>>410
僕は83年生まれで(>>60と重複になりスミマセン)、その人と接していたのが90年〜95年、ちょうど小学校の六年間でした。(無論その人は全然年上)
ブラジリアン柔術が華々しく世界に知られる事になったのが93年10月1日。
それ以前の90年から、柔道界の寝技師たちを寄せ付けない強さを揮っていました。
スタイルはなにぶん僕が子供だったゆえに、微に入り憶えてはいないですけれど、スパイダーやインバーティトだったイメージはありません。
時代、実力、そしておぼろげながら記憶にある動きから、多分ブラジリアン柔術ではないと思います。
 
最後に会ったのが僕が大学生の時、00年代前半でした。
僕の育った町道場の○十年記念式典があり、帰郷した際、その人も律儀にも顔を出して下さり。
その際に、「今ウルトラ級の寝技師が柔道界に生まれています。良ければ足運んで、やって頂けませんか」とお誘いしたわけです。(→>>312)
流儀はかなり旧く、たとえば起倒流などよりだいぶ歴史が長いです。
嬰児の頃から親がお腹にかかえ前回り受身をするといった、古流の英才教育をその人は受けたそうです。
「技のタイミングを合わせる」この一事にかけて、柔道やブラジリアン柔術の修行じゃ到達出来ない域にあったのは、身体的遺伝と特殊な家伝でしょう。
柔道の町道場には、自流の確認に来ていた感じでした。
でも93、4年になると徐々に町道場に来なくなり、最後道衣を着ているのを見たのは95年、今から実に22年前です。
今は自流を続けているのかすらわからず、もうおトシですし、古流の威力は地上から消えようとしているのかも知れません。