スレチ御免ね。
兵庫が新陰流第三世になって、新陰流の宗家は尾張に移ったのだけど、兵庫は技の改変を進め、その後代も改変を続けていった。その改変とは、介者剣法から素肌剣法への緩やかな改変。
尾張では、改変されていった技を「内伝」、上泉や石舟斎が遣っていた介者剣法を「本伝」として、「分けて」相伝しているよ今でも。
石舟斎が遣っていたということは、江戸柳生はこの遣い方で、改変していったのは尾張だけだから、上の方で誰か言ってた本伝は江戸も尾張も同じというのは正しい。
口伝(書面でも見たことあるかもしれないが)は、厳長師までの柳生家に伝わっているもの。
自分はちょっと疑えないなぁ(笑)…