木村政彦はなぜ 3
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>>147
木村がブラジルに行った時点で既に柔道は根付いてたよ、当時はブラジルに25万人の日系移民がいて、彼らが柔道場開いて指導してた
木村の来伯を記念してサンパウロ体育局とサンパウロ新聞が共催で柔道使節団歓迎柔道大会を開催(1951年7月28、29日)
大会には小野安一(木村の前にエリオと2回戦って2回引き分け)の小野道場を始め、サンパウロ市内の19の道場から100名以上の選手か出場した
サンパウロ市内だけでもこの数なので、日系移民コミニュティ中心とはいえそこそこの柔道熱があったのが分かる
ブラジル柔道の歴史も増田の殺さなかったのか?に詳しく書いてあるから機会があったら読んでみてはいかがか 木村はブラジルでは結構な歓迎ぶりで引っ張りだこだったらしい、日本人から毎晩差し入れ貰って豪遊
プロレスに加え、道場の看板書いて謝礼取る、紅白試合やらせて段位を与える
ブラジル巡業だけで現在の貨幣価値に換算してで3億円くらい稼いだとか
個人的に段位与えるって当時の講道館が一番嫌う事だけど、木村は既に柔道戻る気ゼロでやりたい放題になってた
プロレスは柔道なんかより楽に金が稼げると自伝の鬼の柔道にも書いてある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています