【拳聖】再考・拳道会&中村日出夫【空手十段】
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原点の話に戻りたいな。
大山倍達はボクシングや「怪力法」に学んだウエイトトレーニング、数知れぬ喧嘩等を通じて
「技は力の中にあり」という名言を残し、また「ウチは空手の道場だから空手の基本を正確に
身に付けてくれ。でも大会では好きな様に戦え。」と言い、基礎訓練と組手は別物とハッキリ
区別がついていた。基本と実戦は別、という事をおおっぴらにして、故に極真は懐の深い所
があった。
また、「相手の側面に入る事」を重視して円の動きを奨励した。
翻って、中村先生は伝統派空手の範疇を超えているとは思えず、試し割りはともかく組手が
本当に強かったのかいまいち腑に落ちない。
盧山師範が勝てなかったのだとしたら、松濤館特有の前後の入りやカウンターなどに慣れて
おらず、対処出来なかったのではないか。
youtubeなどでUPされている盆踊りの様な型の演武からは「強さ」を感じない。
大会も「当てる松濤館」の様な感じで、修羅場にあって使い物になる空手には見えぬが。 あのグローブのような手をみればそれなりの修行はした人だと思うが
試割りのインパクトでそれ以外のことが誤魔化されてる感じは否めないよな そもそも武専の空手道師範って誰だったのかな
空手も柔術科に組み込まれていたらしいけど 以下のサイトに載ってたわ
凄い面子だな
1934年(昭和9年)
嘉納治五郎の提議により空手が(財)大日本武徳会の柔道部門に組み入れられる。
これを契機に多くの空手家が沖縄から本土に訪れる。(剛柔流始祖 宮城長順、糸東流始祖 摩文仁賢和、本部朝基・・・)和道会の前身である「大日本空手振興倶楽部」が、大塚博紀開祖により創設される(東京市神田区末広町)。
摩文仁 賢和 大阪に空手道場「養秀館」を開設(糸東流を名乗る)。
http://www.taekwondo-net.com/modules/note1/index.php?id=32 【訃報】オランダ格闘技の祖、ジョン・ブルミン氏が死去
https://efight.jp/news-20181219_315819
90年代にオランダへ取材に行った記者の話によれば、
どこのジムや道場に行っても、
極真の創始者である大山倍達氏と師範代の黒崎健時氏の写真が飾ってあったという。 拳道会は総連や朝鮮学校拳道院(空手部)との付き合いの関係か知らんが、ほか団体とあまり絡まないよな
それを補完するのがキックボクシングに選手出したり他団体の大会に参加する修已会な訳か 垂木の折れる部分に「砥の粉」が塗布してあるのはどう説明する?
写真でハッキリ写ってるのあるぞ。 あの位の太さの木なら切れても不思議ではないけどね
特筆すべきなのは切り口の滑らかさなんだよね >>494
うるせえな
誰だよ知らねえよそんなヤツ wniの鈴木里奈の脇くっさ
(6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
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', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
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https://twitter.com/ibuki_air
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>481
武専の話はしてたが、誰に習ったのかという質問に対してはなぜか頑なに思えるほどはぐらかしていた
師匠の名も言えないってのは怪しいしほんとに武専にいたのかも定かではない >>502
自分は摩文仁賢和に習ったと聞いたが
武専時代は糸東流立ち上げ前だった訳だけど
中村先生は南蛮殺到流も体得していたらしいのも摩文仁賢和との繋がりがあったからだろうね
ちなみに同年代だが金城裕氏とも技術交流あったらしいよ 朝鮮人が「見た」とか「聞いた」とか言っても誰も信じない 南蛮殺到流は陸軍中野学校で少し教えてたらしいが武専でもやってたのか 摩文仁賢和が藤田西湖から南蛮殺到流を習ったのは戦後らしいからその後ではないかと思ってるけど
中村先生は陸軍中野学校関係者とも親しかったのは事実 事実じゃなくて本人がそう主張してるだけだろ
ヤクザの事務所に乗り込んで制圧したとか言ってるような人物だから
武専にいたかどうかも依然として定かではない 本土の武道専門学校に初めて空手が導入されたのが昭和10年
しかし中村氏は昭和8年の時点で京大に通いながら既に指導員だったと主張してるね
昭和12年の名鑑には1名のみ昭和18年までに授与されたという錬士も武専の名鑑に
記録がないようだが。 興味深い記述があった
蔡長庚
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%A1%E9%95%B7%E5%BA%9A
力道山との対面とその後の写真悪用
蔡と力道山が対面したとき、蔡が技を実演しながら解説をしていき力道山もそれに倣った。 しかし、この際の実演は空手の実演であり、「空手チョップの講習」では無かった。 この時に撮影した写真が虚偽のコメントとともに掲載されることとなる。
本人による悪用
蔡は、自己の著書『鶴拳法』『唐手道の真髄』にこの時撮らせた写真を掲載した。しかし見出しには、力道山に「空手チョップ」を伝授する蔡先生、とつけた。
他人による悪用
前述の中村日出夫は、蔡の写真を自分の写真と偽って本に載せている(本に載せるだけでなく、事あらば本人がこの写真を持ち歩いて見せて歩くようである)。
福昌堂刊の『拳道伝説』ISBN 978-4892249037 159ページ、そして弟子が書いた、気天舎刊の『空手とは何か』ISBN 978-4795250666 279ページの写真がそれである。
中村が力道山に教えていると称するこの一葉の白黒写真は、実際には中村が写っている写真ではなく、蔡と力道山が写っている写真である(蔡・中村、共にメガネを常用。しかし顔の輪郭が違い、蔡のほうが顔が面長なので、注意すれば気づくはず)。
そしてこれは(上記のとおり)蔡が力道山に空手チョップを教えている写真ではそもそもないのである(ここでは、中村が力道山に空手を教えたことがあるかどうかは問わない)。
「中村が力道山に教えている写真」と称されるものは偽物であり、しかも二重の意味で偽物である。 テンプレにもあったがこの動画のリングの魂はよくよく検証する必要がある
石井館長もこの材木斬りだけは(インチキか力学的事実かも)わからないと言ってた
https://youtu.be/D7B_ZxWq79o >>514
こうやって見るとやっぱ無いよなぁってのが正直なところ。
当たった瞬間に繊維から切れてるもんなー。
昔、2ちゃんにホチキス、バンバン打ち込んで針抜いて砥粉塗って誤魔化してるインチキだって垂れ込み有ったけど、本当にそうとしか思えないな。 同じことを拳道会の高弟でもできないってところがね
倉本さんでも無理だろう
弟子は極真の先日本で三回戦まで行って倒されなかったり強い人はいるけど 中村氏は力道山との写真の件で既に前科があるから説得力に欠けるわな >>518
wikiに乗ってるるし比較した写真も散々出回ってる
>>516
倉本さんはやってるな
中村さんと同じように粉を吹いてるのところが胡散臭いが
力任せでいってるから木の材質によっては可能かもしれない
https://youtu.be/hf-s0cPM3tI >>519
粉上がり過ぎだな。
松井派の演武で瀬戸口支部長が手刀で垂木を折ったけど、こっちはあんなに粉吹いてないし本当っぽく見えた。 片手で持ってるだけで支えが定まってないのまでスパッといくのはどうにも解せないな 空手家としてはともかく喧嘩が強かったとか、そんなんでもいいから
実証なり証言がほしいな。まったくのニセモノだったというのは
正直望んでない 石井館長も反響が怖くてわからない、と言ってるけど本音では
「あれはインチキ」と言いたかったんじゃないか 失敗が許されない状況だと細工もするってことで垂木自体は切れるんじゃないかな
他の空手家だって試し割り用のバット使ったりするしな >>524
今時、試し割り用のバット使うのなんて少年部位だと思うけどね。
それにしても垂木は細工ってレベルじゃ無いだろ。 >>526
少なくとも松井派は演武で大人が使うのは禁止してるよ。
道場単位でローカルにやってる演武は知らんけど。
大体、普通のバットを折れないとか無いからね。高いけど。 >>515
これ、木を割った後、手刀が木を持ってる人の腹に当たってるのに
当てられた人平然としてるじゃねえかw
動きもスローだし木もなんかボロって感じで折れてるし
真面目に論ずるに値しないってレベルにみえるんだが 少なくともガッチリ固定はしとかないとフルスイングで斧を振っても垂木なんて斬れない
まして片手で持ってるのが手刀でスパッといくなんてのは絶対ない 俺盧山道場昔通ってたけど、たまに垂木切りは黒帯の人でもやれてた
ただバキッ!って音は出て、中村先生みたいに静かに切る感じじゃないけど
インチキだったら、拳道会のビデオでやってた、一回折ってから、さらに半分に切るやつはどう細工するねん そんな誰にでもできそうなことであれば中村先生が有名になる訳ないと思うんだが
手刀であんな風に木目に逆らってまっすぐ斬れたら斧いらないよな ちなみに中村先生、80代でもかなりガッチリしていて力もかなり強かったよ
スピードばかり論じられるけどパワーも凄い
丸太や柱を割ったならインチキ論分かるが、直径5cm位の木だからな
持ってる人の手がブレない限り瓦割れる人なら割れるよ >>530
むしろ本当であって欲しいのだが、どう考えても晩年の演武は不自然な折れ方。
特に足払いで折るやつ。 垂木よりも細いバット割りにしてもささくれ立ってメキッっと雑に割れる感じで
切断面がスパッとはいかないでしょ
俺はよく山仕事をやるけどあんなぶっとい木は斧がないと一発では斬れない
簡単に5センチっていうけどこんなでかさやぞ?こんな角材を割るんじゃなくて斬るなんて
ヒグマでも無理、人間業越えてるやろ
https://livedoor.blogimg.jp/vn007taro/imgs/d/6/d60413dc.jpg >>523
力学的カラクリならいいんだよ
てこの原理でできる試し割りいっぱいあるじゃん
もしインチキでないなら力学的カラクリがわからないという意味で石井はわからないつったんだろうな こっちから持って行った木はやってくれなかったろうな いくらなんでも武専出の、訓練受けた人を
崖から突き落として死んだら終わりなんて
訓練は無いと思うが。
訓練も国家が金をかけている。
人材をむやみに死なすようなことはしない。
武道関係はおかしな人が多いので気を付けるべき。 >>537
教え子であろう師範も演武会かなんかで楽々やってる動画がある人いるけど 垂木切りを正当化する書き込みを見るたびにレーダー照射事件の朝鮮側の反論を思い出すんだよなw 多分、昔は試し割りの素材として垂木が手に入りやすく
それを割る稽古をしてたんだろう
そして、実際パワーとスピードである程度の垂木を「割っていたんだろう」
ある時期から、切るようにトリックしていき
(昔空手雑誌の演武会写真で、切れるあたりに粉のようなものをなすりつけていた)
それが、粉を大げさに吹く作為的な演武、弟子の「試し割り用土管の制作」
につながっていいったのでは。ホンモノの土管はあんな薄くないからね
物凄いスピードがあり垂木が切れると言うのなら
もし俺が中村氏なら垂木に拘らず色々切るよ、バットや瓶や、竹でもなんでも
垂木に拘るって事はトリックだったということだろう
(念力がスプーンに拘るのと同じ)
瓶切りや石割りのコツを当初からオープンにしてた大山氏と全く違うと思う 当時の京都帝大法学部卒が山梨で個人の建設会社など始めるのかね。
当時は帝大卒なら凄いエリートです。
当時の年度卒業者名簿にこの人の名前があるのか疑わしい。
在日の空手関係は聞かれたらどのように他人に説明しているのかな。
学歴と職業の整合性がない。
在日とは接触がないから知らないけど。 帝大卒で土木作業員、型枠大工、左官等の肉体労働職人の親玉、社長になるかな。
日本社会の構造から話がおかしすぎる。
その空手団体の人たちは館長、総裁か知らないが、その人のことを日本国籍の日本人に納得がいくように説明可能なのかね。 垂木をチョンと蹴ったら真っ二つに折れるのに同じスピードで弟子の足をチョンと蹴っても折れないのは何故でしょう? >>549
他の空手家の試技パフォーマンスでも、木製のバットを三本くらい重ねたのをローキックで粉砕するような人はザラにいるけど
その人達も試合でローキックしたところで相手の足は折れないでしょ
それと同じさ
動いているものはそうそう折れない
力が分散するんだから バットの場合はグリップを折るのがポイントで、垂木とはまた違うんだよなぁ。 この人って廬山さんが本で紹介してから有名になったの? >>547
戦後、日本政府は出身地で分類して併合国民を外国籍で分けたんだよな
国交がない北朝鮮国籍の人にまともな仕事あるかな
終戦直後は仕事なんかなくて日本人も汚い仕事してたんじゃないの >>552
朝鮮学校拳道院院長が正式な肩書だからな
表沙汰になったら迷惑掛かるよな 2分30秒で足蹴りで木を折る時と2分55秒で止まっている人の足を蹴る時の
スピードも蹴り方も全く同じだけど足は折れないのですね。
https://www.youtube.com/watch?v=0O9ksgrZ7rU 大山さんは達人と呼ばれる老人が若い格闘家に勝つというのは物語だと断言している
塩田さんも中村さんもたとえばヴェラスケス相手なら殺されてるよ >>556
前から思ってたんだけど、この映像で試し割りしてるの中村日出夫先生じゃあない別の師範だよな >>553
1933年に京大に入学して1937年に卒業してることになってるから戦後の話じゃないがw 玄満さんは日本国民の生命と安全よりも金が大切なのかな? 盧山氏は先生が垂木を割る時の手はスローにしても映らないと話してるけどしっかり映っている。
手刀を振り下ろして垂木を割り終わるまでが約0.2秒だとしてその間に手刀は約50cm移動している。
秒速2.5mで時速約9kmのスピードしか出ていない計算になる。 >>570
プロボクシングのランカーですらジャブが時速70kmもいかないくらいなのに
本人が主張してたように手刀で1200kmなんて数値が出るわけが無いわな 師匠を尊敬する余り客観的な評価が下せないという事象は武道の世界では広く見られる
それは競技武道で活躍した盧山氏ですら例外ではないよ
スポーツの世界では必ず結果以外の基準は何もないが武道には競技だけでは
実証できない不確定な部分がどうしても残る、ってことになってるから
ペテンがまかり通り紛い物が横行する 盲目的に否定するには
どうしてもネックになるのが
やっぱりあの投げなんですよね・・・・
手首を片手で持たれただけで
一回転させられたと。
あれが真似出来なかったと。
盧山氏だけならまだしも
倉本氏も同じ事を云ってます。
こうやるんだよと
説明出来る人がいないとしたら
(少なくともスレの現状はそうです)
理解を超えた存在って事になっちゃいますよ。 >>576
投げられたそうですよ。
盧山氏は1970年
中村先生が57の時
倉本氏は何年の出来事か判りませんが
一回転させられたと。
盧山氏は組手の最中
倉本氏は組手だったか不明です。
共通するのは
お二人の印象に
とても強烈に残ったという点で
盧山氏は澤井先生に師事してからも
その種の技への探究が続き
倉本氏もその技を求め
合気道を始めたりしたそうです。 中村先生は八光流も体得してるし、そもそも武専も柔術科のはず
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