第9部◆ 竹内流と竹内流(備中伝)の違いについて
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【 ご注意ください 】
日本柔術の源流 『 竹内流 』 は日本の岡山県・建部町にのみに存在する竹内家の流儀です。
竹内久盛を流祖(開祖・元祖)とするのは『 竹内流 』 宗家・竹内藤一郎、相伝家・竹内藤十郎のみです。
たとえホームページや免状、巻物、目録などに竹内久盛の名があったとしても
日本柔術の源流『 竹内流 』とは一切、関係ありません。
倉敷市帯高(日新館)、京都(釈迦谷)、東京都内、神奈川県内、兵庫県内、
カナダとカナダUBC大学、アメリカ、ハワイ、イギリス、エクアドルなどにも
日本柔術の源流 『 竹内流 』 の支部道場などはありません。 >>26
まずこちらの質問に答えていただきたい。
それと、批判されているのは現在進行形で嘘を重ねている団体ですよ。 藤田って誰だ?
先代藤十郎先生だね
この人と備中伝は関係あるのかね
あるとしたらどういう関係なのか >>31
その嘘をジャッジする術がないってお話ですね
公的な認証があれば別ですがないですよね
だから備中伝は名乗ることを選んだと考えます >>31
イロイロ書かれていることを読めばしっているはずです。
知らないなら妄想で批判しているとかんじられます。 >>29
だから、
>現在よりも武術に対する需要が高く、現在よりも圧倒的に情報網が少なかった時代と今の話を一括りにして論じるのは無理があります
と言っています。 竹内流は一子相伝で今も正当に伝わっている
文句あるなら当事者(継承者)同士でお話しください
で、いいと思うけどね >>35
>>>現在よりも武術に対する需要が高く、現在よりも圧倒的に情報網が少なかった時代と今の話を一括りにして論じるのは無理があります
これは何も言っていないのとおなじです。
時に違反する者が出ても仕方がなかった。と言いたいのですか? こんな国内のもめごと、さっさと収めて海外の対応しなきゃ手遅れなのに
ほんとのんびり屋さんだねぇ 横からですが
他流では「宗家」という名称は現代になってからそれぞれの残っていた師範が自称しはじめたのだが
竹内流はいつからその名称を名乗り始めたんですか? >>34
ならば、批判している人たちが妄想で批判しているという、確たる根拠を出してみられたらいかがだろう?
批判している人たちは批判するに足ると思われる根拠を以て批判しているのだから。 日本の武術流派では、流派の家元のことを宗家と呼ぶ。
ただし明治以前は、各流派の武術指導者は、師範や指南役等と呼ばれており、
宗家(家元)という呼称が一般化したのは明治以降である。
例外的に、天神真楊流、浅山一伝流、北辰一刀流のように明治以前から
宗家(家元)制度を敷いていた流派もある。
ウィキペディアより
これかな? 個人的には正しい伝統を正しく継承するとは
江戸期以前の姿をできるかぎり守っていくことだと思います
ですから、国内の問題となれば
自称宗家を名乗らせてしまう現在の古流修行者の認識を改めていく必要があると思います
でなければ宗教です 私にとっては宗家って言う名称は武術的ではなく芸事という認識です。
せめて家元なら天神真揚流や浅山一伝流が使っていたから許せるが宗家はちょっとね・・・ 今、批判されている備中伝は、聴く風の長の人格に問題があるから、ややこしくなっているのである。
直下の弟子でさえ、疑問を抱き、苦しんでいる者がいる。 岡山県古武道連盟の癒着話が無事流れそうでいつもの展開ですね 先代藤十郎先生と備中伝の関係性もスルーでさみしいわあ
うっそ臭い連中だって笑ってる奴もいるけどなー 確かなのは、京都、東京の備中伝の門人が、堂々と岡山に行くことができなくなった現状である。
門人にそこまでの被害を与えておきながら、まだ悔い改めない聴く風の長の傲慢を、放置しておくわけにはいかない。 >>45
あなたがその話題を書けばいいんじゃない? >>48
竹内流にかかわる人が書くから意味があるんですよ
備中伝は竹内流とかかわりのない団体のようですからねw >>46
あなたがその話題を書けばいいんじゃない?
知っている・かける範囲内で。判らない事は疑問形で。 >>50
まずは竹内流視点の意見を聞きたいですね
答え合わせにもなります >>49
そうか、私も知りたいと思ったんだけどね。 >>51
いつもいつも教えて貰っておいて礼のひとつも言わずに
知ったようなそぶりをするが、
備中伝の大先生の弱味を握るためのお勉強より、
現実の自分を見つめた方がいい。
自分は京都から出ないし、
大先生にさえ取り入ることができればいい、
という考えが透けて見える。 人間国宝を目指せ!と叫ばれました
酔っぱらいは困りますね
意味不明です >>28
>さてそのメンツ、つぶす必要があったのかなと第三者的に思えましたね
嘘をつき通さなければ保てないメンツなんか必要か?と第三者的には思えますがね。それはメンツではなく、見栄という物でしょう。
そもそも今まで重ねてきた嘘だって、つまらないメンツから出た物では?
>後に引けなくして嬲る
前スレでも話したと思いますが、話し合いの機会は数多くあったはずです。
引けなくされたのではなく、自ら引かなかった、という方が正確でしょう。 池内が偉いのは、竹内流に身も心も捧げたから。
池内のような継承の例外があるなら何をしても許されるというのは、大きな勘違い。
大切なのは、これからどうして行くのかということ。
古武道連盟を脱退して、県内の古武道流派と喧嘩別れして、
備中伝が自力で行くというならそれでも良かろう。
だが、世間から見たらドンキホーテが鎧を着て風車に向かって突っ込んで行くように見える。
時代錯誤も甚だしい。
狭い古武道の世界でも和が保てないような偏狭な指導者に率いられた一門に
果たしてどのような未来があるのか?
喧嘩別れする前に、講じる策は無かったのか?
池内の亡霊をいつまでも追いかけてみたら良い。 過去に備中伝を馬鹿にしてメンツを潰した結果が今の泥沼
どちらが悪いではなく今後どうするか
備中伝が引かない限り竹内流は迷惑し続けるわけだ
時間がたてばさらに拗れる
最高の結果だやったー 竹内流にも池内雅門太を8代目死亡の後に9代目に仕立て上げた厳しい歴史がある
竹内流が備中伝を中途半端に認めた(眞風館)せいで、技術面で否定するのが厳しくなった
名前ではなく過去からの技術が伝わってればそれでいい連中は一定数存在する
国内海外を問わずに
備中伝がどれだけ竹内流と交流があったかも謎のまま
技術伝承を否定できなかったのが特に痛い 備中伝が潰れずに一定規模を保った状態で存続できるのは眞風館のおかげ
技術面での担保を、本家本元の竹内流がしてくれているのだから
系譜はともかく技術伝承の話では竹内流の負けが確定してしまった だれかが竹内流をぶっ潰そうとしているのかも
眞風館に情を移しただれかさんのせいで備中伝に反撃の芽を残す
じつに愚かですなあ 竹内家に伝わる池内さんの技術なら
池内流が正式名称? 眞風館は、取眞流とやら過去には存在しない新たな流派名を名乗ったとか。
そんな聞いたこともない新流派なら、岡山県古武道連盟には加入もできない筋だろう。
備中伝から分かれたのなら、備中伝からは疎まれる存在。
当然ながら、そんなややこしい筋の眞風館は連盟からも相手にされないだろう。
宗家、相伝家に弟子入りする向きも無く、されど『風』がついた道場名を名乗り続けている。
建部のまつりに参上するのは、兄の意気地だけか?
受け入れ側も窮鳥の避難場所なら仕方ない。
落とし所がない不毛なやり合いも、スケープゴートを仕立てておけば話がまとまる。
やり場のない憎しみとストレスを一手に引き受けてくれ。 >>25
>>22
この人の話しはまさに武術の話しをしている
それが>>25のあなたにはそうは読めないのですか!
竹内家の女子衆は決して離れてはならない場所がある
そこまで書いてもわからないようなら>>25のあなたは武術とは心の構えなどではなく
単なる技術そのものしかないとそう言っているだけだ
竹内家の流儀は他所の家の流儀ではない。
父子相承とはたった二人きりで学ぶものではなく、先代が育てた高弟たちが跡取りを支え育てていくことだ。
今も大勢の高弟が宗家では現宗家を支え、先代の時代の口傳を伝え、そうして竹内家の流儀を後世へと繋げて
こんにちまできている。
竹内流 竹内流備中伝 竹内流(備中伝) どう名を変えようとも竹内久盛を先祖にもち
竹内家の流儀を家訓として生きてきた家の者に勝るものなど、よそには一切、皆無であろう >>63
もし>>63の書いた文章が日新館(備中伝本部道場)の責任ある立場の人間の言葉であるならば
自業自得としか言いようがない。
中山和夫の長男は少年たちを多く教えていたし、今も教え続けている。
その少年たちの保護者、家族、またはシニア部の日新館当時の門人は、館長という不確かで
無責任な人物の弟子でもあったはずだが、関わろうとすることも面倒を見ようとすることも放棄したではないのか。
今回の問題は、過去すでに表沙汰になっても可笑しくはなかった問題だ。
現に岡山大学の古武道部の日新館によるブラインド勧誘、個人的道場の大学構内施設の私物化、先代からの受け継いだ物のなかでも
取捨選択し好都合な物のみ取り入れた結果がこの日新館の今にある。
取真流が連盟から相手にされようがされまいが、そんなことはどうでもよい。
真実がわかった以上、事態が明るみになった以上、襟を正し姿勢を正して変えられるものは変え、正せることは潔く正し
正直に生きて行く姿を少年たちもその保護者も望んでいる。
それに応える事だけが今の取真流眞風館にできることであろう。 取真流とか名乗らず備中伝の技を捨て師範も弟子も全員
宗家、相伝家様の道場に入門すればいいのにね。 >>64
技は池内さんのものみたいですけどね
竹内家のルールではセーフでも、世間的には継承失敗の復元流儀
3秒ルールは自宅だけでどうぞ 池内クンから習った技だけど、彼には竹内と名乗ってもらうから大丈夫!
10代目は親父さんから直接習ってないけど一子相伝さ
竹内家に伝わる流儀だから竹内流
そう、僕たちの戦いはこれからだ!! 一子相伝もガバガバやね。
まあ、それとこれとは別で
備中伝はおかしいから取真流も含めて消えてもらった方が今後のためだと思う。 眞風館アゲしないと気が済まない性格
誰も気にしてないのに長文ぶっこまれてグダグダ展開
自分で言い始めてたのに古武道連盟の癒着話は無視
備中伝が脱退したころから沈黙を守る
感情的過ぎて見てて引く 身も心も竹内流に捧げたと書かれている池内は関口新心流柔術の門人で免許持ち。 日新館師範とその側近
小野金太郎の即刻引退を望む。
それにより、備中伝は終わりとしていただきたい。
彼らの次世代は竹内流に迷惑のかからぬ形で活動せよ。 幸か不幸か備中伝の伝系には池内雅門太は関わっていない。
だからといって池内が関わった竹内流を備中伝が非難するのは違う。
竹内家が所蔵する膨大な古文書や墓所、代々受け継がれた道場、道統は日本古武道の名門の象徴であり、
備中伝その他が何と難癖をつけようが揺るぎがない。
竹内流から派生したと言われている流派は、かつて全国津々浦々にまで展開し、今なお多くの人が保存継承している。
本スレのタイトルのとおり、竹内流と竹内流(備中伝)との差異を明らかにするのが主眼なのである。 >>75
少年達、のフレーズ使う人の方が気持ち悪いですぅ 眞風館の館号は、もう必要無いとおもう。
取真流という流名が付いたのなら、それでいい。 不思議だから質問します。
備中伝の伝系を確認すると、吉備津神社の系譜から読める苗字と今、公開されている苗字とがちがう人物ってことは何か意味があるのですか? >>76
あ、なるほど。
せんせい、明日は外来でお話しします?
最近、備中伝アレルギーでキモキモなんです。 >>71
もう、誰かと思えばDr.私怨じゃないですか!
私は会えばわかって頂けますよ〜労災にまだいます。
甥っ子がお世話になってるのでー、中山先生とこへ。 変な勘繰り入れたり、ふざけた口調で揶揄したり、重箱の隅を突っついてみたり、まるで子供の言い合いだな
どっちもどっちだよ 竹内家以外が竹内流の名を使うのは、
本家本元の掟に反すること。
竹内家以外が竹内流の名を使うと、その名自体が、
‘自分は掟を破った犯人です’
ということを示す。
つまり防犯カラーボールのような役目を
果たしていると言えるのではないか。
また、‘自分では一派を築く力がありません’
ということも示している。
なんとも、恥ずかしいこと。
古武道の世界では、このことがどのくらい
認知されているのだろうか。 >>83
その掟は何時出来ましたか?
竹内流宗家・相伝家の直の弟子が「CK掟に反した」場合の罰則は度のようにしていましたか? 訂正
竹内流宗家・相伝家の直の弟子が「その掟に反した」場合の罰則は度のようにしていましたか? 関係者には絶縁状が送達されるんじゃ。
あと、お中元を送り返したり。 >>86
ご回答はありがたいのですが、
失礼ですが、茶化しに見えてしまいます。 直のお弟子さんでその程度なのですか?
軽過ぎませんかね? >>83
賛同です
取真流の中山先生のところの門人保護者として賛成です。
取真流の先生は、竹内流の正しいルーツを子供と保護者へ伝えてくださっています。
岡山県の人として、責任を果たしてくださっていますよ。
正しいことを主張する前に、ご自身の父親が間違えていた事を先に直されのは、何より正しいです。だから父親の武道の名前をご自分の流名にされたのでしょうね、そこまではお口になさいませんでしたけどね。 自称久陽、自称久拓、自称久河、自称久高 などの者 当流何代目師範を名乗り、当流の看板を掲げ、
はたまた弟子を取り、様々に人をみだりに殺傷せしむ非道の技など教授し、当流の印を勝手に模倣して作り
はたまた免状など書き、代金を取るなどの所業ありと現認する事多々これあり。
然るに、かの者共 当流の門の前より内には入らず、ただ門口から門弟の声だけを聞き、影を盗み見してお持ち帰りの段、
当流師範の教えも聞かず、当流の心もつたわらず、当流としても責任持ちかねることと存じ候。
よって貴殿におかれましては、かの者共と武道の昵懇なるお付き合いなどなされませぬよう、
また当流の評論など、お相手なさることなきよう伏してお願い申し上げ候。
、、、とかな。 >>89
誰が直のお弟子さんなの?
直のお弟子さんがここに書いているのは備中伝くらいじゃないですか〜?
(笑) >>92
備中伝の修行者で、宗家か相伝家に正式に入門された方がいらっしゃったのでしょうか?
もしいるとすれば、どなたでしょうか? >>66
私は角石谷の方ではございません。
大垪和に住む門人だった六左衛門の末裔です
竹内家の流祖祭は山岳信仰の地域の者たちにとっては大切な行事ですよ。
竹内家の愛宕の神様は地元の者には大切ですし、信徒会のような組織もいつの頃から数百年は
続いています。
京都の方でお偉い先生が、久盛様の祀りをなさると知って憤りを覚えます。 >>94
ハガン様を祀られているのではないのでしょうか? 間違っていたらすみませんが、備中伝さんの系譜にある菊池清太夫は藩士岡山の人物で武道指南役だというのなら
竹内ではなくて「武内」を名乗ったのではありませんか?
武内を名乗った農民出の平民も廃藩置県前の平民名字許可令の際には武内を名乗った人は多かった。
そのようにきいとります。
菊池清太夫の墓はどこにありますか?
もしもそこに「武内」ではなく「竹内」となっていたなら二度目の苗字許可令の際に「竹内」と変えた可能性が最も高い。
間違えていたならすみません。 96の補足ですけど
墓所に古い石が残っていませんか?
竹内姓の墓であっても以前は「武内」となっている石が多く並んでいる。これが現実ですですよ。
竹内家が余所さんに竹内姓を名乗っても構わないなどと言う直系の方を聞いた事がありません
ましてや久吉様がそのようなことをするというのは考えにくい話しで、荒唐無稽と言うか、
後年に作った挿話でしかないとおもいます。 >>94
昔近所に住んでいた羽賀さんが、垪和出身で、ハガン様を祀っていましたが。 >>94
眞風館のシニアとか少年部に詳しいんですね 中山和夫の長男は少年たちを多く教えていたし、今も教え続けている。
その少年たちの保護者、家族、またはシニア部の日新館当時の門人は、館長という不確かで
無責任な人物の弟子でもあったはずだが、関わろうとすることも面倒を見ようとすることも放棄したではないのか。
今回の問題は、過去すでに表沙汰になっても可笑しくはなかった問題だ。
すごく不思議になりますね 先代藤十郎先生と備中伝の関係性についてが出てこない 竹内家の掟が、いつできたのか、誰が正式に掟と定めたのか。
特許もない時代からの、知恵だと考えられる。
かつては各分派にも監視的役割があり、
おかしなことをすれば離縁だけでなく、武道界で後ろ指を指されてしまう。
次第に武道の実用性が失われるとともに、武道界において、
竹内流や、武道の稽古に対する認識もかわっていったことは想像できる。 >>100
建部でここの玉井さんは物凄い活動をしていますよ。 中山和夫の長男は少年たちを多く教えていたし、今も教え続けている。
その少年たちの保護者、家族、またはシニア部の日新館当時の門人は、館長という不確かで
無責任な人物の弟子でもあったはずだが、関わろうとすることも面倒を見ようとすることも放棄したではないのか。
今回の問題は、過去すでに表沙汰になっても可笑しくはなかった問題だ。
これを確かな問題として突詰めていってもらいたい >>95
備中伝のホームページに写真を載せている
竹内宗家の流祖祭で手に入れたのかも知れないが、そういうことをする団体が備中伝だと
知らされて、今では地元の者が立ち上がろうとしている
この2chは多くが批判的だが、備中伝のやっていることは、やり方に思いやりや人情味がない。
そういう印象になってしまった。 >>99
>眞風館のシニアとか少年部に詳しいんですね
もちろん詳しいです、玉井さんには頑張ってもらわねばなりませんから応援していますよ。 >>43
竹内家は竹内家です。
宗家は、竹内藤一郎家のこと
傳家は、竹内藤十郎家のこと
なにかが、そこで大きく竹内流の存在を揺るがす問題となりますか 参戦する気になった動機は>>59->>61のレスによる個人攻撃だね >>17
〉呑敵流を創始するまでは竹内流で免状を発行しています。
呑敵斎は竹内流を習い皆伝されたから次に伝えた証の免状を発行したんだ。
だが竹内流の師を名乗っていない。
確か「師範になれば技の改編ができる」はずだ。だから呑敵斎は呑敵流の師(師範)となり開祖となった。
備中伝は、まさかこんな事も知らずに今まで来たのか?
当たり前な話しになにを言っているかと思えば、ここまで無茶苦茶なほどわかっていないから備中伝は堂々としていたのか、恥ずかしい話だ。 自演なんて頭のおかしいメンヘラ女くらいしかやらないだろうから関係ないか >>111
聞いていいかな
貴方が気になるその女の人は玉井さんのことかな?
それとも別の女性のことかな? 他の板にいたんだよ
自演ばれてないと思って、相手にあだ名つけて叩いたり色々やらかしていた
痛い行動ですぐばれてたけど、
スルーがお約束の人 なんかこのスレ言葉狩りみたいで怖いね
>>114なんか悪口言うように誘導してるしむっちゃ怖い 間違えてもらっては困る。
ここは、流儀とは何か?竹内流と竹内流(備中伝)についての掲示板だ。
医者だろうが、薬剤師だろうが、患者だろうが、銀行員だろうが、新聞配達員だろうが
そんなことは関係ない。
できればそういうところを指摘して刺激の仕合はやめてほしい。
本来的でなく見苦しい。 >>94
たしか、明治に成ってから竹内教という宗教を始めたようなので、
それらが一緒に成っているのではないでしょうか。 >たしか、明治に成ってから竹内教という宗教を始めたようなので、
明治時代に国家が神道を管理するようになったため、
当時の法律と制度により登録されたのが明治というだけで
竹内流宗家に伝わる神事自体は明治時代から始まったわけではない。
かたや備中伝独自の流祖祭は平成に創作され、内容も現代人の合理的な発想により
愛宕神の使いの天狗はこの世にいないからと人間の山伏が、人間には刀は折れないからその辺の木の枝で
流祖は小具足を習ったんやーという勝手な解釈をお面をかぶって演劇するようなものを始めだした。
それを竹内流の名前で外国人に広めてる。創作した青葉の口伝が自信作だったのか神伝とまで称し出す神をも恐れぬ所業。
竹内流を大事にする、竹内教の地元の人間が備中伝の独自の流祖祭を聞いて怒らないわけがないな。 >>119
どうにかして難癖つけて備中伝を正当化したいのがいるみたいだが、正にこれ。
どうしたって備中伝は竹内流にはなれない。 【謎】備中伝は、看板等に竹内流備中伝ではなく、なぜ「竹内流」と表記しているのか? 備中伝の海外支部のHPなどには、竹内流備中伝ではなく「竹内流」と表示してあるものがある。備中伝はなぜそのHPを放置するのか?コントロールできないのか? >>119
そうなんですか?
宗家・相伝家の把握していない竹内流修行者にも竹内教を広めていたようですが。 備中伝も流祖祭をやりたいんだったら宗家の竹内教のお札を貰ってきて祀れば良いだけの事なのに
暴露された式次第を見ると初めに大日如来、薬師如来、釈迦如来、弥勒如来(←菩薩ではなく如来なので間違いだと思われる)と
それぞれが一宗派の主尊となるような如来をオンパレードさせた、まるで厨二病丸出しの【ボクの考えた最強のホトケ軍団】状態で
真言を唱えるという、仏教でも修験道でもあり得ないような形式で独自の流祖祭を行っている。
備中伝の竹内流を押し通すなら、備中地域の仏教分布で大日如来、薬師如来、釈迦如来、弥勒如来?を同時に祀る仏教宗派があったということになるんだが、
創作伝・青葉の口伝やら創作・木の枝四半棒やらならまだしも宗教行事まで適当に創作するのはどうかと思うぞ。
ましてや現代人の創作を神伝などと500年の伝統があるように見せての宗教行事なんて戴けない。
仏式でやりたいなら密教の坊さん読んでやればまだカタチにはなるのにお金をケチって自前の創作でデタラメはいかんぜよ。 竹内流と付けようとどういたそうと、岡山大学古武道部出身で日新館から出た皆伝師範の道場は
竹内久盛翁を開祖とする竹内流を名乗ることはできないのが道理です
中山和夫氏の長男のように、門人を毎年連れて来て、事実を知った以上は正すところを正す
当たり前のことが出来ずに、外国人に対して竹内流のネームバリューで免状を安易に発行などなどは
もってのほかであろう >>117のいうとおりだろう
妙な勘繰りを入れた投稿は過去にいくつも見られるが辞めにしていただこう こういっては何だが、岡山大学古武道部における備中伝の存在は岡山県の文化財としては不本意ですからね
岡大古武道部出身で竹内流の宗家か相伝家の方が監修として入るのが相当だと考えます
備中伝は日新館が本部としても今までの要綱が叶っていないどころか道に外れていますから、広島大学を面倒見ている
相伝家が監修にはいるべきかもしれません。もしくは宗家の藤一郎先生です
これいじょう日新館のOBに頼るべきではない
日本の伝統を散々破壊してきたことへの反省もない、謝罪もないようです >>115
なにを今更。玉井女史のことを発達障がいだの、精神病だの、メンヘレだのって大勢で叩いていたじゃない。
まるで関係ないかの様に今更いうかしら 催事のあやふやなやり方を素人にも指摘されるということは、代々続けてこなかったからという見方ができますね。 >>1 質問です。
竹内流宗家・相伝家は弟子に出す伝書で「竹内流」を使っていますか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています