【拳聖】再考・拳道会&中村日出夫【空手十段】
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二十代の盧山が五十代の中村さんに勝てなかったというのは嘘ではないから強かったのは本当だろう
でもマスもそうだけど本当に強いにしても創作や虚飾を混ぜるのが昔の大物だな 師匠の実力を大げさに吹聴して自分を大きく見せようとするのもまた
武道の世界には広く見られる現象だね
岡本正剛先生の弟子なんて最初から先生に平服してるから
鮮やかにコロコロ投げられてるけどセミナーでは空気を読まないやつが
やって来るので失敗することもあったという
しかし、岡本先生は誰にでも手を取らせる分良心的だったほうだ
賢い先生になると信頼関係を築いた弟子にしか受けを取らせないからね
拳道会では誰でも中村先生に試合を挑めたのかな? >>578
柔道は
胴か脚を相手に掛けて
投げます。
胴も脚も相手に触れず
手だけで投げるのを
柔道では空気投と称び
絶えて遣う物のいない名人芸です。
武専を出た柔道家にも
この遣い手はいませんでした。
これが更に片手となると
もう超人と称ばざるをえません。
「柔道を基準にするなら」
そういう事になります。
相手がどんなに弱くても
片手で投げるのはほぼ不可能。
盧山氏
倉本氏が
どうしても出来ないのが
こう順を踏んで話すと
よく解かるんじゃないでしょうか。
盧山氏は
澤井先生や大山倍達に師事したものの
これが出来るかた
いなかったようです。 ところで
昭和11年11月発行『柔道年鑑』
P.374
有段者名簿に
「中村日出男」の名前があります。
これは中村先生なんでしょうか・・・・
「姜」という姓も数人いますが
そちらに下の名の一致は見られません。 >>583
ろ山さん倉本さんも空手家だから勢い良く上段突きや上段蹴りをした所を合気投げみたいに捌いて飛ばしたんじゃないの
捌かれてバランス崩して転がった事を言ってるかもね >>584
京大卒業前年だから中村先生だろうね
昭和5年には三高と武専に入学してるし、6年あれば段取るだろ >>583
中村先生が体得した八光流は大東流合気柔術の派生流派だから
柔道とはだいぶ違うはず 京大をでて土建屋になるというユニークな経歴の持ち主 >>588
消えろ自演魔
こんなとこまで出張してくんな気色が悪い >>588
八光流の門人になったのは
どうもだいぶ後年みたいですよ。
http://yoshiokajusei.web.fc2.com/mb/doctor.html
このかたと出会われたのが1975年か
それ以降。
とすると
1970年の時点じゃ
まだやってなかった可能性が
ありますね・・・・ 俺は、俺がホムセンで買ってきた木材を切られないと信じないね
誰それが本当だっていうから本当だとか、オウム麻原の空中浮揚みたいだよ危険だ その映像にも出てくるが空手の瓦は極端に強度を下げた試割り用のもんやからな
工務店とかでホントの瓦を知ってるやつはわかるだろうけど
試割りじゃない瓦なんてほぼ石とおなじくらいの強度があって手で割るなんてまず無理やで
それを重ねてパリパリとか大型のハンマー使っても絶対無理だから
(本物の瓦を割るっていう動画も沢山あるし見りゃわかる)
空手にはそういうウソが最初から存在してるのに中村の試割りだけがガチってのは
チグハグだし本物っぽく見えるからガチなんて幼稚なやつが多すぎ 盧山氏は
師事または対戦した先生に関し
大山倍達との組手経験は無く
カレンバッハにはボコボコにされた
澤井先生は相手をしてくれた
王樹金とスパーはしてない
中村先生はじかに立ち会ってくれて
投げられた―――
それぞれ
やった
やってない
勝敗
どういう技でを
細かくきちんと
証言し分けてます。
どんな道であれ
一流の人物とは
そういうものなのでしょう。
否定
礼賛
どっちの方向にせよ
盲目的
抽象的な話はしない。
私もおよばずながら
そのように在りたいものです。 現役バリバリだったのはカレンバッハだけで中村以外相手にしなかっただけだろ
大山と組み手やった弟子は強かったと証言してるよ
弟子になった時点で客観的な評価なんぞ成り立たない、いい加減学べオタ >>597
大山倍達は1923年生まれなので
盧山氏の入門した1963年
既に40ですから
若者と組手をしなかった
やれなかったのは自然な事でしょう。
昔(大昔)強かったのは
事実だと思います。
一緒に興行をしていた
誰あろう
強者中の強者
木村政彦が証言してますからね。
でも
それは50年代序盤の話です。
60年代になっても強かったなどと
SFを偽証しないところに
盧山氏の客観性が
表れてるんじゃないでしょうか。 >>598
そうじゃなくて、多くの弟子が大山と組手を実際やって凄かった達人だと証言してるんだよw
しかも世界選手権レベルの弟子がなw >>599
それは昔(大昔)の
40年代前半生まれか
更にさかのぼり
30年代生まれ
あるいはもっと古い
20年代生まれの
お弟子さんたちですよね。
40年代後半生まれ
山崎照朝
佐藤勝昭
東孝
といったお弟子さんの口からは
パタリと
証言が消えます。
弟子だからと云って
誰もが客観性を失うわけじゃなく
寧ろ律儀なほどそのへんは
証言が揃ってます。
盧山初雄も
そのお一人でしょう。
一道を成す人は思いのほか頭がいいですよ。 霊感商法に引っかかるタイプだなお前
ほんとに人間の力で垂木がスパッと切れると信じているのか
しかも片手で支えてるだけで持ってるやつを
斧使っても無理ですからw ・垂木が、解体で出た廃材の様に古い時がる
・ある雑誌の写真で垂木に線の様なものが入ってるのが写っていた
・不自然に粉の様な煙があがる細工がある
この3点で信じないけどねえ >>601
大山倍達を
いつまでも強かったわけじゃないと
きちんと認識する(出来ている)行為を
霊感商法って・・・・
あなたはどうも
誰かを盲目的に信仰してるようですね。
それこそ危ない宗教じゃないでしょうか。 >>604
垂木斬りを信じてるのがバカだと言ってるんだけど論点ずらすなよ
霊感商法のバカ
両手の支えすらない木が素手で斬れると思うのかお前
誰かを盲信する?妄想ですか?
大山が強かったのは事実だろう
でも、お前が思ってるようなプロレスやボクシングと対戦して無敗とか
牛を何頭も素手で撲殺したとか講談のような
荒唐無稽な強さではない
あと、山崎照朝が入門して大山に出会ったときまだ大山は40代なんだが
まだまだ壮年だし大山茂の頃にバチバチやってて
たったの十年そこそこで組手ができないほど弱体したのかよ >>605
今の40代と当時の40代は全然違うだろw >>575>>583
自分で考えてみたらどうだ。
盧山さんや倉本さんの時代は自分の経験が全てだったが、今の時代いくらでも情報がある。 盧山さんは突きを出したらあっという間に投げられてしまったと言っているが、実際には中村師範が突きを軽く払ったら盧山さんが身体ごと転倒したのだろう。
それを「投げられた」と言っているのだと思われる。
そのような受けは簡単だよ。
もっとも簡単というのは原理の事だ。
組手でやれたなら中村師範は間違いなく達人。 そういう受けは身体の使い方だ。
システマとかゼロコンバットなんとかがやってるやつ。
講習会で誰でも習える。 例えばこの動画でハゲのおっさんが相手のパンチを捌いている動き(4:35辺りから)。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=jVKD2juRiPY&feature=emb_logo
相手はパンチを軽く捌かれただけで大きく体勢を崩されている。
これを発展させていけば中村師範のように受けで相手を転倒させることも可能だと思われる。 >>605
中村先生に関し
私の「今の」投稿は
>>575からで
「垂木切」なんて単語
一言も出してませんよ。
大山倍達に関しては
牛を撲殺なんて話もね。
「盧山氏と63年以降
組手をする事が無かった」
これが
「いつまでも強いわけじゃなかった」です。
衰えに関しては
練習しないと
十年と云わず
あっというまに弱くなるでしょう。
そうなってしまい
弟子もそう証言してるのを
ウソだ認めたくないと
今どうこう言っても仕方ありません。
時間を巻き戻す事は出来ないのです。
貴方は大山倍達を宗教にしちゃってる。
私は理解出来る範囲で中村先生を捉えますが
貴方は妄信で宗教戦争をしに来てる・・・・? >>608-611
ご考察と動画の紹介
ありがとうございます。
面白かったです。
盧山氏は中村先生とのスパーを
幾度か話されていて
「片手で手首を掴まれて」と
仰ってた事があるんですよね・・・・
そこは倉本氏も
証言が一致します。
これは凄さがあまり伝わらない話で
(事実伝わらないため
ほぼ誰も話題に挙げません)
中村先生も演武に組み込んでなく
倉本氏もあくまでご自分の探究として
実は中村先生の名前すら出さず
この技の話をしてました。
つまり売りにしてないんで(なりません)
論理的には
真実の響きをおびます。
幸運にも
この技のひみつが解けたんで
はるか五十年も昔に解いてた中村先生に
私個人は敬礼。 大山倍達は膝を悪くしたというのもあるし
梶原一騎によってもち上げられすぎて下手なことが
できなくなったから早々に自分から神棚にあがっちゃったってのはあるだろうな。
第五回世界大会で型をやる、と言いだしただけで各支部長が反対した
くらい危なっかしかったんだろう。
極真のビルを建てるために金策に走ってるときにはもう彼の戦場は
自分が強くなることよりいち流派としてどこにも負けないでかい組織を
作ることに変わってたんだと思う。
それはもう大山倍達も認めてたことだろう。
若い時どれほど強かったかはめちゃくちゃ強かった、と信じたい。
その点中村日出夫はわからない。どこまで強かったのか、どの時点まで強かったのか 大山道場を作るまでは
自分が強くなる為だけに稽古して
あの写真の様なムキムキの肉体を維持していた
大山倍達強さのピーク
大山道場設立後は、空手を世界に広めるための活動にシフトし
海外を渡り歩いてる為
自己の鍛錬が疎かになり年もあり
若い時の過酷な稽古もあいまって
肉体と技術が急激に劣化し始め
あちこちの体にガタが出始める
極真会館本部設立後は
極真空手を世界一の組織にすることを主眼とし
自己の稽古は完全に辞め
組織拡大に全てのエネルギーを注ぐ
個人的にはこう見てる >>611
キックボクサーとスパーをやってなんもできなかったオッサンだなw >>617金儲け、事業拡大に頑張った人生も否定されるべきじゃないが
武道で金を稼がなかった人間の人生を無価値と断ずるのはどうかとおもうがねえ
金ないから恐喝や詐欺したってんならともかく 達人を分析するのが趣味でサンドバッグすら打ったことないヘタレ
生産性もなければ稼ぐ稼がない以前に社会的になんの価値もない人間 拳道伝説によると京大合格後将来の夢は判事か検事もしくは弁護士であったということだけど
戦前の法曹三者は現在とは社会的ステータスが違う。
弁護士は現在のように高い地位にはなく裁判所内でも裁判官や検察官より一段低い位置に居た。
弁護士の地位が上がって世間からも「先生」と呼ばれるようになったのは戦後のこと。
さらに検察官は裁判所の使い走りのような存在で現在のような強力な権限はなかった。
その上戦前も戦後も裁判官と検察官は日本国籍を有する日本人しか採用されないのだから
戦前の法曹三者は京大に合格した外国人が目指すような職業ではなかった。
それに垂木を割る時のスピードは時速1200キロと話していたようだが時速1200キロ
のスピードが発生した場合どういう現象が起きるのかを知らなかったのだろう。
いくら文系学部とはいえ基礎的な物理学の知識すら無い人が京大に合格することはないだろう。 実際に1200キロの加速がついたら手が吹き飛ぶのでは 時速1200kmってのはマグナム弾(拳銃弾)の射出速度とほぼ同程度のスピード
そんな速度で人体を衝突させたら手なんてばらばら吹き飛ぶ >>621
私は本業以外に
町道場で柔道の指導員をしてます。
去年12月
練習の帰りに撮った
柔道衣の写真です。
https://pbs.twimg.com/media/ELvRq22UEAA8U-Q.jpg
綺麗な真新しい
現役で稼働中なのが判る
一式ですよね。
見た目が中年だと
こんなカラー柔道衣は着られません。
つまり少なくとも見た目は現役という事です。
もちろん動きも現役です。
高校大学
スポーツ推薦で進学したんで。
いわゆるスポーツエリートでした。
あと
年始帰省した時みつけた
ひーじーちゃんの賞状です。
https://pbs.twimg.com/media/ENdZQ_cU4AE8cWv.jpg
親族は
特許
科学賞
ゴロゴロいます。 私も
部活しかやって来なかったから知識は無いけど
人とちがう発想があり
特許を持ってます。
・・・・ほんとはこんなの書きたくないけど
私が投げにやけに興味をいだいてる時点で
バックボーンを察するべきでした。
それ以上に
論理力や鋭い視点から。
貴方は失礼ながら
旧い話を出られないのを拝見するに
もう今は練習してない
ご年輩なのでしょう。
それ自体は責めないけれど(当たり前)
貴方はそれが自虐になり
発展し
「俺も周りも今は屍」
「だからくだを巻くだけ」
と思い込み
スレタイの人物に留まらず
スレの利用者にまで
不必要に悪口を浴びせるの
よくないですよ。
とりあえず
現在の稽古道具一式をアップして下さい。
むろん真新しいのです。 >>619
リンク先(>>617のリンク先)
ご覧頂くとお解かり頂けると思いますが
単に豪遊目的で私からお金を借りていた
つまり詐欺だったんですよ。
そういうのじゃない限り
まあそんなの余程おかしい例でしょうけど
財力の多寡で
私は人を判断しません。 >>625
町道場の指導員と親戚の自慢が取り柄か
わざわざ誰のかわからない勲章の写真までUPして
哀れなやつだな
カラー道着だから現役というのも意味不明な論理
感覚ズレてるんじゃないか?
上から目線で偉そうに合気の理論などのたまうなら
それを試合で体現してみろよと、馬鹿 だいたい爺さんが勲章もらってお前になんの関係があるのか
祖先でマウントとるやつほど哀れなのはいないよ
それを聞かされてる人から失笑を買ってることも分からないのか
わざわざ爺さんの賞状をネットにUPするとか笑う
そのうち家系は清和源氏だとか言い出してくると予想 軽量級の一流ボクサーのパンチの速さが時速30kらしい 画像上げてる人を批判するなら
自分の武道歴をUPしないと説得力ないで 道場の画像と爺さんの勲章がなんの説得力になると思ってんの?頭大丈夫か 人がーじゃなくて
自分の武道をだしてから言えってこと
お前さては武道経験も段持ちでもないクソザコヘタレか パパの自慢してイキったあげく
そのパパに頃されたヒキニートみたいなもん? >>635
道場じゃないですよ。
畳よくみて
ふちに色違いの生地
留められてるでしょ。
これは畳縁(たたみべり)と云って
柔道の畳には無いんですよ。
・・・・べつにマウントとりたいんじゃなく
普通に中村先生の話をしてただけなんですから
練習した事もないみたいに言ったり
社会になんの貢献もしてないみたいな事は
言わないほうがよろしいかと。
ああ
あと「自演」とも言ってましたか。(>>590) >>625-639
ここは拳道会総師中村日出夫先生スレなんで、自分の話や実家自慢は他でやってくれ 縦にながーい文章に文句言ってる人いないでしょ
そんなのは自分の言葉に酔いしれてるみたいで不快だと思われてるぞ
それでも反応してくれる人がいるんだから有り難いと思いなさい 普通に考えて素手で木材を切る事はできんわな
それを「物凄いスピード、1200キロで切る」と言うし
頭から信じる人は多かったわけだが・・・
けどやはり盲目的に信じるのはやばいよ
縦長文さんが自分で用意した木材を何度も切られたのならまだわかるがね
あと、物理的に無理だ!と言う人々に対して私は稽古現役ですとかは全く関係ないよ マグナム弾の弾速とおなじスピードで正拳や手刀をだすなんて
常識的に考えて不可能だとわらなければおかしい
そして自著に載せた力道山との写真は別人
しかもそれは空手のパフォーマンスを写したもので空手チョップを
教授している場面ですらなかった
これだけ並んで「組手だけは本物だった」と訴えられてもね
競技で結果を残した人でもないし判断材料が足りないことについては
沈黙しなければならない Youtubeコメント観てると面白い
当たったところと違うとこが切れている
突っ込みのコメントに、「木材は弱い所から折れるのです」と援護がある
物凄いスピードで切る・・のに違うところが折れるのは矛盾がありすぎる気がする
垂木の様なものを上からパワーで踏みつけて折るのなら、真ん中かもしれないしどこが裂けて折れるかはわからないが
鋭利に切るという事になると・・矛盾を感じる まだ若くて知識が無い頃はこんな達人が実在するのか!!って思ったけど、今となっては垂木があんな切れ方するわけ無いからインチキとしか思えない。
2ちゃんでバラされてた大工用のホチキス打ち込んで針、取って砥粉を塗ったやつにしか思えない。 >>642
よく>>621をご覧下さい。
「物理的に無理だ」
なんて文章ですか?
「こいつは練習もした事がない」
という主旨以外
書かれてませんが・・・・
私はその>>621に返信しました。
Q. こいつは練習もした事がない
A. 私は高校大学スポーツ推薦で
今も現役ですが?
___↑___
単にこういう会話が交わされただけです。
木材関係ありません。 そうだね
では、畳の自慢についてもういちど聞かせてくれないか 中村先生は1970年代
おそらく中盤
六十代になって始めたのが
なぜ八光流だったんでしょうね?
合気道や大東流じゃなく・・・・
その辺の技術観に
興味があります。 八光流はゲリラ的に全国回ってたし上原清吉も学んでいる
大東流や合気道のようにながい期間を経ずして短期間の講習により
ポイントだけを掴めるので人気があった
一流の指導者が長期間を割けるわけないし
別に不思議でもなんでもない >>650
上原先生は講習に
一度だけ
参加したそうですね。
八光流の奥山創始者が
上原先生にだけ技が掛からず
会報に
「沖縄の上原くんには驚いた」
と書いたそうです。
奥山氏は
弟子が大東流の武田惣角を絞め落としたのを
自著に書いた人で
つまりご性格が
必ずしも礼賛する人じゃなく
そう思うと
上原先生の技量は
よほど素晴らしかったんでしょう。
中村先生は>>591リンク先を見るに
修行場所が埼玉か東京
調べたら大宮か新宿になるんで
甲府からちょっと遠くないですか‥‥?
そんなに遠出してまで学びたい
何が
八光流にあったんでしょうね‥‥ 京大卒で日本のスパイ養成校で指導員を務めるほどの空手の達人が
戦後で就けた仕事が土方の一兵卒だもんな
日本の朝鮮人差別のひどさがわかる
第一次産業の在日の就職率の低さもそれを裏付ける 京大法学部でて土建屋ってあり得ないだろ普通
怪しすぎる 京大卒なんて嘘にきまってるでしょ
喉頭がんを焼け火箸で除去したってのも大嘘 ところで
中村先生の創った中村建設って
今あるんですかね・・・・?
創業時
甲府にあったそうなんで
「甲府 中村建設」で検索したら
若干ちかい地域に一社発見。
http://www.nakamura-kensetu.co.jp/kaisyagaiyou.html
1955年創立となってます。
・・・・でも>>297によれば
1937年なんですよね。
同名の会社
数十社のホムペを検索しても
創業年が同じの
見つかりませんでした。
今はもう無いんでしょうか。
それとも途中で
なにか別の業種に変わった・・・・?
拳道会が東京に進出したのと
これは無関係じゃないかも知れません。 >>655
土方じゃなくて大卒すぐに起業してんじゃんか
東大ホリエモンみたくベンチャー社長だろうが たしかに大卒で起業したなら当時でも見込みありそうだけどね
だけど中村の場合は京大ってのがまず疑われてるんだし普通に考えれば
もっと若い頃から土方やってて小さな工務店として独立した(これも可能性低そうだが)か
当時の事情を鑑みると身内の家業を継いだというパターンが最も自然だろう
学歴じゃなくて経験の世界だしベンチャーなんて概念は当時はないので
経験もないやつがゼロからなんてのは考え難い
だいたい、土建業なんて言っても小規模なものなら職人の斡旋所みたいな
もんだし個人事業に毛が生えたようなもんでも
一応会社だぞ。(笑) 『京都帝国大学卒業生名簿』が
国立国会図書館の
デジタルコレクションてのになってて
ウェブで視られます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1277558
でもこれ
昭和11年発行で
載ってるの
1936年3月の卒業生までなんですよね・・・・
あと一年後に本が出てれば
1937年3月卒業の
中村先生の名前が確認出来たのに (´・ω・`) 生前いろんな人に京大を首席で卒業したと話していたらしい。
他にも数十人の暴力団員を全員素手で叩きのめしたとかタバコを一日2・3百本吸ったとか冷静に考えれば
すぐに嘘だとわかる逸話を披露していたようだが嘘は大きい程バレにくいと思っていたのだろう。 「京大首席」と云えば
昨年三月の
京大経済学部首席は
62歳のお年寄りだったそうです。
https://twitter.com/s_mizutani1003/status/1103102670573690881
会社に勤めながら勉強したんだとか・・・・
若い私たちも
頑張らないといけませんね。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 映像見てる限りではインチキにしか見えないけど
蘆山、広重という達人と言っていいふたりが中村を尊敬して
いろいろ言及してるんだから間違いなかったんじゃないかね 組手の実力と垂木切りは分けて考えるべきだろう
盧山は組手で中村に屈服したかもしれないが垂木切りの真偽を
裏付けた訳ではない いやあ、組み手こそやったとは信じがたいな
蘆山が若いころでももうおじいちゃんだろう。
強ければ試し割りがインチキなんてたいした問題じゃない べつに盧山の言ってることを信じてる訳ではないよ
相手が凄い先生だという先入観があったら意識的、無意識的に手加減が
入らないとは言い切れないだろう
どんだけ強かったかにもよるが5-60代で競技選手と対等にやれるなら
通常はものすごいことだが達人とまでは言えない
それくらいでは中村の伝説は誇大だったということになる
競技選手を圧倒しなきゃな 現役の競技武道選手を転倒させて手首や腕を極めたオヤジ空手家
そこんところは、なかなか大したオヤジ それが事実ならなw
たしかに盧山との組手に応じたのは中村だけかもしれないが
弟子として教えを乞う立場である以上は手加減が入るのは普通のことだよ
たとえば、岡本正剛師範は人格者だったけどああいう技は
ラポールの関係にある弟子にしか効かない
何も知らないひとは自在に抵抗するし腕に覚えがある人には
ねじ伏せられてしまう
要は事情を知ってる人間にしか達人の技はかからない
先入観や師弟関係が正常な判断力を奪う。 >>672
とりあえず
もう一度>>596を眺めましょう。
誰か見落としてません?
相手してくれたの
本当に中村先生だけですか? >>672
とりあえず
もう一度>>596を眺めましょう。
誰か見落としてません?
相手してくれたの
本当に中村先生だけですか? >>676
投稿時間に0.01秒のズレも無いので
システム障害でしょう。
私が意図的に連投し
これが出来るわけありません。
それで>>596の見落としに
気づかれましたか。
直後>>597のコメントの時点で
なんかズレてるなと思いましたが。 インチキという意見は分かるんだが、演舞会のビデオでやってた、一回切って半分になったやつをまた正拳で半分に折ったのはどう細工すりゃいいの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています