で、話を戻すと。このスレを長いこと見てきて
型とは何から生まれどういった存在だったのか、唐手とは何だったのか
そういうことを資料や議論なども合わせて解き明かしていった。

出てきた答えは、まあ身も蓋もない現実なんだけれども。

頭の良い人はその現実を受け入れられる。論理的な思考をしてるんだろうな。
あるいは、感情をコントロール出来るんだと思う。論理的な思考ができても
それを上回る感情を優先させちゃったら認めることが出来ないしね。

認められない人の方が多いけど、そういう人は感情を優先させてるんだろうな。

本当に理解できなくて認めてないのではなく、自分が観察したところでは本当は理解できてる。
誰だって、資料出すまでもなく、昔のほとんどの唐手家達の組手がどうだったか分からないとか
どこの道場も型の意味が分からずこじつけてるとか、どの道場にも掛け試しのような稽古が残ってない
(というより伝統的な稽古全般がほとんど残ってない)という現実を見れば、嫌でも分かる。

ああ、唐手も型も大した中身無かったんだなって。
でも論理的には分かってても感情を優先させて認めようとしない。

義憤とか間違った正義感のようなもので空手家として認める訳にはいかない! みたいに
思ってる可能性もあるけど。いずれにせよ、俺が言うのも何だけど、頭が悪いなと思う。