空手の型はやるだけ無駄と言う現実91 [無断転載禁止]©2ch.net
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空手家は型の意味を知っているのだろか???
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか???
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか???
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか???
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない??
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。??
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。??
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。??
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのは??
やるだけ無駄という現実。??
前スレ??
空手の型はやるだけ無駄と言う現実90??
http://mao.2ch.net/test/read.cgi/budou/1501139457/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>893
余談だけど、1920年代初頭に書かれた船越や本部の著書には
首里手や那覇手の型の名前が出てくる。
1900年代初頭の琉球新報の唐手の記事でも、船越や本部のよりは少ないが
一応那覇手の型は出てくる。自分の記億では、それよりさらに以前の時代に
型の名前が記された公的な記録というのは存在しない。
独自に見つけた1880年代の資料で、唐手の型についてどんなものがあるのか列挙
されたものを長いことかかって見つけたんだが、残念ながら首里手の型のみで那覇手の
型の名前は一切無かった。その首里手の型にしても、ずっと少ないんだなこれが。
年代が遡るごとに那覇手の型は減っていってる。首里手もそうだけど、那覇手はそれが特に顕著。
この資料のみで言うのではなく、色んな資料を見てきた結果導き出した答えとしては、東恩納が台頭
するまでは那覇手の型なんてのはそもそも存在しなかったんじゃないかと思うよ。 >>895
ああ、カキエじゃなくて掛け試しね。もうどっちでもいいよ、
どうせどっちも歴史浅いかごく一部の人しかやってなかったんだろうし。 私が書いているのは、飽くまでも「学問の基本的な考え方」なんだけどね。
悪魔の証明やらツチノコの話ではなくね?
「過去の事を知りたいのならまず資料を探せ」
これは、歴史学では基本中の基本でありまたこのスレのテーマにも剃った考え方だと思うがね?
空手の型や技術に関して論ずる場合、否応なくその歴史や著名人達の証言は無視できないじゃないか。
仮に資料の存在を全て根拠もなしに否定、無視するのであれば後は実際に生身で検証するしかない。
オフ会でも開催するのかね?
それとも何の根拠のない、個人の妄想だけで延々と論議するのかね?
根拠ないから永遠にそれが事実かなんて解らないのに? >>896
そうだな。
あとは、2ちゃんの匿名のお前の発言と本部朝基の孫の朝正の言葉のどちらに重みがあるかは、周囲が判断する事だな。
余程の悪意か狂人でもなきゃ、答えは決まってるけどね。 >>883
で、本部朝基語録は図書館行って調べたかい?
いつまで掛け手は平成になっての捏造とかデマながしてるのか。 >>892
>うん、だから信憑性を上げればいいだけの話。
>本部流のHPは信憑性を得るまでにはいけてないねってだけのこと。
>そして、信憑性がないものを根拠に事実と言い張るのは滑稽だねって話。
少なくとも今現在、私があげた資料を否定する別の資料がない時点で私は今、自分があげた資料の信憑性をあげる必要はないんだけどね?
現在の歴史学でも後の時代になってその人間の息子や孫がまとめた資料を元にしている話なんて幾らでもある。
後の時代という事で改変、創作された可能性は常に否定はできないが結局それを否定する場合も
何らかの資料なり根拠がなければ、それはただの個人の妄想や推測の域を出ない。
それに一々反応していたのでは、何も進まないので基本は無視。
当然、私も君の意見に反応する気は無いよ。
私があげた資料の信憑性を疑うのならまず、疑いに値する資料を出しなさい。 >>899
そう思うならこんなところに書き込むな。
ここはそういう場だ。
でもひとつ思うところだけど、証明できない事実というのはあるにはある。
たとえば前に書いた義信流拳法なんか、そういう流派の拳法が存在したという記録や資料、俺は見たことが無い。
だけど俺は実際に複数の義信流の人に会ったことがあるし、どこでどんな稽古をしていたかも聞いている。
その人たちはまだ生存しているから、今なら証言は取れるだろう。
でもこの先何十年もたって、その流派の存在を証明できるかっていうと、これはできないよ。
ただ本部流やら剛柔流みたいな人に知られた流派の稽古法がそんな有様じゃなあ。
>>900
だからそれならお前さん2ちゃんに書くなってw
俺は「偉い人が言ってます」だけで無批判に信用するほど権威主義ではないね。 燃えよドラゴンの手を接触させてからボカボカ殴るあれ?は掛け試しとは
違うんだろうなあ。掛け試しは戯れというか、遊びの一種だったんだろうと
想像するよ。強いという噂のある人に自信のある人が会いにいったり。
今の人が想像したり、小説に描かれてるようなものではなく。
遊びで力比べで相撲をやってみる、そういうのと同様のノリだったんじゃ
ないかなあ。
例えば崩して突くのなら、その突きは寸止めで。掛け試しは崩し合い、投げ合い、
それと寸止めによる極めが中心で。
形は足腰の鍛錬、いくつか技を並べて順番を決めて一通りやることにより
心肺機能をと技を練習するため、技の精度を高めたりするためにやっていた。
そこには舞踊および儀式的な要素も含んでいた。
もちろん、掛け試しは即興でやるため、形の第一挙動が掛け試しで最初にやる
技になったりするわけがない。場合によっては形で練習した技など一つも使わない
こともあっただろう。でも形の練習の成果は足腰の使い方や運足や強さ、崩しの
うまさなどに現れていたものであろう。以上が仮説。 >>901
掛け手じゃなく、今は掛け試し。
近所の図書館には無いんだな。
つーか、引用してくれないの?
俺は資料提示する場合、けっこう親切に引用してるんだけどな。 例えば、ツチノコにせよ、悪魔にせよその存在を否定できるだけの資料は世の中に大量に存在する。
事実、生物学的にツチノコなり悪魔なりの存在を肯定できる資料が何も存在していない時点で、その存在を疑うのは当然の話である。
所謂「悪魔の証明」とは存在していない物を理論上100%完全に居ない事を証明できるのか?という一種のパラドックだが私が求めているのは「資料の存在」でしかない。
資料の存在を求めるだけで、それが悪魔の証明になるというのならば、否定してる人間達は一体何を根拠に否定し続けているのか?
まさか、個人の妄想と見解だけなのか? あと本部語録は本部本人が書いたものじゃなく、後年の人によって70年代末ごろに書かれたものだよ。
本部自身が書いたものに組手は散々出てくるけど、掛け手なんてものは出てこないのは事実。 むしろ、一切の資料を提示しないで型を否定しているという時点で見れば、ツチノコや悪魔の存在を提唱している人間達と寧ろ、君達こそその人間達と同類と私は認識するのだが? なんしか。
名無しの想像の価値が低いのは間違いないだす。 土日と東京なので、新スレ立てておきました。
ワッチョイ無しだす。
空手の型はやるだけ無駄と言う現実92
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1508487417/ >>906
>生物学的にツチノコなり悪魔なりの存在を肯定できる資料が何も存在していない時点で、その存在を疑うのは当然の話である。
同様に戦前の資料に今の本部流の掛け試しやカキエの存在を肯定できるものが存在しない時点で、戦前からそれが存在したことを疑うのは当然の話である。
では戦後の資料は?あるなら提示して。
本部流HPで確認されるのは、平成四年現在には存在するということ。
別にそれは否定しないさ。 >>908
>一切の資料を提示しないで
俺も、上で反論してた人も今までさんざん文献や資料を提示してるんだけどね。
お前さんはどんな資料を提示したっていうのさ。 >>897
提案なんだけど、あなたコテハンつけてよ。
俺より資料の裏付けが豊富だし
そのほうが何かとやりやすいんだけど。 >同様に戦前の資料に今の本部流の掛け試しやカキエの存在を肯定できるものが存在しない時点で、戦前からそれが存在したことを疑うのは当然の話である。
それは、君が戦前は掛け試しは存在して居ない事を証明する資料を提示して初めて意味のある発言だね。
「戦前の資料には無かったから組手は無い」は君の手元にそれを証明する何の資料もない時点で、それはただの難癖でしかない。 >俺も、上で反論してた人も今までさんざん文献や資料を提示してるんだけどね。
お前さんはどんな資料を提示したっていうのさ。
では、その提示をよろしく。 >>914
????存在しない資料って?
戦前の書籍で「後に平成という時代になってから、前腕を掛けるところからスタートする掛け試しというものが存在したという人が現れますが、そのようなものは存在しません」
とでも書いてあるのを提示しろと? >>915
本部朝基本人が書いた著作は、今かんたんに手に入るだろ。
その全文を見ても、そんな稽古法ひとことも出てこない。 存在しないことを証明する資料って・・・
ほんとうに無茶苦茶いう人が存在することは証明されたわw スイシュやカキエみたいな訓練は詠春拳でも洪拳でも白鶴拳でもやりますよ
ただ、カキエは片手でやるので太極拳から持ってきたんじゃないかって思いますね。
南派拳法は正面向いて両手でやるので
カキエは上地流にもあるけど、お互いの手首引っ掛けあってお互い引き合う綱引きみたいなものだし、体力強化と手首の鍛錬として伝わってます 日本の柔術や島相撲が伝わっていた琉球ではスイシュとかは見向きもされなかったんじゃないかな?
組んで投げた方が慣れてるし馴染みあるんだから >カキエは上地流にもあるけど、お互いの手首引っ掛けあってお互い引き合う綱引きみたいなものだし、体力強化と手首の鍛錬として伝わってます
それならまだわかるのね。
カキエという言葉は見たこと無いけど、その鍛錬法なら古い書籍にも見つかります。
それこそが掛け手、あるいは掛け試し。
ただ、辻の掛け試しがそんなもんだったとすれば、本部朝基の強さってそんなものの話だったのってなっちゃうけどね。、 >>918
そうか?逆になにも自分達からは出さないで、
自分達を完全に納得させるものをだせ!
と言う方が悪魔の証明なんじゃないの?
俺からすれば、型アンチの方が悪魔の証明を要求してるように見えるよ。 >>905
申し訳ないが、ここの匿名さんにエサやるわけにはいかないな。
なんていうか、それくらい自分で調べれば?ということすらできない人間に
せっかく教えてあげても、いいこと何一つないから。
ちなみに戦前の文献にも出ているけどね。君では死ぬまで見つけられないでしょう。 >>922
> 自分達を完全に納得させるものをだせ!と言う方
って誰? >>924
例えば由利であり、ここの元1である常駐しているアンチ 由利はんってそんなこと言うてはりますかなあ?
元1である常駐しているアンチなんて、知りまへんわ。 >>886
> 大体、あれまともにやってる様に見えるか?
まともにやってあれなんだよ
組み手しないで型だけだとああなるんだよ
> あとお前には、日本少林寺の演武やドニー・イェンのアクションを見て、「あれは強い!」とか思っちゃうレベルの頭脳があるんだろw
何言ってるかわからん 型には掴んで崩して殴る技はありますけど、そんなの女子のケンカだってありえることです
スイシュとかみたいな技って
1刃物持った奴が腹を突いてくるから手首抑える
2手首抑えられたから手鏡で外して突く
3外されたから内側抑えて突かれるのを防ぐ
みたいなことから発達したんじゃないかと思うわけですよ
私には沖縄みたいな離れ小島で
そんな物騒な技術が発達するとは思えない
型やチーシーとかで汗かいて体鍛えて
巻藁なんかを突いて蹴る
後から工夫したりパクったりして今の空手があるんだと思いますね
でもそれでいいと思います
進化してるわけだから。 >>918
仮に資料がないで断言できる事はあくまでも「解らない」でしかない。
今、君の主張をそのまま鵜呑みにすれば、本部の古い著書には掛け試しの事は記載されて居なかった。
でも、そのお孫さんは掛け試しに関しては知って居た。
これがいわゆる「現時点で解っている客観的な事実」
朝基の古い著書に載っていないから存在しないはただの「論理の飛躍」。
また、そこで仮に「それはお孫さんの朝正氏の創作である」という推察が出たとしても、
それを裏付ける何らかの資料がなければそれは、所詮は個人の推察の域を出ないので、それに一々反応する気も無い。
何の資料もない個人の推察による否定を一々相手にしていたら何も話は進まない。
これは学問での基本的な考え方。
仮に悪魔であり、ツチノコで言えばこれらは逆説的な資料が数多く存在する。
今でも新種の生物の発見が出てくるので、やはり100%コレラの存在を否定はできないが、
それでもツチノコや悪魔ほどのサイズのある生き物で今日まで発見されていない時点で、その存在を疑われるのは当然の話。
だが、空手の型に関して言えば、悪魔やツチノコほどの逆説的な資料があるのか?
私が提示しているのは、明確な資料の提示。
それを悪魔の証明という時点で、既にその主張は破綻している。
資料が存在しない事実の一体何が事実になるのか? ま、アンチ側がむしろ悪魔の証明を強要しているというのには同意。 >>931
> だが、空手の型に関して言えば、悪魔やツチノコほどの逆説的な資料があるのか?
なに言ってるのかわかりまへんな。
悪魔やツチノコに資料?(笑) >>932
> ま、アンチ側が
ワテもアンチ側なんすかね? >>931
>それに一々反応する気も無い。
なら一々反応しなけりゃいいじゃん。 その時代の資料じゃなきゃ信用出来ないってのは、先ずは後の時代の資料を明確に否定出来て初めてそう言えるのであって、それも出来ないのなら、
後の時代の資料だってそれなりの情報源として無視は出来ない。
少なくとも、歴史上の人間の孫やその子孫の証言ってのは現代でも普通に歴史を調べる上での資料として重宝される。
それを否定する場合、その反論になる資料が出ない限りは否定は出来ない。
最近出てきた斎藤一の顔写真だって実はその子孫がねつ造しているかもしれないし、或いはその子孫も勘違いしているかもしれない。
けれど社会一般では子孫の証言には一定以上の信用を置くのが一般的だからそれを受け入れている。
なんだって難癖をすれば否定できる。 >>937
なんだって難癖だとすれば批判するのは楽だね >>938
だからこそ、資料の存在が大事になってくる。
否定するにしても資料ありきの否定と全くない否定とでは自ずと説得力も変わる。
普通の事だな。
これを悪魔の証明とか言ってしまう時点で元々破綻しているのを認めているような物だよ。 >>939
それこそ難癖なんだけどな
自分がちゃんと「ある」と考えられる根拠となる資料を出せもしないのに、文句ばかり垂れて
そもそも、学問の基礎は信用することではなく、疑うことだからあなたが前提を履き違えてる >>942
あなた、いつもこういうとき頓珍漢なこと言うね なんか、本で調べることについて、たくさん調べて知ってれば
エラいとかなんとかの話ですかね?あの〜おたくら、何をやりとり
してるっていうか、空手やってるんだったら、習って練習してる形
そのものがなんといっても重要で、その各動作について考えれば
いいんじゃない?その方がずっと面白いし。本よりも形そのもの
の方がエラいでしょ。 図書館行くのも面倒くさがって、ここでクレクレ言ってるんだから、学問とか関係ない。
それ以前の問題。
結局調べたら分かることを、横着してイチャモン付けているだけで、ここに資料をアップしても、何食わぬ顔でスルーしてまた別のイチャモン付けるだけ。 資料を否定するのなら、せめて名無しではなく正体をあかしたら?
出なきゃ2ちゃんの名無しのコメントに一体どれほどの説得力があると思ってるの?
俺はあかすきは無いから資料を最大限に使ってやり取りするけど。 しかし、資料を否定するなんて聞いたこともない。
それで一体何の議論をしたいのか。
双方共に何の資料もいらないのなら自分が思う
デタラメな内容を延々と続けるのが望みなのか。 本気で議論する気なら名無しでは書きまへんやろ。
名無しとの議論なんて型以上に無駄ちゃいますかね。
ここは書きたいこと書き散らす場ということでええと思いますわ。 >>945
俺はお前さんが技としての「掛け手」は戦後に創作されたものだと主張したとき
戦前の書籍名と親切にも引用文までここに載せてやったろ?
それでお前さんも納得したんじゃない。
それくらいサービスしてもバチは当たらないと思うがね。
このように「この時代に××は存在した」と証明するのは簡単なんだ。
たった1例のその時代の証拠を見つけるだけでいいからね。
しかし「××は存在しない」という証明は不可能だ。
どんな人間だって、世の中のすべてを見ることはできないからだ。
だから存在を証明する責任は「存在する」と主張する側にある。
これがいわゆる悪魔の証明の基本的な考え方だと思うがね。
これがいわゆる悪魔の証明の基本的考え方だと思うけどね。
>何食わぬ顔でスルーしてまた別のイチャモン付けるだけ。
たしかに、すでに本部語録は所詮は1978年に書かれたものだとイチャモンつけてるわw
でも、誤りを認めるときは認めてるんだぜ、過去にも。
ここから先は事実の証明じゃなくて信心の問題だな。
俺は偉い先生の御言葉を無批判に信じるほど純真じゃないのさ。 >しかし「××は存在しない」という証明は不可能だ。
>どんな人間だって、世の中のすべてを見ることはできないからだ。
>だから存在を証明する責任は「存在する」と主張する側にある。
>これがいわゆる悪魔の証明の基本的な考え方だと思うがね。
いや、その主張は正確には間違っている。
例えば「江戸時代に既にガソリン車はあった」と誰かが主張したとする。
では、実際に江戸時代にガソリン車があると前提した場合、ガソリンはどこから手に入れるのか?
その車はどこを走っていたのか?車のタイヤ痕は存在ないのか?車の残骸は?当時の文献になぜ、その車の存在が出ないのか?
ナドナド、それが存在する事で本来発生する多くの現象を調べていけば、結果論として存在しなかった。
と言える。
何かが存在すれば、それは他にも影響を与える。
少なくともその存在が誰もいない無人島や山奥にでも存在しない限り。
で、君のその話は果たしてそこまで資料を集めるのが難しいテーマなのかね? 資料とは、ズバリそれに関して明記されていなくとも重ねていけば、
自ずとそれのフォルムが見えてくる存在である。
疑う大いに結構。
でも、その疑いを自分の中だけで完結して発表するのでは個人の妄想と何も変わらない。
そこに一定以上の信憑性を持たせるために多くの科学者達は資料を持ち寄る。
そして、それは普通の話のはずだ。
何も特別こ事ではない。
何故、このスレのみ資料の存在をないがしろにできるのだ? >>950
その例でいくと「江戸時代にガソリン車は存在した」という当時の文献なり記録がなければ
そもそも論ずる対象にすらならないから
そのような考察不要で「アホか?」と否定されて終わりだよ。 >>953
仮に存在していたとしてもと言う話だよ。
それがUFOでも悪魔でもツチノコでも何でもいい。
全てに当てはまる基本的な考え方。 資料よりも何よりも、形が残ってるじゃないか
本をあれこれ調べれば形以上のことが何か分かるとでも? 少なくともこのスレでは最早、現存の型の検証では納得出来ない人間達がいるから、今に至るのでは?
型の検証オフを否定側で開こうと提案した人間は過去に一人でもいたのかい? >>951
資料の存在をないがしろにしているのはお前さんの方。
戦前から本部がコーサーを得意にしていたというのは資料で明らかだから俺も否定しない。
掛け手という技が戦前に存在したことも否定しない。
同様にたった1例、本部の掛け試しはこのように行われていたという当時の資料を出せば終わる話。
古来よりずーっとそういう稽古をしていたにしては、最古の写真が平成四年となるとこれは疑わしいと思うのが普通の感覚だと思うね。
「戦前からあった」と主張するなら
信じるに足る戦前の資料が必要なのにそれをないがしろにしているのはあったと主張している側じゃない。 >>954
その考え方は不可知論といってな、存在するかどうかは完全には証明不可能だから考えてもしかたないっていう結論になっちゃうの。
お前さんがそこに話を落ち着かせたいならそれでもいいけどね。
だからあとは「信じるか?信じないか?」信心の問題だね。
俺は信じない立場。 >>957
私が出した朝基の孫の朝正氏の証言を否定するのなら、まずその根拠を出しなさい。
戦前の朝基の本には載っていないでは否定材料としては余りに弱い。
載っていないは、存在していなの同義語ではない。 >>958
君は直ぐに概念的な話に持っていくのだな。
私が書いたのは飽くまでも検証方法。
それは、何も特別な事ではなく一般的な検証方法でしかない。
君だって仮に「悪魔の存在を検証せよ」と言うテーマを与えられたときに、資料。持ち寄るだろ。
それらの資料次第では可能性があるになるかもしれなけれ、やはり存在しないと言う結論になるかも知れない。
けれど、少なくとも何も資料を使わないで脳内だけで完結はしないだろ? >>959
だからそれは不可知論なの。
戦前の資料が一例もないなら「戦前には存在しなかった」と判断するのは消極的事実の証明。
「あったとも無かったとも言えない」が不可知論。
朝基の孫の朝正氏の証言というのは単に信じるか信じないか?だけの問題。
お前さんは信じる立場、俺は信じない立場。 俺の母ちゃんの証言によると俺は皇太子の御落胤らしいじゃん
違うっていうのなら根拠だしてみろよ
本に載ってないとか駄目だぞ >>961
君は、信じなくとも一般的にはその子孫、とりわけ孫までの世代の証言と言うのは、
歴史研究でも一定以上の信憑性のある資料として用いられる。
事実、そんな資料はゴロゴロ存在する。
何れにせよ、君の手元にまともな資料と呼べる物が何も無い時点で今の時点では朝正氏の証言は資料としての価値が出てくる。
普通の事だぞ?こんな事は。 >>962
ならば、君の母親の経歴を書きなさい。
当時の皇太子と何処かで出会っていたのか?
或いはDNA鑑定をしてみなさい。
幾らでも検証方法はある。
それらを資料として持ち寄れば十分、事実が判明する。 >>960
悪魔の証明にまず必要なのは悪魔の実在を裏付ける資料なの。
その資料の信憑性を検証するところからすべては始まる。
悪魔は実在しないという資料は提示不可能だから必要ない。
wikipediaからの引用で恐縮だが基本的な考え方は以下の通り。
・消極的事実の証明に関連する法律諺として、「否定する者には、立証責任はない」がある。
・パウルスは「主張する者は証明を要し、否定する者は要しない」とした。
・ディオクレティヌスとマクシミアヌスは「事実を否認する者には、立証義務はない」とした。 >>964
その例は存在の証明。それなら出来るだろうね。
お前さんが要求しているのは存在しないという証明。
それは不可能だから必要ない。 >>965
それも所詮は概念の話でしかない。
生物学的に悪魔と言う存在を求めれば、今の時点で彼らの存在を証明するものは何もない。
だから「今の時点では」生物学的には悪魔と言う種族なり、生物は存在しないといえる。
勿論、将来その存在を確認出来てしまう可能性は、けしてゼロではない。
で、君の話は周囲に存在していた痕跡が一切ないレベルの話なのか?
と私は聞いているのだか?
事実、君の手元には一切そう断言できる資料がないのだろ? >>966
つまり、君は何も資料がないで断言していると言う事だね? 参考までに教えて欲しいんだが、何故まともな資料もないのに無いと言う結論に達したのだ?
解らないなら理解出来るが、無いと言う結論は何かしら強い動機なり切っ掛けが無ければ普通はその結論にはならない。
一体何がきっかけでそう言う結論に達したのか? >>964
母ちゃんは吉原のソープ嬢でその時、お忍びで来た皇太子の子である俺を孕んだんだ
生本番させたのは皇太子のみって当人の証言もあるから間違いない
DNA鑑定は宮内省との秘密協定によって俺が即位するまで禁止されているんだ >>963
繰り返すけど「戦前に本部がそのようなスタイルの稽古を掛け試しと称して行っていた」という資料が無ければ
それが不存在の証明になるというのがいわゆる「悪魔の証明」なの。
それは「無かったという証明とはいえない」なら不可知論。
お前さんが不可知論の立場でものを言うなら、この話は続けても意味無い。
どうせ真実は不可知なんだから、信じるか信じないか?それだけ。 >>969
これだけ言っても誰も存在の資料を出さないから。
俺は「掛け手という技は戦後の創作だ」という主張に反論するのに
戦前の書籍名と該当する引用文を出して反論したから納得してもらえた。
同様の事をする人がひとりもいないから、無いんじゃないの?って思うだけ。 >>971
君の手元に何も資料が無いのであれば今の時点では朝正氏の証言に一定の価値はでる。
これは、普通の話。
それを否定したいのなら、その根拠を出しなさい。 >>972
そもそも、何故そこまで戦前の資料に固執するのか?
つまりは君にとっては空手の資料は、戦前の物でなければ価値は無いと言う事なのか? かつてロシア人の医者がドゴン族というアフリカ部族に故郷の民謡を教えたのだが
数年後、その部族を訪れた所、自分が教えた歌が先祖代々伝承されていたことになっていた
これは極端な例だが、外部の影響を受けて「古来からの口承」や「価値観」が数年で変化する例は人類学的にはよく知られている
いわゆる「創られた伝統」というやつ
史料からわかること以外はその時点での「伝統」に過ぎない >>973
だーかーら!
不存在の資料ってどんなのよ?
存在する資料は存在すれば提出可能だけど、不存在の資料なんてあるわけない。
お前さんが挙げた例ですら存在するという資料についてだよ。
ダメだ日本語が通じてない・・・・
>>974
戦前からあったと主張するなら、戦前の資料が重要に決まってるじゃない。 >>975
良い例をありがとう。
でもこの人には通じない。 >>976
何度も書くが、君はつまりは一切の資料が無いのに無いと断言していると言う事だぞ。
後、戦前の話だから戦前の資料でなければ行けないと言う理屈はない。
現に戦国時代の話をその孫が江戸時代にまとめた本を資料にしているケースもいくつもある。
君はそう言う歴史学の研究を否定すると言う事かな? 自分が資料を持たないことをこうも堂々と宣言して、資料の公開の義務を放棄しようとする人間を私は初めてみた(苦笑)
なるほど、2ちゃんからは色々と学べる事があるのだな。 >>949
いい加減面倒なやつだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
自分が東京に出て来た頃、国の者が東京に出て来ていて、あるところで盛ん
に唐手を教えていた。このある者は、自分が国にいた頃は名前も知らなかった。
当時、およそ名のある師について唐手を相当以上、修業したものは大抵、会っ
たことはなくても、名前くらいは知っていたのだが……。
自分は国の者の案内で、その男が若い者に教えているところに行ったら、盛
んにホラを吹いていた。そこで自分は“こうやったら、どうしなさる”と彼の手を
とって、「かけ組手」の形をとらせた。彼はマゴマゴしているので、突いては気
の毒と思い彼の自分にかけている手に「小手返し」をかけたら、彼はステンと
後ろ向きに倒れた。
彼はポッポと顔を真っ赤にして立ち上がり、“まあ、一っぺん”と言うからまた
「かけ組手」の形となった。彼は相変わらず、マゴマゴしているので、また「小
手返し」をかけたら、同じように倒れた。彼はそれでも、もう一度と言うから三
ベン、同じ手で投げつけられることになった
(中田瑞彦『本部朝基先生語録』1978年)。 >>980
おお、これは面倒をかけた。
長文を引用してもらってすまんな。
ずいぶん面白い話だし、少なくとも1978年時点で
本部の「かけ組手」という話が伝承されていたことは納得した。
ありがとう。 >>978
だーかーら!
不存在を証明する資料ってどんなのよ? もう永遠にリフレインするわ。
>>979
普通は「それは悪魔の証明」といえば終わる話だし、2ちゃんでもしょっちゅう出てくる。
むしろいつまでも不存在を証明する資料を出せという奴のほうが珍しいわ。 しかし、いわゆる悪魔の証明というのは、
数多くの資料から考えみて、99.9%存在しないといえるが残りの0.1%以下の可能性は常に否定しきれない。
即ち100%存在していない言い切るのは論理上至難であり、不可能に近い。
と言う話なのだが、そもそもの資料がないから悪魔の証明である!
と言う理屈は明らかに使い方を間違えているし、また偏っている。
どれだけ悪魔の証明のハードルが低いのか(苦笑 >>983
だからいつも言ってるじゃん。
たとえ存在を証明する資料がひとつも見つからなくても
河童が存在する可能性とか、ツチノコが存在する可能性と同程度の可能性はあるって。 >>985
ツチノコや河童などその存在を否定する多くの資料があるのにそれでもその存在を完全に否定しきれない話と
そもそも否定する資料の存在自体が無い話を同列にする時点で君の主観は随分と歪んでいるようだね。 >>899
資料以外にも、口伝での伝承もあるし、歴史なら遺跡や遺物の発掘や発見もある
あと、同時代のその地域や周辺地域の政治状況や軍事力や技術、文化や思想なども念頭に置いて考えるできだと思います
まあ、それは空手には関係無いけど、空手でも口伝の伝承やクンフーとの相違などが参考になる
空手ヲタ一代の由利みたいな無知で妄想に頼ると、カキエはともかく燃えよドラゴンがああいう手合わせみたいなのが燃えよドラゴンの創作みたいに書いちゃう
クンフーには昔から、手や腕を接触させた状態からの練習方法や対応方法がある
なので、クンフーの影響の色濃い沖縄空手にも過去にそういった練習方法があった可能性は否定出来ないと思う
あと、クンフーや太極拳には達人や強い奴はいないとか、無知にも程がある
俺は日本のチャイナタウンで暴れた事や黒社会と乱闘した事は無い
日本のヤクザやヤクザに雇われた空手家集団とはあるけど
ただ、海外でうちの道場に来てたクンフーの経験者の中国人のうち、2名は間違いなく日本のそこらの空手3段なんぞより強かった
マーシャルアーツのジムにいた時は、ウィンチャンクンフー経験者の白人が鼻っからグラブを付けてパンチを運足と体を傾ける体捌きでかわすのに驚いた
あの頃はまだ、クンフーも空手同様、正面で受けようとするもので、グラブ付けてたら蹴りやパンチでカウンターを取れず、間合いも外せない場合は、サイドスリップ(流し突きのあの動き)とかサバキの様な動きをしなかった場合、もろにパンチを貰うと思ってた
空手ヲタ一代は、そもそも外国人の強い素人とすら闘った事が無い程度の空手家なんじゃないかな?
俺の同僚の柔道三段の奴が、中国人の素人3人と乱闘してやられた
彼曰く、「投げても何してもダメだった とにかく、日本人と違って凄え」と言ってた
経験者は語るというやつだ
ましてや、クンフーの練達だったらもっと違う >>981
で、あんさんは本部朝基が掛け手をしていたと納得したのかい?
それとも、まだ戦前の資料がないから、捏造だとか言うのかい?
いい加減、どこかで矛を収めなければみっともないよ。 そもそも、先の太極拳の継承者のビデオのヘラヘラ笑いながらちんたらやってるのが本気かどうか知らないが、それでその弟子にも大した奴はいないと言い切るなら、伝統派4大流派の昔や今のの宗家のビデオとか見てると、とてもとても海外で通用するとは思えない動きだ
大山倍達の動きに至っては、あれ何なの?
でも、海外に出ると何年修行した3段でも4段でも5段でも素人と喧嘩して負けたりするけれども、少なくとも同体格の大抵の奴には負けないといえる奴ならそれなりの数がいる
海外に指導員を送る場合は、3段4段以上なら誰でも良いという訳では無く、大抵のところではそうした使える奴が選ばれると思う
少なくともうちはそうだった
でないと、色んな格闘技を経験して、中にはプロの世界ランカーとかも来ちゃってガチ勝負になる事もあるので、しかも相手がデカいのが基本だし、外人は負ける奴を相手にしない傾向が大きいから
ただ、向こうでは文化扱いだったりするし、強い奴は素人でも体格の差を考慮して、その技術や頑張りを尊重してくれたりもする背景もまた同時にある
クンフーに強いはいないとか、ちゃんちゃらおかしいけどな >>982
>だーかーら!
>不存在を証明する資料ってどんなのよ?
>もう永遠にリフレインするわ。
はっきり言えばそれは君が悪いのであり、君がちゃんと説得力のある資料なりを見つけられない事が原因、
寧ろ教えてほしい。
資料が無い人間の主張のなにを信用すればいいのか?
それとは別の意見の資料がいくつもある状況で。
君ならそんな人間の主張を鵜呑みに出来るのか?
自分とは考え方が違っていたとしても。 国際松濤館の金澤だって、空手をやりながら太極拳も学んだ訳だ
俺も金澤師範同様に、他の格闘技を学ぶという事は必ず自分の役に立つと信じるというか、知ってる
他流や他の格闘技との闘いの経験をたくさん積んで、レベルを高くしていけば、世界の各地の格闘技にも、クンフーの色んな流派の技や戦法や理論にも、これはああいう場面で使える!とか気が付いて来る
経験も無くまるで理解出来ない奴の言う事など、ただの戯言に過ぎない >>986
たしかに同列には語れないな。
本部流の掛け試しやカキエの話と違って、ツチノコも河童も、その存在を記した古い文献がゴマンとあるからね。
それを否定するにはそれなりの議論を尽くす必要があったろうさ。
もとから何も記録がない物を否定するのとはわけが違う。
そもそも存在を肯定する当時の資料が無いのに、否定する資料が生まれるわけが無いだろ?
お前さんのいう存在を否定する資料というのは、誰かが存在を否定した記録であって
非存在の証明にはならないし、それを要求するのは不可能だ。
だから「主張する者は証明を要し、否定する者は要しない」ということになる。
別にお前さんが、この論が気に入らないというならいいぜ。
それならどうせ不可知論なんだから、永遠に結論は出ないし話しても意味無いから。
ただ信じるか信じないかだけの問題。 >>992
絵に描いたような屁理屈だね。
それでよく、議論など言ったものだ。 (注)
彼は有名な人物だった。後年私があることで本部先生のお伴をして、彼の家を訪ねたことがあったが、そのときは、よほど前のことに懲りたと見え、本部先生に対して丁重そのもので、下にも置かぬ態度だった。
「かけ組手」は一種の自由組手で、何しろ、互いに前手をかけ合っているので。間合いは至近、何処へ来るか判らない相手の攻めを防ぐのは、なかなか熟達を要する。
勿論、防手は攻手に瞬変する。
本部先生は修業時代、盛んにその師や同門の連中と、この「かけ組手」をやられた由で、当時は唐手の稽古は庭だの人気のない戸外などで専らやったものらしく、雨が降ると、家の中で座ったまま、この「かけ組手」を盛んにやられたという。
おそらく前記の「有名な人物」は、この「かけ組手」などやったことがなかったのではないか、と私は考えている。
(中田瑞彦・著)
読む限りでは双推手っぽいね
https://www.youtube.com/watch?v=ZVpo0BGbRIc >>994
素晴らしいな。資料を出すというのはこういうことだよな。
中田瑞彦は直弟子だし、俺もずいぶんかけ組手の存在に心が傾いているよ。
正直、まだ疑念の残る部分はあるんだけど、話が面白いからいいやw
しかしその「有名な人物」は誰だったんだろうね?
著書でも露骨に批判している船越か? >>988
うん、かなり納得した。
確証は無いけど中田瑞彦は直弟子だし、話が面白いからいいw
手数かけてすまなかったな。
問題は、辻でやってた掛け試しと、このかけ組手は同じものだったのか?
どう思う?
俺、実は本部の辻の掛け試しについても、戦後の本でしか見たこと無いんだ。
なので理性では半信半疑なんだけど、これは希望的観測というやつで
本部ならそういうことやってたんだろうな〜とは思ってる。
だからさ、摩文仁が書いていたみたいな手を引っ掛けて力比べみたいなのが掛け試しの正体じゃ嫌なんだよ。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。