【伝統?】剣術・居合術・抜刀術総合スレ12【実戦】
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中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 >>363
思いこみだけの主義主張を申し立てたいならブログにでも書いてたら >>363
猫の妙術の一節を送ろう
「そもそも、あなたが修行したことは動作だけなので、あなたは未だ、狙う心があることから逃れられていないのです。
昔の方が動作を教えたのは、その道筋を理解させるためなのです。」 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 >>362
道徳の話題を振ったの俺だもん
どのぐらい習ったのって、そりゃアレだよ >>366
武術で道徳が身につくというのも思い込み、先入観、願望、妄想の類いでは?
証拠を示してくれと言ってるんですが。
>>367
これは道徳とは別の話な気がするのですが。道徳と関係あるのですか? >>360
>>370
証拠というのは表現がマズかった。武術で道徳が身につくという論拠を示してもらえませんか?
なるほどと思える筋が通っているものを。今迄、納得できる説を見聞きしたことがないもので。
道徳との分離を唱えているので、それっぽい HN を付けてみた。 >>371
まずお前のお説が思い込みじゃない証拠出せよ 武術では身に付かないよ
お前がやってるのは武術であって元々武道という認識もないんだろ
武術のみ追及したい人を止める理由もないし勝手にやればとしか
ただし武道に文句つけるのは筋違いだろ
武道やってない奴が道徳身に付かねーぞどう説明すんだと迫られてもそらお前武道やってないじゃんとしか 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 強ければそれでいいんだ力さえ有ればいいんだとひねくれて星を睨むのもいいけど
そこから一歩でも先を見ると道徳は身につくよりは身につけるさらに身につけさせる必要があるだろうな
・強さをアピールして就職する 将として兵を率いる 指南役におさまる
・独立して一流を興して大きくする 弟子を取る 授業料を取りスポンサーを得る
この辺を目標に考えるとむしろ自分の安泰な生活のためには
下のものに道徳を叩き込み太客にはこの人になら金払いたいと自分を尊敬させなければやっていけない 道徳や精神修養をお題目に立ち会いしない連中はすでに形骸化してるよな。 >>370
猫の妙術は剣道の本だけど、中身は全部道徳のことが書いてある。
同様に五輪の書も兵法家伝書も他の伝書も書いてあることは道徳。 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 地之巻に書いてあることはまぁ道徳っぽいが
兵法者としての職業倫理みたいだな
熱心に鍛錬に励んで広く世間を見なさい、って感じ
ちなみに
>>376
>・強さをアピールして就職する 将として兵を率いる 指南役におさまる
>・独立して一流を興して大きくする 弟子を取る 授業料を取りスポンサーを得る
こういう自分を、流派を売り物にするようなやり方を武蔵は嫌ってる 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 >>385
そういう武蔵は素晴らしいかもしれないが素晴らしいだけで終わってしまう
二天一流だか円明流だかわからないが結局ちゃんと続きはしなかったわけで 立憲・共産はじめ野党は厳しく批判し対案も出している。そんなことは報道を見るだけでも分かる。
にも関わらず、最低限の事実確認すらすっ飛ばしてに引き下げを決定した政府与党を批判するのではなく野党に難癖をつけるする。"安倍カルト”は本邦の政策議論にとり本当に害悪でしかないですね。
安倍政権下の各種施策を俯瞰すれば企業および資本家層の優遇と一般労働者や低所得者への増税・社会保障削減に向かっていることは明白でしょう。
にも関わらず、支持者の一部がその事実を認めようとせず無理やり政権を擁護したり野党に難癖つけているのです。カルトと全く同じですよ。
「野党はまともな政策議論をしろ!」とか言ってる人間の大半は国会中継や議事録どころか各種政策に関する報道すらまともにチェックしてないんです。
「政策議論をしろ!」と要求している人間がその政策議論を確認してないんですよ。完全にコントなんですよ。
そういうコントみたいな状況も無視できる程度の影響力しかもたないなら良いのですが、
実際は安倍政権や与党が意図的に利用し、政府寄りの識者やまとめサイト、J-NSC等のアカウントによって拡散され続けるのが現状ですよね。
そして、そういう連中は正確な情報を流されると困るのでマスコミ批判をセットで行う。
ここ10年ほどで完成したこの構造が現在の政治言論を歪めている主因なのだと思います。 >>387
二天一流も二天流も中央で流行らなかっただけで九州ではがっつり継承されてるやろ >>390
調べてみた。
牟田文之助(鉄人二刀流、全国を武者修行してる)
高橋筅次郎(幕末明治に二刀流で有名。田宮神剣流)
奥村左近太(高橋に触発されて奥村二刀流を創始)
宮崎長蔵(宮崎滔天の父親。二天一流)
宮部鼎蔵(池田屋襲撃で生き残る。二天一流)
ちょっと調べたらこれだけ出て来たから、もっといたのではないか。 剣術知らない人はやたらと二刀は使えないとか武蔵だけとか言いたがるけど二刀が伝わってる流派ってそこまで特殊じゃないよな
実際幕末で二刀が使われてたかはわからなきけどそもそも個々人がどういう戦法使ったかなんてたいてい伝わってないし スポーツの方が上
心身を鍛えられる
術より道が良い 武蔵という有名な剣豪が居ながらなぜ二刀流が流行らなかったのか?
興味深いな >>390
@河西忠左衛門
A永田太郎兵衛
共に彦根藩士で桜田門外の変で討ち死にした 少し前まで剣道で二刀禁止だったのは、二刀の方が強くて流行したからだよ。
基礎の一刀も練らんと勝ちに走ってどうするって事で。 単に打刀や太刀が長くて片手じゃ使いにくいからじゃないの。
脇差や短刀で試合することになって、一刀か二刀かどっちか選べって言われたら二刀にする人が多数派じゃないかな。
俺は元々空手畑の人間だけど、二丁鎌じゃなくて一丁鎌だったらすげえ不安だし。 二刀流。竹刀競技ならただワチャワチャしそうなだけだけど、真剣で脇差し投げてくるとかなったら手強いな 幕末で防具の試合が盛んになると打ち込みの強さが重要視されるから二刀はあんま使われなかったのかも
でも言うほど二刀って珍しくないよな
結構いろんな流派であるし 単純な話、両手持ちの太刀を
片手持ちの太刀で受け止められるかって話。
(戦力分散は大抵、悪手)
だから、二刀でやるとしたら
相手と太刀を合わせずに
シッチャカメッチャカにかき回すのが
良いんじゃないかと思う。
(相手に考えさせる前に手傷を負わせる感じで)
片手太刀でも、一回振る分だけなら早く強く振れる。
でも、それを器用に動かすのはキツい。
(一回は強く振れるから、片手太刀は弱くないと判断するのは危険。
マキ割りならそれでも良いかも知れないけど、大振りと大振りの間の
隙が大きく、細かいコントロールが効かないなら危険すぎる)
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24452.gif
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24453.gif
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24454.gif
剣道的かどうかをやたらこだわる人もいるけど
そういう事よりも、もっと基本的な剣の法則を
把握する事が大事なんじゃないだろうか?
物理法則は今も昔も変わらない。
結局のところ、今も昔も必要な時に必要な動作をするだけで。
剣道的でなければ剣術になるわけじゃないし、
柔道的でなければ柔術になるわけじゃない。
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24455.gif >>404
そうだね。
物理法則は変わらない。だからそこにかかれた不利な事は二刀流じゃやらないか、もしくはうまく使うよ。 >>404
振られた剣は両手持ちでも受け止められない
唯一、受け止められるのが二刀流の十字止め
キックは論外、新陰流で何を学んできたんだ そういう意味では桜田門外の護衛が二刀流だったのは訳があったのかもしれないね このスレの住人でどの流派であれ、二刀をまともに習った事があるヤシはいないって事だけは判った。 十字受けはカッコいいから昔から描かれがちだ。
でも、よくよく考えればわかるけど、
相手に左右に振られ際、
つねに片方の手しか働いてないんだよね。
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24459.gif
メリットが有りそうで実はない。
かりに挟んで敵の太刀を固める技として解釈しても
この絵みたいに、刃に返しが付いてない限り
相手が引けばすぐ外されてしまうものだし。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01833/he13_01833_0081/he13_01833_0081_p0016.jpg >>410
それでいいんだよ
受けたら、力が入ってない方で斬る >>412
それじゃあ、やっぱり片手で受ける事になり、
両手持ちに勝てるのか?って話 がっつりぶつかるように受けたら受けきれないけどそもそも一刀でもそんな受け方しなくないか? ん、十字受けの話なんじゃないの?
というか、どうせ片手で受け止めるなら、
最初から片手で受け止めればいいって話になりそうだ。
なんのために十字受けなんてするんだろうか? >>416
宮本武蔵、十字留めの実験をやってみた
すまん、お前ら。結果は受けられなかった >>419
待って受けるのではなく、五輪書に書いてあるように、こちらか首を挟みかけて攻撃するように受けるんだよ。待ってたら負けるのは両手でも一緒でしょ? 個々での左右の指定は、実際は逆にしても良いんじゃないかな。
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24472.gif
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24473.gif
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24474.gif
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24475.gif
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24476.gif
http://up2.cache.kouploader.jp/koups24477.gif
五方の構えを型にして、ほかの構えを
型にしないのは、なぜなんだろう?
(心臓を刺すとかも、やれば見栄え良さそうなのに)
https://www.youtube.com/watch?v=8Pxha0gqJQc#t=2m
むしろ、五方の構えの説明文は型として書かれてない気がするし。
本文は二刀の説明としては説明不足すぎる。
(古語は説明不足な事が多いけど、なお説明不足すぎる)
そして演武は結構、書かれてないオリジナルな事を入れてる。
練習用の型でなく、世間に披露するための型に思えるんだよね。
自分は武蔵はウソつきと見てるんだよね。
耳目を集めるために珍しい設定を設けて
実際はわりと普通の剣術なんじゃないかと。
戦歴とかも相当な水増しと見てる。三十年以上も前の事
確認できる関係者が亡くなってたり、人の記憶があいまいになりが
事実関係を有耶無耶にできるのを前提にして語ってるよね。
(勝負してきたのが28、9歳までの事で。
五輪の書をあらわした頃が60歳なんだから) >>423
キック君よ自分の妄想をここに書くのやめてくれや頼むわ 結局こういうガイジを排除できない(しても効果が薄い)のが
2ch型掲示板が下火になった理由なんだよな。
アカウントと発言が紐づけられていないから
スレを変えるだけで、以前の反論全てを無かったことに出来るし
一回でも反論がなく、それに騙される奴がいればガイジ側の勝ち
みたいなキチガイ有利のシステムになってしまった。
キック君も、たとえばtwitterとかでこれをやると
公開処刑されて晒し上げられるから、わざわざこっち来てやってるわけでしょ。
ここみたいに「決定的な否定をされることが無い」と分かってるコミニュティで
好き勝手に自説を垂れ流すの楽しいよね、わかるよ。
無為なオナニーだけどね。 「自分がこれまでのどの闘いも生き延びることが出来たのは本当に兵法の道理に従っていたからだろうか?」
っていう確認作業でもあるからな五輪書の執筆は
自分で自分にウソついてもしょーがない
強い奴は技が少ないというジンクスがあり、殺し合いという極限状況で人間がやれることも少ない
武蔵はそれが分かってたから「構えも技も5つもあれば充分」と言った
ついでに「技を増やして流派を高級そうに見せるのはナンセンス」とも言った(おそらく新陰流批判)
今の二天一流は妙に見栄えが良くて武蔵のポリシーに反してるっぽいが
創始者が死んで400年も経てばそうなる そいやあ幕末で実戦が復活したとき新陰流行使いって活躍したの? 幕末に新陰流ってあまり聞かないね
当時でも古流だったからかな
三大流派や野太刀示顕流、心形刀流、一刀流、無外流、新陰流の派生流派などは良く聞く >>422
十字留めに二刀流の本質が隠されていることがわかった >>428
長州系は結構新陰流学んでるけど、基本的に江戸も尾張も門外不出だったからな
実戦あったのかはしらないけど柳生厳周は長州征伐で出兵してる >>430
ああ、新陰流って柳生のことか
勘違いしてたわ >>414
神戸先生の春風館が新陰流の他に圓明流伝わってるって話だからそれでは >>432
ありがとうo(^o^)o
関東は色んな系統を選べていいねぇ 新陰流が見栄や趣き重視になっていったことからすると実戦が復活してみたら使い物にならない剣舞になってましたというオチと予想してる >>433
赤羽根先生は横浜あたりだけど春風館自体は名古屋やろ? >>435
昔テレビか何かで観たときは前蹴りしてたのぅ…。
二刀流は受け流しとカウンターを同時に出来るのが強みの一つかのう?
受けるのも踏み込んだり足捌き体捌きも伴ってまともに一刀を受け止めてたりはせんじゃろ。 二刀流ってしっかり練習しないと無様なことになる
すごく昔に異種武術の同好会みたいな動画で試合いろいろやってたけど
竹刀を二刀で持ってた人が牽制ていうか威嚇の振りをしただけで
床を打っちゃって取り落とすという恥ずかしい自爆を複数回やってた
当然そいつはろくに練習もしてなかったんだろうが
(剣道で上段片手面を使う人はそんな無様をやらないしね)
命のかかる実戦ではかなりな鍛錬積んでても同じことになる可能性はありそうじゃないか
力が入りすぎるのは目に見えてるわけで
あとその動画では盾+片手剣じゃ長柄にまるでかなわないのが印象的だった
槍に足→頭→足と薙ぎに来られたら対処の間に合わせようがないのが印象的
持久でも盾と剣を持った両手を前に出してるほうが腰で槍を構えてるよりきついだろうしな 最近、武士コン?とかだと二刀流の人は対多数・乱戦で生存率が高かった、って話を聞いた
まああと、二刀流なら二刀流に適した打刀の構え方・振り方があると思う
構えとやりようによっては、1振り目なら両手時と同等の剣速で振ったり突いたりできるし
……2動作目は無理だけど、1回だけでも敵剣を片手のみで弾ける剣勢があるのはデカイ >>437
左手が脇差や打根なら、槍相手でも軽装なら何とかなりそうな事とか?
あと左武器が投げれるなら、右手の打刀でガードや牽制しつつ、至近距離から左武器で投げるって手も 二刀流の利点?それは日本史上最強の剣士の指南書が残ってる事だよ 能や狂言みたいな悠長な型があるけど
江戸時代からしても
「型だけじゃダメ」みたいに言われてたのに
型としてみても、あんな型だと練習にもならないと思うんだよね
試合主流の流派からしたら笑われそう
むしろ、あの手のは能や狂言を参考にした明治頃の再現だったりしてね
相撲の女人禁制じゃないけど、明治のころに出来て
さも、昔からこうだったって顔してるものは結構ありそう 近所に 田宮流居合術と北辰一刀流があるんですがどちらを習えばいいか迷っています
より実戦的な方を習いたいんですが、両方の剣術としての利点や欠点などを教えていただけませんか? 居合に専念したいなら田宮流
居合から剣道までやりたいなら北辰一刀流 >>446
北辰ってどこの北辰?
O塚さんやK西さんのところだったらはっきり言ってインチキだし東武館のはちゃんとしてるけど復元だし ほう、北辰にも色々あるんだ
で、脈々と受け継がれている、という意味での正統はどこなの? >>448
東武館の復元は結構間違っている。
>>449
北辰は皆剣道に走ったからね。内藤高治とか門奈正とか小川金之助とか。
なので、武専出身の人だと北辰を名乗る人も居たけど、組太刀は殆どやってない。
そもそもこの3人も組太刀をどれだけやっていたかはアヤシイ。
伝わる話からは、門奈正は一刀流の術理を多少は理解して使えていたっぽい気がするけど。 幕末有名流派はブームになったぶんインチキ多いからなぁ
天然理心流とかももともと大半が加藤伊助の復元で新撰組ブーム前はちゃんとそう言って活動してたのに今ではその辺隠してる団体だらけ
神道無念流は関東の有信館はちゃんとやってる印象だけど中山博道伝だから幕末まんまの形で残ってるわけではなさそう 中山博道の師匠は根岸信五郎で、彼は練兵館の斎藤弥九郎の弟子なんだから、多少の変革はあっても幕末と全然違うってことはないだろう。 中山博道剣道口述集の組太刀の本数や内容と、根岸信五郎の弟子(博道の兄弟弟子)が書いた組太刀の解説書(小佐野淳が出版した武術伝書集に収録されてた)が全然違う。組太刀の本数が倍以上になってる。
根岸信五郎の弟子が解説してるものは、戸賀崎熊太郎の目録と本数が同じだった。
剣道口述集に根岸信五郎と中山博道の二代で改変した旨が書いてあったから、かなり違うのでは。 なるほど、でも形が増える分にはいい気がするけどなぁ。小佐野さんと有信館の立居合はだいぶ違うけど伝わり方で随分と変化するもんだね。 剣道で金が掛かって、北辰一刀流を習えないとか本末転倒だよね >>454
中山博道さんは日本武道の存続と発展に尽力した人だけど「古流形の保存」についてはあまり興味があったようには思わないわ
まぁそういう時代だったってことなんだろうけど 天然理心流は胡散臭いというよりフェアじゃないって感じかな
古流の看板あげる以上はどこまでが復元されたものでどこまでが継承された技なのかはっきりさせるのは重要だと思うけどどの団体も復元についてはまったく触れてない
>>446
田宮と北辰だっけ?
北辰の現状は上記の通りだし正直なところ田宮流も近世になって妻木先生がだいぶいじったようで紀州の伝書からみたら別物だとか
歴史とか過去から継承されてきた技とかに興味があるならどっちもオススメはしないわ
ただそういう背景が気にならないなら動画みるなり見学いくなりして技がかっこいい方とか道場の雰囲気が良い方とかで選べばいいよ
どこの道場も自分ところは実践的だと主張してるだろうし >>448
東武館の北辰は一度途絶えたけど、近年復元したという話を聞いたけど、詳しく知りたいです。 >>463
ここ道場自体はちゃんとしてるけど系譜がどうとかは部外者からはわからないわ
ちなみに何を求めて入門したいの?伝承されてきた技?喧嘩の強さ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています