合気(合気道、大東流、八光流etc.)総合
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幅広く合気を語りましょう。
少林寺、空手、中国武術、古流等々歓迎。
他流批判、宣伝、無関係な話題は節度をもって(他所で)お願いします。 深淵の色は 第七回 26ページ
佐川派は他流派の師範を倒したとか、有名な柔道○段を合気で封じたとか言っているが、
実は、趣味で合気道をやってる医者とかが相手だった(笑)
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 合気道四段だった木村健次郎医師は、佐川道場の白帯の門人や白帯の女性の門人にコロコロ転がされたのだそうだ(笑)
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 スパム行為だよな完全に
佐川派では他人に迷惑がられることをやれと教えてたのか? だいたい、合気道と確執があったのは師匠の佐川でお前にゃ何の関係も無いことなのに
師匠のマネして馬鹿じゃないのか
そんなくだらんことやってるヒマがあるなら腕磨けって、パンチ一発で地べたを這う最弱流派よ 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 佐川派もそもそもは
七十年代初頭まで合気道と普通に交流していたんだよね。
その遙か前から合気道の一部戦前派と大東流の一会派(仮に会派A)との交流があって
会派Aと佐川派+時宗派(いか佐川時宗派)との間に後継(本部)問題で角逐が生じ
関係が経年劣化をしたところに折りあしく会派Aと他の大東流一会派(仮に会派B)との交流ができた。
これを快しとせなんだ佐川時宗派が会派Bへ批判色を強め
あべこべに大東界にあって佐川時宗派に孤立化の機運が高まったため当初会派Aと親派だった合気会(正しくは既に会外の戦前派なので合気会を的にするのも実は的外れな話し)
へと(会派A憎しから)矛先を飛び火させ大東vs.合気会の構図へと仮想敵合気会を対置させることで
大東圏からの舌鋒をゆるめ佐川時宗派が自己保身を図ったというのが大まかな流れだね。厳密にはそういう空気を汲み取り過ぎた佐川派支部派がこの図式を強調(誇大解釈)しすぎた。
ようは元来有名無実に過ぎなんだ(遠縁同士の)いわく軋轢なる亡霊にただ踊らされている後世の一部が単にバカってわけだね。踊っているのは合気会の演武ならぬそういうバカのほう。
>>726ここだね。
http://www.pref.saitama.lg.jp/a0301/saitama-profile/donna.html
加藤派
↓
山田派→明治戸澤派→→→→→大正戸澤派→合気道(H十段→H師範→久十段→H名誉十段)
↓
廃県派→→→→→→→→↑
大枠こうだね。平井先生はまたご別人だね。 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 高橋賢は「大東流合気の真実」で
佐川幸義の合気は武田惣角の合気の10倍凄いと書いてるが、
実は、高橋賢や木村達雄だけじゃなく、佐川幸義自身も、
相手が幼稚園児・小学生や女性のときに全然合気がかからないことが何度もあった。
この場合は、チカラで押し切ってごまかしていた(相手が幼稚園児・小学生や女性なので)。 深淵の色は 第七回 26ページ
佐川派は他流派の師範を倒したとか、有名な柔道○段を合気で封じたとか言っているが、
実は、趣味で合気道をやってる医者とかが相手だった(笑)
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 植芝盛平が自筆で「大東流合気」と書いた書面は、
植芝盛平が大東流合気という言葉を使い出したという証拠にはなり得るが、
佐川派が大東流合気という言葉を使い出したという証拠には全くならない。
それが分からない頭のいかれた集団が佐川派(代表例:保江)。 深淵の色は 第七回 26ページ
佐川派は他流派の師範を倒したとか、有名な柔道○段を合気で封じたとか言っているが、
実は、趣味で合気道をやってる医者とかが相手だった(笑)
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101
佐川派もう終わってね?
当時、大東合気武術 佐川道場の門人は、趣味で通っている人か、学芸大の部活の人だけだね。
職業武道家が入門出来る様になったのは、ずっと後の事だね。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 > 植芝盛平が自筆で「大東流合気」と書いた書面は、
> 植芝盛平が大東流合気という言葉を使い出したという証拠にはなり得るが、
> 佐川派が大東流合気という言葉を使い出したという証拠には全くならない。
> それが分からない頭のいかれた集団が佐川派(代表例:保江)。
君は文盲かね? その武田惣角先生の英名録の資料を「合気ニュース」という雑誌に提供したのは武田時宗 宗家だよ。
文面は、植芝盛平が大東合気柔術の武田大先生の教授代理になったという事、
植芝盛平が武田大先生から大東流合気柔術の御信用之手を習ったという事だね。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg > 高橋賢は「大東流合気の真実」で
> 佐川幸義の合気は武田惣角の合気の10倍凄いと書いてるが、
> 実は、高橋賢や木村達雄だけじゃなく、佐川幸義自身も、
> 相手が幼稚園児・小学生や女性のときに全然合気がかからないことが何度もあった。
> この場合は、チカラで押し切ってごまかしていた(相手が幼稚園児・小学生や女性なので)。
高橋賢さんの本に書いてあるのは、武田惣角先生の大東流合気柔術の一ヵ条から五ヵ条の5段階の階梯を、
佐川幸義先生は10段階に編成したという事だね。
佐川道場の入門条件は、高校生以上だったね。幼稚園児や小・中学生はいなかったね。 大円和流柔術の渡邉剛さんについては、渡邉剛さん自身、あまり資料を出していないから、大東流合気武術 佐川道場に通っていたのか、はっきりしていないね。
https://youtu.be/HbdcfIH5Jz8 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 佐川道場の成果
https://youtu.be/0p2CjowBcQk?t=8m39s
力づくでもみ合っている。何処にでもいるおじさんにしか見えないね
どこに他流を圧倒する力が?
ちなみにこの先生、盛岡よりも段位は上です。(笑) 保江さんは元元合気道の人で、木村さんのツテで佐川道場に入門したが、在籍時も月一回来る程度だったし、
離門後は冠光寺流を名乗って、合気道と一緒に活動しているらしいね。著書で武田惣角先生の悪口を書くようになってしまったから、
完全に古巣の合気道に戻ってしまったんだろう。 >>764
お前に証拠法の論理能力がないだけ。
書面の所有者が武田時宗とかは立証趣旨に全く関係ない。
立証趣旨は、「大東流合気」と、武術名に合気を付けたのが植芝が先か惣角が先かということ。
武田惣角が「大東流合気」と書いて、それに対して植芝が署名押印しているなら、
惣角が合気という言葉を武術名に使い始めたという証拠になり得るが、
「大東流合気」という言葉も含めて、全て植芝盛平が自分で書いている場合、
惣角が合気という言葉を先に武術名に使い始めたという立証趣旨に沿う証明力が論理的に存在しない。
惣角が「大東流合気」と書けという指示をしたという証拠が全くないから。
大東流柔術の署名録に植芝が植芝の判断で「合気」という言葉を武術名に付加した始まりとも判断できる。
どっちにも解釈できるものは証拠にならない。それが論理。他に証拠ねーし。
佐川派は論理無視するから恐い。人間のスイッチを切るとか(笑) >>770
しょせん小説。原則フィクションの小説には全く証明力がない。
しかも、佐川派側の人間が書いてる小説なので証明力どころか証拠能力すら疑わしい。
中立的な立場の人間がブログで、
「(佐川派の)先生全員に手を取らせて頂きましたが、残念ながら「合気」というものを実感出来ませんでした。 」
「『身体の力を抜かれる、自在に操られる』という感覚は味わうことは出来ませんでした。 」
「とにかく、本に書いてあったような衝撃的なことは体感できなかったというのが私の感想です。」
(ブログ「押して忍ぶ武の道.club」より)
と明確に書いている。これが全て。 >(ブログ「押して忍ぶ武の道.club」より)
と明確に書いている。これが全て。
所詮、合気之術の修業に挫折したヘタレ(笑)
佐川幸義先生に会ったことすらない奴だろ。 >佐川派は論理無視するから恐い。
君は文盲かね? その武田惣角先生の英名録の資料を「合気ニュース」という雑誌に提供したのは武田時宗 宗家だよ。
文面は、植芝盛平が大東合気柔術の武田大先生の教授代理になったという事、
植芝盛平が武田大先生から大東流合気柔術の御信用之手を習ったという事だね。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg 御信用之手って夜露死苦みたいな感じで当時はかっこいいつもりだったんだろうか? 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 >>772
保江氏は、木村さんが筑波で主催する稽古会に主に参加してたんだよ
佐川道場のほうにも100回以上通って直伝も受けている
ウソばっかつくなよ
佐川に触れたこともないクセしやがって アホのふりすれば0.5秒反応が早くなるって素晴らしい発見ですね 木村さんの稽古に参加するのと、佐川先生がいらっしゃる道場での稽古では偉い違いだからね。 佐川のいる道場にも100回以上と言ってるだろ
だいたい、手も取らせてもらえないお前にとって佐川などいてもいなくても同じだ 合気之術は、直伝受けたら出来る様になる訳じゃないよ。
植芝盛平なんか武田惣角先生から何度も直伝受けているのに合気之術が出来る様にならなかったんだから。
植芝盛平が合気之術が出来なかったのは動画を見ても分かるし、
今の合気道の師範、黒帯と手合わせしても全然合気之術が出来ないからね。
佐川道場に通う意味は、まず佐川幸義先生の技を見られる事。そして、佐川幸義先生からのアドバイス、叱咤激励を受けられる事だね。
佐川幸義先生から直伝を受けられる事に越した事は無いんだが、お金も掛かったそうだし、それだけでは強くならないんだよ。
自分で工夫して鍛錬を積まなければね。
また、佐川幸義先生の技はずば抜けていたけれど、佐川幸義先生の技だけが合気之術だとは私は考えていないからね。
他の各派の大東流合気柔術の先生方の技も、私は参考にさせて頂いているよ。 合気を受けたことのないお前に合気がどういうものか理解できる訳ないだろう
お前に出来ることは他人の悪口くらいだアホ 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 直伝には、人となりと習熟度が必要だから
根性曲がりでヘタクソで弱いお前には許可がでなかったんだよ
最後は破門になってる、佐川の葬式にも参加しない、させてもらえないで
何が弟子だ笑わせんなよ > 合気を受けたことのないお前に合気がどういうものか理解できる訳ないだろう
> お前に出来ることは他人の悪口くらいだアホ
私は、佐川幸義先生の技だけが合気之術だとは考えていないと言ったでしょ。
筑波の関係の人達は、木村達雄さんだけが合気之術を受け継いだと本に書いたりもしているけど、私はそれは間違っていると考えているし、
佐川道場の頃、佐川幸義先生の指示で木村達雄さんを何度か投げてしまった事もあったからね。
筑波の人達は、木村達雄さんは押しても引いても倒せないと嘆いていたけどね。
結局、私は佐川幸義先生に入門したという頭だったが、筑波の人達は木村達雄さんの弟子みたいな形だったからね。 > 直伝には、人となりと習熟度が必要だから
> 根性曲がりでヘタクソで弱いお前には許可がでなかったんだよ
> 最後は破門になってる、佐川の葬式にも参加しない、させてもらえないで
> 何が弟子だ笑わせんなよ
いや、直伝というのは習熟度や人となりではなく金だったんだよ。
武田惣角先生の講習もそうだし、佐川幸義先生も大東流合気柔術が仕事だったのだからね。
骨法の堀辺正史が佐川幸義先生の三元直伝なのを見れば分かるでしょ。
国分寺の金持ちで十元師範の内野さんとか、私が殴ったら一発で死んじゃうよ。 木村さんがお前に投げられる程度なら、それを投げる佐川は全然大したことない事になるよな
一体、何を根拠に凄いと思っちゃったの?(笑)
実質、佐川が書いた本には「白帯でも他流を圧倒」「実力本位で段位を発行」と
ハッキリ書いてあるのに、お前の主張を受け入れるなら佐川はウソつきだったということに
なるがそれを認めるのか? 私が佐川幸義先生の指示で木村達雄さんを何度か投げてしまったのは、私が佐川道場で黒帯になった頃の話だよ。 >>752
有りがとうございます。
>佐川派もそもそもは七十年代初頭まで合気道と普通に交流していたんだよね。
貴重な情報ですね。 >>795
当時の木村さんの段位は少なくとも準四段か四段だろう、遥かに段位が上の木村さんを
初段を取ったばかりのお前がどうして投げられるの?
これは「実力本位で段位を発行」という記述と明らかに矛盾することになるよな
保江氏についてお前は、例外、例外と都合の良い言い訳を繰り返してるが
本人が100回以上通って黒帯を取得しているとしているので事実誤認、事実関係を確認した上で
テレビ番組での様子と「白帯でも他流を圧倒」という記述が矛盾
仮に、お前の言う通り白帯以下で段位を出していた事実がある場合は「実力本位で…」と
重ねて矛盾が生ずる
結論:佐川道場は病的なウソつきの集まりか、或いは白帯でも他流派の高段者、指導者クラスを圧倒※
有段者ともなればMMAの一流選手相手に完全勝利できるレベル※ということになるね。(笑)
※「現代武道のトップにいる大柄な人が白帯3人にいくら抵抗してもやられてしまい」
※「直伝とも言えば大したものである」
(著作より) >>796
佐川氏から戦後初めてインタビューをとったのも合気道の方でした。 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 5ちゃんで信者がコピペ貼りまくるしか能の無い
佐川派は実際は大したことがない。
佐川派の合気にかかることに慣れるまでは初心者には手を取らせず、
高弟だけが佐川の合気にかかりまくる大東流合気道の柳龍拳と基本同類か。
佐川派の誰が相手したって、国体出場レベル程度のボクサーや空手家が本気で攻撃してきたら
ボコボコにされるだけ。
戦わないから負けないというマジックと、それにハエのように寄ってくるオカルト武術信者。
オウム真理教とオウム信者の関係に似すぎて恐いな。 合気だ達人だと宣伝しても、
実際には「合気の正体は稽古のシキタリ」らしい。
ブログ「押して忍ぶ武の道.club」 より
”何かをみて入門してきた新人で先輩の技をまともに受けず掛からないように抵抗していると、
先生が門人に変わり投げ飛ばしながら「弱いくせに抵抗して!」と凄い剣幕で怒っていたこともありました。
たぶんその新人は本当の「合気」を体験したかったのだが、
稽古のシキタリを知らずに先輩の技に掛 かってあげなかっただけのことだと思います。”
>>794
ウソつきバカの空想癖も、ここまで来ると救いようがない。
佐川派めっちゃくちゃ。
佐川は自分で本なんか書いてない(笑)
佐川が書いた本なんて、この世に存在しない(大笑)
佐川派関係の書籍はウソが書いてあるので裁判で負けてるよ。
東京高等裁判所平成24年10月28日(平成○○年(ネ)第○○○号)
第1審原告 吉丸慶雪こと吉丸貞雄
第1審被告 株式会社福昌堂 代表者代表取締役○○○○
第1審被告 高橋賢
和解条項 (東京高等裁判所平成24年10月28日(平成○○年(ネ)第○○○号)和解調書より抜粋)
1 第1審被告らは、第1審原告に対し、第1審被告福昌堂の発行する、第1審高橋賢の著作に係る著作物である「佐川幸義先生伝 大東流合気の真実」
(以下「本件著作物」という。)第3章「佐川道場体験記」中の記述を、本件和解成立日以降発行するものにつき、以下のとおり変更する(頁数及び行数は、
第1審被告福昌堂発行の本件著作物初版第1刷による。)
(1)159頁1行目の「身長180センチを超す巨漢を赤子の手をひねるように投げる」を「○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○」と変更する。
(2)同頁2行目の「身長1メートル80センチを超える巨漢・吉丸貞雄さん」を「体格の立派な先輩」と変更する。
(3)〜(22)省略
(23)○頁2行目から3行目の「いかに突き蹴りが速く威力があろうと、」を削除する。
(24)〜(26)省略
(27)同163頁6行目冒頭から同頁15行目までの記述を削除する。
2 省略
3 第1審被告高橋賢は、第1審原告に対し、解決金として金○○万円の支払義務があることを認める。
4 第1審被告高橋賢は、第1審原告に対し、前項の金員を、平成24年11月12日限り、第1審原告の指定する次の口座に振り込んで支払う。
ただし、振込手数料は第1審被告高橋賢の負担とする。
○○○銀行○○○支店
普通預金口座(口座番号○○○○○○○○)
口座名義 ○○○○○○
5(1)第1審原告及び利害関係人と第1審被告高橋賢とは、今後、相互に、相手方及びその指導する流派に対して、誹謗中傷に当たる言動やその活動に干渉し又はこれを妨害する行為をしないこと及び第三者をしてこれらの行為を行わせないことを約束する。
(2)(3)省略
6〜9 省略
10 訴訟費用及び和解費用は、第1、2審を通じて、各自の負担とする。 佐川派が起こした裁判は完全敗訴しているし。
横浜地方裁判所相模原支部 平成24年3月28日判決言渡し(平成22年(ワ)第○○○号 損害賠償等請求事件)
原告 大東流合気佐門会 同代表理事内野孝治
原告 高橋賢
被告 吉丸慶雪こと吉丸貞雄
被告 有満庄司
原告らの請求
1 被告吉丸貞雄は、原告大東流合気佐門会に対し、別紙書籍1乃至4記載の書籍を印刷、出版、製造、販売又は頒布してはならない。
2 被告らは、原告大東流合気佐門会に対し、別紙DVD目録1乃至3記載の各DVD商品を製造し、販売してはならない。
3 被告らは、原告大東流合気佐門会に対し、別紙WEBサイト目録2及び3記載の「木村達雄先生の質問状」及び「吉丸慶雪談」を削除せよ。
4 被告らは、原告大東流佐門会に対し、連帯して金600万円及びこれに対する平成22年5月9日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
5 被告らは、原告高橋賢に対し、別紙WEBサイト目録1記載の「高橋賢先生新著作」を削除せよ。
6 被告らは、原告高橋賢に対し、連帯して金200万円及びこれに対する平成22年5月9日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
7 訴訟費用は被告らの負担とする。
8 4項及び6項につき仮執行宣言。
判 決
1 原告らの請求を全て棄却する。
2 訴訟費用は、原告らの負担とする。
皆 手と手を取るふりして
引きずり落とす時を探り合う日々
なあ 愚か者たちよ 嫉妬なんか醜いよ
もう一度だけ考えてみたって
なあ 愚か者たちよ
ここがおそらく最後の分かれ道だ
乗るか降りるか お前なら さあどうする 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 >>806
『透明な力』は佐川の存命中に、佐川の厳しい検査を通過して出版に至ったんだぞ
ちゃんとそれは本に書いてある。そんな基本的認識も欠けてるのに横から話に参加してくんなよ
頭大丈夫かお前? >>794
木村達雄さんを俺が投げた時と、佐川幸義先生が木村達雄さんや高弟を投げていたのでは、凄まじさが違うと言えば分かるかな?
まあ、その場に居なかった人には分からない事だけどね。 佐川にいつまでもブランド力があると思ってるのはお前らだけ
今や世間的には試合をやなかったので失態を演じなかった柳龍拳という評価しか無い そりゃ、先生の権威に恐れ入って自らぶっ飛んで行ったら凄まじさも違うわな(笑) 西野流や柳の道場でも、先生にはとても敵わない!と本気で信じてぶっ飛んでたやつが大勢いた訳だからね
相手に触れない気功的なパフォーマンスでないというだけで生じてる現象自体は同様だ >>814
それが佐川の書いた本になるというところが佐川信者のアタマがイカれてるところ。
佐川の巻頭言や序文すらないのに
佐川が書いたって、バカじゃなかろか。武術家以前に社会人としての常識がない。 佐門会がウソを本に書いて、
吉丸慶雪との裁判で負け続けたので、本を出せなくなったため、
佐川派信者が5ちゃんで富木システムの師範が佐門会の白帯に負けたなどという
ウソまみれの都市伝説を振りまいている。 そもそも佐門会は、
佐門会トップの木村達雄が長野俊也との合気上げ勝負に負けて、
長野の著書やブログでさらされてるのに何の抗議もせず黙認した状態にあるのだから、
オカルト武術信者が何を言おうが、実は、もう終わっている。 >>815
木村達雄や高弟が投げられ上手なだけ。
やっぱ型武道やってる奴は見る目がないわ。 >>718
そんな県あったんですか?
社会科で習った事ないですね・・・・
縮地ですか。
合気道では高速の入身だと想像しますが、考えてみれば大東流には無いですね。
>>726
度井仲村w
>>786
ズバ抜けていたああ?
チンオ、佐川師の事「弱かったんだろ」「オレは超えてしまったんだよ」と言ってたじゃんw >>821
お前は、『透明な力』を読んだことがあるのか?
佐門会が本に書いたとかトンチンカンなことぬかしてるが、本は木村が佐川と相談のうえで書いたものだよ
そもそも佐門会が何なのかも理解できてないようだな
そんな中途半端な思いつきで佐川派批判に加わろうなんて10年早い、消えてなくなれ >>537
佐川師範はどこまでの技が出来たんですか?
前々々々・・・回の合気スレッドでご紹介した体験談の通り、私はオフ会で胸捕り体合気が出来ると云い張る人に会って結局同合気が体験できませんでした(自信の根拠が今でも謎です)。
佐川師範はこういう点どうでした? >>825 >本は木村が佐川と相談のうえで書いた
そんなこと佐川幸義はひと言も言ってない。
佐川本人が老衰化で動けなくなり、
正座や階段の上り下りすらできなくなって、
判断能力があるかどうかすら微妙な状態になりつつあったときに、
佐川幸義の弟の佐川廣を味方に付けて木村達雄が出した本の中で
佐川の許可を得たと木村達雄が自分で書いてるだけ。
本当に佐川の同意があったなら、
植芝盛平について、あんな書き方をするはずがないんだよ。
佐川幸義は、口や本で暴露するなんて、みっともないことはしない。
佐川の弟子達が、組織が巨大になった合気会なら、この程度までなら抗議もしてこないし、訴訟にもならないだろうと計算して書いてるウソ。
今まで佐川自身がずっと禁じてきたことをいきなり公開して良くなったなんて都合が良すぎ。
そういうのを世間では胡散臭いと言う。 透明なは出版後
師弟絶縁して了った問題作だし真に受ける物ではないよね。一アングルから管見して愉しむ冒険活劇としては中出来カナ。
ここ大手振って勘違いするメンツが多いけどあのテの迷著は武術家本人の信憑性(のみ)に還元される問題と限らないんよね。聞き書手や読手が自分の都合で情報を切貼りするから伝言ゲームが混線する訳。
木村タツオが嘘書いた可能性もあるから武術家自体が信頼できんって論理のセンもあろうけど木村タツオは嘘吐きというか頭が悪いってパターンだしそも武術家でないしさ。
>824物事の来歴って
これまあ武格業界でもそうだけど
多様な変遷を経(そして飽迄現時点で)目下のフェーズに到っている
というジェットコースタな見方が世間的に余りされん傾向があるよね。最初から今の関係性ありきとか思込んで了っとる。
タイムスケール大きな話しだけど911軍事衝突の起きた時米国土先住民族はテロと騒ぐ政府や国民に呆れていたんだよね。あんたらのテロでなかったのかと。
物が見えている彼らにとっては最初に米国ありきなどでなかった。イラクも夙うに別国家。世界は常に変動している。こういう認識って大事でないかな。
合気道史(前史)一つにしても神田区という今はなき地政的括りでみてゆくと色々新たな光りが当たってきたりするしね。入間県でいえば後に群馬県(や栃木領の一部)と統廃合されて熊谷県となった。
ここに新たな交流や複雑な伝承が生まれたんだ。
>縮地
山田八郎(山田治朗吉の師)の伝承という(オー)パーツなら散見するけどね。まだ史料上ハッキリ体系を括出すまでには至らない感じだね。
>佐川師の事「弱かったんだろ」「オレは超えてしまったんだよ」と
彼結局なにも実体験してんからね。最も大東流を信じてん人種だ。それが自分でもわかり切っているから決してオープンな場に出てこようとしないんだよね。
>826着衣で投げるとか佐川師せなんだね。あれ戦前派の合気道系と交流した大東流が飽迄演武で始めたものだし佐川師は否定的だったよ。
後年演武に採用したらしいけど。着衣で投げるのはここでもご芳名の出とるレベルの異なる方が本当にされていて壁に叩きつける烈しい技だったんだ。演武だと受がそこまでしたがらんしね。
これは軸ができんと不可能な業だね。軸ができとる基準は裸絞めで全力で絞められてそのまま振向いてしまえるという物になる。 >>828
チンオが最も大東流を信じていないとの文言、その通りだと思います。
挙げ手や四方投、その他様々技法論に、一度も載ってきた事が無いですからね。
僕は技術論が大好きで、14年にチンオが武板にブルンブルンと振り降りた初期は、楽しく技術の話を持ち掛けていました。
(ちなみにその様子を見て、ツクオは僕とチンオを同一人物と言っていた)
でもずっとイライラと人種差別とか書き連ねるだけで、なんだこのハゲ? と呆れてしまいました。
技術の話が出来ない者は、大東流の徒ではないと、僕は思います。
絞められて振り向くのは、ちょっと不可能ですね・・・・
こういうのじゃないんですよね、多分・・・・
https://www.youtube.com/watch?v=cJz7MFmKaCI >>829
>僕は技術論が大好き
技術論が交わせない
ものごとの論理が突き詰められない輩はそれだけで
贋者決定だろうね。
論理というといかにも5chの歴史的に
独りでぶつぶつとわけのわからないうわ言(実際には浅い内容)をつぶやき続け
周囲がそれに浅い論難をつづける浅い両成敗的な風物詩から毛嫌いされる傾向があるけど
そういうのと突き詰める論理をごっちゃにしている時点でもうステレオタイプであれかしとする昭和脳なんだよね。
同じ風景が繰り返されていてほしいとのぞみ
自身も同じ条件反射をのみ繰り返してしまう。
>でもずっとイライラと人種差別とか書き連ねるだけで、なんだこのハゲ? と呆れてしまいました。
これは苦笑せざるをえないね。
人種差別といえば彼には
韓国と北朝鮮と朝鮮の区別もついていないのだろうね。
>絞められて振り向く
その動画は・・・
演武だ・・・。
受けが添え手で真剣にリアルにキープしようとしていない
絞め手がゆるい
ワンサイドフックが外されて以降シングルバックへと移行していない
とかつっこみどころが満載なんだけど5chのレベルではこういうベーシックな検証以前に演武論とかの雑談へ往ってしまうんだよね。 ねえ盛鋳造
自分自身と会話してて虚しくならないの? >>831
他人に投影するんじゃなく、まずはご自身に問うてみては?
>>830
競技格闘技の技指導も、実は必ず演武になっちゃうんですよね。
これは人類に染みついた、ある意味ミスプログラムなのでしょう。
佐川派のよく言う「本気で抵抗する」は、このミスプラグラムを書き換えるべく真理の一端に、
不完全ながら触れたと言えるのかも知れません。 >>828
またも貴重なお話ありがとうございます。
荒らしている誰かと違って情報(視点)が面白いです。
>佐川師は否定的だった
指捕り合気上げ(投げ)はされましたか?
実は私、仙人スレで本気で指一本で投げられた中国本国での体験を書かせてもらったのですが、ああいうことは日本で可能なのかなと思いまして。
また佐川師範は具体的に何がどう凄い方だったのでしょうか?
誰かに聞いてもただ(演武が)凄い(演武が)凄いだけでサッパリ内情が伝わって来なかったもので。。 また信○か。さすが捏造の◯◯会は文章も滅茶苦茶で、気印じみてて怖いわ。 武田惣角が合気柔術という名称を先に唱え、それを植芝盛平がパクったという論は
2つの点で絶対的におかしい。
一つは、
武田惣角は直心影流と小野派一刀流を学び剣術でも名人だったというのが大東流側の触れ込み。
ところが、
直心影流と小野派一刀流では、「合気をはずせ」と言うように「合気」という言葉を悪い意味で使っている。
現代剣道も小野派一刀流の影響を強く受けているので、「合気」とは悪い意味で使っている。
自分の流派について、「ヤマト流」とか「大東流」とかの大層な名前を唱えていた惣角が、
悪い意味で使われていた合気という言葉を自分の武道名として積極的に使うわけがない。
もちろん、武田惣角が直心影流や小野派一刀流を習った剣の名人というのが全くのウソ話なら話は変わってくるが。
(この辺、大東流は自流の歴史・経緯についてウソ話が多すぎるので)
明治時代に、剣術のことを知らない奇術師が、気合いで人を動けなくする大道芸のことを合気術と言ってやり始め、この言葉使いが結構一般に浸透した。
実際、昭和になっても、この影響が残り、
昭和40年代頃までは、合気道と聞くと、気合いで相手を飛ばしたり、気合いで金縛りに書けたりする術だと思う人の方が一般人では多かった。
合気術師が気合いで人を金縛りにかける大道芸などを見て、
奇術師と同じように、正式に剣術を習ったことのない植芝盛平が、自分の武道に「合気」という言葉を使うことを何のためらいもなくできた。
その後、植芝が合気という言葉を武道名に使って有名になっているのを見て、
惣角が
植芝に合気を教えたのは俺だと言うために、惣角の武道にも合気という言葉を付すようになったというのが正しい。
武田惣角が直心影流や小野派一刀流を修行したのが全く嘘っぱちですというなら話は変わってくるが。 武田惣角が合気柔術という名称を先に唱え、それを植芝盛平がパクったという論は
2つの点で絶対的におかしい。というもう一つは、
植芝盛平が内心では武田惣角を軽蔑し、武田惣角と同じように見られたくないと意識があったこと。
武田惣角が大阪に来たときに、盛平が大阪からいなくなったのを、
大東流側では、盛平が逃げた的な書き方をしているが、
要は、これは、嫌いな上司がやってきたので居留守を使ったというのと同じ。
大東流側も合気道側もはっきりと書かないが、みんな分かっていること。
盛平は、それほど惣角を人格的には嫌っていたので、
自分の武道を公にするときには、
相生流(あいおいりゅう)というヘンテコな名称を使ったり、皇武武道という言い方をしたりと、
自分の武道を公にするのに、惣角が使った「大東流」という言葉を避けていた。
もし、惣角が合気柔術という言葉を生み出して使っていたなら、
あれほど人格的に惣角を嫌いで、「あんな人と一緒にされたくない」と思っていた盛平が
惣角が武道名に使っている「合気」という言葉を自分の武道名に使うわけがない。
武道名に「合気」という言葉を使い始めたのは、盛平だから、盛平は自分の武道を合気道と呼ぶことができた。
もし、惣角が自分の武道を合気柔術とか合気武道と名乗っていたら、
惣角と同視されたくないと思っていた盛平は、自分の武道名に「合気」という言葉を絶対に使わなかった。 植芝は、いままでの在来の武道とは全く異なる新しい武道だという触れ込みで合気道を教えようとしたのだから、
いままでの在来の武道が「合気柔術」とか名乗っていたら「合気道」などという言い方をするはずがない。
「大東流」という名称を自分の武道から削った意味がなくなる。
植芝や死んでから、佐川派が
「佐川幸義の稽古日誌のこことここに『合気』と書いてある。だから合気柔術と言い始めたのは植芝より惣角の方が先」
と言い出した。
しかし、これは全くの印象操作。
稽古日誌の標題に「合気術稽古日誌」とか書いてあるわけではない。
何百日分もある日誌の中の、ほんの2日分とか3日分の日誌に「合気」という言葉が出てくるにすぎない。
しかも、「合気」という言葉はあっても「合気柔術」とか「合気武道」という言葉は一切書いてない。
「合気」という言葉があるのは当然で、直心影流や小野派一刀流では江戸時代から稽古で「合気」という言葉を使っていたし、
明治時代には、奇術師が気合いで人を動けなくする大道芸を合気術とか言って、それが世間に広まっていたために、
「気合い」のことを「合気」と言う風潮もあった。
実際、大正11年発行の「日本武術大全」という書には「合気術」という項目があり、その中で気合いのかけ方を解説している。
なので、何百日分の日記の2日分や3日分の記載のごく一部に「合気」という言葉が書いてあっても、
それが惣角が自分の武道を合気柔術とか合気武道とか言っていたという証拠には全くならない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています