寝技に合気は存在するか? [無断転載禁止]©2ch.net
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寝技で有名な香川の無相流師範が六高の柔道師範になって寝技を研究したとか、よく香川県の本に書いてあるね。 寝技を重視していたところというと、香川の無相流と宅間流?、岡山の不遷流と竹内流の一派、戸塚派
他はどこかあったかな。
四国は無相流の寝技が諸流に影響を与えていたらしい。
嘉納が学んだ起倒流の乱捕は立技重視だったとか。
岡山の起倒流も立技重視だったから起倒流は元々立ち技が好きだったんだろう。
なんかさ、幕末から江戸にかけて柔術界では乱捕重視になりつつあったんだろうね。
そこに、乱捕特化の講道館が登場して一気に加速したと。 地方の柔術柔道史を調べているとこういうのがよくある。
幕末から徐々に乱捕を重視するようになり、型の部と乱捕の部に分かれた。
明治に大日本武徳会ができ、その傘下に入って段位を使い始め、いつの間にやら型や本来の傳位制が隅に追いやられた。
その後、戦後武徳会が解散し、結局講道館に入ってただの柔道場になった。
このパターンがかなり多い。
不遷流やってる老人に技を学びに行ったら、乱捕の方しかやったことがない人で寝技しか教えてくれなかったという話を聞いたことがある。
同じ流派なのに乱捕と形で分かれているという何ともややこしい話。
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高専と無相流の関係は香川県民血涙史に書いてあったような気がする。
他の本かもしれない、少し自信がない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています