレな偏見について本当にそうなのか語り合いましょうか。みなさんはどう思われますか? カキエすら古流の技じゃないのかー…
なんか随分イメージと違うなぁ 本部は今みたいな組手なんかやらなかったから強かったんじゃないか
何言ってんだか?
組手なんなやるだけ無駄 全空連系のあの独特のステップからの刻みづきはルールに守られてる感をすごく感じて最近違和感なんだよなあ
まぁ、競技として割り切ってやってる人を否定する気は無いけどさ
ここのところキックボクシングやMMAの間合いが遠い人のステップを参考にしたいと思ってる >>242がどう思うとそれは個人の勝手だけど
刻み突きって打撃系の技術の中では相当に汎用性が高くて重宝できる技術だけどな。
実際に堀口や山崎や内田など伝統派出身の格闘家達は刻み突きをかなり有効に使ってる。
ボクシングのジャブと同じで使い手の技量次第では下手な手打ちにもなれば、使い勝手の良い槍にもなるけどな。 しかし、ボクシングのジャブも今のグローブを着けたスタイルになってから発達した技術で、
実際今でも「素手だとジャブは使えない。」とかいう人間いるけど、
素手に近いOFGではジャブ、ガンガンに使われているし、
ヨーロッパの素手で行うボクシングでもジャブを上手く使いこなす人間いるしな。
思い込みで使えないと言う意見ほど、根拠のない話もないな。 >>243
や、刻み突き自体を否定する気はないよ。
ただ、先に当てればポイント入って、カウンターも痛くないしその後止めがかかるって状況前提にしてると「有効に使う」って発想にはなかなかなりづらいかなと思うんだよ。
MMAもやってる身からすると、あのタイミングでは飛び込めないなあ、っていうのが多いからさ
競技からてやってる人からすれば余計なお世話なんだろうけどさ >>245
俺もMMAやってるけど結構伝統派時代の感覚のままでつかってるかな。
相手が反応しづらいタイミングって結局ポイント制でもKO制でも変わらないし。
腰が浮かないようにと後、前足にあまり重心乗せすぎないように気を付けてはいるけど。
伝統派の競技は実戦を想定した場合、足りない部分が幾つもあるのは事実だけど、逆にだからこそ発達する技術や能力もあるしな。
俺は他の格闘技に移った事で逆に伝統派の競技のメリットを感じられたな。
ま、そんな事はルールのある競技全てに言える事だと思うけど。
もしもプロになったらまた伝統派の道場に通い直そうとか思ってる。
中々プロになる踏ん切りつかないけど。 >>242がどう思うとそれは個人の勝手だけど
刻み突きって打撃系の技術の中では相当に汎用性が高くて重宝できる技術だけどな。
実際に堀口や山崎や内田など伝統派出身の格闘家達は刻み突きをかなり有効に使ってる。
ボクシングのジャブと同じで使い手の技量次第では下手な手打ちにもなれば、使い勝手の良い槍にもなるけどな。 >247
単純に大学出て仕事に就いたのを機に空手を辞めたから。
ガキの頃からやっていたので気づいたら大学でもやってたけど。
で、仕事にある程度慣れたら運動不足を解消したくて会社のすぐ近くにMMAのジムがある事を知ったのを機にそこに通い始めた。
寝技が意外に楽しく気づいたら数年続けている。 それでプロも射程に入ってるってすごいですね。
やっぱりMMAは古流より伝統派の技術の方が生きると感じてる? ID:m2rnmqTR0
↑
あらあら、また始めちゃって。
以前剛柔流のスレだったかな?同じことエラい剣幕で言ってた人だ。
「記録が残ってないからといって必ずしも存在しなかったとは限らない」
と誰かが言ったら、
「無いというなら無いことの証明を出せ」ってものすごく感情的になって
言ってた人だよ。
確かそのスレで多くの人に迷惑だから去って欲しいと言われてたんじゃ
なかったっけ?病気が治ってないみたいだね。 >>253
>それでプロも射程に入ってるってすごいですね。
知ってると思うけど、MMAの場合プロといってもピンキリで統一されたライセンスがある訳じゃないしね。
俺の場合は先ずは、セミプロみたいな感じで試合に出ないかと誘われてるけど自分ではプロの世界では通用しないのは解っているので断るつもり。
>やっぱりMMAは古流より伝統派の技術の方が生きると感じてる?
間合い感は確実にMMAをやってる今も活きている。
後、刻みなどの伝統派時代の得意技も勝手に出てくれるので重宝してる。
最も俺の空手は堀口とかに比べれば突出している訳ではないからもしもプロでやるのなら鍛え直さないととても通用しない。
空手のバックボーンを持っている人間ってどこか古流に幻想を持っちゃう所からあるから俺も何となくこのスレみてるけど、競技に使うのならそれが別競技のでもやはり競技の技術の方が応用しやすいと思う。
同じ空手系でも堀口と菊野とでは選手としての印象が全然違うよね。
堀口はアスリート的でMMAの選手として高いレベルで完成されつつあるけど菊野の場合は現在進行形で試行錯誤をしている印象。
元々は菊野の方がMMAの選手として完成度は高かったけど古流にハマった以降の菊野は良くも悪くも常に試行錯誤している印象。 菊野はんの話とかしだしたら、型無駄スレみたいになりまっせ。 そういや、沖縄拳法って古流になるの?
それとも近代流派?
割と競技とも縁が深いよねこの流派。 >>254
>「記録が残ってないからといって必ずしも存在しなかったとは限らない」
>と誰かが言ったら、「無いというなら無いことの証明を出せ」ってものすごく
>感情的になって言ってた人だよ。
おいおい話を作るなよ。「記録が残ってないからといって必ずしも存在しなかったとは限らない」
とか甘いこと言ってたから「じゃあ、存在したという証拠を出してね。無かったことの証明は出来ないから(悪魔の証明)」
ってケリつけたんだよ。結局、昔の唐手家達が自由組手や約束組手を普遍的に稽古していた、という証拠は出なかったけどw >>213
昨日の馬鹿が勘違いしてるのは、現代の競技を沖縄の古流に取り入れるとかじゃなくて、
沖縄の古流には何も残ってないから、競技の空手が正しい進化であるみたいな一方的な暴論を
書き込み続けていたことだろ
沖縄の道場は7,80件回ったとか無茶苦茶言ってごまかしていたが、「型はやるだけ無駄」スレの
住人だろ、あいつ >>261
沖縄拳法は普通に近代の流派だよ、屋部憲通、花城長茂、国吉真吉に始まり、糸洲安恒、本部朝基、喜屋武朝徳にも
師事してた中村茂が創始して、日本で知られるより先に海外で普及してる >>264
成る程、納得。
ここ菊野が学んでる人は良く、先人の知恵とか古伝の技とかいう割に入って試合は普通の防具空手だから古流ぽくないなと思ってた。 >>265
試合はね
かつて沖縄で頻繁に防具組手をやってたところだけど、それはあくまで空手の稽古の一環という位置づけだよ
流派としては新しいが、空手そのものは古いもので構成されてる
中村茂の高弟だった親田清勇が80年代にアメリカで、空手の型には取手術(擒拿)と急所術(点穴)が内在
されているという事を公表して、結果独立して亡くなる前には”琉手”という流派、組織を興してる >>266
うーん、ちょっと解りにくいね。
例えば本当に空手そのものは古伝のを伝えているとしても防具着けて組手やったら普通の防具空手スタイルになってしまうと言うのはどう解釈したら良いのかな。
古伝の空手も実際に組手したら結局は競技の空手とそこまで大きくは違わない。
と言う事かな。 >>267
それをいったら本土の四大流派の特徴なんて全空連の組手には出てないでしょ、それと同じ
防具に限らず、競技にすると制約が出てくるのは当然だから、あくまで稽古の一環と割り切るんだよ
巻藁を突いたりするのと同じで、空手技術を向上する上で役に立つ稽古という認識で、極端を言えば、
防具じゃなくても、ボクシングやったり、本土の競技組手をやってもいいわけ
でもあくまで流派としてのアイデンティティは組手に置かないという
型に内在されている護身術を使いこなせるというのが目的だから、競技そのもので頂点を目指しているような
人たちに勝つような内容でもない
沖縄空手と本土の競技空手の関係は、タイで言えば、競技としてのムエタイと古式ムエタイの関係と近い
古式ムエタイやってる人はあくまで趣味だから、ルンピニーの王者目指してるような人に勝てるとは考えてないよ 沖縄空手に否定的な人は型ムダスレに書き込んでくれたらいいのに。
このスレじゃなくても、どれか1つくらいは肯定的な人同士で道場の情報とか、その流派の技術とかを語り合うスレがあればいいなあ。
おれは(いい意味で)伝統芸能としての沖縄空手に惚れてるから実践がどうのこうの興味ないんだよね。 >>268
別に喧嘩を売りたい訳じゃ無いんだけど多分貴方のレスを読んでるとそこを突っ込む人が他にも出てくるだろうから先に聞くんだけど、
それなら貴方の>>266のレスの内容は本土の四大流派にも当てはまるんじゃないの?
古伝の空手と近代の空手との明確な境界線が曖昧。
沖縄拳法のケースを主軸にするとなると事実上、言ったもん勝ちになる。
「自分達の空手や型は古伝の空手です。」
例えば競技は一切やらない。
組手は飽くまでも稽古の中のみでその内容も型や分解の技をそのまま応用する為の練習。
とかなら明確に競技主体の流派との差が出るのでわかりやすい。
実際、数は減ったけど未だにそんな練習が中心の空手流派もあるよね。
このスレはそんな流派を語るスレでしょ?元々は。 >>270
例えば沖縄拳法は流派自体は近代のものだけど、流派を構成してる型は古い沖縄空手の流れ
同様に一心流という喜屋武朝徳の少林流と宮城長順の剛柔流の流れを汲む流派もあるけど、これも同じ
武器術を並行して稽古するのも同じ
無論、型自体も創始者によって変化してるところもあるけど、少なくとも体育的側面を打ち出した型ではない
沖縄の道場ではピンアンすら稽古しない首里手の流れのところもあるんだよ
沖縄拳法で有名になった山城さんのところがどんな宣伝してるかは知らないし、関心もないけど
あくまで、”体育用に変化してものではない、武術としての型”という宣伝文句のつもりなんじゃないかな
”古伝の流れを汲む型”と、”一番古い、正統な型”ではニュアンスが違うよね
大体、〇〇流という呼称自体が沖縄でも近代になってからのものだし、創始者は普通に複数の師について
学んでいるから、どうしても個人のカラーが出るよ
個人的には一番古くて伝統的とかはどうでも良くて、現実的な範疇で実用性があれば良いというスタンス >>269
> 沖縄空手に否定的な人は型ムダスレに書き込んでくれたらいいのに。
あそこは伝統空手と沖拳会とガチャピンの悪口言い合うスレと化してます。
否定意見が嫌なら5ちゃんでやらんことだすな。 とにかく、沖縄拳法について言うのはここではやめたほうがよろしよ 取り敢えず、このスレに置いての古伝空手の定義は競技色を排除した流派で良いんじゃないの?
競技を採用している流派はどうしてもそちらからのバックボーンでそもそもの技が変質したり元々なかった技が指導されたりされる訳だし。
本当に古伝の空手を守ろうとするのならどうしても現代だと伝統芸能化は避けられないよね。
剣術とかだって現代の日本ではまず使える所なんてなく、んじゃその実戦での検証の為に戦場に行く人間何ていないんだからこれらだって言わば伝統芸能とかしている。
でも、それで良いと思うよ。
そこに強い弱いの概念を持ち込もうとすると現代だとどうしても競技を避けては通れない。 >>272
あんたがそうしてるんだろ
あんたくるとスレ荒れるから他のところで頼むわ >>274
強い弱い
と、
使える使えない
は、別の概念だからな。
使える使えない
なら、競技を持ち出す必要はないよ >>277
それは、その手のプロの人の評価だろ。
世界の警備関係や軍関係の人たちは、競技の有無に
関係なく使える技術なら貪欲に研究にくるし、
招請してセミナーをしてもらったりする。
で、使えると分かったら入門して何年もかけて修行するよ。 >>276
使える使えないは、所詮は使い方次第でしかないからそれは使えない側の問題でしかない。
摺り足だってピョンピョンだってどっちも実戦では使える。
状況と使い手の技量で結果は変わるとしてもね。 上段蹴りだってふた昔前では、試合用の技で路上には適さない技だって言う評価が多かったけれど打撃系の競技の技術が発展した結果今や喧嘩で見るケースも出てきた。 >>275
> 頼むわ
お、荒らしてほしいんだすかな? >>281
無防備の人のレバー殴る阿呆もいてますな。 >>283
そんなにワテに構いたいんだすかね。
構いたくないならNG登録しなはれや。 うわー益多ベーションがこのスレにまで来たか
せっかく盛り上がってきたのに終わったな >>279
それを言うなら「強い弱い」なんて
それこそ個人の能力に帰着する。
競技だってその競技に適した能力を有する
個人がいい成績を残すだけ。 >>289
使える使えない
ってのはまさにそれだよね。
競技に使えなくても、警備などの現場で使えればそれで
良い人も多いし、競技でしか使えない技術もあるし。 >>290
競技にしか使えない技術や稽古でしか通用しない技術があったとしても
それの基準は飽くまでも個人の力量と言う前提も無視しちゃいかんよ。
アンタは、仮に上段蹴りは喧嘩で使えない。
と確信しても世の中には喧嘩で上段蹴りを使う人間達はいる。 >>291
自分の持つ能力次第で技術を選べばいい
それだけの話だよ >>292
競技でしか使えない技術という発言と矛盾するな >>294
正直なことを言えば、競技では使えても
警備や護身などの状況では使うのが限定されてしまう
技術は存在するよ。
相手もその競技の技術を使ってこないと使えない技術や、
競技する場所でしか使えない技術
それでも個人の能力次第というなら、
世界は広いからねぇ、いるんだろうよ
としか言いようがない。 上段蹴りは金的がガラ空きになる。実戦相手が上段蹴りに合わせて金的狙って蹴ってきたら危ない
って言われてきたけど、事前に来ると分かっていなければ咄嗟に上段蹴りに金的蹴りを合わせるのなんて
まず不可能って認知されて最近じゃ実用性が上がったな。 >>296
>事前に来ると分かっていなければ咄嗟に上段蹴りに金的蹴りを合わせるのなんてまず不可能って認知され
その認知はどこの流派でされたんだす? >>297
合気道の人とお見受けしていますが、何故空手に絡むのです? >>296
金的狙える方も経験者だからという条件が必要じゃないかな
喧嘩の動画で上段が良く決まるのが多いのは、おそらく相手の方がまさか格闘技経験者を
相手にしてるとは思っていなかったりするからじゃないかな
試合や大会みたいに事前に相手について調べてたりしないからね
武道やってる女性が暴漢に襲われて撃退したみたいなケースも、同じように相手の虚をついたからだよ 合気道なんてのは単に「生き方」としてやってますんでね。
べつに特別な技術も要らんし試合も無いし、あんまりおもろいもんではないんだすわ。
つまらん人多いし。 ベーションさんは、身体操作を学ぶにはなんの武道がいいと思いますか? >>262
とにかくあのスレではあんたにみんなが迷惑してた
それは事実
自分が正しくエラいというような物の言い方も、とても
嫌がられていた
あんた自分でもそれ分かって自分で去ると言ってたんだろ
空手をやる人は色んな思いでやっていていい
仮に荒唐無稽な夢もってやってる人がいたって、わざわざ
あんたにいちいち阻止されたり嫌み言われたりすることもない
スレだって飲み会でデタラメ言って楽しむような感じでいてもいい
それを自分が正しいこと教えてやるみたいな言い方で演説始める
からみんな白けるんだ >と
>そ
>自
>嫌
>あ
>空
>仮
>あ
>ス
>そ
>か
縦読みにしては意味を成してないな・・・
一文字目じゃなく二文字目を縦から読むのかな? >>307
違うよ
よく読め
隠れてるのがちゃんと分かるから >>176
あれどっかの柔術教本からパクったものだと思うけどな
例えば空手道教範にのってる人体急所名なんて神道六合流の柔術教授書のコピーだし
居取りもどうみても柔術の影響うけて作ったものだよね >>310
少なくとも腕環は抜塞から抽出した動きに見えるが >>31
>型の分解はやってたよ
>富名腰義珍が紹介していた9つの投げ技には抜塞の動きを応用した腕環とかあったしね
その紹介してる書籍には「これはパッサイの型の分解です」と書いてあったの? なかったの?
それによって違ってくるね >>314
> なんでやってんだ?
惰性だすかな。
なんで日本に住んでる?みたいなもんだす。
この年になると他の生き方するのめんどくさいだすわ。 >>313
そういうつっこみを始めたらキリがないぞ
ひねくれてるんだな、お前 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています