>>224
武徳会が公式に扱う柔道のトップではあったけど、武徳会という組織のトップでは無い、って感じだろうか。
講道館と武徳会の軋轢は主に段位の認定権を争うもの。
武徳会の階級はそもそも範士、教士、精錬証ぐらいしか無かった。
後に剣道や弓道に段位を導入するのとあわせて柔道の段位も制定した。
その当時は、武徳会の各支部と同居する形で全国にあった講道館有段者会という組織が講道館に段位を推薦する形式だったので、まずは四段までは武徳会が独自に発行できる、という形にしたらしい。
その後、五段以後も武徳会が発行するようになったので、軋轢が更に大きくなった。
事は柔道だけの事では無くて武徳会全体の方針の問題だから、そこまでは嘉納も抗議するくらいしか出来ない。
一応嘉納の主張としては、武徳会の本部で柔道を指導する師範は磯貝はじめ皆講道館の門人なので、敢えて分ける必要は無いだろう、というもの。
戦時体制でほぼ政治家と軍人の組織になってからはもっと離れたのでは。
道上や阿部が活躍した時期には既に武徳会の段位は一般化してたので、彼らからみたら最初から武徳会と講道館は別々の段位を発行する別々の団体と見えてもおかしくは無いと思う。