備中伝が一体いつから竹内流の宗家になられたのでしょうか?

流派の代表者が流派の技を整理したり付け足したりするのは否定しません。
備中伝が備中伝の範囲内で新しい体系を創ることの是非は誰も論じていません。

備中伝は三代目からの分流と称しているのに三代目以前の流祖神話を勝手に解釈して変え
その解釈に基づく技を創作仕出し、竹内流の神伝とまで称し出したので門人がやり過ぎだと暴露して今に至ってるのです。

宗家が存在する流派の分流を自称しているのに、宗家の流祖神話に手を加え、それに関連した技を創作するのはおかしいと思いませんか?