>>665
>なぜなら実際にナイフを持った犯罪者に襲われて、「俺は対ナイフ術を習っているから対処できる」と勘違いして、実際には何もできずに死んでしまう恐れがあるからだ。

これはモンドのSSR理論だと理解していいのだろうか。
しかし、これは単なる個別の現象を説明しただけだと思う。
これは対ナイフ術だけの現象なのか。もっと一般化しなければ理論とはならないだろう。
対ナイフ術だけでなく武道や格闘技全般としても現れる現象ではないのだろうか。
格闘技などの練習をして自信が付くと過信に陥りあえて危険を選択する傾向があると説明した方が論理的だろう。

それを適応した具体例を挙げてみよう。
フルコン空手を練習して強くなると、腹部や大腿部への打撃への耐性もできる。そのくらい強くなると、「素人相手ならローキック1発でKOさ」と思うようになる。
そうなると、万一、街で喧嘩を売られた場合、どうしても日頃鍛えた腕を試したくなる。
そして戦うことになったので、ボディへのパンチとローキックで攻めようと近付いたところ、顔面パンチをもらって鼻血ブーとなった。
フルコンには顔面パンチがないので防御を忘れていたのだ。
しかし、顔面血まみれになりながらも、実力が上回っていたので相手を倒すことができた。
フルコン空手にはこのような顔面防御の問題があるのでやるべきではないのだ。

鼻血と死亡では被害のレベルが違い過ぎるが、構造的には同じ理屈だろう。
しかし、この理論の適応例の説明は少し変だとは思わないか。
過信からあえて危険を選択するという理論の確からしさはどの程度なのか、を問題とする方がいいと思うのだが…

>モンドはなんども口を酸っぱくして「護身の9割は事前警戒、危険回避、逃げること」と教えている。

では、練習時間が100分とすれば、座学とランニングが90分で、後の10分がスプレーの早撃ちの練習なのだろうか。
例えば突きと蹴りの重要性が同じだとすれば、突きは得意だが蹴りが苦手な者がどちらも同じようにうまくなりたいと思ったら、蹴りの練習を多くするのではないかな。
普通は習得が難しいものの方に時間をかけるだろう。