◆◆◆野太刀(薬丸)自顕流3〜薩洲剣術〜◆◆◆
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薬丸兼吉派
野太刀自顕流研修会
薬丸野太刀自顕流保存会
野太刀自顕流兵法会
薬丸康夫派
薬丸自顕流顕彰会 団体名は出さないけど
書いてることが言い訳、政治、抜けたやつらの悪口ばかりで
武術やる人の書くことじゃないなと
俺は思った。 以前見た研修会会員のブログは、誤りは有ったもののそこまで酷くはなかったな そら、そもそも「ジゲンリュウ」なんて存在せんし(笑) 天真正自顕流、示現流、薬丸野太刀自顕流があるが、カタカナのジゲンリュウの存在は聞いたことないな。 薬丸野太刀自顕流なんて名前はないね。
保存会という一番下手な会派が創作した名前。 調べてみたら自顕流て色々な会派があるんですね。入門するならどちらがおすすめですか? まあ、ただで有益な情報が入るわけではないのが現実やな
あっ、捏造流派の天眞正自源流/神変自源流は論外(笑) >>96
研修会か保存会か兵法会
これらは、最後の宗家となった薬丸兼吉派なので。 wniの鈴木里奈の脇くっさ
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\ 、'、v三ツ /
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http://twitter.com/ibuki_air
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 遠隔稽古の古武術って、一体・・・。
よく知らないが、自顕流さんって、そんな武術なのだろうか???
道場主・生徒そろって、嬉々と遠隔稽古を報告されてもなぁ。
ゲンナリ。 だいだい注意される箇所は決まっているかなら( ・ε・) ぐぐったら東京の兵法だった。東京の公園で、おっさんが長時間横木打ってる様な記載があった… 自顕流は1人稽古できるし、
時代に合わせて「遠隔稽古」もいいんじゃないかな。
自分なら会費とか払いたくないけどさ。 オレもググったら、兵法のおっさん、遠隔稽古をPRしてた。
>101の言う様に、ちょっと自顕は違うのかもしれないが、
思うに
・ アミバの様に、本人が天才。
・ 林修講師の様に、指導がメチャクチャ上手い。
・ ラジオ体操の様に、技術が簡単。
なら、遠隔指導でも上達すると思うけど。
一人稽古で十分。遠隔稽古の意味がようわからん。 質問ですが
関東方面に
兵法学小太刀?野太刀?
と言うのがあるという噂を聞きましたが
自顕流関係でしょうか?
立木打ちはやるそうですが… 兵法学小太刀は大分の臼杵藩の武術です。
小太刀横木を打ちます >>109
真逆の方角でしたか、失礼しました。
>大分の臼杵藩の武術
ありがとうございます >>109
あと、ウェブで検索かけても
情報がほとんど無いのですが… 遠隔稽古のブログ見たけど実験でやってるだけみたいじゃん。
武漢ウィルス収束したら普通に稽古するでしょ
遠隔専門じゃないんだから揚げ足とるみたいな書き込みはどうかと思うよ >>96
取り合えず近くて通いやすいところに行ってみれば?まず自分で見てみないと
当方保存会に見学の連絡とかとったことあるが凄いもったいぶってた記憶があるな〜 あんま、冷やかしだけの人が来られても困るって気はするけど
マニアには有名だから、怖いもの見たさ、も有るのかねぇ 今の自顕流は形骸化しているよ。
どこの団体も実際に斬ることを意識してないから、試し斬りなんてしてないからね。 試し斬りって江戸時代は薩摩の武士はどのくらいしてたんだろうか?
横木打ちはいっぱいしてたんだろうけどそのへんの話はあんまり聞かないよね 幕末に一番恐れられたのって自顕流であるという認識でOK?示現のほうじゃなくて 一般的には野太刀自顕流の方です。
生麦事件も中村半次郎も野太刀の方ですし、
新撰組の「薩摩は初太刀を外せ」も野太刀の方の特徴と合致しますし。
1937年の日中戦の時まで薩摩人以外には教えない方針だったのと、最近まで宗家争いみたいな感じが残ってたので、
取材が来た時は示現流の宗家が受けるみたいな感じもあって混同したみたいですね。 示現流はちょっとだけ経験あるけど薬丸の方は動画でみる程度なんだけど
薬丸の立木打ちの時ってどこに力入れてるの?
盛大に屈伸運動するし全身運動なのはわかるんだけど多分左手固定は一緒なんだろうけど薬丸の方は右肘一切曲げないよね?
想像だけど背中の右半分だいぶ筋肉痛になりそう >>118
野太刀や示現流の区別はなかったと思うよ。
当時、どちらの流派も全く知られてなかったからね。
だから、流派名じゃなくて「薩摩の初太刀」という言い方をしていたんだと思う。
それに実際は、2つのじげんりゅう以外にも、直心影流なども薩摩藩では多かったしね。 >>120
中村半次郎(桐野利秋)は小示現流という説もある。
生麦事件の奈良原や海江田は、野太刀だけど久木村は直心影流。 基本的な内容だけど、素人さんや門外漢は知らないかもしれないから、改めて
・元々示現流の技法や概念:蜻蛉/立木打ち/意地
・薬丸流と野太刀流は関係ない
・捏造流派である天眞正自源流と神変自源流は、示現流と関係ない ん?でも薬丸流って野太刀術から産まれたんじゃないの?
示現流よりも高く掲げる蜻蛉は野太刀ならではだと思うけど 江戸後期の薬丸もふつうに十二の打練習していたらしいし正直言って家伝の野太刀うんぬんは箔付けであって幕末生まれの簡易習得版示現流だと思ってる でも示現流のこめかみ付近に構える蜻蛉では野太刀は振れないし
どう見ても薬丸は野太刀の影響あるでしょう >>125
あそこ示現流代表みたいな顔で発言してるけど鹿児島で練習してる人たちどう思ってるんだろ
神変自源流の人いっかい薬丸にたいして自分たちのこと「上位流派」みたいな言い方しててうわぁって思ったわ なにが残念なのか意味わからんけど東郷や笠間のと比べると速習感は強いと思う
薬丸になると新陰流要素あそこまで薄まるのは不思議 逆に膝のえましなんかは薬丸になって新陰流よりも更に強調されるから一概に言えないかも
やっぱり根底は野太刀術なんだよ >>127
何故、簡易習得版示現流だと断言できるのかな?根拠は何だろう?東郷と薬丸を相当な年数をかけて稽古した上で比較し断言しているのだろうか?
過疎板に珍しく書込みがあって嬉しく感じる反面、あなたの発言には根拠がなく、疑問しかわかないことが残念に感じる。 示現流は香取神道流系統で、
それに肝付の家伝の野太刀流をミックスしたのが野太刀自顕流で、
新陰流云々はその何とか流じゃないの?
実際、技術的にどっちの示現流も新陰流とは別ものだし、
示現流の組太刀の相手方はタイ捨流けど、タイ→大流(新陰流)という説もあるくらいで新陰流っぽくないし。 構え一つとっても野太刀の慣性に対応する為なのが良くわかるしね
身体の使い方なんて本当にダイナミック
示現流の方が色々コンパクト >>133
いや普通に推測っていうか印象垂れ流してるだけだからね
ただ幕末にいたっても十二打やってるんなら薬丸自顕流として分派したのはやっぱり相当江戸後期に近づいてからじゃない?
その家伝の野太刀とか薬丸自顕流草創期の史料って残ってる?
>>134
示現流のエンピはやっぱり新陰流系の臭いしない?
むしろ神道流との類似点がよくわからない
どの辺似てる? >>136
横木打ちや右手伸ばして構えるのが既に野太刀を想定したものなんでねぇ
新陰流と似てると言われても足の位置も逆だし膝のえましも示現流は使わないからなんとも
小手打ちが多いのは似てると言えなくもないけど >>136
133だけど、あなたの主張全てか「想像」か「らしい」だけですよ。自顕流の資料は鹿児島の博物館に保存されて誰も見れないはずです。ですから古老より口伝を引継いでいます。それより、十二打の件のエビデンスを示してください。 十二打ちを、していたなんて聞いたことない。していたとしたら兼武の代以前かもな。
まぁ、野太刀流なんてものはないし、野太刀のの技が伝わって云々も箔づけだろうが、平時の時から野太刀を常に床の間などに備えていたのは事実。
といっても、本来の三尺ものではなく定寸よりやや長めの長刀を野太刀といっていたらしい。 >>138
>133だけど、あなたの主張全てか「想像」か「らしい」だけですよ。
いやだからそう言ってんじゃん
別に聞いた話から思ったこと書き込んだだけで別に新説ぶちあげたつもりも議論してるつもりもねえよ
十二打ちやってたってのはツイでみんみんか誰かが言ってたのをみただけ >>139
戦国〜江戸初期と江戸後期だと太刀も打刀も小太刀も寸法ちがうらしいしね >>141
新刀と新々刀のことを言ってるのかな?
太刀と打刀はそもそもの形状が違うし、寸法などは打刀でも、時代や刀工に国によっても様々だよ。 「薩摩の長刀」ってやつですな。
>>136
日本剣術の源流と言われる香取神道流ですけど、神道流系統と名乗る剣術には共通項がないのが神道流系統の特徴ですね。
ただ、香取神道流と示現流には「蜻蛉」や「一つの太刀」と言った名称の共通項があるくらいです(というか失伝した技法の正体が示現流のそれでは?という説がある)。
というか、東郷の師の善吉和尚が神道流から分かれて7代目とか言ってたから神道流系統に区分するぐらいの感じですよね。 >>143
一つの太刀は卜伝以降であって飯篠家の香取神道流にはなくない?
蜻蛉はいまはないけど昔の目録見るとあった気はする 薬丸に関しては蜻蛉と言うより大蜻蛉
ちゃんと野太刀用にアレンジされてるのにはくづけも何もないだろうに その大蜻蛉=野太刀仕様って言説どこで確認できますか? 野太刀振ってみりゃわかるんでない?
普通の太刀とかかる慣性が全然違うんで
同じ用に振れない
特に戦場での使い方は馬上で馬を走らせながら撫で斬りにするか歩兵に隊列組ませて上から叩きつけるかの使い方だし薩摩は後者をよく用いた
ちゃんと薬丸は慣性がかからない野太刀用の構え方振り方やってる 馬上で野太刀なんて振れないよ。
馬上で振るのは片手打。
末備前の佑定など茎が短いのも片手打だから。 野太刀が出てきたのは、戦い方が馬を降りての
徒士中心になってからのこと。
そのあと長巻や槍が出てきたから野太刀の出番は短いものだったけどね。 そもそも三尺の野太刀で抜きなんか出来ないし。
だから、長刀を野太刀といい長さも通常の三尺ではなく乳の高さと伝えられているのだろう。 >>147
だから撫で斬りと言ってるでしょ
まこの使い方は長巻きの原型としてだけど 高トンボは香取神道流の巻き打ちのように、
兜の鍬形に当たらないように振るのかも?
まあ、これも根拠ってかソースはないけど。 >>147
いや現代人がやってみた感想じゃなくてそういう文言が残っているのかなと思って >>153
文献は知らんけど薩摩の太刀部隊とかは記録残ってるんじゃない? >>154
示現流の蜻蛉は打刀だけど薬丸の構は野太刀使いになおしたものだって?そんなこと記録読んでも知れないでしょ というか示現流の方は刃筋を人中路に立てるけど薬丸の方は地中まで打ち込むつもりで叩きつけるよね
あきらかに野太刀や長刀を想定したものでしょ >>155
一般的に刀身が長くなるほどスナップを効かさなくするのがセオリーだけど示現流は手首固定の肘スナップ
薬丸流は肘固定の肩スナップを使う >>156
そんなことしたら、簡単に折れますよ。
刀はむちゃくちゃ脆いからね >>151
だから。撫で切りしか使えない野太刀に抜きなんて技は整合性がないということ。 >>159
なんか勘違いしてるみたいだけど三尺くらいの野太刀なら抜き打ちは普通に可能
五尺くらいの大太刀なら無理があるけど
薬丸の技術は薩摩の長刀使うにあたって理にかなってるよ >>160
打ちこむつもりでも、普段の自顕流の打ち込みのように切っ先を返して振ってたらアウトね。 >>161
木刀ならね。
真剣で考えているので。
定寸でも幕末の新々刀だと身幅や重ねが厚いのが多くて、重さが200gくらいのもザラにあるが片手の抜き打ちは至難の技。
それを、三尺なんて重さを考えたら無理。 あと、右手と左手を離して肘をつける持ち方をするが、あんなに柄が長いのは薩摩拵えでもほとんどない。
実際は通常の柄の長さが薩摩でもほとんど。 >>153
薬丸は関係文献を戸山の陸軍の何とか研究所に貸し出してる時に全部火災で焼失したから、
文献記録の類は無いんですよ。 >>165
研究所ではなく戸山学校ね。
でも、全て兼教さんが持っていってた訳じゃないよ。
なので、兼吉さんの孫の樋之口さんが黎明館にきたく >>162
なので示現流は刃筋立てるのが難しいけど薬丸は完全固定して刃筋立てやすくしてる >>163
手だけで抜こうとしたら無理だけど
あれだけ全身使えば普通に出来る
試してみたら一発でわかる >>168
刃筋を立てるのと、切っ先を返すのは又別の話。 >>169
新々刀の重ねと身幅のあるかなりズッシリしたもので、抜きの要領で試斬してください。
すぐにわかります。 >>172
薩摩新々刀、元平や正幸などは高価なので試斬にはもったいないですが、同じような姿の重さが200g前後の刀は無銘ならあります。
長くても二尺五寸くらいで三尺なんてものはありません。
それでも、ズッシリときます。上から片手で袈裟斬りはなんとか出来ましたが、下から片手での逆袈裟は振り上げるのが精一杯で斬るまでいきませんでした。
両手なら可能でした。
なので、三尺なら相当の重さです。腰に差しても結構な重さです。 野太刀の操法を元にとしても、それは上からの打ち込みの事だと思います。
しかし、抜きのような片手の操作は野太刀や大太刀などの大きなものには無理があります。
そもそも、本来の野太刀は佩くことはせず担ぐか従者にもってもらっていたからです。 >>173
寝惚け眼で一言、揚げ足取りで悪いけど抜身で200g位って短刀とういか懐剣くらすだよ。ツッコミ待ち?オイラの現代刀、2尺5寸弱で抜身1350gで、片手の逆袈裟も歩み寄りながら片手で一帖畳表両断可。片手の袈裟もどこぞかの大会で意地悪されて1.5〜2帖巻出されたけど、歩み寄りながら両断したぜ。おやすみ >>173
200gは草
妄想で語ってるのが分かるな
定寸の刀で1kg弱あるんだがw >>176
確かに0が一つ抜けてました(笑)
2000gいわゆる2キロです。
1350gなら可能でしょうね。
新々刀は現代より身幅や重ねが厚いのでもっと重いですよ。
それに話は3尺でという話なので(笑) ちょうど私が使用しているのが、2キロの新々刀なので想像で話してる訳じゃないですよ。
試斬で使用しているので。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています